第3話:ざわめく街、走り出す影
笑いながら、そのまま通路を進んでいく。
歩幅が揃い、声は前後に途切れず続いた。
少し進むと、フードコートのざわめきと、カートの車輪が床を擦る音が重なりはじめる。
ふわりと混じるコーヒーの香りが通路へ流れ、人の波も休日らしい緩さで行き交っていた。
――その流れが、一瞬だけ滞る。
ウゥゥゥゥウゥゥ――!!
警報音がモールに響き渡った。
低く重い音が床を震わせ、遅れて足元へ伝わってくる。
三人は同時に足を止め、天井のスピーカーへ視線を跳ね上げた。
「訓練じゃない……?」
「……本物だ」
警報音の中で、彰の耳の奥がキーンと鳴った。
隣で凱は買い物袋を床へ置き、その場で軽く足踏みをする。
陽菜は震える指先を隠すみたいに、買い物袋の持ち手を強く握りしめた。
直後、スピーカーがノイズ混じりに鳴り響く。
「緊急事態発生! Bブロックにてダンジョンブレイクを確認! 周辺の市民は直ちに最寄りのシェルターへ避難してください! 繰り返します――」
通路の中央で人の流れが詰まり、誰かの肩がぶつかる。
次の瞬間、前後から押し返す力がかかり、手すりが軋んだ。
「こっち! 早く!」――子を抱えた母親の叫び。
「邪魔だ、どけ!」――スーツ姿の男の怒声。
「誰か……助けて……」――腰を抜かした老人の震える声。
「財布を落とした!」
「置いていかないでくれ!」
悲鳴が重なり、押し合う足音が床を叩く。
泣き叫ぶ子どもを抱えた母親が、人波をかき分けるように通路を押し進み、その横でショッピングカートが横倒しになった。
金属の軋む音が耳を擦り、頬に冷たい振動だけが残る。
(……やばい、近い!)
床下から細かな振動が伝わる。
金属の焦げた匂いと、硬いものを爪で引っかく嫌な音が、黒煙の奥で重なっていた。
三人は背中合わせに立ち、視線を分けて通路と天井を押さえる。
――ガシャァン!
ガラスの破砕音が鼓膜を冷たく叩いた。
黒煙の向こう、Bブロックの奥から最初の群れが雪崩れ込む。
巨大な鼠――ジャイアントラットが床を走り回り、逃げ遅れた足へ噛みつく。
ぬらぬらと光るスライムは棚を崩し、飛び散った酸が金属を溶かした。
その後ろでは、粗末な棍棒を振り回すゴブリンと、牙を剥いたコボルドまで押し寄せてくる。
逃げる人々の靴底がぬめりを踏み、悲鳴が吹き抜けへ重なって跳ね上がった。
「うわああっ!」
悲鳴が吹き抜けへ反響した。
その頭上で、吹き抜けの天井に飾られていた石像が軋みと共に身じろぐ。
次の瞬間、翼を広げたガーゴイルが石片を撒き散らしながら二階から落下した。
砕けた破片が床で跳ね、頬をかすめて冷たい痛みを残す。
さらに非常階段の上では、甲高い鳴き声と共にハーピーが旋回し、人の流れを切り裂いた。
羽ばたきに巻き上げられた空調の風で、紙袋が宙を舞う。
その奥、黒煙の向こうからは、重い足音を響かせながらオーガが姿を現した。
太い前腕の棍棒が壁を叩き割り、衝撃で足裏が揺れる。
天井照明が細かく震え、次の瞬間、轟音と共に段状の階段が次々と崩れ落ちた。
陽菜の指が買い物袋の取っ手をぎゅっと握り込み、関節が白く浮かぶ。
――避難誘導。
インサイダー養成学校で何度も繰り返した手順が脳裏をよぎる。
柱の案内表示。
シェルター誘導灯。
人の流れ。
彰は乱れかけた視線を前へ戻した。
「こっち! シェルターはこっちです!」
最初に動いたのは陽菜だった。
人の流れを切り分けるように前へ出て、肩越しに腕を振る。
柱に表示された避難案内を指差しながら、必死に声を張り上げた。
凱は転んだ子どもを抱え上げ、そのまま母親の腕へ押し戻す。
膝をついて目線を合わせ、「大丈夫だ」と短く告げる。
その横で、彰は胸へ手を当てた。
一度だけ息を整える。
視線を前へ戻した。
「アキ……!」
凱が振り返る。
「大丈夫だ、わかってる!」
彰は顎を引き、足幅を広げる。
武器はない。
私服のまま、それでも背を向けず、その場へ踏みとどまった。
掌をこすり合わせ、滑りを確かめる。
その瞬間、視界の奥でひとつの記憶がかすめる。
(あの時も――迷わず陽菜を守れた。迷う理由はない)
凱は彰と陽菜を見比べ、視線を前へ戻した。
「行くぞ!」
「うん、行こう!」
「後ろは任せて!」
三人は視線を交わし、短くうなずく。
次の瞬間、人波を逆走しながらモンスターの溢れる戦場へ踏み込んだ。
足は止まらない。
凱が前へ出て通路を押さえ、陽菜は後方へ回って避難する市民の流れを導く。
彰は二人の間へ入り、肩が人とぶつかるたび「すみません」と短く返しながら進んだ。
通路の死角へ視線を走らせる。
背後では、子どもを抱えて階段を駆け下りる足音と、老人を支える青年の声が絶えず重なっていた。
その合間を縫うように、倒れた金属棚の甲高い音が跳ねる。
彰は前後左右の物音を拾う。
視界の端で揺れる人影、短い悲鳴。
それらは次々に群衆のざわめきへ呑まれ、消えていった。
手すりへ触れて位置を取り直す。
彰は通路の先を見据えた。
こめかみに親指の関節をぐっと押し当てる。
鈍い痛みで思考を断ち切った。
――もし、この手が届かず、守れない未来が来たら。
(理由なんていらない)
視界の端に、子どものころ見たヒーローの背中がよぎる。
『逃げ癖をつけるな』
あの日の声だけが、今も耳の近くに残っている。
彰は正面を捉え直した。
割れた床の先で瓦礫が転がり、黒煙がなお通路の奥を流れていた。




