第7話:認識の外側
――夕方/郊外都市・中央ショッピングモール・Bブロック通路
救援部隊の声と、搬送用ストレッチャーの車輪音が崩れた通路へ重なっていた。
そのざわめきの中でも、彰の胸の奥では鼓動だけが収まらず、間を外して打ち続けている。
「……はぁ、はぁ――」
荒い呼吸が三人分、重なって響いた。
それまで感じなかった全身の筋肉が、遅れて重さを押し上げてくる。
立ち止まった瞬間、膝の裏から力が抜け、体重だけが半拍遅れて落ちた。
足元には倒れたモンスターの死骸が転がり、焦げた体毛の甘い臭いと鉄臭い血が床へ広がっていた。
黒い液体が靴底へまとわりつき、吐く息のたび鉄の匂いが肺の奥を引っかく。
視界は明暗を行き来し、冷たい空気が胸の内側を細く刺した。
指先には、まだ武器を握っていた痺れが残っている。
力を抜けば落としそうになる感覚に、彰は水道管を握り直し、確かな手応えだけを探った。
通路の隅では、避難しきれなかった市民たちが互いの腕を握り合いながら、小さく息を吐いていた。
「助かった……」
泣き声を胸へ押しつけるように、母親の肩が小刻みに上下する。
途切れがちな吐息が、崩れた通路の空気へゆっくりほどけていった。
年配の男性も手の甲で額を拭いながら、「ありがとう」と掠れた声を落とす。
そのすぐ横で、陽菜は膝をついたまま両の掌から白い輝きを流し続けていた。
淡く脈動する光が、裂けた皮膚へ沿うように収束していく。
掌の奥は細かく震え、額を伝った汗がそのまま頬へ落ちた。
「……大丈夫。すぐに楽になるから……」
声をかけるたび、息が途中で引っかかる。
唇の端へ力を入れても、表情はうまく作り切れなかった。
それでも陽菜は一瞬だけこちらへ視線を向けると、すぐ患者へ向き直る。
そのまま顔を落とし、治癒の光だけは途切れさせなかった。
治癒を終え、陽菜が立ち上がって振り返った。
「……アキ、大丈夫? ほかに怪我してない?」
彰はゆっくり首を横に振る。
「……平気だ。陽菜こそ、顔が真っ白だぞ」
「えっ……そ、そうかな……」
慌てて作った笑みが、頬の端で細かく引きつったまま戻らない。
彰はその横顔から目を離せなかった。
戦闘中に感じた、“時間が引き延ばされた”あの感覚。
怖いほど鮮明だった。
なのに、どこか心地よさまで残っている。
うまく形にならない何かが、まだ胸の奥で揺れていた。
「おい、まだ動けるか」
凱が肩に手を置いた。
声は抑えられていたが、指先の圧だけが残る。
周囲を鋭く見張りながらも、横目で彰と陽菜が立っていることを確かめていた。
「……なんとか持ちこたえたな」
低く言って、彰の様子を一度だけ見る。
それ以上は踏み込まず、視線を前へ戻した。
そこにあったのは称賛でも羨望でもない。
ただ、隣に立つ者としての確かな重みだけだった。
「アキ……顔色、よくないよ?」
陽菜は一歩だけ近づきかける。
けれど、乱れた呼吸と立ち方の不安定さを見た瞬間、足がそこで止まった。
「……少し、休んでて」
抑えた声だけをそっと向ける。
それ以上は踏み込まず、間を保ったまま彰の様子を探った。
彰は小さくうなずき、深く息を吐く。
熱を帯びた空気が肺を刺し、吐き出すたび鈍い痛みが残った。
乱れた前髪が額へ張りつき、火照った肌を撫でる冷気が神経を細く震わせる。
彰はゆっくり首を起こし、正面へ意識を戻した。
(陽菜も苦しいのに……)
そのとき、後方区画から規律正しい足音が重なった。
黒と紺の戦闘服に身を包んだ別働のインサイダーたちが通路へ合流し、武器を構えたまま周囲を確認しながら両端へ散っていく。
「負傷者の搬送を急げ! 残存モンスターを掃討しろ!」
リーダー格の男が鋭く命じる。
その声を合図に、部隊は一斉に動き始めた。
一人の隊員がこちらへ視線を向け、小さくうなずく。
「よく持ちこたえたな……学生でここまでやれるとは」
返答する間もなく、周囲では安堵混じりの声が少しずつ広がっていった。
通路の奥で重なっていたざわめきも、次第に落ち着きを取り戻していく。
「助かった……あの二人が来てくれなかったら……」
「ほんとに、間に合わなかったよな……」
「子ども、無事でよかった……あの子たちが守ってくれたんだ」
「学生なのに……すごいな……」
安堵の混じった声が、少しずつ前へ集まっていく。
守護の光を維持し続けていた陽菜。
その前に立ち、最後まで群れを押し返していた凱。
年配の女性は両手を合わせて何度も頭を下げ、少年は興奮した声で「すごい!」と叫んだ。
いくつもの視線が、自然と二人へ向けられていく。
――彰の立つ位置は、その少し外側だった。
それでも耳の奥には、まだ鈍い揺れだけが残っている。
(……俺は……)
喉の奥で言葉が止まる。
さっきの感覚だけが、どうしても抜けない。
速すぎた。
間に合うはずがなかった。
なのに、気づけば瓦礫の軌道へ入り込み、あの質量を蹴り飛ばしていた。
――誰も、こちらを見ていない。
開いたままの手には、まだあの熱だけが残っていた。




