第12話:拍手の外側
――インサイダー養成学校・中等部・校舎前
日々が過ぎ、秋は深まっていた。
校舎脇の木々は赤や黄に染まり、落ち葉を踏むたび乾いた音が残る。
廊下から流れてきた声に、彰の足がわずかに緩んだ。
「さっきのやばかったよな」
「虹咲、ほんと安定してる」
「……獅子堂も、やっぱ強えな」
昇降口の前には、小さな人だかりができていた。
その中心で、陽菜は少し困ったように笑い、凱は肩をすくめながら応えている。
周囲の視線も、自然と二人へ集まっていた。
彰は足を止めない。
視線だけが一瞬そちらへ向き、すぐに外れる。
そのまま掲示板の前で立ち止まった。
貼られていたポスターの文字を追い、指先が紙の縁へ触れる。
《学年末チーム模擬戦トーナメント開催》
ひやりとした感触だけが残った。
「……もうすぐだ」
(焦るな。今度こそ……)
足を踏み出しても、指先にはまだ紙の冷たさが残っていた。
◇
――冬の終わり/インサイダー養成学校・中等部・アリーナ
完成したばかりの中等部アリーナへ、冬の薄い陽光が差し込んでいた。
入学した頃は、まだ鉄骨だけだった場所。
あのとき渡り廊下の窓から見上げていた施設が、今は巨大な競技場として完成している。
冷たい空気が漂う中、天井の学年旗がかすかに揺れ、観覧席には生徒や教師、そして見学に来た上級生たちの姿が並んでいた。
彰たちは模擬戦用の訓練装備へ着替えている。
黒い防護ベストを締め直し、腕と脚の簡易プロテクターを確かめる。
腰には《マナ・リリース》対応の模擬武装。
息を吐くと、白く滲んだ呼気がゆっくり空気へほどけていった。
一年を締めくくる日――学年末のチーム模擬戦トーナメント。
希望者が組んだ即席のチーム同士が、同学年内でぶつかり合う。
成績も肩書きも持ち込めない。
だからこそ、ここでは嘘がつけなかった。
体育祭みたいな高揚と、試験みたいな緊張が交じり合う。
冬の冷気の中、熱を帯びた息が会場へ満ちていた。
彰、陽菜、凱の三人は、もちろん同じチームで出場する。
彰は手のひらの古いマメを親指でなぞり、指先へ力を込めた。
(……今なら、やれる。この大会で、一年の努力を証明する)
整列の合図。
審判役の教官が一歩前へ出た。
木床へコツンと足音が響き、ざわめきがゆっくり静まっていく。
「――全員、よく聞け!」
反響した声に、観覧席のざわめきが一段低くなる。
換気ファンの低い唸りや、誰かが息をのむ音まで耳へ残る。
「このアリーナには、安全確保のための制御システムが導入されている。一定以上のダメージを受けた場合、対象は自動的に退場処理され、フィールド外へ転送される」
教官は一度視線を巡らせた。
「今回使用するのは、すべて《マナ・リリース》対応の模擬装備だ。武器へ魔力を流すことで、あらかじめ組み込まれた固有の効果が立ち上がる。効果は装備の種類や型式によって異なる。各自、自分が選んだ装備の特性を把握しておけ」
腰の模擬剣へ軽く触れながら続ける。
「なお、純粋魔法の使用は禁止。どれだけ装備とマナを噛み合わせられるか――そこが勝敗を分ける」
「大剣でノックバック面白そう」
「外したら隙でかそうだな」
「全校に見られてるぞ」
ざわめきが一度ふくらみ、また静かに沈んでいった。
彰は指をほどき、また結ぶ。
客席の声が一段上がった。
凱は肩を回し、陽菜は胸の前で組んだ指を軽く解いた。
彰は靴紐をつま先で押し直し、足幅を整えた。
呼吸をひとつ落とす。
その直後、鼓動だけが強く打った。
「――やるぞ」
凱が右手を差し出した。
彰は半拍遅れて拳を合わせる。
陽菜もその上へ、そっと手を重ねた。
三人で拳を二度、軽く打ち合わせる。
乾いた音が、小さく響いた。
それだけで、ちゃんと伝わる。
彰は唾をのみ、剣の柄を握り直した。
(“当てられなきゃ意味がない”)
鼓動が、柄を握る手のひらへ伝わってくる。
掌の汗をズボンで拭い、呼吸を三拍へ揃えた。
「――次、龍胆・虹咲・獅子堂チーム、入場!」
呼びかけに合わせ、観覧席から声が上がる。
「虹咲だ!」
「獅子堂、また大剣か!」
「陽菜ちゃん、がんばれー!」
声が重なり、天井まで跳ね上がった。
陽菜は胸の前で手を重ねて笑い、凱は肩を回して顎を上げる。
その動きだけで、観覧席の熱が一段上がった。
「あの子が虹咲? 噂のA+の子か」
「かわいいな……」
「獅子堂も出てんのか。親、確か“焔”だろ?」
「マジ? じゃあ血統からして本物じゃん」
観覧席の視線は、自然と凱と陽菜へ集まっていく。
その中で、彰の名前だけは聞こえなかった。
(……関係ない。俺は俺の戦いをする)
彰は息を吐き、視線を正面へ戻す。
ざわめきが少しずつ静まっていく。
彰は一歩踏み出し、木床を軽く蹴って重心を落とした。
◇
初戦、開始。
ピッ――。
凱が床を蹴る。
大剣へマナを流し込んだ瞬間、剣身が赤く脈動した。
膨らんだ熱が空気を押し、前列の髪と制服の裾を揺らす。
「はあっ!」
振り下ろしの衝撃が倍増し、前衛の盾をまとめて弾き飛ばした。
木床が低く唸る。
その隙へ、彰が踏み込む。
模擬剣へ流したマナが刃を淡く発光させた。
「……はっ!」
斬撃が自動で繋がり、相手の構えへ押し込まれていく。
けれど浅い。
完全には止めきれず、刃を流された勢いで体勢だけがわずかに揺れた。
真正面から倒す力はない。
それでも、一瞬でも崩さなければいけない。
彰は踏み込みを止めず、そのまま連撃を重ねる。
視界の端では、陽菜が杖へ魔力を集中していた。
発動まで時間がかかるからこそ、止め続けなければいけない。
(今だ――!)
凱のノックバックで相手が浮く。
次の瞬間、陽菜の魔力弾が一直線に撃ち抜かれた。
衝撃が炸裂し、相手がまとめて吹き飛ぶ。
直後、終了の合図が響いた。
魔力障壁が静かに消え、弾かれた相手が床へ転がる。
一拍遅れて、場内へ歓声が広がっていった。
「次もこの調子だ」
凱が肩を叩く。
「うん、行こ!」
陽菜も笑い、もう次の対戦表へ視線を向けていた。
彰も頷き返す。
けれど胸の奥には、うまく噛み合わなかった感触だけが残っている。
(当てなきゃ、何も始まらない)
「獅子堂すげぇ!」
「虹咲、今の魔力弾やばっ!」
歓声は二人へ集まっていく。
彰の耳へ残ったのは、自分の剣が床を擦った乾いた音だけだった。
「ナイス連携だったな!」
凱が大剣を肩へ担ぎながら笑う。
「うん! 次もこの感じで行こ!」
陽菜も杖を抱えたまま頷いた。
彰は一瞬だけ遅れて、曖昧に笑う。
「だな」
返事をしたあとも、剣を握る指だけがうまく緩まなかった。
◇
二回戦。相手は互角だった。
(取り返す)
彰は踏み込む。
連撃を重ね、相手の動きを止めにかかる。
金属音が連続し、衝撃が腕へ走った。
手首が流れ、剣が逸れかける。
肘を締め直し、体幹で支えたが、マナの光がわずかに揺らぐ。
その瞬間だった。
「龍胆を崩せ!」
相手の視線が、一気に彰へ集中する。
矢と斬撃、踏み込みの圧が三方向から同時に迫った。
彰は反射的に床を蹴る。
「……っ!」
刃を弾きながら半歩退く。
だが間を空ける前に、マナで加速された矢が別方向から飛び込んできた。
避けても、すぐ追撃が重なる。
呼吸が乱れ、間合いを立て直す暇がない。
(速い……!)
視界の端で、陽菜が杖を構えていた。
収束した魔力が杖先で脈打つ。
発動まで、あと少し。
彰は歯を食いしばり、追撃を捌きながら無理やり踏み込み続けた。
「アキ、左!」
凱の声が飛ぶ。
彰が反射で横へ流れた瞬間だった。
陽菜の魔力弾が一直線に撃ち抜かれる。
回避行動へ入っていた相手の脇腹へ直撃し、衝撃で一人目が吹き飛んだ。
その隙へ、凱が大剣を振り抜く。
ノックバックで体勢を崩された相手へ、そのまま追撃が叩き込まれた。
二人目が転倒し、障壁光が弾ける。
けれど――。
残った最後の一人が、彰へ踏み込んできた。
「っ……!」
斬撃が重い。
受け止めた瞬間、腕が沈んだ。
押し返せない。
連撃を返そうとしても、全部先に潰される。
「ぐっ……!」
剣が弾かれ、崩れた体勢へ横薙ぎの一撃が叩き込まれた。
視界が跳ねる。
警告音と同時に、障壁が砕けた。
足元へ転送光が走る。
「あ――」
床の感覚が消え、次の瞬間には彰の体がフィールド外へ弾き出されていた。
観客席がざわめく。
フィールドの向こうでは、凱と陽菜が残った相手へ同時に踏み込んでいた。
凱の大剣が唸り、その軌道へ重なるように陽菜の魔力弾が撃ち込まれる。
直後、終了の合図が鳴った。
凱が大剣を肩へ担ぎながら手を上げる。
「どんまい、アキ!」
「勝てたね!」
陽菜も笑いながら駆け寄ってくる。
彰も無理やり頷いた。
けれど胸の奥には、“何もできなかった”感触だけが重く残っている。
歓声は凱と陽菜へ集まっていった。
その音を聞きながら、彰は握った拳へ静かに力を込める。
「次も頼むぜ、荒らし役」
凱が笑いながら肩を軽くぶつけた。
彰は一瞬だけ間を置き、曖昧に笑う。
「ああ、任せとけ!」
言葉だけが、やけに軽く口から出た。
陽菜はその横顔を見上げる。
小さく唇が動く。
けれど結局、何も言わないまま視線を落とした。
◇
三回戦。
笛の音が乾いた線を空気へ残す。
彰は柄を握り直し、踏み込みの間だけを見続けていた。
(崩さなきゃ)
本来なら、自分が荒らす。
連撃で相手を崩し、その隙を凱と陽菜へ繋ぐ。
そう動くはずだった。
けれど――。
踏み込んだ瞬間、相手の視線は彰を見ていなかった。
最初から、凱と陽菜だけを狙っている。
「右!」
凱が叫ぶ。
陽菜の横を矢が抜けた。
彰は横から連撃を差し込む。
だが浅い。
全部かわされる。
刃を滑らせた瞬間、逆に反撃が返ってきた。
「っ……!」
受けた衝撃で手首が流れ、そのまま押し返される。
靴底が床を擦り、彰は崩れかけた体勢を無理やり踏み止めた。
また踏み込む。
それでも届かない。
(なんで当たらない……!)
焦りだけが先に速くなる。
呼吸の間が噛み合わず、踏み込みまでわずかに遅れた。
その間にも、敵の攻撃は陽菜へ集中していた。
「陽菜、下がれ!」
凱が大剣を構え、無理やり前へ出る。
ノックバックの衝撃で一人を弾き飛ばした。
床を滑った相手の身体が壁へぶつかり、鈍い音が響く。
だが次の瞬間、別方向からの一撃が凱へ叩き込まれる。
「ぐぁ……!」
衝撃で障壁が砕け、そのまま転送光が弾けた。
凱の姿がフィールド外へ押し出される。
「凱っ!」
陽菜が反射で振り返った。
その隙だった。
連続で叩き込まれた攻撃が、陽菜の障壁を一気に削り切る。
白い光が砕け、そのまま陽菜の姿も光の粒になって消えていった。
「っ……!」
彰は反射的に踏み込む。
連撃を叩き込もうと剣を振る。
二撃、三撃と重ねる。
それでも、全部かわされた。
踏み込みへ合わせるみたいに、三方向から一気に圧が迫る。
刃と矢、衝撃。
視界へ同時に飛び込んできた。
「――っ!」
障壁へ叩きつけられた衝撃で視界が跳ねる。
遅れて、警告音が耳の奥で鋭く鳴った。
気づけば、フィールドの外だった。
歓声だけが遠く響いている。
観客席の視線は、もう彰を見ていなかった。
直後、敗北の笛が鳴る。
足元から立ちのぼった転送光が衣を揺らし、白い粒がゆっくり舞い散った。
倒れ込んだ大剣が床を打つ音だけが、遠く冷たく耳へ残る。
さっきまで渦巻いていた熱気は、音のない霧みたいに静かに引いていった。
光が消え、場内へざわめきが戻る。
「……なんで龍胆と組んでんだ?」
「さあな。実力、違うだろ」
かすれた声が短く落ちる。
その直後――
「虹咲、獅子堂よかったぞ!」
「今の連携やばかった!」
拍手が重なり、白く残った光が舞台の上で揺れている。
三人は退場口へ向かった。
拍手の余韻だけが背中へ残る。
誰も、先に口を開かなかった。
――退場口。
試合の熱がまだ廊下へ流れ込み、奥では拍手と足音が途切れず続いていた。
「……ごめん。俺のせいで、負けた」
彰は視線を落とし、拳を強く握りしめる。
言い終えたあとも、床の白い線から目を離せなかった。
「いや、チーム戦だし」
凱が壁へ背を預けたまま言う。
「誰か一人のせいとかじゃねぇって」
陽菜も小さく頷いた。
「そうだよ。アキ、ちゃんと頑張ってたし」
彰はゆっくり首を振る。
「……でも、俺だけ全然ダメだった」
言葉が途中で詰まる。
「二人はちゃんと戦えてたのに。俺だけ……」
そこで声が止まり、握った拳へさらに力が入った。
廊下の奥で拍手が弾け、誰かの笑い声が遅れて響いた。
「……じゃあ、来年また出ようぜ」
凱が頭をかきながら笑う。
「今度はもっと暴れろよ、アキ」
その言葉に、陽菜がぱっと顔を上げた。
「うん! 次は絶対もっと上まで行けるよ!」
彰は二人を見る。
そのまま小さく息を吐き、無理やり頷いた。
けれど、握った拳だけはうまく開かなかった。
(……全然足りてない)
拍手と談笑のざわめきは、まだ廊下の向こうで続いている。
冬の冷たい光が差し込み、三人の足元を長く伸ばしていた。




