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アウトサイダー  作者: 君島極
第一章:灯が消えない場所 | 第一節:灯るもの
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第15話:残された構え

――次の日


「行ってきまーす!」


服の襟を直しながら、陽菜が玄関から顔を出した。


その後ろから、ランドセルを背負った凱が大股で上がり込んでくる。


「よっ、アキ、行くぞ!」


「ちょ、ちょっと凱くん、靴! 靴脱いで!」


美咲の声に、凱が「あっ」と慌てて振り返った。


靴を半分脱ぎかけたまま立ち止まり、陽菜が呆れた顔でそれを揃えていく。


彰はランドセルの肩紐を握ったまま、小さく口元をゆるめた。


「相変わらずだね、凱」


「うるせ。オレはスピード重視なんだよ」


「だからって、そのまま上がるのは違うでしょ!」


陽菜が靴を揃えながら言い返す。


「ありがと、陽菜ちゃん。行ってらっしゃい」


美咲が笑いながら三人を見送った。


「行ってきます!」


三人で声を揃え、そのまま玄関を飛び出す。


外へ出ると、春の風がまだ少し冷たかった。


伸びた影の間を、登校中の子どもたちの声が重なっていく。


角を曲がった先では、腕章をつけた近所のおじさんが立っていた。


見慣れない灰色のベスト姿のまま、手元の紙へ目を落としている。


彰たちへ気づくと、おじさんは顔を上げ、三人の顔を順番に確かめるように目を細めた。


「おはよう、みんな。今日も気をつけて行くんだぞ」


「おはようございます!」


三人で頭を下げると、おじさんはようやく力を抜いたみたいに笑った。


「物騒なニュースも多いからな。なるべく三人で一緒に帰るんだぞ。 何かあったら、すぐ大人のところに来なさい」


「はい!」


返事をしながら、彰はちらりと家のほうを振り返る。


増えた鍵と、窓際の小さなプレートが朝の光を受けてかすかに光っていた。


「ねえねえ、聞いた? 今日の給食、カレーなんだって!」


陽菜が楽しそうに手を広げる。


「マジか。カレーは正義だな。おかわり勝負な、アキ!」


「いいよ。負けないから」


彰も小さく笑った。


まだ小さな引っかかりだけが残っている。


それでも学校へ着けば、授業も休み時間も、いつも通り流れていった。


陽菜の笑い声と、凱の騒ぐ声が教室へ重なり、白いチョークの音まで途切れず続いている。


窓の外には、何事もなかったみたいに青空が広がっていた。



――放課後/帰り道


校門を出ると、夕方の風が少し冷たくなっていた。


門の外には、腕章をつけた大人たちが点々と立ち、低学年の列を静かに見守っている。


その横を、彰たちは三人並んで歩いていた。


「なあなあ、今日さ、道場行ってもいい?」


凱がランドセルを揺らしながら言う。


「うん。お父さん、最近またみんなに教え始めたし」


彰が答えると、陽菜も嬉しそうに顔を輝かせた。


「私も行っていい? おばさんのご飯の匂い、好きなんだよね」


「陽菜、だろ? オレも好き。巌さんの味噌汁、すげーうまかった」


そこまで言って、凱の口が一瞬止まる。


「……巌おじさん」


陽菜の声が、少しだけ沈んだ。


さっきまで重なっていた三人の声が、そこで一度途切れる。


歩幅だけが静かに揃ったまま続いていた。


「ね、アキ……ひとつ、聞いてもいい?」


「なに?」


「この前……その……いなくなっちゃった時」


陽菜は言いかけて言葉を飲み込み、ランドセルの紐をぎゅっと引き寄せた。


その動きにつられるみたいに、彰も肩紐へ指をかけ直す。


「先生たちがさ、“悪いモンスターが関わってるかもしれないから、ひとりで歩いちゃだめ”って……ずっと言ってて……」


凱も、さっきまで揺らしていたランドセルを背中へ引き寄せた。


「さっきさ、近所のおじさんが、“龍胆んちの子が誘拐された”って言ってて……」


その瞬間、三人の間へ流れていた空気だけが少し固くなる。


「……そんときさ。こわかった? なんか……おぼえてる?」


真正面からではなく、目線を外したまま凱が言う。


彰は少しだけ歩幅を狭めた。


まぶたの裏で、白い光だけがちらりと揺れる。


誕生日の夜の景色が、断片みたいに浮かんだ。


ロウソクの火。

ゲームの画面。

陽菜の笑い声。


そこまでは思い出せる。


けれど、その先だけが白く途切れたまま繋がらない。


「……覚えてない」


無意識に、ランドセルの肩紐へ手が伸びていた。


「気づいたら……お寺にいて。みんなが泣いてて。あとで、いろいろ聞いただけ」


「“悪い人”とか、“モンスター”とか……見てないの?」


陽菜の声が途中で少し揺れる。


「うん。何も。ただ、白い光と……なんか、すごく怖かった感じだけ残ってて。だから、余計によく分かんない」


歩きながら揺れていた手だけが、途中で静かに止まった。


「……そっか」


陽菜はランドセルの紐を握ったまま、少しだけ目を伏せる。


「私のお父さんもね。いま入院してるの」


「え、拓也さん、なんかあったの?」


凱が思わず振り返る。


「しゅっちょう? の時に、爆発に巻き込まれてケガしちゃったみたい」


陽菜は少し曖昧な顔のまま答えた。


「……そっか」


彰は小さく息を吐く。


「“誘拐された”って言われてもさ……なんか、テレビみたいで……」


凱はしばらく黙っていた。


そのあと、ふっと息を吐く。


「……そっか。じゃあオレら、“あのときさー”って、あんま聞かねーわ」


凱は頭の後ろで手を組み、そのまま顔をそらした。


口元の力だけが少し抜けている。


「うん。ありがと」


陽菜も、こくりと頷いた。


「でもさ……こわくなったら、手つなぐ? 帰りだけでも」


「小学生男子にそれ言うなよ」


凱が照れ隠しみたいに鼻を鳴らす。


「じゃあ、三人で並んで帰ろっか」


陽菜は歩調をゆるめ、そのまま二人の間へ入った。


それだけで、ばらけていた足音がまた同じ速さへ揃っていく。


「巌さん、すごかったよなー」


凱がぽつりと呟く。


「最初見たときさ、“マンガから出てきた師匠”かと思ったんだよな。素手でミット受けてもビクともしねーし、組手しても誰も勝てねーしさ」


「……うん」


彰も小さく頷いた。


それだけは、迷わず言えた。


「なあアキ」


凱がふいに声を落とす。


「お前、道場のこと……これからどうすんだ? 心体育成流ってさ、巌さんのだろ?」


「……」


「前、言ってたじゃん。“インサイダーになって、じいちゃんや親父みたいになる”って」


陽菜も、そっと彰の顔を覗き込む。


「うん……アキが続けてくれたら、きっと巌さん、喜ぶと思う」


二人の言葉が、そのまま届く。


「……わかんない」


彰は小さく、それだけを言った。


「え?」


凱が目を丸くする。


「わかんないって……なにが?」


「じいちゃんのこと、嫌いじゃないし……すごいって思ってたのは、ほんとで。 インサイダーになりたい気持ちも……なくなってないと思うんだ」


言いながら、自分の胸に手を当てる。


「でも……今、じいちゃんのこと考えるとさ。前みたいにさ、“すごい”とか、“なりたい”とか、“さみしい”とか…… なんか出てこなくて 」


言葉が落ちたあと、三人の足が一瞬だけ止まった。


彰は遅れて、自分の口へ触れる。


言葉にした瞬間、足がその場で止まった。


凱は眉をしかめたまま、じっと彰を見ていた。


「そっか……オレ、巌さんのこと、すげー好きだったけどさ……もしオレのじいちゃんが“いきなり”いなくなったらさ……頭ん中、ぐちゃぐちゃになる気がするし」


「……」


「悲しいって、あとから来ることもあるんじゃねーの。よく分かんねーけど」


陽菜は、そっと彰の袖をつまんだ。


「ね、アキ。今さ、無理して答えなくていいよ」


陽菜は歩幅を落とし、彰と同じ速さになるよう隣へ並ぶ。


つまんだ袖だけは、そのまま離さなかった。


「……」


「わたしも……巌さんのこと、大好きだったから。なんか……どう悲しんでいいのか、まだよく分かんないし」


泣いたあとの赤さが、まだ陽菜の目元へ少し残っていた。


それでも、彰を見ると小さく笑おうとしてくれる。


「だから……話したくなったら、教えて? わたし、聞くから」


「オレも」


凱が小さく頷いた。


「心体育成流とか、インサイダーとかさ。そーいうのは、アキが“やりたい”って思った時でいいだろ」


「……うん」


陽菜と凱と話している間だけは、ちゃんと落ち着いていられる。


そこには何も欠けていない。


ただ、“巌”のところだけが静かに抜け落ちたままだった。


「じゃ、とりあえず今日はさ、道場行って汗流してさ。そのあと、ゲームやろーぜ」


凱がいつもの調子へ戻る。


「Z-FORCE、オレまだあのクエストクリアしてねーし」


陽菜も笑って頷いた。


「じゃあ、終わったらアキの家行こっか。おばさんにも会いたいし」


「……うん。ありがとう」


声は、途中で詰まらなかった。


三人の影が並び、そのまま夕方の道へ長く伸びていく。


西へ傾いた陽が街を橙色へ染める。


いつもの道を歩き、見慣れた門をくぐる頃には、道場の窓から灯りが漏れ始めていた。


入口を開けた瞬間、畳の匂いがふわりと鼻をくすぐる。


中には、すでに門下生たちが集まっていた。


中学生くらいの少年もいれば、仕事帰りらしい大人の姿もある。


近所のおじさんまで、いつものように道着へ着替えていた。


道着姿のまま遺影へ手を合わせ、静かに列へ戻っていく。


誠は、いつもの道着姿で前へ立った。


目元の疲れは抜けきらない。


それでも背筋だけは真っ直ぐだった。


「……では、始めよう。礼」


「「お願いします!」」


声が一斉に響き、道場の空気が静かに締まる。


彰は白い道着を着て、列の端へ立っていた。


隣には凱がいる。


見学席では、陽菜が座布団の上で身を乗り出したままこちらを見つめていた。


彰が拳を突き出すたび、陽菜の呼吸まで小さく止まる。


「基本構え」


誠の声に合わせ、拳が顎の前で止まる。


踏み込みへ腰が遅れてついてきた。


目を閉じると、畳の軋みと拳が空気を切る音だけが遅れて浮かんでくる。


――でも。


(言葉は出るのに、じいちゃんのところだけ、引っかかる)


視線の奥で、手を伸ばしても届かない感覚だけが残った。


『いいぞ』


『まだまだだ』


その言葉は覚えている。


それなのに、声の響きだけがどうしても浮かばなかった。


「正拳突き、二十本! はじめ!」


誠の号令とともに、皆が一斉に突きを放つ。


「はっ!」


「はっ!」


短い掛け声と風を切る音が、道場の中で規則正しく重なっていく。


彰も拳を突き出した。


肩の力が抜け、腰が自然にひねられる。


拳は迷いなく前へ伸びていった。


動きは、ずれない。


巌に直されたときと同じ軌道で、身体だけが勝手に動いていく。


――それなのに。


(……何かが、違う)


拳を重ねるたび、どこかだけが妙に噛み合わなかった。


息を吸うタイミングまで、どこかひと拍ずつ遅れていく。


「アキ?」


隣で凱が小さく囁いた。


「大丈夫か?」


「……うん。大丈夫」


見学席では、陽菜がじっとこちらを見つめている。


膝の上へ重ねた指だけが、小さく強くなっていた。


「そこまで!」


誠の声が飛ぶ。


「彰」


名前を呼ばれた瞬間、背中がひくりと跳ねた。


拳へ入っていた力が、そのまま抜けていく。


彰は畳へ視線を落とす。


「……はい」


「今日は、ここまでにしておけ」


「え……?」


「体調が悪いのか、それとも……気持ちか。どちらにせよ、“今”無理に続けるのは違う」


誠の声は厳しかった。


彰は小さく呼吸を整え、それから短く頭を下げる。


「……ごめんなさい」


「謝ることじゃない。ただ……」


誠は言いかけて、一度口を閉じた。


少し息を吐いてから、静かに続ける。


「また、明日構えればいい」


その言葉に、彰は小さく頷いた。


(また、明日)


拳を開こうとしても、指だけがまだ強張ったままだった。


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