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アウトサイダー  作者: 君島極
第三章:交差する運命 |  第二節:届かない声と、名声の代償
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第5話:届かない声、その先へ

喉の奥が鳴る。


吸い込んだはずの空気が、胸の途中で止まった。


(……間に合わない! 潰される……!)


首筋から背へ熱が走る。


視界の縁が揺れ、輪郭が滲んだ。


踏み込もうとする。


だが、足裏が床へ張りついたみたいに離れない。


《滑走》の感覚が噛み合わない。


風を絡めたはずの足運びが、恐怖でぐしゃぐしゃに崩れていた。


粘つく感触がふくらはぎまで絡みつき、重心だけがその場へ沈んでいく。


(……動け)


それでも脚は前に出ない。


床に残った感触だけが、靴底へ強く貼りついていた。


(動け……動け……!)


指先が震え、水道管の柄がわずかにずれる。


そのとき、母親の視線が横へ跳ねた。


迫る影に気づき、息を呑んだ。


「きゃあああっ!」


凱も振り向く。


腰が先に動き、足先が半歩だけ踏み出した。


母親は少年を抱き込むように引き寄せる。


だが勢いが強すぎて、足がもつれた。


その先では、巨大な瓦礫が空気を押し潰しながら真っ直ぐ飛んできている。


凱の踏み込みの軸が崩れる。


声だけが、一拍遅れた。


「――やばい!」


踏み出した足が床へ引っかかる。


重心だけが前に残り、次の一歩が出ない。


陽菜も遅れて横を見る。


肩が跳ね、指先がストラップを強く引いた。


視線が瓦礫の軌道をなぞり、そのまま息を呑む。


(……止められない……!)


指先が強く閉じる。


母親の叫びが、彰の背中へ突き刺さった。


踏み込もうとする。


だが、身体だけが一拍遅れる。


(動け、動け、動けッ!)


繰り返す。


それでも足は前に出ない。


鼓動が奥で暴れ、乾いた口内へ熱だけが残る。


視界の輪郭が白くほどけ、足元の感覚まで揺らぎ始めた。


奥歯がきしむ。


肩だけがわずかに前へ出る。


「――動け、動け、動けええええええええええええッ!!」


瞬間、体の奥で何かが弾けた。


世界が軋み、割れる。


音が落ちた。


陽菜の手が空中で止まり、凱の声も宙へ置き去りになる。


咆哮は鈍い太鼓みたいに伸び、砕けたガラス片が七色の軌跡を引きながら漂っていた。


彰は指を握り直す。


足先の角度を合わせ、床を蹴った。


軽い。


冷たい空気が肺の奥まで一気に流れ込む。


皮膚の温度。

指先の感覚。


散っていた景色が、一枚の絵みたいに繋がっていく。


――数秒先。


まだ起きていないはずの光景が、ぼんやりと視界へ重なった。


思考が追いつく前に、彰の体は前へ出ていた。


踏み込みと同時に、瓦礫の軌道へ回り込む。


振り抜いた脚が側面を叩いた。


鈍い衝撃。


次の瞬間、巨大な質量が軌道を外され、横方向へ弾き飛ばされる。


壁へ叩きつけられた轟音が、遅れて空間全体へ押し返してきた。


止まっていた音が一気に流れ込み、空気が震え、粉塵が爆ぜる。


「……え?」

「……今の……?」


「なっ……!?」


凱の声が、遅れて耳に届く。


陽菜も動きを止めたまま、言葉を失い、視線だけを周囲へさまよわせていた。


吹き飛ばされた瓦礫は、本来の軌道を大きく外れ、壁へ叩きつけられて深くめり込んでいる。


遅れて広がった土煙の向こう。


彰は、数メートル離れた位置に立っていた。


呼吸が乱れ、肩が大きく上下する。


脚の震えは抜けきらず、それでも足裏だけが床の硬さを必死に拾っていた。


(……今、俺……)


こめかみに鋭い痛みが走る。


思考が揺れ、視界の端がわずかに歪んだ。


震えの残る手の中で、水道管の感触だけがやけに硬く掌へ食い込んでいた。


指先へ集まった熱が、肘の内側までじわじわ広がっていく。


そのとき、土煙の向こうで母親が少年を強く抱きしめる姿が見えた。


「……助かった……!」


掠れた声が、遅れて耳へ届く。


土煙の向こうの色が、ようやくはっきり見えた。


母親は少年を抱きしめたまま顔を上げ、自然と凱と陽菜へ視線を向ける。


「ありがとう……! 本当に……!」


何度も頭を下げる。


陽菜は一瞬だけ息を止め、揺れた視線を落ち着かせるように小さく息を吐いた。


「……い、いえ……」


返した声は、まだかすかに震えている。


凱も眉をひそめたまま短く頷いた。


「……無事ならよかった」


そう答えながらも、視線だけは瓦礫と周囲を何度も行き来していた。


そして次の瞬間、凱が土煙の奥へ顔を向けた。


「……おい! アキ!」


数メートル先、瓦礫の陰に立つ彰の姿を捉える。


「大丈夫か!?」


凱が一歩踏み出し、声を投げる。


だが彰は返事を返せなかった。


呼吸だけが乱れ、足元の震えだけが抜けない。


(……怖い。でも――確かに、守れた)


彰は水道管を握り直し、親指で柄の位置をわずかに詰める。


息も整いきらないまま、視線の先で影が揺れた。


右の通路ではラットが瓦礫を踏み越え、左の階段ではスライムが粘液を引きずっている。


頭上をハーピーの影が掠め、その奥ではオーガが棍棒を握り直していた。


熱と血の匂いは、まだ瓦礫の間へ重く滞留している。


揺れる非常灯の赤だけが、砕けた床の上で不気味に明滅していた。

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