第8話:始まりの五人
――数日後/放課後/小学校・教室
開いた窓から入る夕方の風が、プリントの端を小さく揺らしていた。
帰り支度を始める声が教室いっぱいへ広がり、彰も机の中へノートをしまいながら小さく息を吐く。
あの日以来。
石崎の取り巻きたちは、ときどき彰へ聞こえるように言葉を投げるようになっていた。
「チーター様帰るってよ」
「野良二十九位マジすげー」
げらげらと笑う声。
彰は苦笑するだけで、最近はあまりあの輪へ近づかなくなっていた。
そのとき。
「……龍胆くん」
彰が顔を上げる。
石崎だった。
後ろには、取り巻きたちの姿もある。
石崎はランドセルを肩へ引っかけたまま、一度だけ視線を逸らした。
「大会、出るみたいだね」
「……え?」
「エントリーリスト見た」
石崎はぶっきらぼうに言いながら、机の端へ軽く指をかける。
「俺らも出るから」
そのあと、少しだけ口元を上げた。
後ろからすぐ声が飛ぶ。
「チート使うなよー?」
「今度は配信載るんじゃね?」
取り巻きたちはいつも通り笑っていた。
けれど石崎だけは、その声に少し眉をひそめる。
「……別に、そこまでは言ってねーだろ」
ぽつりと落ちた声だった。
取り巻きたちは一瞬だけ黙ったあと、すぐまた笑い始める。
彰は少し目を丸くした。
教室後ろ扉が開く。
「アキー、帰ろうぜー」
凱だった。
その後ろから、陽菜も顔を出す。
けれど次の瞬間、凱の動きが止まる。
「……大会?」
陽菜もぱちぱち瞬きをした。
「アキ、大会出るの?」
彰は少し視線を逸らす。
「……誘われて」
「うお、マジかよ!」
凱が一気に声を上げた。
「すげーじゃん!」
「よかったね、アキ」
陽菜も嬉しそうに笑う。
その声につられるみたいに、石崎の視線がふと陽菜へ向いた。
陽菜は彰を見たまま笑っている。
その横顔を見た瞬間、石崎の表情が少し固まった。
ランドセルの肩紐を握る手へ、じわりと力が入る。
「……まあ、負けねーけど」
さっきより、少し強い声。
けれど最後だけ、少し早口だった。
石崎はそう言ったあと、すぐ視線を逸らした。
彰は少し目を丸くしたあと、小さく笑う。
「うん。お互い頑張ろうね」
その言葉のあと、教室の空気が少し止まる。
石崎は小さく鼻を鳴らし、そのまま背を向けた。
「……行こうぜ」
取り巻きたちも、その後ろについていく。
去り際。
石崎だけが、一度だけ振り返った。
その目は、もう前みたいな“チーターを見る目”じゃなくなっていた。
◇
それから数週間。
学校から帰り、宿題と心体育成流を終えたあと。
決まった時間になると、彰はヘッドセットを耳へかけた。
机の上のスタンドライトだけが、夜の部屋を白く照らしている。
ヘッドセットを押し当てると、外の物音が少し遠のいた。
その静けさが、いつの間にか「練習開始」の合図になっていた。
『おつー』
『今日は新マップやろ』
『昨日の反省からね』
たわいない話題も、いつもの調子で軽く弾む。
その時間が、自然に一日の中へ馴染み始めていた。
『今日、学校どうだった?』
『宿題忘れて怒られた』
『自業自得』
笑い声が重なる。
Windが「勉強もしろよ」と苦笑混じりに返した。
Shizuはあまり多くはしゃべらない。
けれど、ひとこと入るだけで空気がすっとまとまる。
『今日、Akira、動き重そうなら早めに言って』
『疲れてるとき、前線の判断ブレる』
「う、うん。大丈夫だけど……気を付ける」
ゲームの話と、日常の話。
マイクを外したあとも、その声はしばらく耳の奥へ残っていた。
(画面の向こうにも、日常があるんだ)
ロビーのチャット欄には、試合募集や雑談が絶えず流れている。
【Neo】:Windってやつら荒らしだろ
【Takeshi】:固定で野良潰して上げてるだけじゃね
そんな言葉まで混ざる中で、誰かが笑い、誰かが試合へ入り、また別の誰かがチームを探していた。
学校へ行く人もいれば、家で怒られてる人もいる。
その合間に、みんな同じゲームへ集まって、同じ勝負へ熱くなっていた。
(俺、今、ちゃんとチームの中にいる)
握っていた力が、ふっと抜ける。
そのころには、ゲーム内のカウントダウン表示も残り一週間へ変わっていた。
《チーム戦グランドトーナメントまで:7日》
点滅していた数字も、気づけば三日、一日と減っていく。
ロビーの空気も、日ごとに少しずつ変わっていた。
チャット欄にはエントリーチームの話題が流れ、「どのマップが苦手か」といった相談まで飛び交っている。
『明日、いよいよ予選だね!』
Melindaの声が、いつもより少し弾んでいた。
『緊張してきた?』
Windが冗談めかして聞く。
『そりゃするよ。公式大会なんて初めてだし』
『オレは楽しみの方が勝ってるかな』
Kainが笑った。
『だってさ、今まで野良でしか暴れられなかったのに、今回は最初から五人で組んで暴れられるんだぜ?』
『言い方』
Shizuが小さく笑う。
彰はモニターの前で、膝の上へ置いた手に少し力を入れた。
(明日、か)
緊張はしている。
それでも――。
(この四人と一緒なら、どこまで行けるんだろう)
モニターへ映る五人の名前から、なかなか目が離れなかった。
『Akira』
Windがふいに名前を呼ぶ。
「はい」
『明日、いつも通りでいいからな。変に気負うなって意味ね』
「……はい」
『俺たちは、Akiraを仲間の一人として呼んだ。だから、八歳でも十歳でも関係ない。いつも通り、前で暴れてくれればそれでいい』
「……分かりました」
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
『じゃ、今日はこのくらいにしとこっか』
Melindaが言った。
『あんまり遅くまでやって、明日眠いとか嫌だし』
『Wind兄ちゃん、ちゃんと寝ろよー』
『お前もな』
『はーい』
軽口が重なり、ひとつずつ回線が落ちていく。
画面の青白い光が、机の端と指先を静かに照らしていた。
《チーム戦グランドトーナメント 予選開始:明日21:00》
点滅する文字だけが、部屋の中へ残っていた。
◇
――大会当日/朝・龍胆家・彰の部屋
窓の外は、薄い雲に覆われた空だった。
雨は降っていない。
けれど、朝の空気にはまだ少し湿り気が残っている。
彰はいつもより早く目を覚ました。
布団から起き上がり、顔を洗う。
そのまま庭へ出て、心体育成流の型をいつも通り繰り返した。
踏み込むたび、砂利がじゃり、と鳴る。
呼吸を整えながら動いているはずなのに、踏み込みだけがいつもより少し浅くなる。
朝ご飯を食べ終え、箸を置く。
指先に、少しだけ余計な力が入っている。
リビングでは、朝のニュースが流れていた。
『ワングル社は本日、新型の魔力回復ポーションを発表しました――従来より回復効率が三割向上し――』
画面の隅に、製品映像が小さく流れる。
そのとき、画面下へL字の速報が走った。
《臨時ニュース:山口県下関でダンジョンブレイクの兆候》
「なんだか、そわそわしてるわね」
美咲が笑う。
「今日……大会の日だから」
「ゲームの?」
誠が新聞から顔を上げた。
「うん。“チーム戦のトーナメント”ってやつ。この前の人たちと、一緒に出ることになったから」
誠と美咲は、一瞬だけ顔を見合わせる。
それから、同時に口元を緩めた。
「そっか。じゃあ、いつも以上に全力で応援しなきゃね」
「姿勢、ちゃんと伸ばしてやれよ」
「……うん」
ふたりに送り出されるみたいな気持ちのまま、彰は自分の部屋へ戻っていく。
階段を上がる足取りは、いつもより少しだけ軽かった。
◇
――大会当日/夜・ゲーム内ロビー
いつもの時間より早く、彰はログインボタンを押した。
ロビーのBGMが、今日は少し違う。
短いファンファーレが鳴り、ヘッドセットの奥で余韻だけが小さく残る。
《チーム戦グランドトーナメント 予選 本日21:00開始》
大きなバナーの下には、エントリーチームの一覧が並んでいた。
彰は思わず息を漏らす。
「……うわ」
そのままフレンドリストを開く。
いつもの名前は、もう全員オンラインだった。
《Wind》
《Shizu》
《Melinda》
《Kain》
チーム用ボイスチャットルーム《AVALON》のアイコンが静かに点滅している。
彰はひとつ息を吐き、背の力を抜いた。
「……行こう」
小さく呟き、参加ボタンを押す。
『お、来た』
『おつー、Akira』
『今日もよろしく』
『やっと五人揃ったね』
それぞれの声が、いつもと同じ調子で耳へ届く。
『じゃ――行くか』
Windの声が、少しだけ真剣になる。
『俺たち五人の、初めての大会だ』
ほんの数秒だけ、VCの向こうが静かになる。
『うん』
『了解』
『暴れよーぜ』
『……勝とう』
重なった声が、自然とひとつの方向へ揃っていく。
(この四人と一緒なら――もっと遠くまで、行ける)
そのとき、小さな通知音が鳴った。
『来た』
Windが短く言う。
ロビー画面の中央へ、新しい表示が浮かび上がった。
《TOURNAMENT CHECK-IN》
『予選チェックイン開始』
『参加チームは制限時間内に確認を完了してください』
「チェックイン……?」
彰が思わず呟く。
『これ押さないと不戦敗になるからね』
Melindaが説明した。
『時間過ぎると、自動で失格』
Shizuも短く続ける。
『だから予選前は、みんな早めに集まるんだよ』
Kainが笑った。
彰は画面中央の《CHECK-IN》ボタンを見る。
『確定するぞ』
Windの声。
次の瞬間、画面が白く切り替わった。
《CHECK-IN COMPLETE》
小さな通知音が鳴り、その表示がロビーの端へ固定される。
ロビーBGMだけが、変わらず静かに流れ続けていた。
視線の端で、カウントが減っていく。
《開始予定:本日21:00》
五つの名前が、同じ位置に並んでいる。
彰はコントローラーを軽く握り直した。
指先へ、じわりと汗がにじむ。
(……始まる)
吐いた息だけが、ゆっくり長くなっていく。
待機時間が、いつもより長く感じられた。




