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アウトサイダー  作者: 君島極
第三章:交差する運命 |  第一節:揺らぐ日常、芽吹く力
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第12話:一人じゃない夜

――夜/インサイダー養成学校・高等部・訓練場


一度、先生に「帰れ」と言われたあと。


足音が遠ざかったのを確認してから、彰は一人、訓練場の影へ残った。


最近は、誰もいなくなってからも剣を置けなくなっていた。


昼だけでは足りない。


放課後の時間だけでも、追いつける気がしなかった。


気づけば、夜の訓練場へ残る日が増えていた。


天井の残灯だけが灯る訓練場には、湿った夜気と床材の匂いが静かに混じっている。


換気の風が頬をかすめ、背中へ残った熱を少しずつ奪っていった。


彰は長く息を吐き、指を握り直す。


換気口の向こうでは夜虫の声が遠く鳴き、校舎のどこかから聞こえた笑い声も、やがて静かに途切れていった。


もう、誰かの足音が戻ってくる気配はない。


「……いける」


呟きながら剣を握る。


全神経を剣先へ集中させて振るたび、裂けた掌の皮が擦れ、乾いた血のざらつきが指先をえぐった。


肩を沈め、肘をしならせながら、まず風を刃へ流し込む。


だが、一歩踏み込んだ瞬間に型が崩れる。


ルーンの光が揺れ、魔力は刃へ届く手前で弾かれた。


闇へ切り替えても同じだった。


どちらの流れも乱れてはいない。


それなのに、刃の戻りだけが噛み合わない。


手首で拾い直しても、重心がずれたまま戻らなかった。


熱を帯びた呼気が、夜気へほどけていく。


柄頭へ親指を押し込み、その痛みで意識をつなぎ止めた。


「踏み込め」


歯を食いしばり、足先まで力を込めて踏み込む。


床が小さく鳴り、返ってきた衝撃が足首から肩へ一気に抜けた。


踏み込みはわずかに遅れ、沈めたはずの重心も噛み合わない。


耳の奥で鋭い音が鳴り、膝から力が抜けそうになる。


「……意味、あるのか?」


頭の奥で浮かんだ弱い声を、彰は無理やり振り払った。


顎を引き、もう一度剣を構える。


「もう一回。もう一回だ……!」


夜気が肺をひりつかせても止まらない。


疲労で腕は重く、振るたび剣先がわずかに泳ぐ。


それでも彰は歯を噛みしめ、崩れかけた身体を無理やり支え続けた。


その時だった。


不意に天井灯が点く。


白い光が訓練場へ一気に落ち、閉ざされていた空間の輪郭が強制的に引き戻された。


彰の動きが止まる。


直後、扉の向こうで重いロックの外れる音が響く。


開いた扉の先から、鋭い声が飛び込んできた。


「アキ!」


そこに立っていたのは、私服姿の陽菜だった。


息を切らし、乱れた前髪を揺らしながら、涙を滲ませた瞳でこちらを見ている。


その後ろには、高田先生の姿もあった。


「……いた……!」


張り詰めていた声が、そこで崩れる。


靴先が床を擦り、乾いた音が足元に散った。


「……陽菜? なんで――」


「“なんで”じゃないよ。もう夜なんだから!」


声が跳ねる。


怒りと安堵が混ざり、語尾が揺れた。


「帰ってないって聞いて……先生にお願いして……!」


息が整いきらないまま、言葉だけが先に出る。


高田先生が一歩踏み込む。


「龍胆」


「見回りのあとに残るなと言ったはずだ。規則違反だぞ」


「……ここは訓練場だ。好きに使っていい場所じゃない」


「――やるなら、時間を守れ。無茶をするな」


彰は視線を落とす。


「……すみません」


「……見回りのあと、戻るつもりでした。でも――止まれなくて」


高田先生は息をひとつ吐いた。


「……しかたないやつだな」


その横へ――陽菜も一歩詰める。


「ほんとに……心配したんだから」


声が落ちる。


怒りの奥に残る震え。


「……手、見せて。ね、ちゃんと」


陽菜は瞳を閉じ、脳裏に光のルーンを描く。


(《治癒の光》)


掌から淡い光があふれ、彰の手を包み込んだ。


裂けた皮膚の縁が静かに寄り、血の跡が、溶けるように消えていく。


温度が、皮膚の奥まで染みてくる。


張っていた指が、ゆるむ。


「……こんなになる前に、言ってくれればよかったのに」


陽菜は治りきった掌を見つめる。


「痛いの、我慢してたんでしょ。……そんなの、アキの身体がかわいそうだよ」


怒りでも涙でもなく、ただ、真剣に心配している声。


「無理して倒れたら……そのほうが、ずっと困るんだから」


ほんの一瞬、目が合う。


陽菜は視線を逸らさなかった。


光が収まると、陽菜はカバンから小さな容器を取り出す。


「負荷、まだかかるはず。冷やすね」


ひやりとしたジェルが肌を伝い、火照りがすっと引いていく。


薄いテープで、動きすぎないよう軽く固定する。


「……もう無茶しないって、約束。守れなかったら――」


陽菜は目を細め、ほんの数センチ、距離を詰めた。


「次は、わたしが直接止めに来るから。泣いてでも、ね」


「……はいはい、分かりました」


「ふふ、返事が軽いっ」


陽菜の口元が緩み、彰も小さく息を吐いた。


その時、通路の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。


「……ったく、探したぞ」


振り向けば、私服姿の凱が肩で息をしながら立っていた。


どうやら急いで走ってきたらしく、前髪が少し乱れている。


「俺んとこにも、おばさんから連絡あったんだ」


「……悪い」


凱は訓練場を見渡した。


床に散った砂と、置かれたままの模擬剣へ視線を移す。


「そこまで必死なのに……」


言いかけて、そこで言葉を止める。


「……剣とお前の型、噛み合ってねぇのかもな」


「無理に続けるより、合うやり方を探した方がいい」


陽菜は彰の手を包んだまま、声を重ねる。


「アキ……抱え込まないで。私たちに、ちゃんと頼って」


その声を聞いた瞬間、握っていた指へ自然と力が入った。


視界がわずかに滲み、床の白い線が少しだけぼやけた。


彰は小さく頷いた。


「……ありがとう。陽菜、凱」


高田先生は、彰の手元を一度だけ見た。


「……無茶はするな。それで潰れたら、意味がないからな」


声は低いまま、少しだけ力が抜けていた。


顎で出口を示しながら、高田先生が言う。


「気を付けて帰りなさい。ここは、俺が片づけておく」


彰は小さく頭を下げた。


「……今日は、ありがとうございました」


陽菜と凱も続いて頭を下げる。


高田先生は片手を軽く上げ、そのまま訓練場の奥へ歩いていった。


三人は顔を見合わせ、そのまま校舎をあとにする。


冷えた夜風が、静かに制服の裾を揺らしていた。


校門を出たところで、彰はスマホを取り出す。


「……母さんに連絡しとかないと」


通話ボタンを押す。


数秒後、スピーカー越しに美咲の声が響いた。


『彰!? 大丈夫だった!?』


「うん……ごめん。心配かけた」


電話の向こうで、大きく息を吐く気配がする。


『もう……ほんとに良かった』


そのあと、美咲の声が少し柔らかくなった。


『陽菜ちゃん、凱君もありがとうね。探してくれて』


陽菜がやわらかく答える。


「いえ……見つかって良かったです」


「ちゃんと捕まえといたから安心してください」


凱が軽く笑った。


『……ありがとう、二人とも』


通話を切る。


三人は駅へ向かった。


帰りの電車は、昼間よりずっと静かだった。


窓の外を流れる夜景を眺めながら、三人は途切れ途切れに言葉を交わす。


やがて最初に凱の家が見えてきた。


「……今日はほんと助かった。ありがとな」


彰が言うと、凱は少し照れたように鼻を鳴らした。


「気にすんなって。……でも、あんま無茶すんなよ」


「……うん」


凱は片手を上げ、そのまま家の方へ入っていく。


静かになった住宅街を、今度は陽菜と二人で歩いた。


しばらく続いた沈黙のあと、不意に指先へやわらかい温度が触れる。


彰が目を向ける。


陽菜が、少しだけ照れたように笑っていた。


「無理しないで」


小さな声が、夜風へ溶ける。


「私もいるし……凱君もいるから」


握られた手へ、ほんの少しだけ力がこもる。


彰は何も言えないまま、小さく頷いた。


そのまま二人で並んで歩く。


横をちらりと見ると、陽菜は少しだけ嬉しそうに口元を緩めていた。


やがて虹咲家の門が見えてくる。


立ち止まり、そっと手が離れた。


離れた瞬間、指先へ残った温度だけが妙に名残惜しい。


「……今日は、ありがと」


彰が小さく言う。


陽菜はやわらかく笑った。


「うん。じゃあね」


玄関の扉が閉まる。


その音を聞きながら、彰はしばらく門の前へ立ち尽くしていた。


◇


――深夜/龍胆家


玄関へ入ると、リビングのテレビでは夜のニュースが流れていた。


『――多民族国家外地域での大規模討伐任務について、新たな情報です』


『インサイダー協会は、Aランクインサイダー・ギデオン・轟氏について、重大な判断ミスの疑いがあるとして、十日後に懲罰委員会を開くと発表しました』


誠はリモコンでテレビを消した。


「……遅い」


低い声が落ちる。


リビングには、腕を組んだ誠が立っていた。


「連絡はあった。事情も聞いた。だが、それとこれとは別だ」


怒鳴るわけじゃない。


それでも、静かな声の方が胸へ重く刺さる。


「無茶をするな。自分の限界くらい見極めろ」


彰は黙ったまま頭を下げた。


その横で、美咲も小さく息を吐く。


「ほんとに心配したのよ……」


怒っているのに、どこか安心した声だった。


そのあともしばらく、食卓の椅子は誰も引かなかった。


シャワーを浴びて部屋へ戻るころには、身体の力だけが妙に抜けている。


ベッドへ倒れ込み、掌に残った感覚のままスマホを手に取った。


濡れた髪の滴が枕元へ落ち、布地へ小さく染み込んでいく。


陽菜へ電話をかける。


受話器の向こうで、小さく呼吸が鳴った。


『……アキ?』


「さっきはありがとう。助かった」


『……ううん。あのままじゃ放っておけなかったし』


『でも、もう無茶はやめてね』


「……分かった。約束する」


『……ふふ、ちゃんと寝なよ。明日も、頑張れるように』


「ああ……気をつける」


『……おやすみ、アキ』


通話を切る。


画面の灯りが、部屋の暗さに溶けていく。


凱に、短いメッセージを送る。


【彰】:ありがとな。助かった


数分後、既読がつく。


【凱】:気にすんな。それより明日も手ぇ抜くな


画面を見つめたまま、彰は小さく息を吐いた。


親指でメッセージ欄をなぞり、そのままスマホを胸の上へ置く。


陽菜と凱の名前が、頭の端へ静かに残っていた。


画面を伏せても、二人の言葉はすぐには離れない。


それでも、踏み込みの失敗だけはまだ足裏に残っている。


やがてスマホを枕元へ置き、ゆっくり目を閉じた。


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