第15話:本物への誓い
――夜/龍胆家・居間
居間へ降りると、ほうじ茶の香りがふわりと広がった。
テーブルの向こうには、すでに拓也と玲奈の姿がある。
拓也はソファへ腰掛け、スーツの上着を隣へ置いていた。
ネクタイも少しゆるんでいる。
玲奈は湯飲みを両手で包みながら、美咲と笑って話していた。
「お、来た来た」
玲奈が笑う。
「お疲れさま。大会どうだった?」
その瞬間。
「いやマジで惜しかったんだって!」
凱が勢いよく割り込んだ。
「最後ほんとあとちょっとで! アキが二位のやつ倒して――」
「凱くん、一気に喋りすぎ」
陽菜が苦笑する。
「でも、本当にすごかったんだよ」
拓也と玲奈が顔を見合わせ、思わず笑った。
その様子に、美咲も頬を緩める。
誠は静かに頷いた。
「決勝まで行ったんだって?」
拓也が目尻を下げる。
「すごいな、彰」
そう言って、彰の頭をぽん、と軽く叩いた。
「うん……みんなが、すごかったから」
彰は笑い、視線を陽菜と凱へ向けた。
「アキ、ほんとにかっこよかった」
陽菜が隣で頷く。
「最後、ぎりぎりまであきらめなくて……見てて、ドキドキしたもん」
「おう。あのラスト、俺、生で見ててウズウズしたわ」
凱が腕を組み、鼻を鳴らした。
「俺だったら、絶対突っ込んでた。 止まれねぇんだよ、ああいうの」
彰は思わず笑う。
凱も肩をすくめた。
「でもまあ、よくやったよ。 次は……優勝な」
「お前が言うか、それ」
彰が凱の肩を小突き、凱も笑って軽く肩を当て返した。
笑い声が居間へ広がる。
その様子を見ながら、美咲が微笑んだ。
「……ふふ。三人とも、本当にお疲れさま」
エプロン姿のまま、やわらかく目を細める。
「しかし、決勝まで行くとはな」
誠が湯飲みを置いた。
「途中からだが、配信も見ていた。 最後までよくやった」
「え、父さん、見てたの?」
彰が目を丸くする。
誠はわずかに視線を逸らした。
「……たまたま目に入っただけだ」
そこで玲奈が、会話へ乗るように口を開く。
「そういえば、焔がね」
笑みを深める。
「撮影の合間に、“ちょっとだけだが中継を見た”って言ってましたよ。イメージキャラクターだから、気になったみたいで」
「焔が?」
誠の眉が少し上がる。
「相変わらず忙しいはずだが……そんな時間があったのか」
「凱が、家でずっと喋ってましたからね」
玲奈は苦笑した。
「彰くんがやばい!ってあんまり楽しそうに話すから、焔も“どれどれ”って中継見たみたいですよ」
凱が慌てて遮ろうとする。
「ちょ、母さん! そんな、ずっとってほどじゃ――」
「ずっとだったわよ?」
玲奈があっさり言い切る。
「でも、いいと思うわ。 あんなに楽しそうに話すの、久しぶりに見たもの」
「……そっか」
彰は小さく手を握り直した。
(焔さんも、見てたんだ……)
誠が鼻を鳴らす。
「うるさいくらいに、というのは分かる気がするな」
肩をすくめた。
「騒ぐのは悪くない。 それだけ、面白かったんだろう」
「おい、誠さんまで……」
凱が苦笑しながら抗議する。
そのやりとりに、拓也も思わず笑った。
笑いが一段落したところで、誠がふと口を開く。
「そういえば。前の“事故”、本当に大変だったな」
陽菜が父の顔を見上げる。
拓也はゆっくり頷いた。
「……ああ。正直、あの日のこと……まだ、ところどころ曖昧で」
視線が湯飲みへ落ちる。
言葉を探すように、息を吐く。
「自分でも、夢の中みたいな感じなんです」
拓也は眉間へ浅く皺を寄せた。
「……途中から、夢の中の話みたいで。 自分で話してても、本当にあったことなのか分からなくなる時があって」
握った右手へ、陽菜がそっと触れる。
「……でも」
拓也は息を吐いた。
「こうやって今、陽菜と一緒にいられる。 それだけで、十分すぎるくらいです」
その言葉のあと、居間へ静かな空気が落ちる。
誠も視線を落とし、低く息を吐いた。
「……俺の方も、あんなことがあったが」
少し間を置いて、続ける。
「今こうしていられることが、ありがたいと思ってる」
美咲が横から一歩寄り、拓也と玲奈へ微笑みかけた。
「でも本当に……あの時から、三人が元気に遊べているのが、一番のごほうびですね」
「うん」
陽菜は足を揃え、深く頭を下げる。
「今日はありがとうございました。……アキと一緒にできて、すごく楽しかったです」
「俺もだ」
凱も続く。
「今度は俺ともやろうぜ。 絶対勝つからな」
彰も慌てて前へ出た。
「……来てくれて、ありがと」
少し言葉に詰まりながら、続ける。
「また……一緒に遊ぼう」
「うん!」
「おう!」
三人の声が重なり、居間へ響く。
玲奈が腕時計に目を落とした。
「そろそろ帰ろうか。これ以上遅くなると、明日きついし」
「そうだな」
拓也も頷き、立ち上がる。
そのまま全員で玄関へ向かった。
引き戸が開き、夜の空気が流れ込む。
「それじゃ、また」
「またな。誠さん、美咲さん、ありがとうございました」
「気をつけて」
「またいつでも、遊びに来てね」
拓也と玲奈が先に外へ出る。
そのあとを、陽菜と凱も並んで出ていった。
彰もサンダルを引っかけ、そのまま玄関の外へ出る。
夜風が、熱の残った頬をゆっくり冷ましていく。
門の方へ歩いていく三人の背中が、外灯の明かりに細く伸びていた。
陽菜が途中で振り返り、手を振る。
彰も同じように手を振り返した。
やがて三人の影は角を曲がり、外灯の届かない先へ消えていった。
彰はその場で少し夜道を見つめてから、玄関へ戻る。
「ほら、冷えるから早く入りなさい」
美咲の声が廊下から届いた。
「うん」
彰は靴を脱ぎ、廊下へ上がる。
背後で、引き戸が静かに閉まる音がした。
居間へ戻ると、テレビの音だけが静かな空間へ小さく流れていた。
照明は少し落としてあり、ついさっきまでの熱気が嘘みたいに静かだった。
テーブルの上では、飲みかけの湯飲みからまだ薄く湯気が立っている。
『本日未明、アメリカ・ダラス近郊にて、大規模な爆発事故が発生――』
『現在も原因は不明とされ――』
キャスターの声だけが、部屋の端で淡く流れている。
彰はちゃぶ台の前へ座り、湯飲みを両手で包んだ。
ぬくもりが指先へじんわり広がる。
誠が向かいへ腰を下ろした。
「それで、どうだった」
湯飲みを軽く揺らしながら、彰へ視線を向ける。
「配信は途中から見ていた。だが――お前の言葉で聞きたい」
「うん……」
彰は湯飲みの縁を親指でなぞり、息をひとつ整えた。
肩の力は抜けているのに、背筋だけは自然と伸びる。
「すごく……楽しかった」
その言葉を口にした瞬間、今日の光景が頭の中へ浮かんだ。
ヘッドセット越しに聞こえてきた仲間の声。
勝った瞬間の歓声も、負けた瞬間の静けさも、まだ耳の奥へ残っている。
試合が終わったあと、凱と陽菜が自分のことみたいに興奮して話してくれた姿まで、はっきり浮かんだ。
ヘッドセット越しには届かなかった“応援”が、今はちゃんと届いている。
「最初は、怖かったんだ。ミスしたらどうしようって……」
彰は湯飲みを握り直した。
「でも、二人が“すごかった”って言ってくれて……すごく嬉しかった」
誠は深く頷く。
「一人じゃ……無理だった。作戦とか、考えて……その、みんなで……」
彰の口元が、少しゆるむ。
「負けたのは悔しかったけど……でも……決勝まで行けて、よかった」
美咲がそっと頬を緩めた。
「そう……やりきったって顔で帰ってきたものね。それが、一番うれしいわ」
誠も湯飲みを置く。
「ゲームとはいえ、簡単な戦いじゃなかっただろう」
「うん。全然、思い通りにならない時もあって」
「そこで逃げず、最後までやれた。それだけでも大きい」
そして、誠は一度息を吐いてから続けた。
「……親父も、お前の今日を見たら、きっと笑うだろう」
彰は膝の上で拳を握る。
ほうじ茶の湯気が揺れ、その向こうで巌の笑顔だけがふと浮かんだ。
「……俺、もっと上手くなりたい」
彰は言葉を探しながら続ける。
「前じゃなくてもいい。でも……いてよかったって、思ってもらえるくらい……その……強くなりたい」
美咲がそっと頭へ手を置いた。
「なれるよ」
髪を撫でながら、やさしく微笑む。
「今日だって、そうだったんでしょう?」
誠も深く頷く。
「人と向き合った時間は、全部お前の中に積み重なる。今日も……あの時のことも。全部だ」
彰は肩へ入っていた力をそっと抜いた。
「……俺、いつか本物のインサイダーになりたい」
その言葉に、美咲の手が止まる。
誠も静かに彰を見つめた。
「今日みたいに……じゃなくて」
彰は言葉を探しながら続ける。
「街とか、人とか……守りたいものができた時、前に立てる人になりたい」
ほうじ茶の湯気が、ちゃぶ台の上で静かに揺れていた。
やがて、美咲が細く息を吐く。
「夢を持つのは、とてもいいことだよ」
彰を見つめたまま、続ける。
「でも、それだけ危ない場所に立つってことでもあるの」
誠が腕を組み、そのまま言葉を重ねた。
「だからこそ基礎が大事だ。心体育成流も、勉強も、今日みたいな協力の経験も――全部がお前の土台になる」
そして、わざとらしく咳払いをひとつ。
「……逃げずに続ける覚悟があるなら、俺は止めない」
「ほんとに?」
「ただし」
指が一本、ぴしっと立つ。
「ゲームのやりすぎと夜更かしは許さん」
「……うん」
彰はふっと笑い、美咲も「そうそう」と頷いた。
居間には、ほうじ茶の香りだけが静かに残っていた。




