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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第三節:戻る場所と、未来への誓い
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第1話:おかえりが残る場所

――夜/龍胆家・彰の部屋


部屋の電気は消してあった。


明かりは、手の中のスマホだけだ。


窓の隙間から入り込む夜風が、カーテンをゆっくり揺らしている。


彰は薄い布団の上へあお向けになり、画面を顔の前へ持ち上げた。


白い光が視界を照らし、遅れてまぶたの裏へじわりと残る。


(……怒鳴ってしまった)


止めようとしても、さっきまでの光景が頭の中で何度も巻き戻された。


夕暮れの道場が、頭の奥で滲む。


凱の鋭い突きに、誠の笑い声が重なった。


その横では、陽菜の「凱君、ほんとかっこいいね」という声まで、妙に鮮明なまま残っている。


そして――裏庭。


木刀を血がにじむまで振り続け、誠と言い合いになった夜。


「俺を見ろよ。俺だって、お前の息子だろ!」


怒鳴った自分の声と一緒に、美咲の顔が脳裏へ浮かぶ。


「……凱が息子だったら良かったんだろ!」


言い放った瞬間の空気まで、今になって耳の奥へ残っていた。


(最低だ……)


力の抜けた手からスマホを胸の横へ落とし、枕へ後頭部を沈める。


天井は闇に溶け、暗い部屋の中には机や本棚の輪郭だけがぼんやり浮かんでいた。


父の顔も、母の顔も、今はまともに思い出したくない。


腹の内側が冷え、ゆっくり息を吐くたび、身体から力だけが抜けていく。


そのまま目を横へ滑らせた時だった。


部屋の隅――テレビ台の下段に置かれた黒い箱が、薄暗がりの中へ静かに浮かぶ。


《インサイダークエスト2》のロゴが貼られた、少し埃をかぶったゲーム機。


中等部に入ってから、ほとんど触っていない。


「現実を見ろ」と自分へ言い聞かせるみたいに、奥へ押し込んだままだった。


それでも今は、そこだけが妙に目についた。


(……久しぶりに、起動してみるか)


理由は、うまく言えなかった。


ただ今だけは、現実のことを考えていたくない。


彰は布団からゆっくり上半身を起こし、スリッパも履かないまま床へ降りた。


夜気を含んだフローリングの冷たさが足裏へ伝わる。


そのままテレビ台の下へ手を伸ばすと、指先に冷たいプラスチックの感触が触れた。


奥へ押し込まれていたゲーム機を少し前へ引き出し、コンセントを差し込む。


絡まりかけていたHDMIケーブルをテレビ裏へ差し直し、最後に電源ボタンを押した。


「……よいしょ」


小さく息を漏らしながらリモコンへ手を伸ばす。


真っ暗だった画面に、ゆっくり光が広がっていく。


スマホ一つだけだった部屋の明かりが、今度は青白いモニターの光へ塗り替えられていった。


(まだ……動くよな)


彰は机の横に置いてあったコントローラーを手に取り、椅子へ腰を下ろした。


少し埃っぽい感触が掌へ残った。


親指でスタートボタンを押した瞬間、見慣れていたタイトルロゴが派手なエフェクトと一緒に画面へ浮かび上がる。


《INSIDER QUEST Ⅱ》


流れ始めたBGMが、静かな部屋へ懐かしいリズムを落としていく。


その下へ、小さな文字が浮かんだ。


「最終ログイン:447日前」


(……そんなに、経ったのか)


彰の視線が、その数字の上で止まる。


ゲームの中の「AKIRA」は、あの夜のまま残っていた。


止まっていたのはキャラクターじゃない。


この場所との“接続”だけだった――そんな感覚が、画面の光と一緒にゆっくり戻ってきた。


彰はログイン画面で自分のデータを選び、決定ボタンを押した。


セーブデータの横には、あの時のレベルとチーム名が、今も変わらず残っている。


(……ただいま)


誰に向けるでもなく、心の中でそっと呟いた。


短いロードのあと、拠点の街が画面いっぱいに広がる。


石畳の広場をプレイヤーたちが行き交い、聞き慣れた街のBGMが静かな部屋へ流れ込んできた。


その懐かしい空気が、止まっていた時間を少しずつ解かしていく。


彰は右下に並んだメニューへ視線を落とし、親指でスティックをゆっくり倒した。


《Team》のアイコンを選び、決定ボタンを押す。


画面が切り替わり、チャット欄が開いた。


そこには当然のように、彰の知らないログが積み重なっていた。


【Kain】:今日のレイド、22:00 集合なー

【Shizu】:了解

【Melinda】:ヒーラー装備、少し整えておいたよ☆彡

【WIND】:助かる、ありがとう


彰はコントローラーを握ったまま、ゆっくりログを追っていく。


その途中、不意に自分の名前が目へ入った。


「AKIRA、今日は?」


返事のないまま置かれた、その一行。


彰はそこから目を逸らせず、しばらく動けなかった。


手の中で、コントローラーがわずかに軋む。


(……ごめん)


画面へ向けるみたいに、心の中で小さく呟く。


さらに下へスクロールしようとした瞬間だった。


画面右上へ、通知ウィンドウがぽんと開く。


【WIND】:……お?

【WIND】:いま、AKIRAログインした?


「……っ」


指が一瞬すべり、彰は反射的にコントローラーを握り直した。


(うわ、バレた……!)


浅く息を吸い、視線をチャット欄の一番下へ戻す。


その間にも、新しいメッセージが次々と流れ込んできた。


【Kain】:え、マジ? 生きてた!?

【Melinda】:えっ! 本当だー!

【Shizu】:おかえり


「おかえり」


たった四文字なのに、その言葉で思いがけず動きが止まる。


画面にログが流れ続ける中、彰は浅く息を吐き、入力欄へカーソルを合わせた。


画面に並ぶ文字を、一つずつ選んでいく。


【AKIRA】:……ひさしぶり


決定ボタンを押し、メッセージを送信する。


送信した直後、指先がひやりと冷えた。


けれど間を置かず、画面へ返事が流れ込んでくる。


【Kain】:うおおお本物だ! 幻じゃなかった!!

【WIND】:メッチャ久しぶりだな

【Melinda】:よ、よかった( `ー´)ノ 元気、だったー?(^_-)-☆

【Shizu】:戻ってきてくれて、嬉しい


(……なんだよ、それ)


思わず息が止まりかける。


テレビの光が、少しだけにじんで見えた。


彰はそれをごまかすみたいに、膝の上のコントローラーを握り直す。


そのときだった。


【WIND】:いきなりなんだけどさ


新しい行へ、Windの名前が浮かぶ。


【WIND】:今度の土曜、オフ会やる

【WIND】:来るか?

【WIND】:AKIRA来たら、フルメンバーだ


オフ会。


その単語を見た瞬間、彰の視線が画面へ縫い止まった。


(……オフ会)


現実で会う。


画面の向こう側にいた“仲間”たちと、同じテーブルを囲む。


その光景を想像しただけで、胸の鼓動が落ち着かないリズムを刻み始める。


画面には、さらにメッセージが流れていった。


【Kain】:おお、久々フルパか!

【Kain】:AKIRAも来ようぜ、な?

【Melinda】:おいでよー。絶対たのしいからね!('ω')

【Shizu】:話したいことが、たくさんある


彰は浅く息を吸い、知らず強くなっていた指先の力を少しだけ緩めた。


(今の自分が、行っていいのか?)


視線を落としたまま、彰は小さく息を飲み込む。


現実では、「雑魚」だと笑われている。


ニュースになったことまで、「まぐれ」だと片付けられる。


模擬戦では役に立てず、陽菜や凱とも、前みたいに言葉が続かなくなった。


誠とは――ぶつかったままだ。


そんな自分が、あの夜、一緒に戦って認めてもらえた場所へ、今さら顔を出していいのか。


(もし、がっかりされたら……)


ベルトの内側が、妙にきつく感じた。


彰は背中を椅子へ預け、そのまま浅く息を吐いた。


すると、不意に画面へ新しいメッセージが流れ込んでくる。


【WIND】:もちろん、無理なら無理って言ってくれていい

【WIND】:でもさ

【WIND】:俺は、AKIRAに直接会って、ちゃんと礼を言いたい


「礼を言いたい」


その文字を見た瞬間、まぶたの裏が熱くなった。


教室では、笑い声が遠い。


道場では、木刀の音だけが残る。


家では、言葉がぶつかったままだ。


それなのに、画面の向こうには――“あの夜”のことを、今も覚えているやつらがいる。


彰はコントローラーを握ったまま、しばらく動かなかった。


静かな部屋の中で、ゲームのBGMだけがゆっくり流れている。


(……行きたい、だろ)


心の中で問いかけると、返事は驚くほどすぐ返ってきた。

怖い。


けれどそれ以上に、どうしようもなく嬉しかった。


彰は小さく息を吐き、入力欄の上へもう一度カーソルを合わせる。


【AKIRA】:……わかった。行くよ


入力した文字を見つめたまま、彰の指が送信ボタンの上でわずかに止まる。


(この「おかえり」まで、失いたくない)


胸の奥で揺れたその気持ちごと、決定ボタンへ指先に力を込めた。


送信。


画面へ、自分の文字が浮かび上がる。


その瞬間、胸につかえていたものが少しだけほどけた気がした。


【Kain】:きたーーー!!

【WIND】:ナイス

【Melinda】:ヤター!楽しみ( *´艸`)

【Shizu】:土曜、楽しみにしている


続けて、Windから別のメッセージが届いた。


【WIND】:細かい場所はスマホの方で送る

【WIND】:連絡用のアプリ、入れられるか?


彰は一度ゲーム画面から目を離し、布団の上に置いていたスマホを取りに立った。


席へ戻り、教えられた名前のアプリを検索してインストールする。


表示された入力欄へ、Windから送られてきた招待コードを一文字ずつ打ち込んだ。


すぐに、見覚えのある名前が並ぶ。


《Wind》

《Shizu》

《Melinda》

《Kain》


スマホが小さく震えた。


【Wind】:これで当日も連絡取れるな

【Kain】:AKIRAスマホの方でもよろしくw

【Melinda】:よろしくねー!(*'ω'*)

【Shizu】:当日は、駅前の噴水で


ゲームの中だけだった名前が、手の中の現実へ移ってきた気がした。


流れ込んでくるメッセージを見ながら、彰の口元がゆっくり緩む。


「……土曜か」


小さく漏れた声が、静かな部屋へ溶けていった。


青白いモニターの光が薄暗い室内を照らし、その中で彰はぼんやりと視線を落とす。


すると、まだ行ったこともないはずの景色が、少しずつ頭の中へ浮かび始めていた。


駅前の噴水。

夜のファミレス。


画面越しにしか知らない四人の顔。


その向かい側へ、自分も座っている。


そんな光景を思い浮かべた瞬間、胸の奥がまた少しだけ熱を持った。


彰は膝の上のコントローラーを胸元へ引き寄せるみたいに、ぎゅっと抱きしめる。


(逃げ場でも、いい)


今はまだ、現実とうまく向き合えない。


それでも――あの夜の自分を覚えていてくれる「場所」だけは、手放したくなかった。


◇


――休日の午後/駅前・中央口


改札を抜けた瞬間、人の流れが一気に彰へ押し寄せてきた。


待ち合わせの声と重なる足音が駅前へ絶えず響き、買い物袋を揺らした人影が肩を掠めるように横を通り過ぎていく。


休日の駅前は、熱を逃がす暇もないまま人で溢れていた。


制服姿の集団が横を流れ、揃った足並みだけがざわめきの中へ妙に残る。


その流れの中央では、小さな噴水が絶えず水を跳ね上げていた。


弾けた水音が、騒がしい空気をわずかにやわらげる。


彰は人波の端で足を止め、小さく息を吐いた。


(……やっぱ、帰ろうかな)


弱気な考えが、不意に頭をよぎる。


視線を落とすと、駅の床へ自分の影が細く伸びていた。


少しよれたパーカーに、無難なジーンズ。


家を出る前には何度も鏡を見たはずなのに、ここへ立った途端、全部が急に場違いに思えてくる。


その時、右手のスマホが軽く震えた。


【WIND】:今、噴水のとこ着いた

【Kain】:お、例のフード被った怪しいやつが俺ねw

【Melinda】:白いワンピース着てるのが、Melindaちゃんです!('ω')

【Shizu】:背の高いのが私


流れてきたメッセージを見つめたまま、彰は唇を小さく噛む。


(……逃げるな)


胸の奥で、自分の声が静かに響く。


ゲームの中で、何度も自分へ言い聞かせてきた言葉だった。


彰は小さく息を吸い、噴水の方へ足を向ける。


人の流れを縫うように進んでいくと、ざわめきの向こうへ少しずつ“名前のある影”が浮かび始めた。


まず目に入ったのは、黒髪を短く刈り込んだ背の高い青年だった。


姿勢がよく、薄いシャツ越しでも肩や腕のラインがはっきりわかる。


真剣そうな目つきをしているのに、仲間と話している時だけ口元が少し少年っぽく崩れていた。


(……Wind、かな)


そのすぐ隣には、さらに大きな影が立っている。


長い黒髪を太い三つ編みにして背中へ垂らした、体格のいい女性。


琥珀色の瞳が落ち着いた動きで周囲を見渡していた。


立っているだけなのに、不思議と「盾」という言葉が頭へ浮かぶ。


その少し後ろでは、白いワンピースの女性が胸の前でバッグを抱えたまま落ち着かなさそうに視線を揺らしていた。


長い前髪に表情はほとんど隠れている。


それでも、目だけが不安そうに忙しく動いていた。


さらにその横。


フード付きパーカーの小柄な少年が、人混みの中でくるくる身体を回している。


跳ねた茶髪と一緒に視線までせわしなく動き続けていた。


「おーい、どこだどこだ、“久々AKIRA”どこだー?」


やたら通る大声が駅前へ響く。


彰は思わず瞬きをした。


(……あのフードのが、Kain、か?)


張っていた緊張の中で、ふっと息が漏れそうになる。


肩へ入っていた力が少しだけ抜けた。


彰は足を止めかけ、それでも意を決して口を開く。


「……あの」


声をかけた瞬間、四人分の視線が一斉にこちらへ向いた。


心臓が強く跳ねる。


けれど次の瞬間、そのうちの一人がぱっと表情を崩した。


「お、もしかして――」


黒髪の青年が一歩前へ出た。


真っすぐな瞳が、彰をまっすぐ捉える。


「……AKIRAか?」


「……はい」


小さく頷いた瞬間、彼の口元がぱっと綻んだ。


「よう。こっちでは初めましてだな、AKIRA」


その声を聞いた途端、視界が一瞬だけぼやける。


ゲームの中で何度も見てきた文字列。


けれど、目の前の声として聞くと、まるで違う重さで胸へ落ちてきた。


「Wind……さん?」


「Windでいいよ。リアルでも、そう呼んでくれ」


そう言いながら差し出された右手を、彰は少し遅れて握り返す。


ごつごつした掌が、想像していたよりずっと温かかった。


「……AKIRAです。改めて、よろしくお願いします」


握った手の熱が、指先に残る。


ずっと張り詰めていた何かが、一瞬だけほどけた気がした。


すると横から、落ち着いた低い声が届く。


「Shizu。……ずっと会ってみたかった」


彰が視線を向けると、大きな影が静かに浅く頭を下げた。


長い三つ編みが肩越しに揺れ、琥珀色の瞳がやわらかく細められる。


「会えるの、楽しみにしていたよ」


「い、いえ……!」


思わず背筋が伸びた。


その空気の後ろから、白いワンピース姿の女性がゆっくり顔を上げる。


「め、Melindaです……。えっと……“Melinda”って呼んでください……」


目が合った瞬間、彼女の顔が一気に赤くなった。


慌てたように頭を下げ、胸元のバッグをぎゅっと抱え直す。


「お、お久しぶりです……っ。勝手に心配してました……ログインしてなくて……」


「……ごめんなさい。心配、かけて」


彰がそう返すと、Melindaはぶんぶんと首を振った。


「い、いえ! 戻ってきてくれて……よかった、です」


その姿を見ながら、彰は小さく瞬きをする。


(……ん? こんなに大人しかったっけ……?)


彰は思わず小さく首をかしげた。


言葉にするより先に、違和感だけがふわりと浮かぶ。


「なんか……雰囲気、違うね。ネットの時と」


ぽつりと漏らした瞬間、横からKainが盛大に吹き出した。


「だよな!? リアルのMelinda、別人だから! ネットだと“今日もヒール最強です~☆彡”とか言ってんのに!」


「い、言ってませんっ!!」


Melindaが跳ねるみたいに声を上げ、慌ててワンピースの裾をぎゅっと握る。


その横で、Shizuは表情を変えないまま静かに口を開いた。


「Melindaは、ログインすると三倍うるさくなる。だが、どちらも彼女だ。問題はない」


「や、やめてください……Shizuさんまで……!」


真っ赤になったMelindaがさらに肩を縮める。


その様子を見ながら、Kainはニヤニヤした顔のまま彰の肩を軽く叩いた。


「AKIRAもビビったろ? こいつ、ボイチャでもチャットでもマジでうるせぇからな」


「……まあ……ちょっと驚いた」


彰が素直に頷くと、Melindaはさらに顔を赤くし、指先をもじもじ絡めながら小さく呟く。


「ね、ネットだと……なんか……言いやすいんです……」


消え入りそうな声だった。


けれど、その言葉にはどこか必死さみたいなものが混ざっていて、彰は思わずふっと笑みをこぼす。


「いや……別に変じゃないよ。どっちもMelindaなんだろ?」


その瞬間、Melindaがはっと顔を上げた。


揺れた瞳が、噴水の光を受けて小さく滲む。


「……ありがとうございます……」


照れたみたいに視線を落としたところへ、今度はフード姿の少年が勢いよく割り込んできた。


「どもどもーっ! Kain(ケイン)でーす! Kainって呼んでね、AKIRA!」 


「いや、テンション……」


「だってさー! 中等部入ってから全然インしないから、マジで隕石落ちたかと思ったわ!」


「それは世界終わってるだろ」


反射みたいにツッコミが出る。


するとKainは「ほらな! チャットと同じだ!」と嬉しそうに笑った。


そんな他愛ないやり取りの中で、彰は小さく息を吐く。


気づけば、肩へ入りっぱなしだった力が、いつの間にか抜けていた。



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