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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第二節:測られる側
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第16話:自慢の息子

――あの繰り返しのあと、庭の土は何度も踏み固められ、その上を、季節だけが巡っていった。


陽菜とも凱とも、以前みたいに話さなくなっていた。


最初は、ぎこちなくても言葉を交わしていた。


けれど彰が先に視線を逸らし、話しかけられても短く返すことが増えていく。


そうしているうちに、二人のほうからも無理に声をかけなくなった。


同じ場所にいても、会話だけが静かに減っていく。


食堂でも、帰り道でも、三人の間には小さな空白が残るようになっていた。


彰はというと、相変わらず剣を振り続けている。


朝も放課後も、休日も。


魔法の練習も続けてはいるが、どうしても噛み合わなかった。


ただ、あの頃とは違う。


誰かに追いつくためではなく、内側に空いた何かを抱えたまま。


そして今も――夕暮れの庭で、手の中の重さだけを確かめていた。


◇


――龍胆家・庭と道場の縁


夕暮れの空は、ゆっくり藍へ沈み始めていた。


庭の熱が薄れ、秋虫の音が遠く混じる。


彰は手を開き、すぐ握り直す。


掌へ残ったざらつきを振り払うように息を吐き、庭の隅で木刀を握った。


首を回し、足幅を整える。


何百回目かの振りを終えた、そのとき――


道場の方から、誠の快活な声が響いた。


「凱君は、本当に吸収が早いな!」


その一言で、彰の動きが止まる。


足も止まり、そのまま引き戸の影へ体重を預けた。


開いた隙間から、道場の中が見える。


凱が、誠から心体育成流の型を直接受けていた。


足運びに迷いはない。


突きは真っ直ぐで、受けも払いも淀みなく繋がっていく。


板が低く鳴り、張った空気だけが庭まで届いた。


「心体育成流って、本当に奥が深いですね」


凱が息を整えながら笑う。


「ああ……いい線だ。今の“間”を忘れないようにな」


誠は凱の手首を取らず、踏み込みの角度だけを指先でなぞった。


周囲の弟子たちから感嘆の声が漏れる。


「すげぇ……」


板の鳴る音へ、感心した声が重なった。


(……綺麗だ)


空気が一度、喉の奥で引っかかった。


「……さすが焔の息子だ。彰より型が綺麗だな」


誠が感心したように頷く。


「ありがとうございます!」


凱は照れくさそうに頭をかき、それからふっと笑った。


「最初マジで全然できなかったんですけど、最近やっとコツ掴めてきた感じっす」


そのまま、近くの木刀へ視線を向ける。


「あと、最近はこれ、剣にも混ぜてるんです」


凱は木刀を借り、その場で軽く構えた。


踏み込みは低く、無駄がない。


振り抜きの途中で重心が沈み、次の動きへ淀みなく繋がっていく。


板が低く鳴り、空気が一瞬だけ張った。


「おお……!」


誠の目が細まる。


「なるほど……心体育成流を剣へ落とし込んでるのか。面白いな」


弟子たちから感心した声が漏れる。


板の鳴る音だけが、静かに続いていた。


陽菜がぱっと顔を上げる。


凱を見ながら、本当に楽しそうに笑っていた。


「魔法もすごいし、模擬戦もめちゃくちゃ強いし。ほんと、凱君すごいよね!」


「いや、陽菜もだろ?」


凱が笑い返す。


「陽菜の魔法、学校でもすげぇ評判じゃん。あの回復と支援、先生まで褒めてたし」


「え、そ、そんなこと……!」


陽菜が慌てて首を振る。


けれど凱は楽しそうに笑ったまま続ける。


「でも、まあ……俺、結構イケてるだろ?」


少し照れたみたいに頭をかきながら、それでも胸だけは得意げに張っていた。


その視線は、まっすぐ陽菜へ向いている。


陽菜は一瞬きょとんとして、それから吹き出した。


「ふふっ、うん。凱君、ほんとかっこいいね」


その笑顔は明るくて、眩しかった。


誠も笑い、弟子たちの笑い声が続く。


障子の紙が微かに震えた。


――ぷつり。


朱い花びらが視界をかすめた。


首を振る。


(……夢だ)


みぞおちに、乾いた引っかかりが走る。


笑い声が遠のき、耳鳴りだけが居場所を占めていった。


(……あの声も、あの場所も、本当は俺が欲しかった)


「……最初から、俺の場所じゃなかったんだ」


力が抜け、重さだけが残る。


踵が半歩、後ろへ下がった。


欲しかった言葉と視線。


あの笑顔。


どれも、もう自分の手の中にはない。


引き戸の縁へ触れた指先が、冷えたまま小さく音を鳴らす。


次の瞬間、彰は駆け出していた。


足が止まらない。


砂利が跳ね、足音が庭石で乾いて弾む。


夕暮れの暗がりが背中へ貼りついた。


家を飛び出し、気づけば街を歩き続けていた。


どこを通ったのかも覚えていない。


頭の奥では、さっきの笑い声だけが何度も反響していた。


空が完全に夜へ沈む頃になって、ようやく龍胆家へ戻る。


庭も道場も、もう灯りが落ちていた。


それでも彰は、そのまま裏庭へ足を向ける。


月が滲む夜空の下、裏庭の木の陰。


夜気は昼の熱を奪い、肌へ刺さるように冷たかった。


彰は無言で木刀を握る。


振るたび、月明かりの影が揺れ、地面へ歪んだ形を落としていった。


「……なんで、俺じゃダメなんだよ……」


ぬるりとした血が指の間を伝い、柄がわずかに滑る。


握り直すたび、潰れた豆へ木片が刺さった。


親指の腹で血を拭い、そのままもう一度握り込む。


振っても、胸の奥のざらつきは消えない。


膝が笑い、爪先が土を浅く掻いた。


踏み外さないよう、足幅だけを無理やり保つ。


足元には削れた木片と、乾ききらない赤い染み。


月光が薄く輪郭を浮かび上がらせていた。


息を止め、三拍だけ数える。


もう一度――そう思って木刀を振り上げた、その瞬間。


「いい加減にしろッ!!」


板戸が鳴り、空気が一段冷えた。


引き戸の桟が震え、その振動が足裏まで伝わってくる。


心臓が、不意に強く打った。


手から木刀がこぼれる。


石へ当たった乾いた音が、夜の庭へ鋭く跳ね返った。


足音が近づいてくる。


砂利が一歩ごとに鳴り、その音だけが真っ直ぐ彰へ迫った。


顎が引ける。


体が、動かない。


「……お前、自分を壊す気か!」


「壊すつもりなんか、ない!」


口の中が乾き、息がうまく入らない。


誠の眉が揺れる。


けれど返ってきた声は鋭かった。


「なら止まれ! 土台を捨てた稽古は――折れるだけだ!」


「折れても、いい!」


喉の奥から熱いものがせり上がる。


息を吸う間もなく、言葉だけが先に飛び出した。


「俺はもう、置いていかれるの嫌なんだよ! どれだけ振っても褒められなくて……どれだけ努力しても“さすが凱”ばっかで……!」


彰は顔を上げる。


月光の下、誠の瞳を真正面から睨み返した。


「……俺を見ろよ。俺だって、お前の息子だろ!」


夜風が二人の間を抜けていく。


虫の声さえ止まり、沈黙だけが重く残った。


(……じいちゃんだったら、なんて言うだろう)


口を開きかけて、音が出ないまま閉じる。


声の調子も、思い出せない。


けれど、笑った顔だけは残っていた。


『彰は強くなる』


幼い頃、大きな手で頭を撫でながら、じいちゃんは何度もそう言っていた。


『お前は大丈夫だ』


夕暮れの縁側。

風に揺れる木々。

揺れない背中。


細かい景色は曖昧なのに、その笑顔だけは、なぜか消えなかった。


(……俺、本当に強くなれるのかよ)


喉の奥が熱を持つ。


それでも、あの人が信じてくれた記憶だけが、かろうじて彰を繋ぎ止めていた。


「……彰。俺は――」


誠が一歩踏み出し、短く息を吸う。


「わかってるよ!」


言い終える前に、喉がきしんだ。


「どうせ、俺じゃ足りないんだろ……!」


指先が宙をさまよい、何も掴めないまま拳へ戻る。


砂利の音が消え、二人の呼吸だけが残った。


その瞬間――誠の顔が、視界から外れる。


伸ばせば届く距離なのに、背中は遠かった。


一歩も踏み出せないまま、視線だけが止まっている。


彰は唇を強く噛み、そのまま背を向けた。


砂利を踏む音だけが、夜の庭へ乾いて響く。


「彰――」


誠の声が背中へ届く。


けれど彰は振り返らなかった。


家へ入り、乱暴に脱いだ道着を抱えたまま浴室へ向かう。


熱いシャワーを浴びても、体の芯へ残ったざらつきは流れない。


水滴を拭いながら洗面台へ手をつく。


鏡の中の自分は、思っていたよりずっと幼く見えた。


脱衣所を出ると、廊下の向こうから味噌汁の匂いが流れてくる。


台所では、美咲が夕食の準備をしていた。


「彰、ご飯もうすぐできるわよ」


明るく言おうとしているのが分かる。


それでも彰は、足を止めないまま短く返した。


「……いらない」


美咲の手が、わずかに止まる。


彰はそのまま階段を上がり、自室の扉を閉めた。


◇


――夜更け/龍胆家・彰の部屋


夕方の出来事が頭の奥で渦を巻き、背中のざわつきは消えない。


冷えた夜気が窓の隙間から忍び込み、肌をひやりと撫でていた。


薄いカーテンが一度だけ揺れる。


月明かりが淡く部屋を洗い、遠い虫の声が静かに途切れていく。


最後に残ったのは、自分の呼吸だけだった。


彰はベッドへ仰向けのまま、ぼんやり天井を見つめる。


シーツへ触れた指先が、氷みたいに冷たかった。


手のひらには、まだ木刀の感触が残っている。


裂けた豆へ乾いた血が張りつき、皮膚が引きつるたび鈍く痛んだ。


それでも、胸の奥だけが妙に空っぽだった。


ふいに、夕暮れの道場が浮かぶ。


凱が父に褒められる。


陽菜がその隣で笑う。


『凱君、ほんとかっこいいね』


眩しいくらい自然な笑顔だった。


あの笑顔は、昔は自分へ向いていた――はずなのに。


(……なんでだよ)


喉の奥が熱を持つ。


(俺だって、必死にやってるのに)


悔しさと悲しさが混ざり合い、熱い鉛みたいに腹の底へ沈んでいく。


額へ腕を押し当て、彰は強く目を閉じた。


振り続けている。


それでも届かない。


全部、凱に奪われていく気がして、息が詰まった。


コン――。


静かな部屋へ、控えめなノックの音が落ちる。


「……彰。入ってもいい?」


美咲の声が、扉越しに静かに届いた。


その声を聞いた瞬間、喉の奥がまた詰まる。


返事をしようとしても息だけが引っかかり、指先だけがひやりと冷えた。


しばらくして、扉がゆっくり開く。


美咲は足音を殺すように部屋へ入り、淡い月明かりの中でベッド脇へ腰を下ろした。


伸びかけた手が、一度だけ彰の肩の前で止まる。


ためらうように揺れ、そのまま膝の上へ戻っていった。


その動きが、胸の奥へ小さく刺さる。


美咲は唇を開きかけ、また閉じる。


視線を落としたまま、小さく息を吸った。


「……あの人、不器用だけどね。いつも彰のことばかり考えてるの」


重ねた指先へ力が入る。


間を置いて、美咲はもう一度だけ続けた。


「だからこそ、厳しくしちゃうのよ」


その言葉が、一拍遅れて胸へ落ちた。


「……違う!」


抑えきれない声が漏れる。


彰はベッドの端を掴み、そのまま勢いよく上体を起こした。


美咲の目が、わずかに見開かれる。


「いつも凱ばっか褒めて! 俺のことなんか全然見てない!」


喉が焼け、こぶしを膝へ叩きつけた。


息も整わないまま、言葉だけが先に飛び出していく。


「……凱が息子だったら良かったんだろ!?」


喉がひりつく。


乱れた呼吸のまま、彰は声を押し出した。


「俺じゃなくて……凱なら良かったんだろ!!」


美咲の表情が揺れる。


まぶたが震え、唇が言葉を探すみたいに小さく動いた。


けれど、声は出ない。


かすかな微笑みだけを作り、そのまま瞳を伏せる。


薄いカーテンが揺れ、月明かりが二人の間を静かに横切った。


その微笑みが、遅れて胸へ刺さる。


言葉にできない熱が、喉の奥へ込み上げた。


陽菜の笑顔。


父の声。


浮かんでは消え、浮かんでは消える。


視界が揺れ、涙が頬を伝った。


彰は顔をそむけ、そのまま枕へ額を押し当てる。


シーツを握る指へ力が入り、肩だけが小さく震えていた。


「彰……」


名を呼ぶ声は、いつもと同じだった。


その優しさが、余計に苦しい。


返事を探す前に、肩がわずかに沈む。


「……出ていって……お願い……一人にして……」


声は途中で掠れ、最後だけが小さく落ちた。


美咲は静かに立ち上がる。


その瞳にも、同じ光が滲んでいた。


扉へ向かう足取りは重い。


途中で一度だけ立ち止まり、背中越しにかすれた声を落とす。


「……彰は、私の自慢の息子よ」


扉が閉まる。


その瞬間、生活音だけがふっと遠ざかった。


残ったのは、秒針と自分の呼吸。


冷たい沈黙が、ゆっくり部屋へ満ちていく。


彰は布団へ顔を埋めた。


嗚咽が漏れないよう、息を殺す。


涙の熱だけがシーツへ滲んでいった。


(自慢の息子――)


その言葉だけが、何度も頭の中で繰り返された。


本当に心配してくれていた。


分かってしまった瞬間、後悔だけが腹の底へ沈んだ。


恋心も、嫉妬も。


絡まった感情だけが、行き場を失ったまま残っていた。


カーテンがかすかに揺れ、月の白が床を細く流れた。


彰はその光から逃げるように、さらに深く布団へ顔を埋める。


長い息だけが漏れた。


閉じたまぶたの裏には、ただ暗さだけが、じわりと広がっていた。


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