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アウトサイダー  作者: 君島極
第三章:交差する運命 |  第三節:本当の自分と、新たな「武器」
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第6話:半歩先の世界

――休日の午後/龍胆家・道場


彰は実家の道場に立っていた。


木の香り。


足裏へ伝わる床板の冷たさ。


壁へ並ぶ古びた木刀や写真まで、何も変わっていない。


寮には入らず、自宅から学校へ通っている。


だから、この場所だけは幼い頃のままだった。


他の同級生たちが休日を休養や自主練へあてる中、彰は今週も畳の上へ立っていた。


ただ一つ違うのは――今、誠の指導で心体育成流を一からなぞり直していることだった。


「足の構えが甘い。もう一度!」


「……っ、はい!」


裸拳で構え、踏み込む。


防御から反撃まで、幼い頃に嫌というほど繰り返した基礎を、今は血が滲むまで叩き込まれていた。


裂けた拳へ熱が走る。


目の焦点がぶれ、畳の目だけが黒く歪んだ。


それでも誠の拳は容赦なく迫ってくる。


体格も筋力も、今の彰の方が上なはずだった。


なのに踏み込みは先に塞がれ、距離感も呼吸も、すべて先を取られてしまう。


「くそっ……全然通じねぇ……!」


畳へ叩き落とされた衝撃が、背中の奥まで突き抜ける。


荒い呼吸のまま、それでも彰はすぐ構えを取り直した。


踏み込み、打ち込み、崩される。


次の瞬間には、また畳へ落とされている。


立ち上がるたび足裏の感覚が薄れていく。


それでも膝へ手をついて息を吐き、彰はもう一度だけ前を向いた。


(それでも……!)


歯を食いしばり、踏み込んだその瞬間だった。


誠の拳が、真正面から迫る。


避けきれない。


そう理解した瞬間、体が勝手に動き始めていた。


「――っ!」


視界が大きく揺れる。


音だけが遠のき、踏み込んだ畳の感触が遅れて足裏へ返ってくる。


迫っていたはずの誠の拳との距離だけが、不自然なくらい遠かった。


背後で畳が軋む。


汗の一滴は、まだ空中へ張りついたまま落ちてこない。


時間の流れだけが、どこか噛み合っていなかった。


(……今だ)


彰は半歩だけ身体をずらした。


足裏一枚ぶんの差で、誠の拳が横を抜けていく。


その瞬間、景色の流れだけが変わった。


素手の正拳突きが、迷いなく誠の脇へ突き抜ける。


「っ!」


誠の身体が半歩だけ後ろへ揺れた。


避けられた。


そう理解した瞬間、踏み替えた足裏へ遅れて畳の感触が戻ってくる。


次の瞬間、頭の奥へ鋭い痛みが走った。


膝から力が抜ける。


視界の端が白く跳ね、口の奥へ金属みたいな感覚だけが残った。


「……っはぁ……!」


肩を震わせて荒く呼吸し、手を押さえ込む。


「……おい、今のは……なんだ?」


彰はすぐに答えられなかった。


言葉が引っかかり、息だけが先に漏れる。


こめかみの奥で、さっきの感覚が脈打っていた。


「……初めてじゃない。子どもの頃にも、何度か……変な感じになったことがあった」


肩で息をしながら、言葉を探す。


「この前のダンジョンブレイクでも……同じで。周りは止まっているみたいで……俺だけ、動ける、みたいな……」


言い終えきれず、息を吐いた。


誠は腕を組み、畳を見下ろしたまま動かない。


「……なるほど」


やがて顔を上げ、彰を見る。


「……固有魔法、かもしれんな」


彰は息を整え、口元をわずかに歪めた。


「……そう、なのかもしれない。でも、制御なんて全然できてない」


息が一度だけ詰まる。


誠は眉をひそめ、彰の顔をじっと見つめた。


「……龍胆の血には、昔から妙な“力”が潜んでいると聞かされてきた。お前も……その流れを受けているのかもしれん」


誠は彰を見据えたまま、しばらく黙っていた。


彰は答えられず、手を固く結ぶ。


確かに、さっきの感覚はあった。


けれど続いたのはほんの数秒だけだった。


すぐに力は途切れ、身体は重く、揺れた視界だけが残る。


拳を握ったまま動けなかった。


誠に頭を撫でられた幼い日の感触だけが、不意に脳裏をかすめる。


――その時。


「おじゃましまーす!」


陽菜が入口から顔をのぞかせた。


肩に掛けたエコバッグを開き、弁当箱を取り出す。


ふわりと広がる出汁と卵焼きの甘い香り。


「……陽菜。ありがとう」


「うん! お昼持ってきたよ」


陽菜は道場の隅に腰を下ろす。


その瞳は彰から離れず、指先が弁当の端を握り込む。


「じゃあ、もう一度やるぞ」

「はい!」


息を整え、彰は畳を強く踏みしめた。


(……あの感覚を、もう一度)


誠の拳へ意識を集中する。


踏み込み、躱し、打ち込む。


その流れを繰り返すうち、周囲の音だけが少しずつ遠のいていった。


汗が落ちるより先に、踏み込んだ畳の感触だけが足裏へ残る。


周囲の流れと、自分の動きがどこか噛み合わない。


視界の端では、陽菜の動きだけが一拍遅れて追いついてくる。


(来る……!)


肩のわずかな動きへ合わせ、彰はすれ違いざまに渾身の正拳を叩き込んだ。


――バシィィッ!


畳を震わせる音と同時に、誠が半歩下がり笑みを浮かべる。


「やるじゃないか……完全に見切られたな」


横で陽菜が目を丸くして立ち上がる。


「……今の……なに?」


言葉が遅れて出る。


「速いとかじゃなくて……一瞬、場所が……」


両手で弁当を抱えたまま、小さく跳ねるように興奮していた。


彰は肩で息をしながら答える。


「……まだ分からない。父さんの話だと……固有魔法かもしれないって。さっきのも……少しずれたみたいな感覚があった」


陽菜は思わず身を乗り出す。


だが、彰から目を逸らし、弁当を抱える腕に力が入った。


「……固有魔法……? 本当に……?」


息をひとつ整える。


「……すごいよ、アキ……」


肺は焼けるように重く、頭の奥では鈍い痛みが脈打っていた。


視界の端へ、光の尾だけが薄く残る。


(……また、この感じだ。きつい)


彰は荒い呼吸のまま顔を上げた。


誠が眉をひそめる。


「おい、大丈夫か。顔色が悪いぞ」


「ちょっときついけど……大丈夫」


彰がそう返した瞬間、陽菜がすぐに口を挟む。


「全然平気そうに見えないよ」


心配そうに顔を覗き込む。


「少し休もう? お昼にしよ」


抱えていた弁当箱を少し持ち上げた。


「ちゃんと食べられる?」


誠も小さく頷く。


「まずは休め。話はそれからだ」


その言葉に、彰はようやく力を抜いた。


「……ああ。腹減った」


誠も肩の力を抜き、小さく息を吐く。


「悪いな。うちらの分まで」


「い、いいえ!」


陽菜は慌てて首を振った。


誠は口元をわずかに緩め、そのまま道場の入口へ向かう。


「母さん呼んでくる」


足音が遠ざかり、道場へ静けさだけが残った。


彰は何を言えばいいのか分からないまま視線を落とす。


さっきまで誠と打ち合っていた時より、今の方が妙に落ち着かなかった。


陽菜も少し緊張したまま、弁当箱をゆっくり広げ始める。


重箱の蓋を開ける小さな音だけが、静かな道場へ響いた。


その沈黙へ重なるように、誠と美咲が戻ってくる。


「わぁ……美味しそうね」


美咲が目を細める。


四人はそのまま畳へ座る。


色鮮やかな卵焼き、海苔のおにぎり、出汁の香る鶏の照り焼き。


「いただきます!」


陽菜の手料理に、美咲が嬉しそうに笑う。


「陽菜ちゃん、料理上手ね」


「えへへ……ありがとうございます」


誠も頷きながら箸を取る。


「これはうまいな」


彰は少し照れながら口を開いた。


「……昔から、陽菜は料理得意なんだ」


陽菜は弁当箱へ視線を落としたまま、小さく肩をすくめる。


「……そんなことないよ」


照れたみたいに笑い、箸を持つ指へ少しだけ力が入った。


そのまま四人で食事を続け、やがて弁当箱の中身も少しずつ空になっていく。


久々に流れる穏やかな時間だけが、静かに道場へ残っていた。


食後、陽菜が片付けをしている間、彰は再び道場の中央に立った。


手にぐっと力をこめ、畳に足を沈める。


足裏の感触を確かめるように、重心を沈めた。


そこへバンリとリアンが入ってきた。


「お邪魔してます!」


バンリが軽く頭を下げる。


リアンも一歩遅れて、静かに会釈した。


「……失礼します」


誠は視線を向け、軽くうなずいた。


「父の誠だ。……彰のために来てくれてありがとう。ゆっくりしていってくれ」


短くそう言って、再び彰へ目を戻した。


「……バンリ、リアン。来てくれて、助かる」


彰の口元がわずかに緩む。


「気にすんなって。ダチだろ、俺たち」


バンリが一歩踏み出し、拳を鳴らす。


「せっかくだしよ――俺とリアンでいくぞ。二対一だ」


一瞬、間が落ちる。


「は? 二対一って――」


言い終わる前に、バンリが笑った。


「甘えたこと言ってんじゃねぇよ。訓練だろ?」


肩を回しながら、構えを取る。


リアンも一歩引き、低く重心を落とした。


「状況は選べません。むしろ――その方が実戦に近い」


三人で構え、打ち合いが始まる。


バンリが肩を鳴らしながら踏み込み、リアンは低い姿勢のまま無駄なく間合いを詰めてきた。


左右から圧が迫る。


避けきれない。


そう理解した瞬間、彰の視界がわずかにずれた。


「――っ!」


体が先に動く。


バンリの拳を半歩外し、そのままリアンとの間へ滑り込んだ。


その一瞬だけ、間合いの取り方が綺麗に噛み合う。


呼吸より先に身体が動き、踏み込みだけが自然に繋がっていた。


だが持続はほんの数瞬。


その感覚が走った直後、こめかみを刺されるような鋭い痛みが襲った。


「……ぐっ!」


片膝をついた彰を見て、バンリが叫ぶ。


「今、完全に見切ったよな!? でも顔色……やばいぞ!」


リアンも険しい声を重ねる。


「今の動き……異常です。……もしかして、例の……? でも、その状態……負荷が大きすぎます。続けるのは危険です」


彰は呼吸を整えようとした。


けれど息は浅く途切れ、こめかみの奥だけが脈打ち続ける。


視界の端はまだわずかに揺れ、さっきの感覚だけが身体へ残っていた。


「ああ……固有魔法かも、って……前に言われたやつ」


彰は震える拳をゆっくり握り直す。


関節の奥には、まだ熱だけが残っていた。


――それでも、訓練は続いた。


踏み込み、崩され、立ち上がり、また構える。


回数を重ねるたび、動きだけが少しずつ鈍っていく。


だが、あの感覚は二度と訪れなかった。


西日が畳を長く染める頃。


誠は短く息を吐き、視線だけで制した。


「……今日はそこまでだ」


畳へ落ちた長い影だけが、静かに揺れていた。


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