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アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第一節:灯るもの
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第5話:射的台の嘘と、小さな正義

――騒ぎがひとつ収まった、そのあと。


「射的だ!!」


凱が、ひときわ大きな声を上げた。


目を輝かせ、人の波をかき分けるように一歩前へ出る。


木で組まれた棚の上には、お菓子やおもちゃ。


その一番上に、派手な箱へ入った獅子堂 ほむら人形が鎮座していた。


提灯の橙が棚を照らし、ガラス玉の景品がちらちらと光を返す。


火薬と油の混じった匂いが薄く残り、隣の台ではコルク弾の乾いた音が軽く響いていた。


「焔だ……!」


彰の足が、思わず棚の前へ寄った。


視線が箱へ吸い寄せられ、思わず体が前へ出た。


テレビで何度も見た、あの炎の英雄。


その姿が、小さなフィギュアになって棚の一番上に置かれている。


「一回五百だよ。うちは現金だけだ」


屋台の男が、くわえ煙草を揺らしながら言った。


提灯の明かりに煙が薄く滲み、男は小銭を指で弾きながら次の客へ目を向ける。


「……高いな」


誠が眉をひそめた。


金魚すくいにヨーヨー釣り、くじ、綿菓子――。


さっきから減っていく財布の中身を確かめるように、指先が小さく動く。


「なぁ……一回だけでいいから。やらせてくれよ」


小さな手が、誠の服をつまむ。


指先に力が入り、布がくいっと引かれた。


誠は一度だけ空を仰ぎ、それから小さく息を吐く。


「……一回だけだぞ。終わったら、焼きそば買いに行く」


財布から五百円玉を取り出し、屋台へ差し出した。


ぴ、と小さな音が鳴る。


「よっしゃ!」


凱が勢いよく木製の銃を受け取った。


両手で抱えるように構え、肘をぎこちなく固めたまま棚の一番上を睨む。


コルク弾を込める音が、小さく鳴った。


「当てろよ……」


彰も思わず息を詰める。


隣では、陽菜が綿菓子の棒をぎゅっと握りしめたまま、水を飲むのも忘れたみたいに見つめていた。


凱の指が、ゆっくり引き金を絞る。


パンッ。


小さな破裂音が響き、コルク弾が箱の角へきれいに命中した。


「……!」


衝撃だけが棚へ響く。


当たった。


――なのに、落ちない。


「……ん?」


凱の眉がきゅっと寄った。


少し下がった銃口を握り直し、もう一発コルク弾を込める。


今度は真ん中だった。


パンッ。


乾いた音が棚へ弾ける。


けれど箱は、びくともしない。


「なんでだよ……」


凱の肩がゆっくり落ちていく。


さっきまでの勢いが抜け、握った掌にだけじわりと汗が滲んだ。


「坊主、残念だったな。はい、そこらの駄菓子ひとつ持ってきな」


屋台の男が、面倒くさそうに指を動かす。


「今の、絶対当たってただろ!」


凱が思わず声を上げた。


「当たっても、落ちなきゃダメなんだよ」


男は煙草をくわえたまま答える。


「でも、全然動かなかった……」


陽菜も不安そうに呟いた。


綿菓子を持つ手が胸元へ寄り、視線だけが箱と男の顔を行き来する。


「細けぇことはいいんだよ。早く後ろ詰まってんだろ、どいたどいた」


男は手で追い払うような仕草をした。


乱暴に振られた腕が、三人の前の空気をざらつかせる。


背中に、薄い冷えがすべった。


(……なんか、嫌だ)


彰が息を詰めた、その横で――


「……ズルじゃん!」


凱がぽつりと呟いた。


銃床をぎゅうっと握り込み、指の節が白く浮く。


屋台の男の目が、すっと細くなった。


「なんだと?」


「だって! あんなの、絶対落ちるはずなのに……!」


凱の声が大きくなる。


踏み出した足が砂利をきゅっと鳴らし、人混みの視線が少しずつこちらへ集まり始めた。


「かえったかえった。ガキのくせに口の利き方がなってねぇな。営業の邪魔だ」


男は面倒くさそうに手を払う。


その勢いのまま凱の肩を押し、身体がぐらりと揺れた。


陽菜が思わず彰のほうへ寄る。


綿菓子の棒を握った手が、小さく震えていた。


そのときだった。


「なんでだよ!」


凱が、ぐっと前へ出る。


「凱!?」


彰と陽菜の声が重なった。


凱は木の台へ手をかけ、そのまま屋台の中へ踏み込もうとする。


怒りで熱くなった小さな背中が、真っ直ぐ男へ向かっていった。


「おい、勝手に入るな!」


男が慌てて手を伸ばした、その瞬間だった。


ガタンッ。


バランスを崩した棚が、大きな音を立てて傾く。


駄菓子や小さな景品が、ごそっと崩れ落ちた。


一番上へ置かれていた焔人形の箱も、どさりと手前へ滑り落ちてくる。


「うわっ!」


彰が思わず後ろへ飛び退いた。


足裏が地面を滑り、踵が小石を踏んでカツンと鳴る。


転がってきた箱が、そのまま足元へゴトンとぶつかった。


「……なんだこれ、重い」


思わず手に取る。


他の景品とは、明らかに重さが違った。


腕へずしりと負荷がかかり、手首が一段下へ落ちる。


中へ何か詰め込まれているみたいな、不自然な重さだった。


「なに勝手に触ってんだ、このガキどもが!!」


屋台の男が怒鳴りながら、彰の手から箱を乱暴に奪い取る。


指が箱から離れた瞬間、手のひらへ残った重さの感覚だけがじんと残った。


「弁償だ弁償! 棚も景品もめちゃくちゃにしやがって!」


「ま、待ってください!」


陽菜が慌てて間へ入ろうとする。


小さな足が半歩前へ出て、そのまま腕を広げるみたいに伸ばされた。


けれど声は震えている。


「お前らの親はどこだよ!?」


男の怒鳴り声が、屋台の列を突き抜けた。


提灯の下でざわめきが一瞬止まり、砂利を踏む音だけが残る。


思わず綿菓子の棒を握り直した。


(や、やばい……!)


そのときだった。


「……どうした?」


少し離れた場所から、誠の声が届く。


焼きそばのパックを二つ持った誠が、人混みを抜けて戻ってきた。


その後ろには、巌と美咲の姿も見える。


張りつめた空気の中で、焼きそばの湯気だけがぽつんと浮いていた。


「おじさん!」


陽菜がほっとしたように声を上げる。


「なんだ、この騒ぎは」


誠が眉をひそめ、屋台の男を見る。


焼きそばのパックを持つ手へ、わずかに力が入った。


「あんたのガキがな、勝手に中入って棚倒したんだよ。景品もぐちゃぐちゃだ。どうしてくれんだ」


男が吐き捨てるように言う。


誠は一度だけ凱へ視線を向けた。


「……凱君、どうした?」


低く落ちた声に、凱が唇を噛む。


握った拳が、小さく震えていた。


「俺、ちゃんと当てたんだ。でも……ぜんぜん動かなかった。おかしいだろ……?」


彰は、さっき箱を持った瞬間の重さを思い出す。


「箱、すごく重かった……」


その言葉に、陽菜もすぐ頷いた。


「二回とも、真ん中に当たってたよ……」


誠の視線が、男の手元の箱へ落ちる。


「……それ」


男から箱を受け取ると、棚の上へ戻し、指先で横へ押した。


けれど箱は、びくともしない。


「は? 何言ってんだ」


男が声を荒げる。


「だからなんだよ。壊した分は払え」


その瞬間だけ、周囲の足音と笑い声が不自然に途切れた。


誠の表情がゆっくり険しくなる。


焼きそばのパックを持つ手へ力が入り、指の筋が浮き上がった。


「……あんたがインチキしてたなら話は別だ」


「ケンカ売ってんのか?」


男が一歩前へ出る。


煙草の灰が地面へ落ち、ぱち、と小さく弾けた。


彰の喉が、ひやりと詰まる。


その横で、陽菜の手が必死に彰の袖を掴んだ。


布へ食い込んだ指先の震えが、そのまま伝わってくる。


(やだ……)


提灯の灯りが、金魚すくいのときとは違う色に見えた。


背後では鉄板がじゅっと鳴り、誰かの笑い声が途中で途切れる。


提灯の紐が風に擦れ、細く鳴った。


そのときだった――。


「やめだ、やめだ」


低い声が、二人の間へすっと割って入る。


巌が一歩前へ出た。


足音は小さい。


それなのに、周囲のざわめきだけが一瞬静まる。


次の瞬間、屋台の男の肩がひくりと上がった。


男の目が、巌の顔で止まる。


「……あんた、もしかして……」


続きを飲み込むように、男の喉がわずかに動いた。


「ここは子どもたちの遊び場だろう。喧嘩の場所じゃない」


巌の声は静かだった。


提灯の炎が、川風に押されるようにすっと横へ流れる。


「……じいちゃん」


彰が小さく呟いた。


背中越しに見える巌の輪郭が、いつもより大きく見える。


巌は落ちた景品と傾いた棚へ目を向けた。


「確かに、うちの子たちはやりすぎた。壊した分は、片づけも弁償もする」


「だったら――」


男が声を荒げかけた、その前で巌がゆっくり視線を戻す。


「だが、その前に。子どもが見てる前だ」


責めるような目ではなかった。


ただ、まっすぐ見ていた。


「インチキをしていたなら――そのやり方は、いずれ返る」


男の喉が、ごくりと鳴る。


箱の角を握った手へ、じわりと力が入った。


屋台の列の向こうで、鈴の音が一度だけ鳴って消える。


流れた川風が、煙草の灰を横へさらっていった。


その横へ、美咲が静かに並ぶ。


「すみません。子どもたちが怖い思いをしたのも事実で……」


そう言って、美咲は深く頭を下げた。


背筋を伸ばしたまま静かに腰を折る姿に、周囲のざわめきも少しだけ落ち着いていく。


「壊してしまった分は、きちんと弁償します」


自然と視線が、焔人形の箱へ集まった。


男は巌と箱を見比べる。


やがて視線が足元へ落ちた。


「……こっちだって、生活が懸かってんだ」


吐き捨てるみたいに言いながらも、声にはさっきまでの勢いが残っていない。


揺れた視線が、そのまま巌とぶつかる。


男の肩が、びくっと震えた。


「ちっ……」


短い舌打ちが落ちる。


それから男は、小さく息を吐いた。


「……悪かったよ」


そう言いながら、自分から焔人形の箱を持ち上げる。


指先が、わずかに震えていた。


男は箱を逆さにすると、底へ貼られていたテープを――ぺり、とためらいなく剥がした。


露わになった底には、小さな鉛の塊がいくつも貼りついている。


重みで、男の手首がぐっと下へ引かれた。


コルク弾の衝撃程度では、まず動きもしない。


“落ちるわけがない”――そんな細工だった。


「やっぱり……」


陽菜が息を呑む。


その横で、凱の拳が強く握られた。


爪が掌へ食い込んでいる。


男は子どもたちの顔を順番に見たあと、最後に巌へ視線を向けた。


「もう二度とやらねぇよ」


「そうしてくれれば、それでいい」


巌は小さく頷く。


「棚は俺たちで直そう。子どもたちも手伝うからな」


「……うん!」


彰が勢いよく返事をした。


陽菜と凱も「ごめんなさい」と頭を下げ、そのまま三人で落ちたお菓子を拾い始める。


しゃがみこんだ膝へ、屋台の板の冷たさがじんと伝わった。


指先には、割れた駄菓子の砂糖がざらりと残る。


美咲も静かに手を貸し、誠もぶっきらぼうなまま棚へ手を伸ばした。


箱をひとつ戻す。


ぐらついていた棚が、ようやく静かに止まった。


指先へ残った砂糖を払う音だけが、少し遅れて耳に残る。


「……はぁ」


男が小さく息を吐いた。


それから焔人形の箱を、凱のほうへ押し出す。


「ほらよ」


「……ど真ん中だった。本当なら一等だ」


「え……」


凱が目を丸くする。


「持ってけ」


男は顔をそらした。


凱は一瞬固まったあと、焔人形の箱をぎゅっと抱きしめる。


腕の中で鳴ったカサリという音が、遅れて実感を連れてきた。


「……ありがとう」


その声には、もうさっきまでの怒りは残っていなかった。


少し離れた場所で、巌が小さく笑う。


その横では、美咲もほっとしたように胸をなでおろしていた。


屋台の空気が、少しずつ元へ戻っていく。


止まっていた呼び声が戻り、鉄板の鳴る音へ人の笑い声が重なった。


揺れた提灯の灯りが、川風に押されながらまた通りを照らし始める。


「始まるぞー!」


河川敷の奥から誰かの声が飛ぶ。


どん、と腹へ落ちた花火の振動が、夜の空気を大きく揺らした。


夜空いっぱいへ広がった光の花が、川面へゆっくり滲んでいく。


「わぁ……!」


陽菜が目を輝かせながら空を見上げる。


凱も焔人形の箱を抱えたまま、「すげぇ……」と声を漏らした。


川のほうから、強い風が吹き抜ける。


提灯が一斉に揺れ、人混みのざわめきが波みたいに広がった。


「うわっ――」


誰かの声が重なった次の瞬間、


ぶちんっ。


乾いた音が夜へ弾ける。


河川敷の端へ組まれていた提灯櫓の固定ロープが、大きく跳ねた。


「あ……!」


櫓が、ゆっくり傾き始める。


提灯の列が大きく揺れ、散った火の光が夜空へばらばらに滲んでいった。


「危ない!!」


悲鳴が重なり、人々が一斉に逃げ出す。


ぶつかる肩。


砂利を蹴る足音。


押し合う人の流れが、波みたいに河川敷を揺らしていった。


陽菜の肩がびくりと震え、その場で固まる。


彰も思わず空を見上げた。


傾いた櫓が、このまま倒れれば――。


足裏から、ひやりとしたものがせり上がる。


そのときだった。


「下がれ」


低い声が、人の波の奥へ静かに通った。


巌だけが、一歩前へ出る。


その瞬間――巌の瞳の奥へ、淡いルーンが浮かぶ。


(《浮遊》)


呼吸と一緒に、脳内で短い詠唱が走った。


次の瞬間、風が巻く。


ざわり、と空気そのものが渦を巻き、倒れかけていた櫓が途中で止まる。


「……え?」


誰かの声が漏れた。


提灯の灯りが、空中で静止している。


さっきまで風に揺れていた火が、ぴたりと動きを失っていた。


彰は息をするのも忘れたまま、その光景を見上げる。


巌はそのまま前へ歩き出した。


何もない空間へ足を踏み出す。


その瞬間、空気だけがわずかに震えた。


(《空中歩行》)


脳内でルーンが組み上がり、風の足場が空中へ静かに形成される。


見えない。


けれど確かに、そこへ道ができていた。


風の軌跡だけが、提灯の灯りに沿って淡く揺れる。


「うそ……」


陽菜が小さく呟いた。


巌は慌てる様子もなく、傾いた櫓の途中まで歩いていく。


揺れるロープを掴み、指先で素早く結び直した。


止まっていた櫓がゆっくり元の位置へ戻っていく。


提灯の灯りも、何事もなかったみたいにまた夜風へ揺れ始めた。


少し遅れて、河川敷へ大きな歓声が広がる。


「すげぇ……!」

「今の、魔法か……!?」


ざわめきが一気に熱を帯びていく。


その中で、彰だけは動けなかった。


風の上を歩く祖父。


静かに櫓を支えた背中が、まぶたの奥へ焼きついて離れない。


握った手に、知らないうちに力が入った。


それでも視線だけは、その背中から外せなかった。


やがて祭りの熱も少しずつ落ち着き、人の流れは帰り道へほどけ始める。


焼けたソースの匂いが薄れ、代わりに夜風の冷たさが頬へ戻ってきた。


「楽しかったねぇ」


美咲が歩きながら、ふっと笑った。


「……うん!」


彰は強く頷く。


その横では、陽菜がまだ興奮したまま巌を見上げていた。


「ねぇ巌さん! さっきの、ほんとに空歩いてたよね!?」


「おう。落ちたら危なかったからな」


巌は何でもないことみたいに笑う。


「いやいやいや! 普通にすごすぎるだろ!」


凱が焔人形の箱を抱えたまま叫ぶと、陽菜も「ねーっ!」と大きく頷いた。


帰り道の提灯は、歩くたびひとつずつ灯りを落としていく。


「アキ、また来年も来ようね!」


陽菜が振り返る。


揺れた髪飾りが、夜の灯りを小さく弾いた。


「もちろんだろ。来年はもっと射的うまくなってやるからな!」


凱も笑いながら箱を抱え直す。


その後ろで、誠が小さく息を吐いた。


「……来年までに、もう少し稼がないとな」


「あなたったら」


美咲がくすっと笑う。


縄のこすれる音と、屋台の木箱がぶつかる音が遠くで重なった。


帰り道、提灯の灯りは少しずつ消えていった。


遠くで屋台を片づける木箱の音が鳴り、祭りの通りもゆっくり夜へ戻っていく。


「ふあぁ……」


陽菜が大きなあくびをして、美咲の腕へ体を預ける。


肩へかかった重みが、そのまま歩幅に合わせて揺れた。


凱も焔人形の箱を胸へ抱いたまま、まぶたをとろんとさせている。


歩くたび、箱が小さく鳴った。


そして彰は――巌の隣を歩いていた。


「楽しかったか、彰」


「……うん!」


彰が頷くと、巌は小さく目を細める。


「そうか」


それだけ言って、大きな手がぽん、と彰の頭へ落ちた。


大きな手の重さと温度が、頭の上にしばらく残っていた。


さっき風の上を歩いた背中が、まだ目の奥に焼きついている。


「……おとうさん?」


陽菜が足を止め、小さく振り返る。


少し離れた提灯の陰に、男の影が立っていた。


けれど次の瞬間には、人の流れへ紛れるように見えなくなる。


「……気のせい、かな?」


陽菜は小さく首を振り、もう一度美咲の腕へぎゅっと抱きついた。


家の灯りが、少しずつ近づいてくる。


花火の残り音だけが、夜道の向こうで小さく震えていた。

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