第16話:影が寄り添う瞬き
――次の日・夕方/インサイダー養成学校・高等部・訓練場
夕暮れの熱が、まだ訓練場の床材にこもっていた。
今日はバンリもリアンも来ていない。
二人とも用事があるらしく、昼のうちに「今日は顔を出せない」と聞いていた。
だから彰は、久しぶりに一人で模擬剣を握っている。
拳へ残った痺れは、まだ消えていなかった。
転がった模擬剣を拾い上げ、足元を確かめながら構え直す。
風が訓練場を抜け、汗の塩気だけが掌へ残る。
その時だった。
衣擦れの音が、風に紛れて静かに届く。
「……龍胆くん」
静かな声が、夕暮れの訓練場へ落ちた。
彰は反射的に振り返る。
校舎の影の中へ、神楽月凛が立っていた。
茜色の光が髪の端を淡く揺らしている。
距離は十歩ほど。
凛はそれ以上近づかず、まっすぐ彰へ視線を向けた。
「神楽月さん……?」
凛は軽く瞬きをし、揺れた髪を耳へかけ直した。
そのまま静かに視線を向けてくる。
「……昨日の、全部見ていたわ」
夕陽が沈みかけた訓練場で、その声だけが静かに残った。
思わず喉が小さく鳴り、拳を握る指へ力が入った。
「拳。迷いがなかった」
「……迷い?」
凛はゆっくり頷いた。
「剣のときは……違うの。歩幅と肩の線が、ほんの少し揺れている」
その言葉を聞いた瞬間、視線が落ちた。
足裏にだけ、重さが沈んでいた。
「揺れて……?」
「ええ。前に出ようとして……どこかで止まっているような、そんな動き」
「……無理に形へ合わせなくていいと思うわ」
風の中でも、その声だけは不思議とはっきり届く。
「呼吸が向いている方が、きっと正しい。それだけ」
凛は言い直すことなく足を返した。
夕陽と影の境界へ背中が溶けていく。
「……今日は、言いたくなっただけ。気にしなくていいわ」
細い風が凛の髪を揺らす。
そのまま歩き出した背中は、夕暮れの奥へ静かに溶けていった。
残された訓練場には、まだ熱を帯びた空気だけが残っている。
彰は拳を胸元へ寄せた。
(……呼吸が向いている方)
一度聞いた言葉なのに、耳の近くから離れなかった。
ざわつきは消えない。
それでも、握り直した拳には、まだあの痺れだけが残っていた。




