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アウトサイダー  作者: 君島極
第二章:噛み合わない世界 | 第一節:違和感のある教室
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第1話:春の鼓動、始まりの足音

――前日・夕暮れ/龍胆家・裏庭


薄い茜色の空の下、立てかけた木刀の影が、地面を長くなぞっていく。


足元の砂利がかすかに鳴り、夕風が道着の裾を揺らした。


掌のマメが疼いたが、それすら“今日までの証”に思えた。


指先に残るざらりとした感触が、まだ消えていない。


――『鍛え続けろ。君はきっと、いいインサイダーになる』

――『君は立派なヒーローだ』


思い返した瞬間、呼吸が胸で止まった。


遠くで犬の鳴き声がひとつ上がり、あとには夕暮れだけが残る。


(……応えたい。弱くても、未熟でも)


明日から始まる日々を思い、空に滲む光を、目で追い続けた。


雲の端がゆっくりと形を変え、色が濃くなる。


(明日――入学式だ)


息を吐き、家の灯りへ歩き出す。


玄関の灯りが石畳を淡く照らし、影が足元へ戻ってきた。



――入学式当日の朝。


階段を上がってくる誠の足音が、廊下へはっきり響いていた。


寝室の扉が開く。


「彰。起きろ。初日から遅刻するなよ」


いつも通り低い声。


けれど、その奥にはどこか落ち着かない気配が混じっている。


「……うん、起きてる」


彰はすぐ身体を起こした。


布団を払う手が止まらない。


緊張より先に、“ついに始まる”という高揚感の方が強かった。


「ありがとう、父さん」


布団から手を伸ばすと、誠が一瞬だけ視線を伏せた。


それから短くうなずいて、扉の外へと戻っていく。


(……父さんでも、こういう日は緊張するんだな)


ようやく体を起こし、顔をこすりながら階段を下りる。


その途中――温かい匂いがふわりと鼻をくすぐった。


……とんかつ? 朝なのに?


「おはよう、彰」


美咲が振り返る。


エプロンの胸元を押さえたまま、どこか落ち着かない手がひとつ揺れた。


その隣で、誠が腕を組んで立っていた。


耳の端が赤い。


「今日は……父さんが作ったのよ? 朝早く起きてね」


湯気が横切り、目の前が白く切れる。


その奥で、保温プレートの魔導紋が淡く明滅していた。


「…………え?」


台所のテーブルには、湯気をたっぷりまとったとんかつ。


味噌汁の香りと一緒に立ちのぼる湯気が、朝の光の中できらきら揺れている。


「初日だからな」


誠は咳払いして、視線を壁の方へ流した。


「……気合い入れとけ」


その言葉のあと、咳払いの音だけが短く残った。


湯気の匂いが鼻の奥に居座り、喉の通りが少し狭まる。


「父さん……料理できるんだ」


思わずこぼした声に、美咲が小さく笑った。


「こう見えて得意なのよ? 彰が生まれる前は、よく私にも作ってくれたの」


「そ、そういうのは言わんでいい……!」


誠の声が一段低くなり、耳まで真っ赤になる。


美咲はふわっと肩を揺らして笑った。


「たまには作ってほしいな~?」


「……わ、わかったよ……」


そのやりとりがあまりに“いつも通り”で、肩の位置が、箸を置くより先に落ちた。


箸を入れると、衣がさくっと軽く音を立てた。


甘い脂と肉の匂いが、噛むたび口の中へほどけていく。


「……うまい。ありがとう。ほんとに」


声に出した瞬間、誠が小さく頷いた。


見えた表情が、そのまま瞼の裏へ貼りつく。


食後、湯呑みを置いた誠が、ふと真顔になる。


「……焦らずにやれ。最初から飛ばすな。ケガだけは……気をつけろ」


誠は視線を外したまま、最後の言葉を、息で止めた。


美咲もそっと湯呑みのふちを指でなぞりながら、声を重ねる。


「私はね、彰に……学校を楽しんでほしいの。いろんな景色を見てほしい」


彰は思わず深く息を吸い込んだ。


やがて食事を終え、彰は箸を揃えて頭を下げた。


「……ごちそうさま。すごく美味しかった」


誠が少し照れくさそうに視線を逸らす。


「……おう」


その短い返事に、美咲がくすっと笑った。


三人で食器を片付ける。


流れる水の音と、皿の触れ合う小さな音だけが朝の台所へ残っていた。


洗面台で顔を洗い、歯を磨く。


冷たい水が頬を打ち、胸の奥へ残っていた熱を少しだけ落ち着かせた。


自室へ戻り、ハンガーへ掛けてあった制服へ袖を通す。


真新しい生地はまだ少し硬さが残っていたが、不思議と身体には馴染んでいた。


鏡の前でネクタイを整え、彰は小さく息を吐く。


「……よし」


鞄を肩へ掛け、彰は廊下へ出た。


そのまま玄関へ向かいながら、後ろへ声をかける。


「先、外で待ってるね」


靴紐を結び直そうと屈んだ瞬間、指先が少しもつれた。


(……今日なんだ。ほんとに)


玄関へ向かう足取りは、無意識に少し速くなっていた。


慌てて歩幅を戻し、彰は小さく息を吐く。


腹の奥へ残った熱が、なかなか引かない。


背中へ朝の風が触れ、肌が少しだけ引き締まった。


彰は玄関の扉へ手をかけ、そのまま外へ踏み出す。


石畳へ朝の光が落ちている。


ひんやりした空気を深く吸い込み、彰は門の前で一度だけ立ち止まった。



居間には二人だけが残った。


美咲は居間の棚に飾られた、彰の祖父――巌の写真に目をやり、息を吐く。


「……本当は、行ってほしくなかったのよ。インサイダーなんて……危険なお仕事だから」


誠は黙ってうなずき、ポケットに手を入れたまま顎をわずかに引いた。


「……わかってる。危険なのは事実だ。だが――自分で選んだ道だ。信じてやろう」


「……そうね」


美咲は息を吸い、涙をこらえるように目を瞬かせる。


誠も姿勢を正し、心を整えるように深く息を吐いた。


やがて二人は視線を合わせ、


「行こうか」と誠が言う。


「ええ」と美咲が頷く。


玄関を開けると、彰が外で風に当たりながら待っていた。


誠が言う。


「待たせたな」


美咲が微笑む。


「ごめんね。行きましょ」


三人は並んで家を出た。


玄関の戸が閉じる音が、家の中で短く反響する。


朝の空気はまだ少し冷たい。


石畳を踏む足音が重なり、春の風が制服の裾を揺らしていく。


通学路には、新入生と家族の列が長く続いていた。


道端のタンポポが風に揺れ、上ではヒバリが高く鳴いている。


足元では、小さな保守用ルーンが一定の周期で淡く光を刻んでいた。


耳の長いエルフの少年や、小柄でずんぐりしたドワーフの少女も、同じ制服で肩を並べて歩いている。


種族も背丈も違う。


それでも、少し強ばった歩幅だけは、みんなよく似ていた。


――多民族国家同盟の街では、それが当たり前の日常だった。


しばらく歩いたあと、彰がふと思い出したように口を開く。


「そういえばさ、父さんと母さんって、どこで出会ったの?」


美咲が目を瞬かせ、それから楽しそうに笑った。


「あら、聞きたい?」


「いや、なんとなく気になって」


美咲は少し懐かしそうに目を細める。


「私がね、学生の頃に洋服屋さんでアルバイトしてた時――」


「お、おい、それは言わなくていい!」


誠が慌てたように割って入った。


耳がみるみる赤くなる。


「えー? いいじゃない」


「よくない!」


その反応がおかしくて、彰は思わず吹き出した。


「ははっ、父さんめっちゃ焦ってる」


誠が咳払いをして視線を逸らす。


美咲は肩を揺らして笑った。


「じゃあ続きは、また今度ね」


そんな話をしているうちに、通学路の向こうへ見慣れた姿が見えてくる。


凱と、その母の玲奈だった。


凱は胸を張って立ち、前髪を直されている。


「おーい、アキ! 早いな!」


「お前の方が早いだろ」


「ははっ、初日だしな。父さんに“遅れるなよ”って念押しされたんだ」


凱の笑顔に、焔さんの姿が重なる。


任務で今日は不在だが、その言葉はちゃんと受け継がれている気がした。


笑った顔を見た瞬間、肩に入っていた力が、吐く息と一緒に静かに抜けていった。


(……よかった。いつも通りだ)


口元だけが、遅れて緩んだ。


「凱、問題起こしちゃだめよ?」


玲奈が呆れたように言う。


「大丈夫だって! せいぜい備品壊すくらいだし!」


「こらっ!」


玲奈がすぐに頭を叩こうとして、凱が慌てて身を引いた。


肩をすくめながら靴先で砂利を軽く蹴る仕草が、どこか子どもっぽい。


その時、通学路の向こうから声が飛んでくる。


「おはようございます、みなさん!」


拓也だった。


その横では、雪がにこやかに手を振っている。


少し遅れて、陽菜も小走りで追いついてきた。


「アキ、制服似合ってるじゃん! でも緊張してる?」


彰は少し笑って肩をすくめた。


「いや、別に緊張してないよ。……陽菜の方が顔ひきつってるぞ」


「えっ!? そ、そんなことないし!」


陽菜が慌てて頬へ手を当てる。


目を左右へ泳がせるその反応がおかしくて、彰の口元が自然と緩んだ。


「まったく、お前ら相変わらずだな」


凱が口元だけで笑う。


短い笑い声が、三人の間を行き交った。


少し離れたところで、両親たちが静かに見守っている。


八人そろって、道を埋めるように歩いている。


「なあ、どんな授業があるんだろ。模擬戦とか、もうやるのかな」


凱は前を向いたまま鞄の紐を握り直す。


彰が、思わず横から口を挟んだ。


「やめろよ、怖がらせるようなこと言うな」


「でも……ちょっと楽しみだよね」


陽菜が少し歩幅を速めながら声を落とす。


彰は小さくうなずいた。


その拍子に、記憶の底が落ちる。


――あの林。


ゴブリンに立ち向かい、陽菜を守った夜。


『鍛え続けろ。君はきっと、いいインサイダーになる』


御剣さんの声が、制服の内側でまだ引っかかったままだ。


その熱だけが、腹の底で消えずに残っていた。


(……俺は、あの人みたいに、守れる人になる)


制服の胸元の校章へ、指を添える。


その感触が、誓いの印みたいに温かかった。


やがて最寄り駅へ着き、改札を抜ける。


春の風が制服の裾を揺らした。


他愛のない話をしながら歩いていた凱が、ふいに前を指差す。


「お、見えたぞ」


彰も視線を上げた。


遠く――街並みの向こう。


インサイダー養成学校の校舎が、朝の光を反射している。


「……あそこ、か」


胸の奥が、どくんと一度だけ鳴った。


学校へ向かう道には、新入生と家族たちの列が長く続いている。


同じ制服へ袖を通した子どもたちが、どこか浮き足立った声を交わしながら歩いている。


その表情には、隠しきれない緊張が滲んでいた。


その空気へ混ざった瞬間、急に実感が押し寄せた。


(……本当に始まるんだ)


吸い込んだ息が途中で止まる。


校門が近づくにつれ、その存在感が前へせり出してきた。


視界へ収まりきらず、足だけが自然と前へ出る。


止まれと言われても、止まれそうにない。


足裏へ冷たい硬さが遅れて噛み合い、浮いたような感覚を慌てて踏み直した。


その横で、凱が不意に吹き出す。


「おい、アキ。お前もしかして緊張してる?」


陽菜もすぐに反応した。


「あー! 絶対そうじゃん!」


「ち、違うって!」


思わず返した声に、凱と陽菜が吹き出す。


その様子を見ていた玲奈たちも、小さく笑った。


張っていた空気がふっと緩み、彰もつられるように苦笑する。


向かう道の先では、巨大な校門が静かに待ち構えていた。


三人は顔を見合わせ、そのまま校門へ向かって歩き出した。


校門をくぐった瞬間、空気が変わった。


広い敷地の奥には高くそびえる訓練棟があり、遠くからは金属音と魔力駆動音の低い反響が響いている。


そのすべてが、“ここは普通の学校じゃない”と静かに告げていた。


(……ついに来た)


息を吸うたび体の奥が熱を帯び、吐けば首筋だけがひやりと冷える。


石造りの柱へ掲げられた校章が目の前へ強い存在感を押し出し、その縁を走る魔導回路がわずかに脈打っていた。


訓練棟の影は朝の地面へ長く伸び、正門の両脇では上級生たちが新入生へ声をかけている。


袖のロゴが陽を受け、眩しく光った。


「ここが……中等部か」


彰の声が小さく落ちる。


意識だけが、巨大な校門の輪郭を追っていた。


「行くぞ、アキ」


凱が顎を上げ、拳を軽く突き出す。


「うん。……行こう」


拳をコツンと合わせた瞬間、横で陽菜が小さく息を呑んだ。


「すごい……本当に始まるんだね」


目を輝かせたまま、語尾だけが少し揺れる。


「……ちょっと怖いけど、がんばる。二人がいるなら――平気、かな」


凱が笑って首だけをすくめた。


「おう、すぐ慣れるさ」


陽菜はこくりとうなずき、小さく笑う。


春の風が三人の制服を揺らし、その笑顔を朝の光がやわらかく照らしていた。


(ここが……インサイダー養成学校、中等部)


足裏へ重みが落ち、視界の輪郭がわずかに揺れる。


(――必ず強くなる)


視線の先で、訓練棟の窓ガラスが春の光を力強く跳ね返していた。


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