第1話:夕暮れの帰り道――揺れる距離
――放課後/インサイダー養成学校・訓練場
人の気配が減った訓練場に、模擬剣の乾いた音だけが残っていた。
彰は一人、踏み込みから返しまでを何度も繰り返しながら剣を振る。
その流れのまま《属性付与》を重ねようとするが、刃へ流しかけた魔力は今日も途中でほどけて消えた。
「……っ」
彰はもう一度構え直す。
最近はずっと、「先生の手伝い」と誤魔化しながら放課後の訓練場へ残っていた。
今日も、陽菜に「一緒に帰ろ」と言われたばかりだ。
それでも結局、またこうして一人で剣を振っている。
首筋を汗が伝った。
その時だった。
「アキ!」
訓練場の入口から、聞き慣れた声が響いた。
彰は反射的に振り返る。
そこには、制服姿のままの陽菜が立っていた。
「……陽菜?」
陽菜は頬を少し膨らませたまま近づいてくる。
「先生の手伝いって言ってたのに……」
「あー……」
陽菜の声は強くない。
それでも、ちゃんと怒っているのが分かった。
「……ごめん」
剣を見下ろす。
「何度やっても、剣に通らなくてさ」
言葉が少しだけ掠れた。
「みんな次へ進んでるのに、俺だけ同じとこで引っかかってる」
陽菜は何か言い返そうとして、そこで口を閉じる。
その空気へ、遠くから別の声が混ざった。
「あ、あの子光魔法すごい子だ」
「虹咲さんだよ。超有名」
「めっちゃ可愛い、隣のやつだれ? 彼氏?」
「んなわけないだろ釣り合わねー」
通り過ぎる声が、耳の奥へ小さく引っかかる。
だが、陽菜はそちらを一度も見なかった。
「……アキ。帰ろ?」
陽菜が小さく名前を呼ぶ。
彰は言葉に詰まった。
追いつくためには、もっと訓練しなきゃいけない。
そう思ってここへ残ったはずなのに、目の前で自分を待っている陽菜を見ると、その決意だけでは押し切れなかった。
「……まだ着替えてないし」
「別に訓練服でもいいじゃん」
陽菜はあっさり言い切ると、そのまま彰の手を掴んで引っ張った。
「だーめ! 嘘ついたから!」
「ちょ、待っ――」
抵抗する間もなく荷物まで持たされ、そのまま半ば強引に訓練場を連れ出される。
夕方の風が、熱を持った身体を少しずつ冷ましていった。
駅へ向かう道を並んで歩く。
まだ空は明るく、夏の近づいた風が制服の裾をゆっくり揺らしていた。
放課後にしては少し早い時間で、商店街から聞こえる音までどこか穏やかに感じる。
そんな空気の中、二人はしばらく無言のまま歩いていた。
やがて彰が、少しだけ前を向いたまま口を開く。
「……陽菜さ、最近魔法どうなんだ?」
陽菜はぱっと顔を上げた。
「聞いてくれる!?」
その声だけで、少し嬉しそうなのが分かる。
「光魔法の方、今五種類使えるようになったの!」
歩きながら、陽菜の声が少し弾む。
「今は光の中級魔法と、水の初級魔法も練習してて……」
「水?」
「そ! 水の回復魔法って走りながら使いやすいみたい。だからできるようになりたくて」
陽菜は楽しそうに両手を動かしながら説明する。
「でも水属性はまだ全然うまくいかないんだけどね」
照れたように笑うその横顔を見ながら、彰は小さく目を細めた。
(……すごい)
気づけば、陽菜はもうそんなところまで進んでいる。
光の中級魔法に、水属性。
走りながら回復まで考えている。
彰は一度だけ視線を落とし、それから小さく笑った。
「いや、普通にすげぇだろそれ」
「彼氏の俺も鼻が高いわ。負けてらんねぇな、これ」
その言葉を聞いた瞬間、陽菜の表情がぱっと明るくなった。
「……えへへ。ありがと」
嬉しそうに笑いながら、小さく頷く。
その横顔を見ていると、訓練場で聞こえた声がふいに重なる。
――釣り合ってない。
夏の風が吹き抜ける。
帰りの電車では、他愛のない話が途切れ途切れに続いていた。
「今日の凱君、また授業中寝そうになってたよね」
「いや、あれは寝てない。目閉じてただけだ」
「先生に名前呼ばれてたじゃん」
「最後ちゃんと答えたからセーフだろ」
小さな笑い声を交わしているうちに、気づけば電車は最寄駅へ到着していた。
改札を抜けると、陽は住宅街の屋根近くまで傾いていた。
商店街には夕方の買い物客が行き交い、店先から漏れる声が通りの奥へ重なっている。
二人はそのまま並んで帰り道を歩いていく。
その時だった――
「あ!」
陽菜が急に声を上げた。
「次の休み、ショッピングモール行きたい!」
彰は一瞬だけ言葉に詰まった。
本当は、次の休みも訓練へ使うつもりだった。
それなのに、楽しそうにこちらを見る陽菜の横顔を見ていると、断る言葉が出てこなかった。
「……ああ。行こうか」
陽菜の表情がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「うん」
彰は少し考えてから続けた。
「凱も誘うか?」
陽菜はそこで少しだけ迷ったように視線を揺らす。
「……しばらく三人で遊んでないもんね」
小さく頷き、笑った。
「じゃあ、私から凱君に連絡しとく」
そのあと、陽菜はぼそっと小さな声を落とす。
「……ほんとは、二人のほうがよかったけど」
「え?」
彰が思わず顔を向ける。
陽菜は慌てたように視線を逸らし、そのまま誤魔化すみたいに彰の手を掴んだ。
「な、なんでもない!」
「あ、おい――」
引かれるまま歩き出す。
夕焼けの光が、並んだ二人の影を長く伸ばしていた。




