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アウトサイダー  作者: 君島極
第三章:交差する運命 |  第三節:本当の自分と、新たな「武器」
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第5話:半足分の間合い

――夕方/インサイダー養成学校・訓練場


放課後の訓練場へ、西日が斜めに差し込んでいた。


汗と革の匂いが残る空間に、拳が空を裂く低い衝撃音だけが重く響いている。


彰の両腕と脚には、金属製の装甲――《パワードガントレット》とグリーヴが装着されていた。


武器は武器。


けれど初装備の彰には、まだそれが“自分の延長”として馴染みきらない。


拳を握るたび、装甲だけがわずかに遅れて応える。


振り抜いた拳がぶれる。


踏み込みの最後で、足だけが無意識に止まる。


たった半足分。


それなのに、その距離だけがどうしても埋まらない。


素手なら届く。


けれどガントレットを着けた瞬間、身体の感覚が噛み合わなくなる。


彰は奥歯へ力を入れ、小さく息を吐いた。


「ストーップ!」


バンリが苛立ち混じりに叫ぶ。


サンドバッグを片手で押し戻し、胸元を二度小突いてから顎で彰を示した。


「今の間合い、まだ剣のまんまだ!」


「……分かってる。わかってるけど、体が忘れないんだ。剣の間合いを!」


悔しさが声を揺らす。


ガントレットの甲を、額にごつんと鈍い音を立てて押し当てた。


「重心も攻防の切り替えも、“刀の戦い方”です」


リアンが告げる。


床のラインを足先で示した。


「拳の流れではありません。……型そのものを作り直さない限り、剣に引きずられます」


リアンはそう言いながら、床の一点を指先で示した。


「あと半歩、内側です」


彰は唾を飲み込む。


剣を捨ててから数週間。


放課後はバンリとリアンにしごかれ、休日は父に心体育成流を一から叩き込まれていた。


打ち込むたび、半足分のずれだけが残る。


踏み込むたび、分厚い壁だけが正面へ立ちはだかる。


気づけば、手の甲の擦り傷は増え、巻いた包帯には新しい血がじわりと滲んでいた。


「アキ」


バンリが拳を突き出した。


「恥じんなよ。拳だって十分カッコいい。剣の頃よりオマエらしいぜ」


にかっと笑い、拳を上下に二回弾ませる。


「オレは“拳で戦うお前”の方がよっぽどイケてると思う」


思わず苦笑し、拳を軽く合わせた。


「……ありがとな、バンリ」


コツンと拳が触れる。


遅れてサンドバッグが揺れ、革の擦れる音だけが床に残った。


けれど、外では別の声。


「剣から格闘術に変えたって?」


「……結局、逃げただけだろ」


嘲り混じりの笑いが、耳に届く距離で流れる。


彰は小さく視線を落とした。


踏み直した床がきしみ、遅れて息だけが細く抜けていく。


肩へ入っていた力が、あとからゆっくり落ちた。


「気にしないでください」


リアンは視線を落とし、肩を引いたまま動かない。


「気にすんな!」


バンリは笑ってみせる。


それでも、二人の視線が一度交わり、肩の力だけが抜けきらなかった。


「……そういやさ、アキ。休日どうしてんだ?」


バンリが何気なく言う。


「……家の道場で、親父に付き合ってもらってる」


「マジか。じゃあ俺も行くわ」


間髪入れずに笑う。


リアンも一歩遅れて口を開いた。


「……僕も同行して構いませんか」


「ああ、助かる」


それからだ。


二人は当たり前のように、休日も顔を出すようになった。


◇


――夜/龍胆家・自室


机の上のタオルは汗で重く、横には父の稽古メニュー。


濡れた拳の痛みが、じんじんと骨に残っていた。


窓の外はすっかり暮れ、街灯の明かりが遠くで揺れている。


ふと、スマホの画面へ目が止まった。


通話履歴には、陽菜の名前。


最後の着信は、一か月以上前で止まったままだ。


(……最近、全然話してないな)


思い出すのは、夜のいつもの通話だった。


一日の終わりに、他愛もない話をして笑い合う時間。


「おやすみ」と言って切るその声が、眠りより先に心を落ち着かせてくれていた。


それが、今はもうない。


(自分から距離を置いたのは、俺だ)


訓練に没頭すれば、何かが埋まると思っていた。


ガントレットの革紐だけが、指先へ固く残る。


学校では毎日顔を合わせていた。


それなのに、一か月以上まともに話していない。


目が合いそうになるたび、自分から逸らした。


陽菜が何か言おうとしていたのも、分かっていた。


――なのに、逃げた。


放課後の手伝いをしていると嘘までついて、一人で訓練を続けていた。


それを知った陽菜と凱が、高田先生へ怒鳴り込んだ。


“いつまで罰を受けさせるつもりなんですか”って。


本当は、あいつらはずっと俺のことを考えてくれていた。


画面の中の陽菜の名前だけが、やけに遠く見えた。


そんな考えが、胸の奥へ何度も沈んでいく。


陽菜が心配そうに見せた笑顔が脳裏に浮かぶ。


中学の頃、落ち込む俺へ無理やりお菓子を渡してきた、あの不器用な優しさも。


(……また繰り返すのか。あの時みたいに、逃げるのか)


息が途中で止まる。


画面を開き、親指がボタンの上で止まったまま動かない。


心臓の音だけが、やけに大きかった。


「……行け」


自分に言い聞かせ、意を決して押した。


呼び出し音が二度。


カーテン越しの夜風が、静かに部屋へ流れ込む。


受話口の向こうで、布ずれの小さな音。


息を飲む気配。


『……アキ?』


陽菜の声だった。


『びっくりした。こんな時間に電話なんて……』


一瞬だけ間が空く。


『……久しぶりだね』


受話口の向こうで、息を吸い直す音がした。


『……でも、声聞けてよかった』


背中の筋がほどけ、握った親指の節から力が抜けた。


スマホを持つ手だけが、少し強く握り返す。


(あぁ、この声だ)


「あ……」


言葉が喉で引っかかる。


彰は机の角へ腰を預け、呼吸を整えた。


「……今まで、連絡しなくてごめん」


受話口の向こうで、小さく布が擦れる音だけが聞こえた。


彰は無意識にスマホの縁をなぞる。


その沈黙が、余計に胸を締めつけた。


やがて。


『……うん』


小さな声だった。


責めるわけでもなく、でも簡単に流すわけでもない。


秒針の音が、一つ分だけ遅れて耳へ触れる。


スマホの縁をなぞる指だけが止まった。


(距離を取っていたのは俺だ……)


沈黙が、まるで互いの心を映す鏡みたいに重くのしかかる。


それでも切らないのは――繋がっていたいから。


「剣をやめて……ガントレットに変えた。放課後はバンリとリアン、休日は親父に心体育成流を一から叩き込まれてる」


言いながら、ガントレットのバンドへ指が触れる。


金属の張りつく感触だけが、指先へ残った。


受話口の向こうで、小さく息を飲む音。


『……そっか』


一度、言葉が止まる。


その短い沈黙だけで、陽菜がちゃんと聞いてくれているのが分かった。


『……頑張ってるんだね』


声はやわらかい。


けれど、どこか少し沈んでいた。


躊躇うみたいに間を空けて、陽菜が続ける。


『……心配してたから、話してくれて嬉しい』


そう言う声は、少しも嬉しそうには聞こえなかった。


「……授業では顔合わせてるけど、昼とか放課後、前みたいに一緒にいられてないから……」


語尾が揺れ、声が細くなる。


みぞおちの奥がちくりと刺さる。


机上のタオルを握り、指の骨がきしむまで力を込めた。


「……まだ全然うまくいってない。けど……前よりは、少しだけ進めてると思う」


『……無理は、しないでね。ケガしたら……やだよ』


「大丈夫だ。無茶はしない」


『……約束、して?』


「……ああ。約束する」


スマホ越しに、小さく息を合わせる。


鼓動が落ち着く。


陽菜が声を落として探るように言う。


『ねぇ、今度の日曜……道場、少しだけ見に行ってもいい?』


「もちろん。ありがとう」


『……ううん。じゃあ……お弁当、作って持っていくね』


受話口の向こうで、息を吸い直す音が混じる。


さっきより少しだけ、声がやわらいでいた。


「……ああ。楽しみにしてる」


短い沈黙のあと。


『……うん。また』


その声は、少しだけ前より明るく聞こえた。


彰も小さく息を吐く。


「……ああ。また」


通話が切れる。


窓の外では、遠くの車が交差点を抜けていった。


スマホだけが、まだ手の中へ残っている。


彰は親指を縁へ添えたまま、しばらく動けなかった。


吸い直した呼吸だけが、静かな部屋へゆっくり落ちていく。


彼女の声が消えたあと、空調の低い音だけが戻ってきた。


椅子の背へもたれ、彰は天井を見上げる。


やがて視線は自然に、自分の拳へ落ちた。


木刀で初めてゴブリンを倒した日。


掌へ残った震え。


木が擦れた感触。


あの頃、憧れていたのは剣を掲げる英雄たちだった。


けれど今は、打ち込んだ拳の痛みと熱の方が先に身体へ残っている。


ゆっくり拳を開く。


切り傷の残る掌を、ゆっくり見下ろした。


「……俺は、まだやれる。拳で、前に進んでみる」


彰はもう一度、拳を打ち込んだ。


衝撃が骨を震わせ、遅れて吐いた息が身体へ馴染んでいく。


踏み込みを重ねるたび、拳の感覚だけが少しずつ身体へ残った。


汗の塩が切り傷へ沁みる。


それでも、その痛みはもう動きを止めなかった。


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