第14話:剣を選ぶということ
――数日後/学校
表彰のニュースが流れてから、数日が過ぎていた。
それでも学校では、まだ彰の話題が消えていない。
「テレビ見たぞ!」
「御剣さんと会ったんだろ!?」
「メダル見せて!」
休み時間になるたび、あちこちから声が飛んでくる。
廊下を歩くだけで、知らない上級生にまで話しかけられた。
最初は落ち着かなかった。
けれど――
「すごかったよな、彰」
「ヒーローじゃん」
そんな言葉を聞くたび、廊下を歩く足取りが少しずつ前へ出ていく。
(俺、もっと強くなりたい)
ただ褒められたいわけじゃない。
あの日みたいに、また誰かを守れるようになりたい。
その気持ちだけが、前よりずっと強くなっていた。
◇
――休日/龍胆家・道場
畳の上には、汗の輪がいくつも残っていた。
「――そこまで!」
誠の声が響く。
彰は号令の形で構えていた拳を下ろした。
胸はまだ大きく上下し、指先までじんじん熱を持っている。
「礼!」
一斉に頭を下げる。
門下生たちは「ありがとうございました」と声を揃え、そのままぞろぞろと道場を出ていった。
「じゃーな、アキ!」
凱がタオルを肩へ引っかけたまま、道場の入口で軽く手を振る。
「おう、またな」
彰も小さく手を上げ返した。
凱はそのまま玄関の方へ駆けていき、外では自転車を押す音が少しだけ響く。
最後尾で雑巾をしぼりながら、彰はふと道場の壁へ目を向ける。
そこへ掛けられた木刀が視界へ入った。
あの日、ゴブリンへ振り下ろした瞬間の感触が蘇る。
(……あの時、拳じゃなかった)
心体育成流で覚えた型でも、突きでもない。
気づけば、足が先に出ていた。
ゲームで剣キャラばかり使っていた時の足運び。
シャドウボックスで踏み込んだ瞬間の感覚。
そして、ゴブリンの黒ずんだ鉤爪がゆっくり見えた、あの瞬間。
身体は迷わず、“剣”の構えを取っていた。
彰は雑巾を絞る手へ、ぎゅっと力を込める。
(ゲームの中だけじゃない。あれで……陽菜を守れた)
御剣さんの横顔。
焔の「君は立派なヒーローだ」という声。
協会の壇上で受け取った拍手。
テレビでしか知らなかった“ヒーロー”が、あの日たしかに目の前にいた。
(父さんやじいちゃんの拳も、好きだ)
その気持ちは本当だった。
でも――
(俺が、一番前に出れたのは……剣だった)
恐怖で足が止まりそうになっても、剣を握った時だけ、一歩だけ前へ出れた。
その感覚が、まだ足裏へ残っている。
「……父さん」
彰は雑巾をたたみ、足裏を踏み替えてから振り向いた。
誠は木札を片づけながら、ちらりと息子を見る。
「なんだ」
「話が、ある」
誠は一瞬だけ彰の顔を見つめ、それ以上は何も言わなかった。
道場の照明が落ちる。
畳を擦る足音だけが、静かな空間へ短く残った。
彰は道着の袖を軽く引き、そのまま誠のあとを追う。
道場から母屋へ続く渡り廊下には、夕飯前の匂いが薄く漂っていた。
ビーフシチューの甘い香りが広がり、台所からは包丁の音も聞こえてくる。
いつもの家の空気だった。
居間では、美咲が湯呑みを並べている。
テレビの音量は小さく、窓の外には夕焼けがまだ残っていた。
誠が先に座布団へ腰を下ろす。
「それで、話ってなんだ」
彰も向かいへ座り直した。
膝の上で握った拳へ、じんわり汗が滲む。
一度だけ息を飲み込み、彰は顔を上げた。
「……俺、剣で守りたいんだ」
誠の指が、湯呑みの縁でぴたりと止まる。
湯気がかすかに揺れ、茶の表面へ小さく波紋が広がった。
「……本気なんだな」
「うん。父さんも見てたでしょ。庭で木刀振ってたの。あれ、ずっと続けてたんだ」
誠の視線がいったん外れ、それからもう一度彰へ戻る。
「……今も鍛えているだろう。心体育成流を」
「うん。でも、あの日ゴブリンに向かった時、俺の体、勝手に動いて……剣の構えになってた」
彰は言葉を探しながら、ひとつずつ口にしていく。
「ゲームでも、シャドウボックスでも、いつも剣のキャラ使ってたし、協会で御剣さん見て、“ああなりたい”って思ったんだ」
言葉が、ほんの少し遅れる。
それでも、彰はちゃんと続けた。
「焔さんも、“ヒーローだ”って言ってくれた」
息をひとつ飲み込み、彰は拳を握り直す。
「拳の型のときより、剣を握ってるときのほうが……怖くても、前に出れたんだ」
誠の視線が、ぐっと重くなった。
「拳を捨てたいのか」
「捨てるつもりはない。うちの流派は、俺の大事なものだし」
彰は一度だけ喉を鳴らし、そのまま顔を上げる。
「でも……俺、剣で守りたいんだ」
まっすぐ誠を見つめ返した。
「いつかインサイダーになって、剣で人を守りたい」
居間の時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。
美咲が小さく息を飲んだ。
誠はしばらく黙ったまま、湯呑みを畳へ置く。
「……この街に、剣の道場はない。独学になるぞ」
「分かってる。それでも、やりたいんだ」
声は少し震えた。
それでも、逸らさなかった。
「間違ってたら、ちゃんと叱ってほしい。でも……ここで、目を逸らしたくない」
誠の眉が、ふっとゆるむ。
「……あの日、お前が死んでいたかもしれないと思うと、父さんは、今でも怖い」
低い声の語尾が、少しだけ揺れた。
「……今度は“勢い”じゃなく、ちゃんと準備をしてほしい。拳だろうが剣だろうが、命を守るために鍛えるんだ」
彰は喉を鳴らし、小さく頷く。
「うん」
誠は鼻を鳴らし、そのまま立ち上がった。
「……師範にはなれんが、親としてできることはする。ただし、途中で投げ出すなら今すぐやめろ」
「投げ出さない。絶対に」
間を置かなかった。
誠はそれ以上何も言わず、美咲と視線を交わす。
美咲はやわらかく笑った。
「彰がやりたいことなら……応援するわ」
その言葉を聞いた瞬間、膝の上で握っていた拳の力がすっと抜けた。
「……ありがとう」
胸につかえていた息が、ようやくひとつ落ちた。
◇
――翌日・夕方/龍胆家
学校から帰ると、玄関には夕飯の匂いがうっすら漂っていた。
「ただいまー」
返事はまだ聞こえない。
彰は靴を脱ぎ、そのまま廊下を奥へ進む。
窓の外では、夕陽が庭木の影を長く伸ばしていた。
制服のまま道場へ顔を出そうとして――ふと足が止まる。
「……え?」
道場の窓の向こう。
軒下の壁際へ、見慣れない木の台が据えられていた。
縄は新しく、木肌もまだ淡い。
打ち込み台だ。
彰は思わず縁側へ回り込み、近くまで歩いていく。
板張りの床が足裏へ小さく鳴り、夕方の風が汗ばんだ首筋を撫でた。
そっと木肌へ触れる。
乾いた硬さの奥に、まだ新しい木の匂いが残っている。
一歩踏み込んで横へ立つと、自分の肩くらいの高さだった。
(……あれって、もしかして)
触れた木肌から、じんわり温度が返ってくる。
彰はそのまま玄関へ駆け込んだ。
居間では、父と母が並んでテレビを見ていた。
「庭のやつ! あれって!?」
美咲が笑いながら振り返った。
「お父さんがね、彰が頑張るからって買ってくれたのよ」
「えっ……本当!?」
誠はわずかに咳払いし、少し気まずそうに後頭部をかく。
「……無茶はするな。毎日ちょっとずつでいい」
「ありがとう、父さん!」
誠の口角が、一瞬だけ上がった。
「母さんにも、お礼を言いなさい」
「うん!」
美咲は戸棚の奥から一本の木刀を取り出す。
渡す前に、布で軽く埃を払った。
「こっちは私から。ケガしないようにね」
受け取った瞬間、木刀の重みが、掌へまっすぐ乗った。
彰は思わず木刀を胸の前へ抱え込み、大きく息を吸った。
「ありがとう、母さん! ……父さんも、ありがとう!」
声が、自分でもびっくりするくらい大きく出る。
彰は柄をぎゅっと握り、顔を上げた。
「俺、将来インサイダーになる。父さんと母さんも、守れるようになるから」
美咲は目を細め、隣の誠と小さく視線を交わす。
「ふふ、楽しみね」
「……ああ。頑張れよ、彰」
その言葉が、夕暮れの空気へ静かに溶けていく。
庭では、打ち込み台の影がゆっくり伸び、三人の足元をひとつに繋いでいた。
その夜、初めての素振りで、彰の掌には小さなまめが残った。




