第9話:描き始めた線
――放課後/インサイダー養成学校・廊下
あれから一週間。
放課後の訓練は、四人で行うのが当たり前になっていた。
一日の訓練を終えた生徒たちが三々五々帰路につく中、今日も彰は工具袋を抱えたツムギと並び、訓練場へ向かっていた。
足を踏み出した、その瞬間――
視界の先で、自分自身がよろめく姿が一瞬だけ脳裏を掠める。
壁へ手をつく光景まで見えたところで、踏み出しが半拍ずれた。
(……は?)
理解が追いつくより先に――
「……っと」
鋭い衝撃が横から入り、体勢が崩れる。
壁へ手をつき、ようやく身体が止まった。
その直後、鼻で笑う声が耳に届く。
「悪いな。ああ、落ちこぼれ君か。まだ続けてたのか」
六菱征四郎。
顎をわずかに上げ、冷たい瞳で彰を見下ろしている。
その態度は、存在そのものを否定するかのようだった。
「……わざとだろ」
睨み返すが、征四郎は愉快そうに口の端を吊り上げる。
「は? 何の話だ? ただ歩いていただけだよ。気をつけろよ、落ちこぼれは足元まで不器用らしいから」
一瞬、視界の輪郭が歪み、脈だけが嫌に強く跳ねた。
握った拳へ力が入り、その熱が抜けない。
それでも、もう逃げたくはなかった。
息を詰め、肩の力だけを落としながら、込み上げる衝動を腹の奥へ押し沈める。
「……っ」
喉の奥で、押し殺しきれなかった声が漏れた。
(ここで手を出せば、問題になる)
横にいたツムギが、不安げに彰を見上げる。
沈黙を守るしかない彰を見て、征四郎は嘲るように口元を歪めた。
「……せいぜい気をつけろよ。落ちこぼれ君」
挑発を背中へ受けながら、彰はそのまま訓練場へ足を進める。
数歩進んだところで、ようやく詰まっていた息が抜けた。
(……さっきの、なんだ?)
違和感だけが、頭の片隅に残り続けていた。
◇
――夕方/インサイダー養成学校・訓練場
金属が打ち合う鈍い音が響く。
西日が差し込み、赤く染まった空が窓の外へ広がっていた。
その光を受け、彰の拳へ装着されたガントレットが鈍く光を返す。
拳を振るたび、重さとわずかな遅れが腕へ残った。
風や闇の魔力を流そうとしても、どこかで感覚が引っかかる。
「……これじゃ、本当に落ちこぼれのままじゃないか」
吐き出した声のあと、胸の奥に鈍い圧だけが残る。
発動寸前で魔力の軌道が逸れ、狙った形にならない。
そのたびに、さっきの征四郎の嘲笑が頭の奥で繰り返された。
息を吐いた、その時。
「ねぇ、それ、武器のせいじゃない?」
背後から声が届く。
振り返ると、ツムギが工具バッグを肩へ掛けたまま、眉を寄せて彰を見ていた。
「……武器のせい?」
「ずっと見てたけど、彰くんの動きはすごく綺麗なんだよ。でも、そのガントレット……全然合ってない」
ツムギは歩み寄り、彰の前腕を両手で支えるように持ち上げた。
わずかに沈んだその反動に、彼女の目が一瞬だけ止まる。
動きが止まるたび、眉間にシワが寄る。
まるで内部の重心を確かめるような集中だ。
「まず重すぎるし、設計が大雑把。俊敏な魔力操作には向かない」
ツムギは一度言葉を切り、ガントレットの外装に指先を当てた。
金属を確かめるように、継ぎ目をなぞる。
「特に“風”や“闇”は感覚に直結する属性だからね。装備が噛み合わないと、体感そのものが狂う。だから、魔力の走りまで安定しなくなるんだよ」
ガントレットの内側で、金属が擦れる音がした。
「……そこまでは気づかなかったな」
ためらう気配はなく、言葉だけがまっすぐ出た。
彰は低く息を吐く。
「……つまり、俺の魔力に“合ってない”ってことか」
「うん。例えるなら“小さすぎる靴”で全力疾走するようなもの。走れるわけないでしょ?」
ツムギは拳を握ったまま、一歩前へ踏み出した。
「だから、わたしに作らせて! 彰くん専用の、“本当に戦える”武器を!」
喉で空気が引っかかり、次の息が遅れた。
「……俺の、ために?」
「うん! サイズも回路設計も、魔力の流れも、全部カスタムする。風も、闇も通る、設計にして、“最高の武器”にするから!」
「……そんなこと、本当にできるのか?」
「できるよ!得意なんだ、こういうの!」
夕日に照らされた笑顔が、きらめいて見えた。
その笑顔に、征四郎の言葉が不思議と薄れていく。
「それじゃ。頼むよ」
一瞬、頭の中で現実が引っかかる。
「でも……正直、その……金の話が――」
ツムギが即座に首を振る。
「いいの! 今回はわたしがやりたいだけだから! 絶対、最高のやつにしてみせる。楽しみにしてて!」
後ろで見ていたバンリが、肩をすくめた。
「いいなそれ。オレのも頼めるか?」
「順番だね! まずは彰くんから!」
ツムギが振り返りもせずに答える。
リアンも小さく頷いた。
「……では、僕の分もいずれお願いしたいところです」
「おいおい、列できてんじゃねぇか!」
バンリが笑う。
その声につられるように、彰も思わず口元を緩めた。
重なった笑い声に、張っていた空気がひとつ軽く跳ねる。
ツムギは工具バッグを抱え直すと、そのまま軽やかに駆け出した。
小さな背中が夕焼けの中を抜け、遠ざかっていく。
――この日から、“彰専用の武器”を作るための時間が動き始めた。
その光景を、少し離れた場所から凱は見つめていた。
壁際へ寄り、ガラス越しの訓練場へ静かに目を向ける。
模擬剣を納める音が次々に響き、夕方の光が床を橙色へ染めていく。
中央では、彰を囲むようにリアン、バンリ、ツムギの三人が肩を並べていた。
ツムギが笑いながら工具を差し出し、バンリが何かを言って豪快に笑う。
その横で、リアンが穏やかに頷いていた。
彰はその輪の真ん中で、汗を拭いながら小さく笑っている。
その笑顔の近さだけが、やけに遠く見えた。
凱は小さく息を呑む。
(……なんでだよ)
飲み込めない熱だけが、胸の奥へ残った。
(俺たち、親友だろ……陽菜だって、心配してるのに)
吐き出したい気持ちが喉につかえたまま、音にならない。
ガラス越しに、誰かの笑い声だけが遅れて反響した。
ほんの数日前――高田先生が何気なく口にした言葉が、まだ頭の奥に残っている。
『龍胆は武器選択を変更した。剣術から格闘術に移行するとの届けが出ている』
その一言が、胸の底へずしりと沈んだ。
問いかける言葉が浮かばないまま、時間だけが過ぎていく。
気づけば授業が終わり、また声をかける機会だけを逃していた。
爪が掌へ食い込み、息が喉の奥で止まる。
夕焼けが傾き、ガラス越しの光が彰の背中を照らす。
一歩踏み出そうとしても、足だけがその場へ残った。
凱はそっと手を開く。
指先に残った爪の跡だけが、じわりと痛む。
夕映えが床を滑り、足元で淡く揺れた。
凱は動けないまま、その光だけを見送った。
◇
――夜/ロックウェル家・ツムギ自室
ツムギは工房の机へ頬杖をつき、ランプの光に照らされた設計図を見つめていた。
散らかった紙と金属片。
半分開いた工具箱から、オイルの匂いが薄く漂っている。
窓の外では、遠くの街灯が点々と瞬き、夜風が工具棚をかすかに揺らしていた。
頭の中には、訓練場で見た彰の姿が何度も浮かぶ。
荒い息。
既製品のガントレットを握りしめる手。
それでも他人を庇って前に出た、あの背中。
「……やっぱり、かっこよかった」
小さく呟く。
気づけば、図面の端へ同じ名前を何度も書きかけていた。
(……どうしてこんなに、胸がざわつくんだろう)
ランプの芯が小さく鳴る。
その音を聞きながら、ツムギはゆっくり息を吐いた。
(あんな人に……私も応えたい)
彰が既製品ガントレットを見下ろし、悔しそうに吐いたため息。
その光景が、まだ胸の奥に残っている。
ツムギはランプの光を反射する金属パーツへ指先を滑らせた。
冷たい感触が、背負うものの重さをゆっくり伝えてくる。
図面の端へ指が止まる。
「……絶対、作る」
声は小さい。
けれど、迷いはなかった。
「どんな魔力でも受け止めて、彰くんが“本当の力”を出せる武器」
言い切ったあとも、ツムギはしばらく図面を見つめ続けていた。
その端には、彼女だけが知る小さなメモが記されている。
──《Project A》
その“A”が意味するのは、ただひとりの名。
――Akira。
ツムギはペンを握り直し、真っ白な紙へ新しい線を引き始めた。
夜は深くなる。
ペン先は止まらず、新しい線だけが紙の上へ増えていった。




