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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第二節:測られる側
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第14話:仮面の下の叫び

――放課後/中等部・訓練場


あのあと、彰は陽菜とも凱とも顔を合わせなかった。


休み時間も、昼休みも。


視線が向きそうになるたび、先に教室を離れる。


陽菜は心配してくれていた。


凱も、本気で怒っていた。


それなのに、自分はあんな言葉をぶつけてしまった。


(……なんで、あんなこと……)


気づけば、足だけが訓練場へ向かっていた。


夕方の訓練場は、やけに広く感じられる。


声も足音も吸い込まれ、冷えた床の固さだけが足裏へ返ってくる。


模擬剣を振り下ろすたび、乾いた風が袖の中を抜け、ラバーの床材が靴底へ鈍く食いついた。


響く音は、自分の素振りだけ。


振り下ろした剣が空を切る音と、踏み込んだ靴底の擦過音が、がらんとした空間へ溶けていく。


(もっとやらなきゃ)


模擬戦の感触が、まだ腕へ残っていた。


凱の剣は鋭かった。


陽菜の光は温かかった。


なのに自分だけ、何も届いていない。


守られてばかりで、誰も支えられなかった。


袖を握る指先へ、じわりと力が入る。


「……強く、ならなきゃ」


吐いた息は白くほどけ、そのまま高い天井へ消えていった。


どれくらい剣を振っていたのか、自分でも分からなかった。


気づけば窓の外はすっかり暗くなり、訓練場の照明だけが床を白く照らしている。


不意に、入口の扉が開いた。


「おーい、龍胆。もう閉めるぞ」


見回りの教師が苦笑しながら手を上げる。


「こんな時間まで残るな。もう下校時間を過ぎてる」


「あ……すみません」


彰は息を整え、慌てて模擬剣をラックへ戻した。


手のひらには赤い跡が残っている。


握り込みすぎた指先は、まだじんわり熱を持ったままだった。


「無理しすぎるなよ」


教師はそれだけ言い残し、廊下の向こうへ歩いていく。


彰は小さく頭を下げ、訓練場の戸を静かに閉めた。


正面玄関へ向かう気にはなれなかった。


まだ陽菜や凱と顔を合わせそうな気がして、足だけが無意識に人気のない通路を選んでいく。


足音だけが、やけに近く響く。


いつの間にか、普段は通らない校舎裏の暗がりへ入り込んでいた。


◇


通路は夜の匂いで満ちていた。


机の木の香り。


人の気配が消えたあとの湿り気が、冷えた空気へ薄く残っている。


青白い魔力灯が、脈を打つみたいに時おり明滅した。


どこかで、ぽつり、ぽつりと水滴が落ちる。


風が通路の隅を抜け、落ち葉が足元で紙片みたいに擦れた。


そのとき――押し殺した声が前方から響く。


怒りに濡れている。


けれど、その奥で何かが壊れそうな必死の響きだった。


彰は反射的に柱の影へ身を滑り込ませる。


背へ触れた石の冷たさに、肩がわずかに強張った。


息を細くしたまま、耳を澄ます。


「――西園寺様! 姉の調査は一体どうなっているのですか!」


六菱征四郎――と、すぐにわかった。


六菱家の跡取り。


直接口を利いたことはない。


けれど名前だけは、廊下の端まで届いていた。


成績上位で、実技は模範。


教師からの信頼も厚く、廊下で同級生を冷たくあしらう声が、ふと記憶に引っかかる。


そして――姉、六菱小夜の失踪。


協会は「不慮の事故」と発表した。


(けど、みんな言ってる。おかしいって)


その弟が今、声を震わせている。


通路の先に三つの影があった。


征四郎は拳へ強く力を込め、その隣には壮年の男が立っている。


(……六菱宗厳!)


肺の奥で空気が止まった。


新聞や映像でしか見たことがない。


けれど、その姿を見た瞬間、足裏へ落ちる圧だけは距離越しでもずれなかった。


宗厳が一歩前に出る。


その瞬間、通路の空気が張りつめた。


構えは見えない。


それでも隙がない。


外套の端がわずかに揺れ、その動きだけで刃の軌道を連想させる。


(すごい……! 本物だ)


全身の毛穴が一気に開く。


焔の炎を初めて見た時と似ていた。


けれど、どこか噛み合わない。


剣を握る者なら、呼吸がひとつ遅れる。


背筋へぞくりと震えが走り、指先が空を掴んだまま止まった。


宗厳の正面には、紫の和装に身を包んだ女。


扇子で口元を隠し、視線だけで人を切るみたいな冷たさがあった。


髪も爪も、夜の光を弾くたび温度を奪っていく。


(……西園寺鏡花)


入学前に読んだ教本や資料へ載っていた。


最高評議会――頂点に座る人間のひとり。


(……こんな場所で)


胸の奥で熱を帯びていた憧れが、彼女の気配に触れた瞬間、静かに冷えていく。


噂通りの冷たさだった。


まるで氷像が歩いているみたいに、空気だけが静まり返っている。


「――あれはただの失踪ではないはずです! 通信記録も不自然に途絶えて……!」


征四郎が食い下がる。


声は割れ、息が擦れていた。


西園寺は扇子を小さく揺らす。


「六菱のご子息。憶測で協会を混乱させるのはおやめなさい」


言葉が落ちた瞬間、通路に残っていた余白が消えた。


「民衆を不安に陥れることはインサイダーの本分ではありません。次期当主ならなおさら」


征四郎の拳が震える。


その肩へ、宗厳がわずかに身を寄せた。


「……征四郎、よさんか。西園寺様を困らせるな」


威厳に満ちた声のはずだった。


けれど彰には、押し殺した痛みの響きに聞こえる。


(この人でも、逆らえないのか)


足元の感覚だけが急に遠くなる。


尊敬と畏怖が、行き場を失ったまま残った。


(……こういう顔を、するんだ)


西園寺は背を向ける。


足取りに迷いはない。


近づく踵の音が、柱の影で鋭く響いた。


すれ違う瞬間、扇子の影が頬を掠め、涼しい香が鼻を刺す。


「……面倒な火種を増やしてくれたものだわ」


歩みを止めないまま、背を向けた声だけが落ちる。


「“ミスター・ノア”の件すら片付いていないのに。六菱の小娘ひとりで盤面が乱れるのはご免ですわね」


盤面――。


その言葉が、喉の奥へ引っかかった。


姉の失踪が、“駒”の欠けた場所みたいに語られていた。


袖を握る指先が、かすかに震える。


宗厳、征四郎、西園寺の靴音が遠ざかっていく。


魔力灯がひとつずつ脈を打ち、通路はゆっくり静けさを取り戻した。


その背が角を曲がりきったあと――


征四郎が壁を殴った。


乾いた音が通路を走り、粉じんが月明かりへ舞い上がる。


怒りに歪んだ横顔から、いつもの余裕は消えていた。


彰は動けなかった。


冷えた床の硬さだけが、靴底越しにじわりと戻ってくる。


インサイダーは、人を守る象徴だと思っていた。


自分もいつか、あの場所へ届くんだと信じていた。


けれど今、目の前に残っていたのは、指先の温度を奪うみたいな“盤面”と、その上を動く人の影だった。


隠蔽。

沈黙。

秩序という名前で切り捨てられていくもの。


「……正義、か」


声は途中でほどけ、そのまま足元へ落ちた。


信じていた世界が、音を立てて軋んでいく。


西園寺の言葉だけが、いつまでも耳に残った。


(……こんなの、俺が思ってた協会じゃない)


通路の端から夜風が流れ込み、草と石の匂いが頬を撫でる。


震える吐息を押し殺し、彰はゆっくり一歩を踏み出した。


足取りは重い。


それでも、立ち止まる気にはなれなかった。


――見てしまった。


知ってしまった。


夜風が抜けても、指先だけは冷えたままだった。


それでも――


(ちゃんと、人を守れるようになりたい)


焔みたいな強さは、まだない。


けれど、その願いだけは消えなかった。


羨望も畏怖も、吐いた息と一緒に夜へ溶けていく。


夜空は低く、星はまばらだった。


遠くで、時計塔の鐘がひとつ鳴る。


足を止める理由はない。


時間だけが先へ進み、迷いは後ろへ置き去りにされていく。


彰は手を握り直した。


冷えた汗が掌へ滲み、剣の重みがゆっくり戻ってくる。


(強くなる)


指先へ力を込め、そのまま校門の影を抜けた。


夜気が白く吐息をほどき、すぐ闇へ溶けていった。

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