第6話:手のひらに浮かぶ光
――朝/通学路
夏の名残が、まだ空気に残っていた。
日差しは強いのに、風だけが軽い。
服の袖が、歩くたびに乾いた音を返す。
肩の位置が、いつもより少しだけ上がっていた。
「アキー! 今日さ、あの授業だよな!」
後ろから、凱の声が飛んでくる。
振り返ると、鞄を片手にぶんぶん振りながら走ってきていた。
「……ああ、あれだろ」
「それそれ! ぜったいすげぇって!」
その横へ、陽菜が小走りで並ぶ。
揺れたリボンが肩のあたりでふわりと止まった。
「ほんとに触れるの? 本物……!」
その言葉に、喉の奥がわずかに鳴った。
足音が、同じ位置で重なる。
通学路は変わっていない。
それでも、通りの端へ残った屋台の砂糖が焦げる匂いだけが、昨日の祭りをまだそこへ残していた。
(……いつもどおり、か)
息を吸う。
土と草の匂いが混じり、その空気が当たり前みたいに身体へ落ちていった。
三人は校門をくぐる。
朝のざわめきへ混ざりながら昇降口へ流れ込み、靴を履き替え、そのまま教室へ向かった。
ホームルームが始まるころには、窓から差し込む日差しも少し強くなっている。
出欠確認と連絡事項がいつも通り流れ、生徒たちは返事をしたり、隣同士で小さく話したりしながら朝の空気を崩していった。
やがてホームルームが終わる。
席へ戻る生徒たちの動きと一緒に、教室のあちこちで椅子を引く音や鞄を置く音が重なった。
前の席の背中は相変わらず大きく、制服の袖が肘のあたりでぱつんと張っている。
後ろではペンを鳴らす音が規則的に続き、その合間へ誰かの笑い声だけが一瞬高く跳ねた。
そのとき――教室の扉が開く。
「よし、全員いるな」
一限目の先生が、教室の前へ入ってきた。
黒板の前で一度だけ手を叩くと、ざわついていた空気が少し静まった。
「今日は“あんぜんのじゅぎょう”だ。
――でも、話だけじゃない」
その言葉に、教室の空気がざわりと動く。
「簡易魔導具の体験をやる」
一瞬遅れて、教室のあちこちで息が弾けた。
「きたきた!」
「やっとだろ!」
「ほんとにさわれるの!?」
重なった声に合わせるみたいに、机がわずかに揺れる。
机の下で、足先が少しだけ跳ねた。
先生は手を上げ、それを静かに止める。
「いいか。これは“あそび”じゃない」
少し低くなった声が、そのまま教室へ残った。
「だれでも使えるように、弱くしてある。でも――勝手にやると、あぶない」
ざわついていた空気が、少しずつ落ち着いていく。
(……じいちゃんと、おなじこと言ってる)
手元の鉛筆が、そこでぴたりと止まった。
そのまま机の上へ、小さな装置が順番に配られていく。
透明な台座の上には、指先ほどの石がひとつ乗っていた。
「手のひらに乗せろ。強く握るな」
言われた通りにそっと触れる。
ひやりとした感触が、皮膚へ静かに残った。
「気持ちを、そこに集めろ。それだけでいい」
教室が少しだけ静かになる。
机の上では、石同士がわずかに触れ合い、小さな音が重なっていた。
息を吸って、吐く。
指先の奥に、わずかな重さが生まれた。
その瞬間――光が、すっと現れる。
手のひらの上へ、白い点が浮かんだ。
「……え」
思わず声が漏れる。
触れているのに、触っている感じがない。
少し手を動かしても、光だけはそこへ残ったままだった。
「わあ……!」
横で、陽菜の声が弾む。
そのままそっと手を伸ばし、触れそうになったところで動きが止まった。
「これ……すごい……」
凱の声も、いつもより少し低い。
光を見つめる目だけが、普段よりほんの少し慎重だった。
白い光は落ちず、揺れもせず、ただそこへ静かに“止まっている”。
(……どこか、引っかかる)
その感覚だけが、指先へ小さく残った。
先生の声が続く。
「それは“支えがない魔力”だ。――落ちない」
誰かが「すげぇ」と呟いた。
その声が少し遅れて耳へ届き、彰はふと視線を手元へ戻す。
その瞬間だった。
光が、ほんの一瞬だけ揺れる。
呼吸が止まった。
(……?)
次の瞬間には、もう元へ戻っている。
隣の陽菜も、前の席も、後ろで鳴っている音も変わらない。
教室は、さっきと同じままだった。
(……いまの、なんだ?)
指先へ残った感覚だけが、わずかに引っかかった。
「いいか」
先生の声が、少しだけ強くなる。
「魔法は便利だ。でも――勝手に使うな。道具も同じだ。あぶないからな」
その言葉に合わせるように、光が一斉に消されていく。
ざわついていた教室が、しん、と静まった。
机の上の装置が順番に回収され、小さな音だけが教室の中へ並んでいく。
そのとき――
キーンコーン、カーンコーン。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
張っていた空気が一気にほどけ、教室のあちこちで椅子を引く音が重なる。
「やべ、腹減ったー!」
「次なんだっけ?」
笑い声が広がり、生徒たちが次々と教室を出ていく。
先生は机の上へ残った魔導具の箱を持ち上げた。
「悪い、日直。これ、倉庫まで運ぶの手伝ってくれるか」
「はーい」
彰と凱は顔を見合わせ、そのまま箱へ手を伸ばす。
持ち上げた瞬間、さっき触れていた光の感覚が、指先へまだうっすら残っていた。
「これ、どこ持ってくの?」
「倉庫に持っていく。いっしょに来てくれるか」
箱を抱えたまま、三人は教室を出た。
外へ出ると、少し冷えた空気が肌へ触れる。
倉庫の前まで来たところで、後ろから誰かを呼ぶ声が響いた。
教師が足を止め、小さく振り返る。
「……すまん、職員室に呼ばれてる。先に中、運んでおいてくれるか」
そう言い残し、足音がそのまま廊下の向こうへ遠ざかっていった。
凱が「おう」と返しながら扉を押し開ける。
重たい音と一緒に、少しひんやりした空気が流れ出た。
中は薄暗く、照明も棚の奥までは届いていない。
木箱と金属棚が並び、そのさらに奥には見慣れない形の機械が影みたいに沈んでいた。
彰は箱を抱えたまま足を踏み入れる。
床へ落ちた二人分の足音だけが、静かな倉庫の中で小さく響いた。
そのときだった。
「なあ、これ」
凱が声を落とす。
視線の先には、床から少し浮いた板が置かれていた。
「これ、ホバースケボーだ! やってみようぜ!」
目が一気に輝く。
「だ、だめだって!さっき言われたじゃん!」
彰が慌てて声を上げる。
けれど凱は、もう片足を板へ乗せていた。
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
ふわり、と板が浮き上がる。
「お、おお……!ういた! やべーこれ!」
凱の声が震え、そのまま勢いでもう片足も乗せた。
板がすっと前へ滑り出す。
「ちょうたのしい――」
最初はゆっくりだった。
体を少し傾けると、板も同じように傾く。
「おっ……?」
そのまま、すうっと曲がる。
「いけるいける――」
次の瞬間、ぐっと身体が前へ引かれる。
「え、ちょっ……! ま、待て待て!」
慌てて身体をひねる。
板も同じように曲がる。
けれど、そのままスピードだけが上がっていった。
「うおっ!? 曲がるけど止まんねぇ!」
必死に身体を逆へ倒し、足へぎゅっと力を入れる。
「とまれ、とまれって!!」
板が大きくカーブする。
床を擦る感触が足裏へ跳ね、そのまま止まらない。
操作が、効かない。
むしろ――速くなる。
「はやっ……!?」
「やべぇって!! これどうやって止めんだよ!!」
壁が、ぐっと近づく。
「うわ、うわ、うわああああああ!!」
ドンッ!!
乾いた衝撃音が響き、倉庫の空気が一瞬で止まる。
「っ……」
凱が床へ崩れ落ちた。
浮いていた板が壁へぶつかり、遅れて木箱ががたがたと揺れる。
「だ、だいじょうぶ!?」
彰が慌てて駆け寄った。
凱は顔をしかめたまま腕を押さえ、息を詰めている。
「おい! 何をやっている!」
先生の声が、扉の向こうから響く。
足音が近づき、勢いよく扉が開かれた。
「……何だこれは」
視界へ入ったのは、倒れた板と崩れた箱。
その真ん中へ座り込んだままの凱だった。
先生の眉が、ぐっと寄る。
「……だから言っただろ」
声は大きくない。
けれど、その言葉が落ちた瞬間、倉庫の空気だけが重く沈んだ。
「ご、ごめんなさい……」
凱が小さく言う。
彰も言葉が出ないまま頭を下げた。
先生は短く息を吐き、それから凱の腕を軽く支える。
「立てるか」
「……はい」
凱がゆっくり立ち上がった。
そのまま三人は倉庫を出る。
廊下へ出た瞬間、ひんやりした空気が熱くなっていた頬を撫でた。
先生へ肩を支えられながら、凱が少しだけ歩幅を落とす。
床へ響く足音まで、さっきより静かだった。
保健室へ近づくにつれ、消毒液の匂いが少しずつ混ざってくる。
白いカーテンが揺れる保健室の中へ、三人はそのまま入っていった。
「……骨は大丈夫だな。打っただけだ」
包帯を巻きながら、先生が短く言う。
「……はい」
凱の声は、さっきよりずっと小さい。
(……あぶな)
巻かれていく包帯の白さから、しばらく目が離れなかった。
◇
――夕方/通学路
日差しが、少しだけ傾いていた。
朝と同じ道なのに、足取りだけがわずかに違っていた。
「ねえ、どうしたの? それ」
陽菜が凱のほうをのぞき込む。
腕へ巻かれた包帯と、ほんの少しぎこちない歩き方が気になっているらしかった。
「ん? ああ、これ?」
凱が肩をすくめた。
「こけただけだって。ちょっとな」
「えー? ほんとに?」
陽菜が首をかしげる。
「ほんとほんと!」
間髪入れずに答え、そのまま彰のほうへ顔を向けた。
「なあアキ! たのしかったよな!」
ぐっと距離を詰め、にやっと笑う。
「……ああ」
彰が一拍だけ置いて頷くと、陽菜がくすっと笑った。
「なんか、あやしい」
「気のせいだって!」
凱は前を向いたまま、小石をひとつ蹴る。
「気のせいかなぁ」
陽菜が少しだけ歩幅を合わせた。
腕へ触れた風が、そのまま三人の間を抜けていく。
足音だけが、同じリズムで並んでいた。




