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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第二節:測られる側
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第13話:朱に染まる夢

――深夜/龍胆家・彰の部屋


その夜も、彰は布団に横たわっても眠れなかった。


掛け布団の内側にこもった熱が、なかなか逃げていかない。


まぶたを閉じるたび、縁へ触れた指先が落ち着かず、呼吸だけが浅く乱れた。


「……落ち着け……」


寝返りを打っても、身体の置き場が噛み合わない。


握り込んだ布地の皺だけが、指の内側へ残った。


まぶたを閉じても、模擬戦の敗北が離れない。


こめかみの奥がズキズキと脈打つ。


指先から血の気が引き、その感覚だけが戻ってこない。


「……俺が、もっと強ければ……」


爪が食い込むほど拳を握り込み、彰は息を押し殺す。


熱は消えないまま、意識だけがゆっくり闇へ沈んだ。


次の瞬間、赤に染まった光景が広がった。


「――アキ!」


振り返ると、陽菜が泣いていた。


伸ばされた手は血に濡れ、震える指先から赤い滴が途切れない。


瞳の奥で光が揺れている。


焦点は合わず、呼吸だけが細く乱れていた。


「なんでなの……」


掠れた声が途中で途切れる。


唇が震え、涙が頬を伝った。


「昔の、優しいアキに……戻ってよ……ッ!」


伸ばされた手は、それでも届かない距離で止まっていた。


「……ふざけんな……!」


次の瞬間、凱の怒鳴り声が空気を裂いた。


血走った目が逸れない。


握った刃が震え、剣先が今にもこちらへ突きつけられそうだった。


「裏切り者がッ!」


吐き捨てるみたいな怒声が耳を打つ。


(凱、陽菜……?)


状況が噛み合わない。


何を言われているのか分からないまま、敵意だけが真正面から叩きつけられてくる。


視界が揺れる。


焦点だけが遅れ、その奥で満開の桜並木がぼやけて広がっていた。


足元は湿った土だった。


どこかで、水の流れる音がしている。


――けれど、花びらは白じゃない。


濁った色を吸い込み、花弁は重く濡れたまま枝から垂れていた。


一枚、二枚と落ちるたび、血潮が地面を濡らし、足首を冷たく撫でた。


湿った風が吹き抜ける。


花弁が嵐みたいに舞い、頬へ触れるたび、乾いた擦過音が耳の奥へ張りついた。


空はゆっくり紅へ沈んでいった。


「……っ」


呼吸が途中で引っかかり、重心だけが内側へ沈み込んだ。


その嵐の中――もう一人の自分が立っていた。


乱れた髪。


頬へ落ちた疲労の影が、その顔を今よりずっと老けて見せている。


少年ではない。


今より数年――いや、十年近く年を重ねた輪郭だった。


片手には、銀色の懐中時計。


握り込まれた指先へ力が集まり、関節だけが白く浮いている。


目の下へ落ちた濃い影だけが、異様に深かった。


「……俺……?」


声が震え、思わず一歩後ずさる。


それでも相手は動かない。


口は閉ざされたまま、時間だけが静かに流れていく。


その目だけが、まっすぐこちらを射抜いていた。


射抜かれた瞬間、膝が震える。


足が地面へ縫いつけられ、指先から血の気だけが引いていった。


「――っ!」


次の瞬間、体が跳ねた。


肺へ空気が乱暴に流れ込み、心臓の鼓動が内側から叩きつけてくる。


気道が擦れ、息が途中で引っかかった。


「……夢、か……?」


枕元の時計の針が、小さく音を立てる。


肩を落としても、身体の芯には熱だけが残っていた。


あんなふうに泣かせてはいけない。


憎まれる自分には、絶対になりたくない。


喉の奥がひりつく。


陽菜の泣き声が、まだ耳の奥に残っていた。


凱の怒鳴り声も、赤く滲んだ景色も、呼吸へ絡みついたまま離れない。


(……違う)


拳へ力が入る。


(あんなふうになるはずない)


そう思うのに、不安だけが消えなかった。


模擬戦で何もできなかった感触。


置いていかれる焦り。


アウトサイダーに助けられた夜の記憶。


そのどれもが、まぶたの裏で途切れず重なっていた。


(もっと強くならなきゃ……)


無意識に歯を噛み締めたまま、彰は布団の縁を強く掴んだ。


このまま止まったら、本当に何かを失う気がした。


息が喉で引っかかり、握った布団の皺がさらに深くなる。


焦りだけが、熱を持ったまま消えない。


「……絶対に、させてたまるか……!」


思考より先に体が動く。


襖を開け、廊下を抜け庭へ踏み出した。


夜明け前の冷たい風が頬を叩く。


湿った草の匂いが肺へ流れ込み、熱を帯びた呼吸とぶつかった。


石畳を蹴り抜け、そのまま道場の戸を乱暴に開け放つ。


薄暗い板張りへ足を据え、木刀を掴む。


震える指を握り直し、彰は深く息を吸った。


まぶたの裏には、まだ赤い残像が焼きついている。


飲まれるな。


止まるな。


「はッ!」


木刀が唸り、乾いた一撃が夜明け前の道場へ響き渡った。


◇


――インサイダー養成学校・中等部・教室


翌朝の教室。


彰は目の下にうっすら隈を作り、どこか上の空で授業を受けていた。


板書を写す手は何度も止まり、視線も窓の外を追いきれないまま途切れる。


休み時間になると、陽菜が机の横まで歩み寄ってきた。


椅子の脚を避けるように足元へ気を配りながら、そっと彰の顔を覗き込む。


「アキ、顔色わるいよ? 大丈夫……? なんか汗もすごいし……」


鞄からハンカチを取り出し、端を指先で摘まんだまま差し出した。


白い布が頬へ触れかけた、その瞬間――


「や、やめてくれ!」


彰は反射的に身を引き、その手を払いのける。


陽菜の瞳が大きく開いた。


(――違う、そんなつもりじゃ)


喉がひくりと鳴る。


けれど言葉がうまく出てこない。


「ご、ごめん。ちょっと体調が悪いだけだから……大丈夫」


陽菜は眉を寄せ、もう一歩だけ近づいた。


「……ほんとに? まだ顔色、すごい悪いよ……?」


彰は一度まぶたを閉じる。


息を吸い込んでも、胸の奥のざわつきが消えない。


結局、何も返せないまま顔だけをそらした。


陽菜は瞬きを一度だけして、そのまま視線を落とす。


「おいアキ! なんだよ、その態度!」


凱が眉をひそめ、机越しに声を荒げた。


「陽菜が心配してんだろ! そんな顔してんなら保健室行けって!」


その瞬間――視界に、あの赤が重なった。


血に濡れた陽菜の手。


怒鳴る凱の顔。


悪夢の残像が、現実へ滲む。


握っていたペンへ力が入り、机に乾いた音が跳ねた。


パキン――。


砕けたプラスチックの音が、凍りついた教室へ鋭く響く。


「お前には関係ないだろ! もう……放っといてくれ!」


机を叩く音が遅れて残る。


彰は声を震わせたまま、無理やり前を向いた。


陽菜の手からハンカチが滑り落ちる。


白い布は床へ静かに広がり、そのまま動かなかった。


陽菜は一度だけ瞬きをする。


けれど次の言葉が出てこないまま、視線だけが落ちていった。


凱も口を開いたまま止まる。


喉がひとつ鳴り、背筋が固まった。


陽菜の唇がかすかに動く。


音にならない息だけが漏れ、そのまま消えた。


(……アキ、どうしたんだよ)


拳が震える。


言葉を返そうとしても、うまく続かなかった。


「お前、研修旅行のあとからずっとおかしいだろ! 陽菜、ずっと心配してたんだぞ……!」


だが、彰は立ち上がった。


椅子が床を擦り、張りつめていた教室の空気がわずかに揺れる。


「……悪い。少し外に出る」


足音が低く響く。


廊下へ出た瞬間、冷たい空気が肺へ刺さった。


歩きながら、彰は強く拳を握りしめる。


震えを押さえ込むみたいに、そのまま前へ踏み出した。


(違う……そんなつもりじゃなかった)


こめかみの奥へ、赤い残像が焼きついたまま離れない。


胸の内で、重たい感覚だけが渦を巻き続けていた。


(どうしたら……いいんだよ……)


舌の奥がひりつく。


言葉にならないまま、彰は呼吸を押し殺して歩き続けた。


教室へ残してきた空気だけが、まだ背中に張りついている気がした。


陽菜は肩を固めたまま、視線を落としている。


凱も拳を握りしめたまま、長く息を吐いた。


床へ落ちたハンカチだけが、誰にも拾われないまま静かに広がっていた。

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