第8話:英雄の背中
手首のミサンガが、動くたびに触れる。
結び目の感触だけが、まだ指先に残っていた。
居間では包み紙を畳む音が続き、テーブルの上でリボンが小さく揺れている。
陽菜は空いた箱を重ねて遊び、凱も焔人形を抱えたまま「次なんだ?」と身を乗り出していた。
彰は背筋を伸ばす。
次に玲奈が差し出したのは、獅子堂家からの箱だった。
「さっき渡したやつ、開けてみな」
玲奈が顎でしゃくる。
リボンを解き、箱を開けた瞬間――
「ゲーム機だ……!」
掌サイズの本体が、居間の灯りへ銀色に光った。
『Tenpyon Z-FORCE』
刻まれたロゴへ、彰の視線が吸い寄せられる。
中には細長いコントローラーと、小さなソフトケース。
ビニールを破った瞬間、新品特有の匂いがふわりと広がった。
『インサイダー・クエスト ~滅亡の街を守れ~』
表紙には、焔に似たヒーローのシルエットが描かれている。
「うちの親父が、コラボしてるやつ」
凱が得意げに胸を張った。
「Z-FORCEでやるやつだ。ネットで一緒に戦えるし、対戦もできる」
「“ゲームばっかやるなよ”ってうるさいくせに、こういうのにはちゃんとサイン入れてくるからな」
ケースの裏には、確かにサインが書かれていた。
『獅子堂 焔へ……じゃなかった。龍胆 彰へ。 いつか一緒に戦える日を楽しみにしている。 焔』
「……!」
ケースを持つ手に、ひとつ強く力が入った。
指先でそっとサインをなぞる。
ざらりとしたインクの感触だけが、やけに指へ残った。
「すげぇだろ」
凱がニヤニヤする。
「……すごい」
彰はケースを見つめたまま、小さく息を漏らす。
視線だけが、なかなかケースから離れなかった。
そのときだった。
「おーい、遅れて悪かった!」
玄関のほうから勢いのある声が響く。
続いて、戸が乱暴に開く音が重なった。
「来たな」
巌が立ち上がる。
居間の戸が開き、そこへ焔が姿を見せた。
ラフなジャケット姿なのに、部屋へ入ってきた瞬間だけ空気が少し変わる。
肩へかけたバッグが揺れ、紙の擦れる音が小さく鳴った。
「親父!」
凱が勢いよく立ち上がる。
椅子が後ろへ滑り、脚が床をきぃと鳴らした。
「よぉ、凱。騒ぎすぎてねぇか?」
「してねーよ!」
焔は笑い、そのまま彰へ視線を向けた。
まっすぐ目が合った瞬間、背筋が勝手に伸びる。
「誕生日、おめでとう、彰くん」
「……あ、ありがとうございます!」
思わず声が裏返った。
膝の上で握った手が、少しだけ強く閉じる。
焔はその反応を見て小さく笑い、彰の頭へ手を伸ばした。
ぽん、と軽く触れられる。
手のひらの重さだけが、しばらく頭に残っていた。
「ゲーム、ちゃんと楽しめよ。でも、やることやってからだぞ。稽古とか、宿題とか」
「はい!」
彰が勢いよく頷く。
「……巌さんにも、また道場でしごいてもらわないとな」
焔が笑いながら巌へ目を向けた。
「立派になったな、焔。よく泣いてた頃が懐かしいな」
巌が鼻で息を鳴らす。
「やめてくださいよ、その話は……」
焔が頭をかく。
その様子に、玲奈と雪、拓也の笑い声が重なった。
さっきまで張っていた空気が、少しずつほどけていく。
居間の灯りも、どこかやわらかく感じられた。
「……っと、もう行かねぇと」
焔が腕時計へ目を落とす。
文字盤へ映った灯りが、ひときわ白く瞬いた。
その直後、ポケットの中で通信端末がかすかに震える。
焔の視線がそちらへ落ちた瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。
さっきまで笑っていた顔から、音だけが静かに消えていく。
「……また、危ない現場か……」
玲奈が、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
彰は意味が分からないまま、玄関の灯りに立つ焔の背中を見つめる。
「もう?」
凱が顔をしかめた。
「悪いな。このあと、緊急ミーティングが入ってな」
焔は凱の肩へ手を置く。
その手つきだけは、さっきまでと変わらず力強かった。
「でも顔は出せた。ケーキも見れたし……よかった」
「……うん」
「また今度、ゆっくり。 アキも陽菜ちゃんも、そのときはまとめてな」
陽菜が「約束だよ!」と指を差し出す。
焔は笑いながら、小指をからめるまねをした。
小指同士が触れ、陽菜が満足そうにうなずく。
(……すごいな、焔さん)
去っていく背中を、彰は最後まで目で追っていた。
焔が帰ったあとも、玄関のほうへ視線が向いてしまう。
さっきまで聞こえていた笑い声だけが、まだ耳の奥へ残っていた。




