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アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第三節:積み重ねる炎
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第16話:消えた四人と胸に残るざわめき

――一年後・夏/龍胆家・道場


蝉の声がじりじり続き、赤い陽が障子の隙間から差し込む。


畳の目が濃淡で縞を描き、湿った草の匂いが鼻先をくすぐった。


彰は一人、木刀を振る。


「はっ、ふっ……!」


踏み込むたび畳が鳴り、乾いた衝撃が壁に跳ね返る。


こめかみから伝った汗が顎先で揺れ、ぽたりと落ちた瞬間が妙に大きく響いた。


(もっと速く。もっと強く。……まだ届かない)


豆の縁が軋む痛みが、今日の積み重ねを教えてくる。


一度だけ息を整え、振り下ろした。


木刀の鋭い風切り音が、道場に短く弾ける。


ふと振り返ると、扉のところに誠が立っていた。


片手に――冷えた水筒。


「……水、飲め」


余計な言葉は添えない。


それでも、差し出す手つきだけは驚くほど丁寧だった。


「ありがとう」


冷たい水が喉を通り抜け、火照っていた身体が少し落ち着いた。


誠は手ぬぐいを畳み直しながら、黙って立っている。


「無茶を続けると、踏み込みが雑になる。……今日はもう夕飯だ」


「あと少しだけ……いける」


そう返すと、誠は鼻を鳴らし――


口元が、わずかにほどけた。


「好きにしろ。ただし……倒れるなよ」


扉へ向かう足を止めないまま、誠は声を落として付け足した。


「……お前が頑張ってるのは、ちゃんと見てる」


彰は小さく息を吸う。


張っていた肩が、少しだけ落ちた。


誠の足音が板張りの廊下へ遠ざかっていく。


彰は木刀を壁へ立てかけ、汗で湿った道着の襟を軽く引いた。


母屋へ続く渡り廊下を歩くたび、板が小さく鳴る。


開け放たれた窓から、夕餉の匂いが流れ込んできた。


カレーの香りだった。


腹の奥が、遅れて空腹を思い出す。


居間へ戻ると、美咲が夕食を並べていた。


汗で張りついた道着を見た瞬間、美咲の眉がふっと緩む。


「彰、ちゃんと水分取ってる? 無茶しすぎないでね。武術のことはあまりわからないけど……体、壊したら意味ないんだから」


エプロンの端で手を拭いながら、皿を差し出してくれる。


「それにね、今日は栄養のあるものいっぱい作ったの。いっぱい食べて、ちゃんと元気でいてよ?」


「うん。……ありがとう、母さん」


美咲は皿を置く手を一度だけ止めた。


「大丈夫。ちゃんと飲むようにしてるよ。……さっきも父さんが、水、持ってきてくれたし」


「え?」


美咲は目を瞬かせ、そっと誠の方を見る。


誠はそっぽを向いたまま、「……う、うむ」と返した。


その返事に、美咲がふっと笑みを漏らす。


テーブルには湯気を立てるカツカレー。


黄金色の衣が光を返し、ルーの香りが一気に食欲を引き上げた。


「さっきの踏み込み、悪くなかったぞ」


「本当よ。動きがきれいになってきたわね」


三人の影が、畳の上で重なっていた。


「……まだまだ。でも、ちょっと速くなってる気がする」


彰は湯気の向こうへ小さく息を吐き、背筋を伸ばした。


誠がゆっくり頷く。


「焦らなくていい。強さは積み重ねだ。慌てるより、確かに踏み込め」


美咲は笑いながら、スプーンを差し出した。


「カツが冷めないうちに食べてね」


皿を受け取りながら、彰は小さく「ありがとう」と呟く。


熱いルーを口へ運ぶ。


香辛料の香りが抜け、遅れて腹の虫が小さく鳴いた。


(強くなれる。……まだいける。もっと先へ――)


握ったスプーンへ、ゆっくり力が戻っていく。


そのとき、不意にテレビからニュースの声が流れた。


スプーンが途中で止まる。


画面には、黒い防護服に銀のロゴをつけたインサイダーたちが映っていた。


崩落したトンネルの中で、市民を救い出している。


『今夜の特集は、インサイダー協会の活動です。彼らは、モンスター討伐に限らず、災害救助や都市防衛など、社会の安全を支える任務を担っています』


誠がスプーンを置き、テレビへ目を向けた。


「……あれが、この国の“正義”の形だ。俺たち一般市民の知らないところで、世界を回している」


美咲も画面を見つめたまま、小さく頷く。


「本当に大変なお仕事よね。災害の現場も、事件の対応も……みんな命を張って動いてるんだから」


彰は黙ったまま、その声を聞いていた。


テレビの光が畳の目を白くなぞり、壁の時計の影を長く伸ばす。


結界の光や崩れた瓦礫の向こうで、人を庇うインサイダーたちの背中が動いている。


その姿が、彰の中であの日の焔と重なった。


(俺も、いつか――あの背中に追いつきたい)


その瞬間、ニュースのトーンが変わった。


彰は眉間へ力を寄せ、スプーンを持ったまま動きを止める。


美咲も気づいたように手元へ目を落とし、指先にわずかに力が入った。


『続いてのニュースです。インサイダー養成学校・中等部の研修旅行で、四名の生徒が行方不明になっています――』


音量は変わらない。


それでも、その言葉だけが食卓へ重く落ちた。


制服姿の写真が、一枚ずつ画面へ映し出される。


速報帯の赤い文字が端をゆっくり流れ、さっきまで近くにあったカレーの香りが、急に遠く感じられた。


『六菱 小夜さん。(十五歳)』


彰の指へ、スプーンの重みが沈む。


『氏原 圭司さん。(十四歳)』


一拍置き、次の写真へ切り替わる。


『杉下 唯さん。(十四歳)』


スプーンを持つ手が止まる。


『アンナ・スミルノーワさん。(十五歳)』


笑っているはずの写真なのに、その表情だけが妙に遠い。


知らないうちに、スプーンを強く握り込んでいた。


男性キャスターが表情を引き締める。


『四人は先週末、関東山地で行われた野営研修の最中に姿を消しました。テントには私物が残され、争った形跡もなく、モンスターの痕跡も確認されていません』


女性キャスターも静かに頷いた。


『過去に例がなく、協会は事件と事故の双方を視野に捜査を進めています。状況は依然、見えていません』


『未来を担う生徒たちが突然姿を消しました。詳しい状況は、現在も確認中です』


食卓の空気が、ゆっくり冷えていく。


『はい。十五歳前後の子供たちです。ご家族やクラスメイトの不安は計り知れません』


『当日の周辺で不審な人物や異常を見た方は、インサイダー協会まで情報提供をお願いします。ホットラインは画面下です』


赤い帯に番号が流れ、静かな電子音が淡く続く。


窓の外を走る車のライトが障子を横切り、三人の影を一瞬だけ揺らした。


『若い命が無事であることを、心から願いたいですね』


『一刻も早い発見が待たれます』


キャスターたちが静かに頷き合い、画面は次のニュースへ切り替わっていく。


彰の肩に、知らないうちに力が入っていた。


「……中等部の……生徒……」


声は最後まで続かなかった。


「そんな……」


美咲のスプーンが、ぴたりと止まる。


そのまま膝の上へ手を置き、小さく息を吐いた。


誠は顎へ手を当てたまま、視線を落とす。


「六菱……やはり本家の娘か」


「六菱って、そんなにすごいの?」


彰が聞き返す。


「ただの金持ちじゃない。日本、いや世界の防衛を裏から支える一族だ」


誠はテレビを見たまま続けた。


「そのご令嬢が消えた。――ただ事では済まん」


美咲が茶碗を置く。


ことり、という小さな音だけが、静かになった食卓へ残った。



その夜。


布団に横たわっても、眠気はなかなか来なかった。


天井の木目を目で追うたび、ニュースで映った四人の顔が浮かぶ。


笑っていた写真だけが、暗がりの中へ残って離れない。


遠くを走る救急車のサイレンが、夜の中へかすかに遠ざかっていった。


(インサイダーなら、全部助けられるって思ってた)


(でも……同じ学校のやつが、急にいなくなるなんて)


息を吐く。


けれどテレビへ向いた視線だけが、うまく離れなかった。


窓の外は静かだった。


蝉の声も遠のき、夜気だけが薄く部屋へ入り込んでくる。


それでも、胸の奥のざらつきだけは消えなかった。


布団の端を指先でつまむ。


知らないうちに力が入り、その皺だけが暗がりに残る。


――六菱。


その名前だけが、夜の静けさに沈んでいた。

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