第7話:誕生日と、約束のおまもり
――夕方/龍胆家・居間
九月の風が、涼しくなり始めていた。
居間へ入ると、色とりどりの飾りつけが目へ飛び込んでくる。
天井には紙の輪がぶら下がり、壁には美咲が書いた「おたんじょうび おめでとう」の文字。
テーブルの真ん中には、大きなホールケーキまで置かれていた。
白いクリームの上へいちごが並び、チョコプレートには――
『彰 7さい おめでとう』
その文字を見つめながら、彰は座布団の上で身体を揺らす。
つま先が畳をとん、とん、と打ち、その振動が卓へ伝わって天板がわずかにきしんだ。
「……まだ?」
身体が座布団の前へずり出る。
「もうちょっと、もうちょっと」
美咲がキッチンからフォークと皿を運んできた。
揺れたエプロンの紐が後ろで跳ね、皿がテーブルへ触れるたび軽い音がぽん、ぽん、と並ぶ。
「ほら、そんなに動いたら、ケーキ崩れちゃうよ?」
「くずれないし!」
彰はむっとして言い返し、座布団の上で背筋をぴんと伸ばした。
「崩れるかもだろ」
誠が新聞をたたみながら口を挟む。
「誠さん、楽しそうね」
美咲が視線を向けると、誠はわざとらしくそっぽを向いた。
畳んだ新聞をテーブルの端へ置き、腕を組んで咳払いをひとつする。
「……別に、普通だ」
そのとき、テレビの隅へニューステロップが数秒だけ流れた。
《滅亡時計、回復傾向を確認──従来とは異なる挙動か、原因は不明》
美咲はすぐリモコンへ手を伸ばし、音もなくチャンネルを変える。
「今日は、こういうの抜きね」
居間へ残ったのは、ケーキの甘い匂いだけだった。
そのやり取りを眺めているうちに、膝の上の指が少しそわつく。
膝の上でほどけた指をもう一度結び直し、彰はそっと視線を落とした。
(今日、僕の誕生日だ……)
そう思い直した瞬間、座布団へ触れた足先が少しだけ落ち着いた。
ピンポーン――。
玄関のチャイムが澄んだ音を立てた。
音が廊下を抜けてきた瞬間、彰の肩がぱっと上がる。
「来たな」
巌が立ち上がった。
大きな背中がすっと伸び、畳がぎし、と低く鳴る。
「はーい!」
彰は椅子から飛び降り、そのまま廊下を小走りに駆けていった。
ぱたぱたと響く足音の下で、裸足へ板張りのひんやりした感触が返ってくる。
ガララッ。
玄関の戸を開けると――
「彰くん、おめでとう」
そこには、ラフなシャツ姿の虹咲拓也が笑って立っていた。
袖をまくった腕で紙袋を持ち上げ、そのまま軽く振ってみせる。
その後ろから、甘い匂いがふわりと流れ込んだ。
虹咲雪も、両手へ紙袋を提げたまま微笑んでいる。
揺れたピアスが、玄関の灯りを小さく弾いた。
「彰くん、お誕生日おめでとう。今日はいっぱい楽しもうね」
「拓也さん! 雪さん!」
彰がぱっと顔を輝かせる。
「アキー!! おめでとー!!」
陽菜が勢いよく抱きついた。
「わっ!」
「……陽菜、声」
雪が肩を押さえながらも、笑いをこらえきれない。
「だって誕生日だもん!」
拓也が肩をすくめる。
「……うちの姫さん、止まらないな」
「姫って言わないでって言ったのに!」
陽菜が頬をふくらませる。
「……初めて言った気がするんだけどな」
拓也がぼそっと返すと、雪が吹き出した。
彰は、その何気ない掛け合いへ自然と顔を向ける。
肩の力が抜け、吐いた息がそのまま落ちた。
拓也の笑い声と雪のやわらかな声が、玄関の明かりの中へ重なっていた。
そのときだった。
ピンポーン。
もう一度、玄関のチャイムが鳴る。
「おじゃましまーす!」
明るい声とともに、獅子堂玲奈が姿を見せた。
大きめの紙袋を提げ、靴をそろえながら上がってくる。
「彰くん、お誕生日おめでとう。ほら、凱」
「……お、おう」
凱が箱を抱えたまま前へ出た。
指へ力が入り、箱の角がわずかに沈む。
「アキ、これ……俺と、母ちゃんと、親父から」
「わぁ……!」
箱へ描かれたカラフルなヒーロー達が、玄関の灯りへ派手に浮かび上がった。
彰の目が、そのまま箱へ吸い寄せられる。
飲み込む音が、ひとつ落ちた。
「焔さんは?」
美咲が首を傾げると、玲奈が苦笑する。
肩をすくめ、ため息まじりに笑った。
「焔は会議で遅れてるけど……顔は出すって」
「えー!」
陽菜が頬をふくらませる。
その横で、彰の指がシャツの裾をぎゅっと掴んだ。
掴んでいたシャツの裾が、指へ張りつく。
(焔さん、来るんだ……!)
拳を握っては開く。
落ち着かない息だけが、一度そこで止まった。
そのままみんなが居間へ集まり、ケーキの前へ座っていく。
椅子と座布団が寄せられ、いつもの居間が少しだけ狭くなった。
「よし、ロウソク立てようか」
誠がケーキへ向かい、不器用な手つきで七本のロウソクを刺していく。
指先へ生クリームがつき、「おっと」と小さく呟きながら慌てて拭った。
少し傾いたロウソクを、美咲が横からそっと直す。
「そこ、ちょっと斜め」
「わ、わかってる……」
その様子を見て、拓也たちも小さく笑った。
巌は腕を組み、静かに孫たちを見守っている。
「はい、じゃあ、火つけるよー」
美咲がマッチを擦った。
シュッという音と一緒に、小さな火がロウソクへ移っていく。
一本、また一本と灯りが増え、揺れる光が彰の瞳へ映った。
彰はその火をじっと見つめる。
「じゃあ、せーのでね」
美咲が笑顔で言った。
「彰くん、せっかくだから、願いごとは心の中でそっと言ってからね」
雪がやわらかく言葉を添える。
彰は目を閉じた。
膝の上で握った手へ、ぎゅっと力が残る。
(みんなと、ずっと一緒にいられますように)
その願いだけを、膝の上で静かに握りしめた。
「せーの!」
「「「おたんじょうびおめでとう!!」」」
歓声と拍手が重なる。
彰は大きく息を吸い込み――
「ふーーーっ!」
ロウソクの火が、一気に消えた。
白い煙がゆらりと揺れ、甘く焦げた匂いだけがふわりと残る。
「全部消えたー!」
陽菜が手を叩いた。
「さすが俺の親友だな」
凱が胸を張る。
「おめでとう、彰くん」
拓也が穏やかに笑った。
「……おめでとう、彰」
誠も少し照れくさそうに口元を緩める。
耳の先だけが、うっすら赤かった。
巌は小さく頷き、
「おめでとう」
その一言が落ちた瞬間、彰の喉が小さく鳴る。
消えたロウソクの匂いの中に、願いだけが静かに残っていた。
ケーキは、気づけば半分以上なくなっていた。
皿の上にはクリームの跡と、食べ終わったいちごのヘタが並んでいる。
「陽菜、ほっぺにクリームついてるよ」
雪がハンカチで娘の口元をそっとぬぐった。
「え、どこ!? どこ!?」
陽菜が自分の口を舐めようとして、みんなが笑う。
首を振るたび、クリームが頬へ広がりそうになった。
凱は最後まで残していたいちごを、じっと見つめている。
「彰は?」
巌が尋ねた。
「ん……おいしい」
口いっぱいにケーキを頬張ったまま、彰が笑う。
頬がふくらみ、言葉がもごもごとこぼれた。
「クリーム、鼻についてる」
陽菜が指をさして笑う。
「どこっ!?」
彰が慌てて手で拭こうとすると、美咲がそっとハンカチを差し出した。
「ほら、貸してごらん」
「……ん」
鼻先を拭かれ、彰は少しだけ肩をすくめる。
周りの笑い声だけが、そのまま居間へ柔らかく残っていた。
「じゃあ、次はプレゼントタイムかな」
玲奈が手を叩いた。
ぱん、と軽い音が部屋へ弾ける。
「出た、玲奈さんのテンション」
拓也が肩をすくめた。
「もう、そう言われると照れるんだけど」
玲奈がくすりと笑う。
「でも今日は、盛り上げ役がんばるからね」
みんなの笑い声が重なり、テーブルの縁で弾けた。
テーブルの端には、色とりどりの包みが積まれている。
最初に渡されたのは、虹咲家からの包みだった。
黄色い包装紙の角には、陽菜が描いた小さな星のシールが貼られている。
「開けていい?」
彰が目を輝かせた。
両手を包みへ添えたまま、一瞬だけ動きが止まる。
「どうぞ。ゆっくり開けてみて」
雪が微笑んだ。
ビリビリ、と包装紙を破る。
その中から現れた箱を見た瞬間、彰の目がまん丸になる。
「……え、これ」
箱の表には、試験管や光る液体の絵。
『はじめての まほう理科キット』
その文字を、指先がなぞる。
箱の中では、小さな瓶同士が触れ合い、ちり、と軽く鳴った。
《微弱魔力対応》
小さな注意書きまで見つけた瞬間、箱を持つ指に力が入った。
「インサイダーを目指す子どもたちには、けっこう人気なんだって」
拓也が笑う。
「本物じゃないけど、ちょっとした“ふしぎ”は味わえると思ってね」
「これは大人と一緒にね」
雪が優しく言った。
「今度、みんなで一緒にやってみよっか」
箱をぎゅっと抱きしめる。
頬をすり寄せると、紙箱の角が少しだけへこんだ。
「ありがとう、拓也さん、雪さん!」
「あとで、一緒にやろうな」
拓也が頭をくしゃっと撫でる。
そのときだった。
「アキ、これも……はいっ!」
陽菜が手を伸ばした。
小さな布袋を抱えたまま、視線だけが落ち着かなく揺れている。
「ひ、陽菜?」
彰が首をかしげた。
「……えとね、これ……つくったの」
陽菜の声は、いつもより少し小さい。
耳まで真っ赤になったまま、足先だけがそわそわ動いていた。
そのまま布袋の口をほどく。
中から出てきたのは、細い紐で編まれた手作りのミサンガだった。
青と白の糸が丁寧に編み込まれ、真ん中には小さな青い石までついている。
「アキが、たんじょうびだから……」
陽菜が途切れそうな声を繋いでいく。
「うまくできたか、わかんないけど……でも、ずっとつけてくれたら……うれしい……」
彰はしばらく、ミサンガから視線を離せなかった。
「……すごい、これ……陽菜が?」
指先でそっと触れる。
編み込まれた糸は少しだけ硬く、その奥へほんのり残った温度が伝わってきた。
「う、うん! お母さんにも手伝ってもらったけど……でも、おねがいと、ねがいごと、ちゃんと込めたよ!」
「願いごと?」
「アキが……ずっと元気で、いっぱい笑って……」
陽菜が言葉を繋ぐ。
「それから――ぜったい、ヒーローになれますように、って!」
その瞬間、手首の上で糸の色がにじんで見えた。
返事だけが、一度遅れる。
「……ありがとう」
彰はミサンガを両手でそっと包んだ。
「すっごく嬉しい。大事にする」
その言葉に、陽菜の肩からふっと力が抜ける。
両手を胸元で重ねたまま、顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃ、いま、つけてあげる!」
陽菜が身を乗り出す。
小さな指が彰の手首へ回り、糸を結ぶたび、きゅっ、と細い音が鳴った。
布越しに伝わる温度だけが、手首へ静かに残る。
「……できた!」
陽菜が満面の笑みを浮かべた。
「アキの、ずっとのおまもりだよ!」
彰は手首を胸の前へ引き寄せ、そのまま光へかざす。
青と白の糸が、部屋の灯りへ小さく揺れた。
「うん……宝物にする」
そう言いながら、結び目をもう一度だけそっと押さえた。




