第4話:止まった風
木々の隙間から落ちる陽が、背中へまだらに張りついていた。
踏み込むたび、乾いた土と草が靴裏で擦れる。
斜面を吹き抜ける湿った風が汗をなぞり、土と青葉の匂いが息の奥へ残っていった。
遠くでは蝉が途切れず鳴いている。
汗は噴き出しているのに、足取りだけは不思議と軽かった。
「今日、“基地”いじるんでしょ?」
陽菜が、いつものショルダーバッグを揺らしながら隣で弾んだ声を上げる。
肩までの髪が汗で頬へ張りつき、そのたび毛先が小さく揺れた。
「ああ。あれ、もっとすごい基地にしよーぜ」
彰は石ころを軽く蹴飛ばしながら答える。
蹴られた石は前の道でカラン、と乾いた音を立て、草むらへ転がっていった。
今日は凱がいない。
朝、玄関先で「今日は家の用事があって無理」と残念そうに手を振っていた顔が、まだ頭へ残っている。
(ちゃんと、形にしときたい)
次に三人で集まったとき、「おお!」って言わせたい。
そんな小さな意地が、腹の底でじわじわ熱を持っていた。
「でもさー……林、虫いるよね? でっかいやつ。あれ飛んでくるやつ」
陽菜が顔をしかめ、雑草を避けるみたいにつま先で道端をまたぐ。
彰は少しだけ口元をゆるめた。
「この前、凱がさ……陽菜のこと好きな虫いるらしいって――」
「ちょっと!? その話やめて!? 今ここで言う!?」
陽菜がすぐ肩を跳ねさせる。
彰はわざと声をひそめ、そのまま陽菜の頭の上をのぞき込んだ。
「……今も、なんか飛んで――」
「ひゃっ!? やだやだやだっ、いるの!? こわいこわいこわい!」
陽菜は両手で頭を押さえ、その場でぴょんぴょん跳ねた。
髪の先がぱたぱた揺れ、足元で靴がせわしなく鳴る。
「アキのばか! そういうとこだよ!」
陽菜が肩をぶつけてくる。
「はは、ごめんごめん。虫来たら、俺が追い払うって」
彰は笑いながら腕を軽く振ってみせた。
「……ほんと? 約束だからね?」
陽菜が歩幅を合わせるみたいに半歩近づく。
「おう。“虫バリア係”は俺だ」
木刀の柄をくるりと回し、そのまま肩へ担ぐ。
「じゃあ私は見張りやる。変なの来たら言うね!」
言い合いながら、二人はあぜ道の石を避け、背の高い草を手でかき分けていった。
やがて林の入口が目の前に迫る。
草の穂先がすねをかすめ、夏草の濃い緑が道へ影を落としていた。
一歩踏み入れた瞬間、空気が変わる。
さっきまで肌を刺していた日差しが葉に遮られ、まとわりつく熱が少しやわらいだ。
足音は湿った土へ深く沈み、落ち葉の匂いが鼻へ届く。
遠くで鳴いていた蝉の声も、木々のあいだへ反響しながらどこか近く聞こえた。
「やっぱ、ここ落ち着くな」
思わずそうこぼすと、陽菜が笑う。
「うん。アキと凱と三人で見つけたとこだもんね」
木立が途切れ、その先へ丸い光が落ちていた。
太い木の幹を囲むように、板やシートを寄せ集めた“要塞もどき”が見えてくる。
「ほら、見えてきた」
木々の隙間で、屋根代わりの青いシートが風に揺れていた。
日差しに透けた色が、ところどころ褪せて見える。
「きょうは屋根作ろうぜ。雨しのげるくらいの」
「いいね、それ。私、壁に落書きしたい!」
「敵の侵入ルートとか書くやつ?」
「うん、“ここからモンスターが来る!”ってやつ!」
陽菜が楽しそうに両手を広げる。
インサイダークエスト2の話をしているうちに、自然と二人の歩幅も少し速くなっていた。
ゲームの中で何度も走り回った廃街の景色や、敵がどこから来るか考えながら進む感覚が、まだ頭のどこかへ残っている。
話しながら歩いていると、林の奥の“秘密基地”が少しずつ形を見せ始めた。
風が吹くたび、板の隙間から細い光が差し込み、舞い上がった埃が金色に揺れる。
木にロープでくくりつけた板も、歪んだ壁も、屋根代わりの青いシートも、近くで見ると手作り感だらけだった。
ちゃんとしているとは言いづらい。
それでも、彰たちにとっては大事な“拠点”だった。
「うわ、思ったよりちゃんとしてる!」
彰は近づきながら板を軽く押してみる。
ぎし、と木が鳴った。
「ね、すごいよねこれ。凱、絶対よろこぶよ!」
陽菜が嬉しそうにバッグを下ろす。
中から色ペンと折りたたんだ紙を取り出し、そのまましゃがみ込んだ。
「見て見て。“作戦会議ノート”」
胸の前でぱたんと開いてみせる。
「おお……めっちゃそれっぽいな」
彰はのぞき込みながら、木の幹へ背中を預けた。
「今日の予定は――壁の補強、マップづくり、落とし穴のテスト!」
陽菜が指で項目をなぞる。
「落とし穴、絶対俺が落ちる気しかしないんだけど」
「そこは“勇者役”だからしょうがないでしょ?」
彰は笑いながら足元の枝をどけ、そのまま板の端へ体重をかけた。
屋根代わりのシートがわずかにたわみ、ロープがきしりと鳴る。
陽菜はノートを膝へ置き、折り目のついたページを押さえながら色ペンを構えた。
そのあと二人は、秘密基地の補強を始めた。
彰は林の奥から枝を集め、肩へ担いだ板を屋根へ引っかける。
乾いた木屑が腕へぱらぱら落ち、汗で湿った肌へ張りついた。
陽菜は木の幹へ紙を広げ、小石で端を押さえる。
色ペンを動かすたび、白かった余白へ線や丸印が増えていった。
「ここは見張り場所」
「ここ、宝物置き場!」
楽しそうに書き足しながら、陽菜が顔を上げる。
「アキ、そこの枝取って!」
「おーい。これでいいか?」
彰が枝を持ち上げると、陽菜はぱっと顔を明るくした。
「そうそう、それ!」
陽菜の頬がゆるむ。
笑い声に混じって、蝉の声が林の奥まで絶え間なく響いていた。
そのときだった。
蝉の声のあいだへ、不自然な静けさが混ざる。
風が枝葉を揺らしかけ――そこで、ふっと止まった。
足裏へ伝わっていた地面の感触まで、わずかに薄くなる。
陽菜の動きが止まる。
手に持っていた色ペンが、宙で小さく揺れた。
「……あれ?」
声だけが、妙に静かに響く。
「アキ……なんか、変じゃない?」
陽菜が周囲へ視線を巡らせ、そのまま彰の袖をきゅっとつまんだ。
指先がわずかに震えている。
「風……止まった?」
彰が振り返りかけた瞬間だった。
鼻へ刺さる匂いに、息が止まる。
湿った土と落ち葉の匂いに混じって、ざらついた何かが鼻の奥へ残った。
半歩だけ後ろへ下がる。
かかとが土を踏みしめた。
「……なんか、くさい」
声が林の奥へ吸い込まれていく。
陽菜の指が、袖を掴む力を少しだけ強めた。
「アキ……帰ろ。なんか、やだ」
「……」
喉がひりつく。
背中へじわりと汗が浮いた。
耳の奥で、どくん、と鼓動がひとつ跳ねる。
その直後、木立の奥で葉が擦れた。
枝が一本、ミシ、と軋む。
陽菜の肩がびくっと跳ねた。
「……だれか、いる?」
低い枝葉の影が、不自然にずれた。




