第11話:すれ違う眼差し
課外授業の一件のあと――彰は、我武者羅になった。
「悪い。しばらく朝、一緒に行けないかも」
放課後の帰り道。
並んで歩きながら、彰がぽつりと口を開く。
「え?」
陽菜が足を止めかけた。
「なんで?」
凱も眉をひそめる。
彰は少しだけ視線を逸らした。
「朝、早めに学校行って訓練したいんだ。放課後も残ると思う」
言葉を切り、短く息を吐く。
「ちょっと……集中したくて」
陽菜と凱は顔を見合わせた。
「……そっか」
陽菜が小さく頷く。
「でも無理しすぎんなよ」
凱が肩を軽く小突いた。
彰は曖昧に笑う。
そうやって、彰は少しずつ一人で訓練する時間を増やしていった。
魔法、勉強、そして剣。
区切りなく積み上げ、止まる余地を残さなかった。
カレンダーのマスを指でなぞり、今日の欄へそっと印を付ける。
「……よし」
小さく息を吐く。
制服の袖と手のひらは擦れで赤く、細かな裂け目から汗と血がにじんでいた。
机へ向かえば、鉛を仕込まれたみたいにまぶたが重い。
それでもペンを握り直し、紙へ文字を刻みつけるように書き続けた。
休日は庭で木刀。
平日は訓練場で模擬装備。
そうやって、彰は毎日みたいに訓練を続けていた。
そしてその日も、人が帰ったあとまで一人残っている。
マナ・リリースを流し、ユニオン・ブレードの型を繰り返す。
腰を落とし、肩幅に足を開き、剣先を揺らさない――授業で叩き込まれた基本だ。
……けれど、振り下ろす瞬間に足幅が狭まり、拳が前へ出る。
気づけば、心体育成流の癖が混ざってしまっていた。
「くそ……!」
何度も構え直し、もう一度振る。
頭ではわかっているのに、体が先に戻ってしまう。
剣筋がぶれ、乾いた音が鈍く崩れた。
(直さなきゃ……。このままじゃ、置いていかれる)
脳裏へ浮かぶのは、遺跡で何もできなかった自分だった。
(――命さえ、守れない)
焦れば焦るほど、柄を握る力が先から抜け、剣先が重くなっていく。
手の豆が擦れる痛みに耐え、滑りかけた柄を必死に握り直した。
やがて模擬剣を下ろし、荒くなった呼吸を整える。
それでも足は止まらない。
模擬剣を棚へ戻すと、そのまま魔法訓練室へ向かった。
人の気配が抜けた空間に、足音だけが短く残る。
魔力循環シミュレーターへ手をかざす。
淡い光が立ち上がり、空気がひとつ張り詰めた。
間を整え、マナを流し、表示に合わせて通す――わずかにずれる。
もう一度。
今度は意識して流れを細くするが、ミスが続き、リズムが噛み合わない。
表示された到達ランクは、また“3”で止まった。
陽菜はもう8まで突破している。
凱も、すでに6。
その数字を見た瞬間、指先へ余計な力が入る。
(なんでだ……)
表示された“3”だけが、いつまでも画面へ残っていた。
手を離し、わずかに息を吐いた。
シミュレータの列から離れ、少し離れた詠唱スペースへ移る。
そのまま的へ手を向け、息を整えて意識を落とした。
(《空気弾》)
空気が収束し、圧縮された風が的へ真っ直ぐ叩きつけられる。
鈍い衝突音が返った。
けれど――。
彰は小さく息を吐いた。
(これだけじゃ、足りない)
陽菜はもう複数属性を扱い始めている。
凱も、三つ目の魔法まで形にしていた。
そのことを思い出した瞬間、胸の奥が重く沈む。
自分だけが、まだ風属性ひとつで止まっていた。
彰は一度だけ間を置き、再び手を向ける。
(《暗……》)
ルーンを組み上げようとした瞬間、思考が引っかかった。
線が繋がらない。
形が崩れ、そのまま霧みたいに散っていく。
「……っ」
どこで外れたのか分からない。
もう一度組み直そうとしても、うまく噛み合わなかった。
そのとき――
「龍胆、あと五分だ。それ以上はやるな」
背後から教師の声が飛び、肩が小さく跳ねる。
「……はい」
短く返す。
それでも視線だけは、的から離れなかった。
(……魔法でも、ダメか)
視界の端では、床の魔法陣が最初から完成していたみたいに整っている。
自分のズレだけが、そこへはっきり残っていた。
◇
――夜/龍胆家・庭
帰宅後、夜風の冷たさが残る庭で、彰は一人木刀を振っていた。
木刀が宙を裂くたび、乾いた風が短く鳴る。
耳の奥で音が反響し、頭が一瞬だけ重くなった。
息が追いつかず、喉がひりつく。
吐いた息だけが、夜気の中で白くほどけた。
土の小石を足裏で押しつぶし、踏み込み角度を確かめた。
「……はっ!」
けれど切っ先が、空を撫でて外れる。
(魔法では届かない。剣でも負けた。課外授業でも――一人じゃ、立てなかった)
“アウトサイダー”に救われた。
その事実だけが、ずっと背中へ引っかかっている。
木刀を握る指だけが、何度も同じ場所へ力を入れていた。
「もう一回」
背中を軽く叩いて解す。
(――次は、繰り返さない)
死を覚えた瞬間も、助けられた直後の混乱も、全部が胸の奥で絡まったまま離れない。
焦りだけが、背中を押し続けていた。
(もし、あのとき吹雪に救われなかったら――)
助けてくれたのは、“テロリスト”と呼ばれる人だった。
それを誰にも言えない。
言えない苦しさが、焦りと一緒に胃の奥を灼いていく。
気づけば、切っ先がわずかに揺れていた。
そのとき、縁側のほうから誠の声が聞こえてきた。
「――ああ、焔か」
木刀を握る指が、わずかに止まる。
彰は顔を上げないまま、もう一度木刀を振った。
乾いた音が夜の庭へ響く。
「そっちはどうだ?」
誠が笑い混じりに続ける。
「ああ、そうか。……ははっ、無理しすぎるなよ」
木刀を振る。
けれど、耳だけが勝手に声を拾ってしまう。
「――ああ、凱君か? 頑張ってるぞ」
木刀の柄が、わずかに軋んだ。
彰は呼吸を整え、そのまま踏み込む。
「筋もいいし、吸収も早い」
木刀が空を裂く。
けれど今度は、切っ先がわずかにぶれた。
「ははっ、さすが焔の息子だな」
彰は歯を食いしばる。
(集中しろ)
そう言い聞かせ、もう一度木刀を振る。
乾いた音が、夜気へ溶けていった。
「……ああ、わかった。任せておけ」
誠が短く笑う。
「じゃあな」
通話が切れ、夜の庭へ静けさだけが戻った。
それでも彰は、何も聞かなかったみたいに木刀を振り続けていた。
乾いた音だけが、庭へ何度も響く。
一度。
もう一度。
踏み込み、振り抜き、呼吸を整える。
けれど焦りだけが抜けない。
切っ先はわずかに揺れ、呼吸の間も噛み合わなかった。
「……はっ!」
振り下ろした瞬間、また軌道がずれる。
彰は息を荒く吐き、そのまま木刀を握り直した。
(まだ足りない)
木刀の切っ先が、わずかに揺れた。
「……止まれ」
歯を食いしばり、一度だけ呼吸を落とした。
そのとき、障子の向こうで木がきしむ音がした。
顔を上げなくても、そこにいるとわかる。
縁側の灯りが細く伸び、影が一本、足元へ落ちてきた。
肩の力を落とした瞬間、呼吸だけが静かに収まる。
「……彰」
誠に名を呼ばれた瞬間、肩がわずかに強ばった。
それでも彰は振り返らない。
木刀を握ったまま、視線だけを庭へ落としていた。
「お前……最近、無理してるだろう」
誠の声が、背中へ静かに落ちる。
彰は返事をしない。
「何があったんだ?」
間が空く。
虫の声だけが、庭の奥で細く続いていた。
「陽菜ちゃんからも、凱くんからも……少し気になってる、って聞いた」
胸が跳ねる。
息を吸いかけて、喉で止まった。
誠は一歩だけ近づき、彰の握る木刀をちらりと見た。
「がむしゃらにやるのが悪いとは言わん。だがな、彰。無理を止めないまま続けるのは……あまり良い方法じゃない」
彰は返事の代わりに、木刀を握り直す。
「強くなりたい気持ちがあるのは、よくわかる。だが、無理をすれば怪我をする。心も、体もだ」
誠の視線が揺れた。
それでも、外れなかった。
彰はゆっくり振り返る。
月明かりの下、誠の顔を正面から見た。
――無理やり口角を上げる。
「大丈夫だって、親父。全然無理してないし」
わざと軽く笑う。
「ただ、もっと強くなりたいだけだよ。ほんとに、それだけ」
そう言った直後、頬が引きつり、視線が逸れる。
それ以上、言葉は続かなかった。
誠は息を吸い、頷いた。
「……わかった。無理だけはするな。それだけは、約束しろ」
「……うん」
会話が切れ、庭の音だけが残る。
(……言えない)
木刀を鞘に見立て腰に当て、静かに背を向ける。
夜の庭が、急に遠く感じた。
◇
――深夜/龍胆家・縁側
寝室の窓から、縁側が見える。
月明かりの中、誠の背中が庭へ長く伸びていた。
冷えた空気が隙間から入り込み、肌を薄く刺した。
カーテンがわずかに揺れ、ガラスへ白い曇りが浮かんでは消えていく。
やがて、美咲が静かに隣へ腰を下ろした。
湯のみを置く、小さな音が響いた。
「……俺の教え方が、悪いんだろうか」
誠の手が、握ってはほどける。
美咲は、その手へそっと自分の手を重ねた。
「いいえ。あの子は今、必死に自分を探してます。だから大丈夫。……だって、あの時ちゃんと陽菜ちゃんを守れたじゃないですか」
誠は親指で縁側の木目をなぞった。
「あなたも昔、お義父さんに厳しく育てられたでしょう?
でも、その時間が今のあなたを作った。
彰も今、きっと必死なんです。
迷って、苦しんで……それでも前へ進もうとしてる」
「……あいつは俺なんかより、ずっと真っ直ぐだ。だからこそ、折れないか……それだけが怖い」
しばらく、庭を渡る風の音だけが続いていた。
美咲は小さく笑い、握った手へそっと力を込める。
「……大丈夫ですよ。あの子、ちゃんと前を見てますから」
誠はゆっくり息を吐いた。
「……そうだな。俺たちの、息子だからな」
握られた手が、わずかに強くなる。
美咲も小さく笑った。
月光が二人の横顔を淡く照らし、立ち上る湯気は夜気へゆっくり溶けていった。




