↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第三節:積み重ねる炎
49/70

第17話:沈黙の街に響く報せ

――ニュースから、数日後。


行方不明となった四人の生徒はいまだ見つからない。


町は、表向きだけなら普段通りに回っていた。


それでも、その「普段」にはどこか色がない。


インサイダー養成学校を目指す子どもや、その家族の間には、少しずつ不安が広がっていた。


「次はうちの子が……」


「学校の研修って、本当に安全なのか」


そんな声が、周囲を気にするように小さく交わされる。


いつもならインサイダーの話題で盛り上がっていた連中も、今は言葉を選びながら話していた。


子どもたちの目にも、憧れだけじゃない色が混じり始めている。


――そして彰もまた、


そのざわめきを胸のどこかへ引っかけたまま、日々を過ごしていた。



数日後の土曜日。


彰は美咲に頼まれた買い物袋を提げ、商店街を歩いていた。


夕飯用の野菜と豆腐。袋の中では、氷の入った魚用パックが小さく音を立てている。


それでも、町の空気はどこか重かった。


通りを行き交う人の足取りは鈍く、湿った夏の空気が肌へまとわりつく。


誰もが口を閉ざし、乾いた靴音だけがアスファルトへ淡々と残っていた。


商店街の風鈴が揺れる。


けれど、その音色もどこか沈んで聞こえた。


いつもなら店先から飛んでくる呼び込みの声も、今日は控えめだった。


彰は買い物袋を持ち直す。


ビニールの取っ手が指へ食い込み、汗ばんだ掌へじっとり貼りついた。


息を吸うたび、肺の奥へ熱が溜まっていく。


そのとき。


雑貨屋の店先へ置かれた古いテレビが、低くこもった声を流した。


『……Sランクインサイダー、御剣 宗司氏が殉職しました』


「……え……?」


耳に飛び込んだ言葉を、頭が理解するより先に、周囲の音がすっと遠のいた。


靴音も、人の声も膜の向こうへ押し出され、買い物袋を握る手から急速に温度が抜けていく。


画面には、灰色の雲と立ちのぼる煙に覆われた都市の空が映っている。


その下で、協会職員たちが慌ただしく動き回っていた。


(御剣……さん……?)


その名前を、忘れたことはなかった。


耳の奥で、あの日もらった言葉だけがぼんやり浮かぶ。


けれど次の瞬間、その灯が風に吹かれるみたいに揺れた。


彰は気づけば駆け出していた。


買い物袋が脚へぶつかり、中の野菜が揺れる。


息がうまく整わないまま、商店街を抜ける。


遠くのクラクションも、信号機の電子音も、耳を素通りしていった。


角を曲がって住宅街へ入っても、汗が頬を流れ、喉が焼ける感覚だけが残る。


それでも足だけは止まらない。


(嘘だ……)


頭の中で、その言葉だけが何度も反響していた。


家に戻ると、居間のテレビでも同じニュースが流れていた。


明滅する画面の向こう、曇った空の下で協会の輸送車両が煙の中へ並んでいる。


幹部たちは深く頭を下げたまま、顔を上げない。


彰はリモコンを膝に落とし、視線を画面から外せずにいた。


汗ばんだ掌が、太ももへじっとり貼りつく。


映像が切り替わる。


炎に包まれた廃墟の中、白銀の剣士がただ一人進んでいた。


御剣 宗司。


残光を引く太刀筋が、滑らかにモンスターを切り裂いていく。


刃が振るわれるたび火花と黒い血しぶきが舞い、焦げた匂いまで画面越しに迫ってくるようだった。


「……御剣さん……」


息が乱れる。


膝の上の手が震え、触れている感覚がじわじわ冷えていく。


彼は振り返った。


仲間へ笑みを向け、手で「任せろ」と示す。


炎の轟音が重なる。


『退け! 俺が抑える!』


仲間を逃がすため、群れの前に一人で立ちはだかる。


それは、自分が夢に見た“背中”そのものの御剣さんだった。


「……うそ、だろ……」


自分の声が、遅れて耳へ返ってくる。


膝の上で手を強く握り込み、爪が食い込んだ。


肩が震え、息の流れが乱れる。


(……あの人は、もう……)


目の奥が焼けるように熱い。


あの日もらった表彰状。


御剣さんのサイン。


浮かぶたび、膝の上の拳が静かに固まった。


『御剣氏は仲間を退避させるため最後尾に残り、殿を務めました。その後、消息を絶ち……救援部隊が到着した時には、すでに――』


アナウンサーの声だけが、切れ目なく続いていく。


部屋の時計が、ひとつだけ乾いた音を刻んだ。


最強と呼ばれた人でも、ここで終わる。


その“最期”は、確かに誰かを守るためのものだった。


指の節が白く浮かぶ。


握った拳の中では、冷たい悲しみと一緒に、小さな熱だけが消えずに残っていた。


(……最後まで、あの人らしかった)


一度、喉で息が引っかかる。


アナウンサーが一度だけ資料へ目を落とし、そのまま続けた。


『なお、今回の討伐成功により、滅亡時計の残存時間は百二十日増加。協会は、御剣氏の功績がクエスト達成へ大きく貢献したと発表しています』


「……クエスト?」


彰は思わず眉を寄せる。


滅亡時計が増える。


クエスト達成。


意味の分からない単語だけが、耳の奥へ引っかかった。


その瞬間、画面の下に新しいテロップが点滅した。


『現場では“アウトサイダー”による妨害があった可能性が高いとのことです』


赤い帯の文字が、目の奥へ焼きつく。


誠はテレビを見つめたまま、食卓の縁を指で強くこすった。


木目が低く鳴る。


顎がわずかに上がり、奥歯を噛みしめているのが分かった。


美咲も唇を固く結んだまま、視線だけが落ち着かない。


膝の上で組んだ手が、小さく震えていた。


「……やはり、あいつらの仕業か」


誠は一度目を閉じ、長く息を吐き出す。


それから静かに視線を落とし、食卓へ置いた拳をじっと見つめていた。


怒鳴るわけでもない。


けれど、その沈黙の重さだけが部屋へ残っていく。


美咲は無言で立ち上がり、彰たちの空になった湯呑を手に取った。


「……お茶、淹れ直すわね」


声の調子は崩れていない。


それでも、キッチンへ向かう背中は、いつもより少し小さく見えた。


ニュースは街頭インタビューへ切り替わる。


『あんな連中、全員捕まえろ!』


『人類の敵だ!』


マイクへ向かって叫ぶ人々の顔には、恐怖と怒りが入り混じっていた。


アウトサイダー。


その名前だけが、画面の下で何度も繰り返されていた。


(……本当にあいつらのせいなら、俺は絶対に許さない)


彰は膝の上で握りしめていた手をゆっくりほどき、一度深く息を吐いた。



その翌日日曜日。


町の中心、市役所の前に“献花台”が設置された。


協会の許可を得て、市役所が用意した一般献花台。


白いテントの下、長机には白い布がかけられ、中央には御剣さんの写真が置かれている。


その周りには、白や青、淡い黄色の花束が静かに積み重なっていた。


「ここ、ニュースで言ってた場所だ……」


彰は小さな花束を抱えたまま、誠と美咲の隣で列へ並ぶ。


前に並ぶ人たちも、ほとんど声を出さない。


足音と衣擦れだけが、ゆっくり列の中を流れていた。


市役所のガラスへ映る空は薄い灰色だった。


夏の日差しのはずなのに、どこか冷たく見える。


誠は何も言わず、献花台を見つめていた。


その横で、美咲は花束の包装紙をそっと押さえている。


風が吹くたび、白いテントの布がかすかに揺れた。


(御剣さん……)


手の中の花束だけが重く、呼吸の間がうまく定まらない。


順番が近づくにつれ、花の香りが濃くなる。


やがて彰の番が来る。


机の前へ進み出た瞬間、遺影の下へ小さく記された名前が目に入った。


『御剣 宗司』


(……本当に、いないんだ)


包み紙が、かすかに鳴る。


花束を置こうとした、その瞬間――


記憶が浮かび上がる。


視界の色だけが、少し薄くなっていった。


(……御剣さん)


協会の長い廊下。


革靴の音や大人たちの声が、遠くで反響しているみたいに聞こえる。


――『御剣さん、ちょうどよかった。先日の少年です。“未来の後輩”ですよ』


その声がした瞬間だけ、世界の音が急に近づいた。


振り返った御剣さんが、彰の前で静かに屈む。


近距離で感じた防護スーツの匂い。


金属と革、それに少し焦げたような匂いが混じっていた。


――『君が、龍胆彰。勇敢だったな』


震えながら差し出した色紙へ、ペン先が静かに走る。


『勇気を忘れるな』


肩へ置かれた手は軽い。


それでも、その重みだけが妙に残っていた。


――『鍛え続けろ。君はきっと、いいインサイダーになる』


御剣さんは仲間へ軽く頷き、そのまま廊下の奥へ歩いていく。


交差する足音の中、その背中だけがまっすぐ前を向いていた。


(俺も、いつか――)


献花台の前で、彰はゆっくり目を開ける。


夏の空気は熱いのに、花束を置く指先だけが少し冷たい。


目を閉じ、深く息を吸った。


花の香りと夏の空気が、ゆっくり鼻先を抜けていく。


(……だったら俺も、ここで止まってちゃいけない)


拳を握る。


もう、震えてはいなかった。


(いつか胸を張って、“あの人の後輩だ”って言う)


彰はそっと頭を下げ、献花台を離れた。



翌日月曜日。


教室は、いつもよりざわついていた。


机の間を飛び交う話題は、御剣さん一色だった。


「Sランクでも死ぬんだな……」


「めちゃくちゃ強かったのに」


「アウトサイダー、ほんと最悪!」


ふざけた調子の声が混じり、そのあとへ曖昧な笑いが重なる。


教室の空気だけが、落ち着かないまま漂っていた。


彰は黙って鉛筆を握る。


芯が紙へ食い込み、カリ、と乾いた音が鳴った。


消しゴムを握る指先へ力が入りすぎて、端がぽろりと欠ける。


窓際では陽菜も、今日はほとんど笑わない。


凱だけはいつもの調子を崩さないようにしていたが、会話の間だけが妙にぎこちなかった。


休み時間になっても、三人とも御剣さんの話だけは避けていた。


話しかけようとして、やめる。


そんな空気が、一日中ずっと続いている。


(御剣さんみたいに、強くならなきゃ)


ノートの端へ書いた字が、視界の隅で少し滲んだ。


やがて放課後のチャイムが鳴る。


椅子を引く音や鞄を閉じる音が重なり、それでも教室は、いつもの放課後より静かだった。


三人は並んだまま校門を出る。


誰も、すぐには口を開かなかった。


靴音だけが、夕暮れの住宅街へ小さく続いていく。


凱が何度か口を開きかけ、そのたび飲み込む。


陽菜もランドセルの肩紐を握ったまま、ずっと俯いていた。


やがて、ためらうように小さく口を開いた。


「……ねえ、アキ。御剣さんのこと……知ってる?」


陽菜が小さく口を開く。


「うん……」


返事をしようとすると、顎が強ばり、声だけが少し遅れた。


その横を歩く凱も、今日は珍しく黙ったままだった。


ランドセルの肩紐を握る手へ、いつもより強く力が入っている。


しばらくして、凱が前を向いたまま小さく呟いた。


「……俺さ、あの人みたいなのが“本物のヒーロー”なんだと思ってた」


夕焼けが、横顔を赤く染める。


「強くて、絶対負けなくて……なんか、そういうの」


笑おうとした口元が、途中で少しだけ歪んだ。


陽菜の目は赤く、まぶたの端が少し腫れている。


ランドセルの紐を握る指先が、力を込めるたび小さく震えていた。


自分だって泣きたい。


でも、ここで涙を見せたら、全部が崩れそうで――彰は靴先でアスファルトを軽く蹴り、そのまま俯く。


「……俺、もっと強くなる」


夕日に伸びた自分の影を、じっと見つめた。


凱がその言葉へ、小さく息を吐く。


「……だな。俺も」


三人の歩幅だけが、静かな住宅街へ揃っていく。


電柱の影が、三人の足元へ長く伸びていた。


夏の匂いが火照った空気へ溶け、空は橙から群青へ変わり始めている。


(御剣さんみたいに――誰かを守れるようになる。絶対守る)


その想いだけが、夕暮れの道へ静かに残った。


やがて、獅子堂家が見えてくる。


「じゃ、また明日な」


凱はそう言って軽く手を上げた。


「おう」


「またね」


陽菜も小さく笑う。


凱は背を向け、そのまま玄関へ駆けていった。


門が閉まる音だけが、夕暮れへ小さく残る。


そのあと、二人はまた並んで歩き出した。


やがて、陽菜の家が見えてくる。


門灯の明かりが、二人の足元を薄く照らしていた。


「……じゃあ、また明日ね」


陽菜が立ち止まり、小さく笑う。


「うん。またな」


彰も軽く手を上げ返した。


陽菜は何度か振り返りながら玄関へ向かい、そのまま扉の向こうへ消えていく。


その姿が見えなくなったあと、彰は一人で家への道を歩き出した。


夕暮れの住宅街は静かだった。


そのときだった。


……視線だ。


背中を氷でなぞられるような感覚に、足が止まる。


夕暮れのざわめきが遠のき、鼓動だけが耳の奥でやけに大きく響いた。


息が胸の手前でつかえ、視界の端がかすかに歪む。


「……な、んだ……?」


振り返る。


けれど、そこには行き交う人々の姿しかない。


買い物袋を提げた主婦。


スマホを見ながら歩く高校生。


店先で値札を並べるおじさん。


誰も、彰を見てはいなかった。


それでも、何かだけが皮膚の下へ潜り込んでくる。


(……ほんとに、気のせいか?)


そう思っても、背中へ貼りついたざわつきは消えない。


握った拳の中で、御剣さんの声が響く。


『鍛え続けろ』


その一言が、怯えかけた心を支えていた。


彰は拳を握り直し、そのまま足を前へ出す。


重かった空気が、ほんの少しだけ前に押し分けられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。