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アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第三節:積み重ねる炎
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第9話:見つかった勇気

――翌日/龍胆家・リビング


夕方のニュースが、居間へ小さく流れていた。


まだ温かい天丼の蓋を開けると、甘辛いタレと揚げたての香ばしさが湯気と一緒に立ち上る。


割り箸を割る音。


エビ天の衣が、さくりと軽く砕けた。


居間には油とタレの匂いが広がっている。


それなのに、次の瞬間にはテレビの見出しへ視線が引き寄せられていた。


『続いては、埼玉県で起きた“林の騒動”についてです――』


画面へ映ったのは、薄暗い林だった。


青いテープと黄色い立て札が、木々のあいだへ張られている。


地面の色を見た瞬間、箸の先が宙で止まった。


そのままアナウンサーの声だけが、静かな居間へ流れ続けていた。


『近隣の住民から“緑色の生物を見た”との通報がありました。インサイダー協会が現場を確認したところ、地面のえぐれや、奇妙な足跡が――』


映像が切り替わる。


杖をついたおじいさんが、帽子を胸に抱えて話す。


「見たんだよ。緑色で、背が曲がってて……牙もあった」


一度、言葉が切れる。


「怖くて逃げたから、その後どうなったかは分からんが……」


帽子の縁を、指がいちど撫でた。


「人間じゃなかったよ」


それ以上、老人の言葉は続かなかった。


帽子の縁を撫でた指が止まり、その視線だけがゆっくり足元へ落ちていく。


画面が切り替わる。


今度は買い物袋を提げた主婦が、どこか落ち着かない様子で声をひそめた。


「ご近所でね、“子どもが倒したらしい”って噂は聞きましたよ」


買い物袋の持ち手を、指がきゅっと握り直す。


「木刀を持った子を見たって人も、いるみたいで」


主婦の目が一瞬だけ外れ、声も少し小さくなる。


「でも、私自身は見てなくて……本当かどうかは、分かりません」


言い終えたあと、微妙な間だけが残った。


美咲の箸が止まる。


誠も、小さく咳をひとつ落とした。


箸を置いた音だけが、やけに大きく聞こえた。


(俺のこと、だよな……)


噛みかけのエビが、急に味を失ったみたいだった。


彰はうまく飲み込めないまま、テレビへ視線を向ける。


次の瞬間、画面には協会職員のジャケット姿が映った。


『現場の状況は、複数の目撃証言とおおむね一致。引き続き警戒を呼びかけています――』


背後では、人の足音と紙をめくる音が重なっている。


美咲が、そっと彰の顔をのぞき込んだ。


「……彰、これ、あなたのことよね?」


美咲が静かに問いかける。


誠は深く息を吸い、そのまま小さくうなずいた。


「大ごとにしたくはないが……隠しようがないな」


叱られているわけでもないのに、足裏へ力が入る。


背中は熱いのに、舌が妙に乾いていた。


テレビの中では、キャスターが原稿から顔を上げる。


『もし本当に“子ども”がモンスターを倒したのだとすれば、これはすごいことですね!』


声が少しだけ弾み、すぐにまた原稿へ視線が落ちた。


『一方、インサイダー協会は先ほど、“先日のダンジョンブレイク討伐作戦で倒し切れなかった生き残りの可能性が高い。再発防止に努める”と発表しています。住民の皆さんは、不用意に近づかないようお願いします』


テロップが切り替わる。


《住宅地近くにモンスターか/協会「生き残りの可能性」》


彰は無意識に拳を握っていた。


膝の上で握った拳へ、じん、と力が沈んでいく。


(守れたんだ。陽菜を――ちゃんと)


握った拳には、まだ熱が残っていた。


誠がリモコンへ手を伸ばし、テレビの音量を少し下げる。


「……注目が集まる。浮かれるな」


低い声が、静かな居間へ落ちた。


彰は反射みたいに背筋を伸ばす。


けれど誠の視線は、責めるみたいなものではなかった。


美咲も箸を持ち直し、小さくうなずく。


「無事で帰ってきてくれて、ほんとうに、よかった」


その言葉を聞いた瞬間、張っていた肩の力が少しだけ抜けた。


湯気がゆっくり立ちのぼる。


重なった皿の音が小さく響き、テレビの光も静かに薄れていった。


その夜。


ベッドへ横になっても、耳の奥の音だけはなかなか静まらない。


(ヒーロー、なれるのかな。俺でも)


薄暗い天井を見つめたまま、小さく息を吐く。


視界の端では、窓から入った光がわずかに揺れていた。


眠気はまだ遠い。


それでも布団の中の指先だけは、不思議と温かかった。



――数日後/学校の廊下


チャイムが鳴った瞬間、教室の戸口へ一気に人が集まった。


「ねえねえ、テレビのやつ、彰なんだって?」


「どうやって倒したの?」


「怖くなかった?」


質問が次々に飛んでくる。


廊下には汗とチョークの匂いが混ざり、ざわめきが絶えず続いていた。


「昨日のやつ、大丈夫? 痛かったら保健室行こうよ」


心配そうな声まで重なる。


彰は少しだけ背筋を伸ばし、困ったように口の端を持ち上げた。


「怖かったよ。でも、陽菜が後ろにいたから……逃げちゃダメだって」


言葉にしたあとも、手のひらにはまだ汗が残っていた。


彰は息を整え、指先だけを軽く開く。


その横で、机の陰から陽菜がそっと顔を出した。


「……うん。ほんとに、ありがと」


小さな声だった。


言い終えると、陽菜はほんの一瞬だけ彰の袖を引く。


離れた指先が、少しだけ名残惜しそうに空をつまんだ。


そのとき、背中側から勢いよく声が飛んでくる。


「やるじゃん、アキ! ヒーローじゃん!」


凱が笑いながら肩を叩いた。


彰もつられて笑い返す。


その少し後ろで、石崎も腕を組んだまま口を開く。


「……スゲーな。本当に倒したんだな」


いつもの調子より、少しだけ静かな声だった。


「いや……たまたまだって」


彰は照れくさそうに頭をかく。


「でも、普通逃げるだろ。あれ」


石崎が苦笑混じりに肩をすくめる。


その横で、凱が拳を軽く突き出した。


「ま、次は俺の番だな!」


彰も笑いながら拳を合わせる。


けれど、触れた位置だけが、なぜか半歩ぶん遠かった。


笑っているのに、凱の目だけが一瞬どこか別の場所を見ている。


彰は気づかないふりで親指を立てた。


「次、凱の番だな。二人で、もっとすごいのやろ」


拳が軽く触れ合った。


そのあとも教室ではしばらく騒ぎが続き、気づけば放課後のチャイムが鳴っていた。


彰と陽菜は並んで校門を出る。


夕方の風が、昼の熱を少しだけ押し流していた。


校門の外にある大型モニターでは、まだ例のニュースが流れている。


《子どもが退けた?/真相は――》


派手な見出しが、揺れる木の葉の影に重なった。


陽菜は鞄の紐を握り直しながら歩いている。


その指先が、ときどき彰の肘へ触れては、すぐ離れた。


(俺は、できる!)


靴底が、地面を少し強く踏む。


歩調を合わせたつもりだったのに、足だけが半拍遅れた。


靴底が縁石へ軽く当たり、小さな衝撃が脛へ返ってくる。


ふとショーウィンドウへ映った自分を見る。


その肩は、ほんの少しだけ前へ出ていた。



――さらに数日後/龍胆家・玄関


夕方、玄関のチャイムが鳴った。


誠が扉を開ける。


そこに立っていたのは、協会のロゴ入りの封筒を持ったスーツ姿の男女だった。


胸元には、インサイダー協会章が光っている。


「龍胆彰君はいらっしゃいますか。先日の件で――協会から“感謝状”をお渡ししたく、本部へのご案内に参りました」


落ち着いた声が玄関へ響く。


その言葉を聞き、美咲も奥から慌てて顔を出した。


「え、ええと……小学生なんですけど……」


同行していた男性職員が、すぐ丁寧に頭を下げる。


「もちろん承知しています。式は小規模で、安全には最大限配慮いたします」


淀みなく続く説明に、美咲が小さく息を飲んだ。


彰は差し出された封筒を受け取る。


厚みのある紙の感触が、指先へやけにはっきり伝わった。


親指で封の縁をなぞる。


指先だけが落ち着かないみたいに、封筒の角を何度も撫でた。


協会のロゴが、夕方の光を受けて静かに浮かんでいた。


「行きます!」


気づけば、一歩前へ出ていた。


「……絶対、行きます!」


足取りが、自然と軽くなる。


その夜。


誠はリビングで電話を耳へ当て、用件だけを短く伝えていた。


「……ああ、焔。協会から“感謝状”の案内があってな。本人はすっかりその気で……。うん、そうだな、行くだけでもいい経験になる。――ああ、助言ありがとう」


電話を切ると、誠は一度だけ口元をゆるめた。


「焔も“協会がしっかり配慮してくれる”って。……彰、お前の勇気を認めてもらえるんだ。誇っていいぞ」


息がふっと抜ける。


「うん。俺、ちゃんと話聞く」


美咲は一瞬だけ眉を寄せ、それから小さくうなずいた。


「緊張しても、ちゃんと深呼吸するのよ?」


手提げ袋へ物がひとつ入るたび、その重さが腕へ少しずつ伝わってきた。

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