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アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第二節:本物への誓い
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第3話:見えていた景色

――一週間後/休日/龍胆家・道場


乾いた踏み込み音が、静かな道場へ小さく響く。


夕方の光が、磨かれた床板へ長く伸びていた。


「……っ」


彰は拳を突き出し、そのまま深く息を吐いた。


最後までぶれずに流れた型へ、道場の空気が一瞬だけ静まる。


「おお……」


見ていた門下生のひとりが、小さく声を漏らした。


「やっぱ彰くん、型きれいだなぁ」


「この歳でそこまで軸残るの、すごいよ」


感心した声が重なる中、誠も腕を組んだまま小さく頷く。


「……今のはいい。ちゃんと身体通ってたぞ」


彰は「うん」と頷き、拳を下ろした。


周りから見れば、形は悪くない。


けれど――どこかだけ、まだ噛み合わなかった。


型は崩れていない。


それなのに、拳を引いた瞬間だけ感覚が薄く滑っていく。


(……なんだろ)


その違和感だけが、最近ずっと型の終わりに残っていた。


「くそーっ、俺も!」


凱が勢いよく前へ飛び出す。


「うおりゃっ!!」


そのまま踏み込みながら拳を突き出した。


だが勢いが強すぎて、重心まで前へ流れる。


「ヤベッ」


ぐらり、と身体が傾いた。


「凱くん危ない!」


陽菜が思わず声を上げる。


凱は慌てて踏ん張り、そのまま畳へ手をついた。


「いってぇ……!」


道場へ笑い声が広がった。


「力みすぎだ」


誠が苦笑する。


「ぐぬぬ……!」


凱は悔しそうに拳を握り直した。


「もう一回!」


その横で、陽菜だけは少しだけ彰を見ていた。


ちゃんとできているはずなのに、どこかだけ前と違う。


彰自身はまだ気づいていないみたいだったけれど、陽菜の胸には小さな違和感だけが残っていた。


そのあとも稽古は続き、道場には何度も踏み込み音と掛け声が響いた。


「ありがとうございましたー!」


稽古を終えた門下生たちが、次々に道場をあとにしていく。


大人たちの声が遠ざかり、最後に扉が閉まる音だけが残った。


夕方の風が、開いた窓から道場へ流れ込む。


「ふぃー……。つっかれたぁ……」


凱がそのまま畳へ大の字になった。


「凱くん、途中から叫んでばっかだったよ?」


陽菜がくすくす笑う。


彰は壁際へ座り込み、冷えた麦茶を喉へ流し込んだ。


熱を持っていた身体へ、冷たさがゆっくり広がっていく。


凱が急に顔を上げる。


「あ、そういやアキ! インサイダークエスト2、まだやってんの?」


彰は麦茶を持ったまま、小さく頷いた。


「うん。まあ、普通に」


「おっ、じゃあ見せろよ!」


凱が畳の上をずるっと起き上がる。


「この俺様が、ちゃんと見てやるぜ!」


「なんだよそれ」


彰が吹き出す。


その横で、陽菜も顔を上げた。


「私も見たい!」


「いや、別に見ても面白くないって」


「絶対面白い!」


凱がすぐ言い返す。


「アキ、前からなんか変にうまかったじゃん!」


「ねえねえ、ちょっとだけ!」


陽菜まで彰の方へ寄ってくる。


二人に押されるみたいに、彰は苦笑した。


「……ちょっとだけだからな」


「よっしゃ!」


凱が勢いよく立ち上がる。


「じゃあ行こー!」


陽菜もぱっと表情を明るくした。


道場の窓から入る風が、汗の引いた畳の匂いを揺らしていく。


彰は麦茶を飲み干し、立ち上がった。


三人は勢いよく道場を出る。


夕方の風が庭を抜け、石畳を踏む足音が玄関の方へ続いていった。


「おじゃましまーす!」


先に飛び込んだ凱の声が、玄関へ響く。


その後ろから、陽菜もぺこりと頭を下げる。


「おじゃまします!」


脱いだ靴を揃えてから、陽菜は小走りで二人のあとを追った。


誠が苦笑しながら靴を脱ぐ。


「お前ら元気だな……」


凱はもう上がりかけている。


その奥では、美咲が廊下の向こうから顔を出していた。


「いらっしゃい。陽菜ちゃん――」


けれど、その言葉より少し早く、陽菜がぴたりと足を止める。


「あ、あの……!」


「ん?」


陽菜は両手を胸の前で揃えながら、少し遠慮がちに口を開いた。


「うがいと、手洗いしてもいいですか?」


一瞬、玄関の空気が止まる。


そのあと、美咲がふっと頬を緩めた。


「もちろん」


誠も少し驚いたみたいに目を丸くする。


「……さすが陽菜ちゃんだな」


「拓也さんと雪さんに、ちゃんと言われてるんだろうな」


「えへへ……」


陽菜は照れたように肩をすくめる。


その横で、美咲がくすっと笑った。


「ほら、彰と凱くんも一緒にね?」


「えっ、あ、うん」


彰が頷く。


「ういーっす!」


凱も慌てて靴を揃え直し、そのまま三人で洗面所へ向かっていった。


洗面所からは、水を流す音と子どもたちの声がしばらく続いていた。


「凱くんちゃんと石けん使ってる?」


「使ってる使ってる!」


「絶対使ってないでしょ!」


陽菜の声に、凱の笑い声が重なる。


そのあと三人は廊下をぱたぱた駆けていく。


「凱くん走らないの!」


「だって早く見たいし!」


「転ぶぞー」


彰が苦笑しながら階段を上がる。


二階へ着くころには、陽菜の髪飾りが揺れ、凱はもう先に彰の部屋の前まで飛び出していた。


「っしゃー!」


凱が部屋へ入るなり、勢いよく床へ座り込む。


陽菜は慣れた様子でベッドの端へ腰を下ろした。


「なんか久しぶりだね、アキの部屋」


「前はよく来てたじゃん」


「だって最近、道場ばっかだったし」


陽菜が首を傾げる。


彰は苦笑しながら椅子へ座り、端末を起動した。


《INSIDER QUEST Ⅱ》


起動音が部屋へ流れる。


そのタイミングで、廊下の向こうから足音が近づいてきた。


「はいはい、おやつ持ってきたわよー」


美咲がトレーを持って部屋へ入ってくる。


机の上へ並べられたのは、どらやき、ポテトチップス、冷えた麦茶。


その横には、小さなおしぼりタオルまで置かれていた。


「わーっ!」


陽菜の顔がぱっと明るくなる。


「ありがとうございます!」


ぺこりと頭を下げる横で、凱も身を乗り出した。


「うまそー!」


「美咲さんありがとうございます!」


「はいはい、ゲームする前に手拭いてね」


「はーい!」


陽菜はさっそくおしぼりを手に取り、丁寧に指を拭き始める。


彰も苦笑しながら麦茶へ手を伸ばした。


「ありがと、母さん」


「どういたしまして」


美咲は三人を見回し、小さく目元を緩めた。


部屋の空気が、少しずつやわらいでいく。


その横で、凱だけはもうポテトチップスへ手を伸ばしていた。


「うまっ!」


「はやっ」


彰が呆れたみたいに笑う。


そのまま自分もどらやきをひとつ手に取り、包装を開いた。


甘い匂いが広がる中、彰はそのまま机の前へ座る。


端末の電源を入れると、モニターの青い光が部屋へ淡く滲んだ。


陽菜は麦茶を両手で持ったまま、じっと画面を見ている。


凱はポテトチップスを頬張りながら、もう身体ごと前へ出ていた。


「早く早く!」


「はいはい」


彰が苦笑しながらコントローラーを握る。


《INSIDER QUEST Ⅱ》


ロビー画面が開く。


凱が後ろから覗き込んだ、その瞬間だった。


「……は?」


画面隅の数字を見て、凱の動きが止まる。


《全国ランキング:32位》


「……え?」


陽菜も思わず画面を見る。


凱がゆっくり彰の方を振り返った。


「お前……三十二位!?」


「う、うん」


「いや待って待って!!」


凱の声が一気に大きくなる。


「石崎より全然上じゃねーか!!」


「えっ!? ほんとだ!」


陽菜まで机の方へ身を寄せた。


「ねえ、すごくない!? アキそんな上だったの!?」


彰は居心地悪そうに肩をすくめる。


「なんか……気づいたら上がってた」


「気づいたらで三十二位になるか!!」


凱がばんばん机を叩いた。


「なあ早く! プレイ見せろよ!!」


「私も見たい!」


彰は苦笑しながらコントローラーを握り直す。


「……じゃあ、一戦だけな」


《MATCHING》


画面が切り替わり、カウントダウンのあと、戦場が開けた。


彰のアバターが瓦礫地帯へ滑り込む。


「うお、速っ」


凱の声が落ちる。


彰は遮蔽物を使いながら位置を変え、そのまま敵視界の外側へ回り込んだ。


敵が振り向くより先にスキルを叩き込む。


《1 KILL》


「今の、狙ってたのかよ!?」


凱が思わず叫ぶ。


彰は返事をしない。


視線だけが画面へ固定されていた。


敵の位置も、味方の動きも、スキルの回転も――全部を同時に追っているみたいに、指だけが先に動いていく。


「いや、今のタイミングおかしくね?」


凱が呆然と呟く。


陽菜は前のめりになったまま、視線をまったく離せなかった。


「すごい……。アキ、どこ見てるの……?」


敵が三人、一気に流れ込んでくる。


体力ゲージが赤く点滅した。


その瞬間、彰は横へ滑るように位置を変え、角をひとつ挟んだ。


追ってきた敵が一人だけ前へ出る。


直後、背後でスキルが弾けた。


《DOUBLE KILL》


気づけば、数が逆転している。


「は!?」


凱が完全に固まった。


「お前……さっきから敵の裏ばっか取ってるぞ。何回目だよ……」


対戦を重ねるほど、二人の声もどんどん大きくなっていく。


「うわまた来た!」


「今の避けた!?」


「え、そこで入るの!?」


彰は何も答えない。


視線を画面へ向けたまま、指だけが静かに動いていた。


敵が動くより少し早く、身体の方が先に反応してしまう。


気づけば、そこへもう剣が置かれていた。


「今の、なんで分かったんだよ……」


凱の声が、少し遅れて落ちる。


陽菜も頬を赤くしたまま笑った。


「ねえ、今のとこ全部勝ってない? アキ、プロみたい……」


「プロって……そんな大げさな」


彰が苦笑する。


けれどその間にも、リザルト画面の順位表示がまたひとつ動いていた。


《29》


凱の動きが止まる。


「……いや、もう絶対おかしいってお前」


「そんなことないって」


「あるわ!」


凱が思わず立ち上がった。


「石崎よりめっちゃ上じゃん! やっば! 俺、三十二位のダチとか鼻高ぇんだけど!」


「二十九位ね」


陽菜が小さく訂正する。


「えっ、また上がったの!?」


凱が慌てて画面を見直した。


陽菜もその横で、じっと彰を見ている。


「……すごかった」


ぽつりと漏れた声は小さい。


けれど、向けられた視線だけはまっすぐだった。


「アキ、ほんとにすごいんだね」


彰は照れくさそうに頭をかく。


「いや、たまたまだって」


「絶対違う!」


凱がすぐ言い返した。


「お前なんか、来る場所分かってるだろ! 途中から見えてたもん!」


「見えてないって」


「いや絶対見えてる!」


笑い声が重なる。


そのときだった。


「……あれ?」


彰が小さく眉を寄せる。


こめかみが、ずきりと痛んだ。


ほんの一瞬だけ。


けれど、気づけば肩も少し重い。


長時間走ったあとみたいに、肩から力が抜けていく。


「どうした?」


凱が首を傾げた。


「いや……なんか、ちょっと疲れた」


「はぁ?」


凱が思わず目を丸くする。


「お前、座ってゲームしてただけだろ」


「私も思った」


陽菜がくすっと笑った。


「アキ、途中から全然しゃべってなかったもん」


「集中しすぎたんじゃね?」


凱が肩をすくめる。


彰も苦笑しながら首を回した。


「かも」


こめかみの痛みは、もうほとんど残っていない。


けれど妙な疲労感だけは、椅子から立ったあとも静かに残っていた。


気づけば、窓の外はもう夕方の色へ変わっていた。


カーテンの隙間から入るオレンジ色の光が、机の端へ長く伸びている。


時計を見ると、針はもう十六時を回っていた。


「あっ、もうこんな時間!」


陽菜が立ち上がる。


「やば、帰んねーと!」


凱も慌ててポテトチップスの袋を閉じた。


彰はコントローラーを机へ置き、そのまま二人を玄関まで見送る。


「じゃーな、アキ!」


「また明日ね!」


陽菜が手を振る。


彰も笑いながら振り返した。


「うん。またな」


玄関の扉が閉まる。


さっきまでの笑い声が消え、家の中へ静けさが戻った。


彰はそのまま、自分の手を見る。


コントローラーを握っていた指先には、まだ熱が残っていた。


『すごかった』


『鼻高ぇんだけど!』


昼間から何度も聞いた言葉が、胸の奥で揺れる。


気づけば、口元が少し緩んでいた。


(……なんか、悪くないかも)


窓の外では、夕方の風が静かに街を抜けていた。

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