第10話:負けた場所から、もう一度
――放課後/訓練場
夕陽が訓練場の窓を赤く染めていた。
授業が終わったあとも、彰たちは隅の区画を借りて属性付与の練習を続けている。
「もう少し魔力を止めろ。流しっぱなしになってる」
凱が剣を構えたまま言う。
陽菜も杖を片手に、小さく頷いた。
「うん。今、あと少しで繋がりそうだった」
彰は息を整え、もう一度だけ剣へ魔力を流し込む。
だが――刃は、最後まで沈黙したままだった。
風も形にならない。
手の内へ残るのは、“つながらない”感覚だけ。
「……っ」
握った指へ力が入る。
それでも、凱はすぐに笑った。
「焦んなって。前よりは絶対マシになってる」
「私もそう思う」
陽菜もやわらかく笑う。
彰は小さく息を吐き、それから模擬剣を下ろした。
「……二人とも、いつもありがとな」
少し照れたように言う。
凱は「今さらだろ」と笑い、陽菜も小さく目を細めた。
気づけば、訓練場へ差し込む夕陽もかなり赤みを帯びている。
片付けを終え、そのまま校門へ向かって歩き出した。
グラウンドから吹いた風が、砂の匂いと乾いた音を運んでくる。
夕陽が校舎の窓へ反射し、校門の影を長く伸ばしていた。
その時――
「おーい! 龍胆、ちょっといいかー!」
彰が振り返る。
夕陽を背にした高田先生が、こちらへ駆け足で近づいてきていた。
凱が軽く眉を上げる。
「アキ、先に呼ばれてんぞ。俺ら、少し先で待ってるからな」
陽菜も手を振る。
「終わったら合流しよ。ゆっくりでいいからね」
二人は歩道のほうへ歩いていき、夕暮れの光へ溶けていった。
高田先生はそこで足を止める。
「今日の一戦は、俺の采配が悪かった」
眉を寄せ、言葉を続ける。
「お前が、まだ付与を通せないとは知らなかった。……生徒の状態を見切れていなかったなら、教師失格だ。すまない」
彰は一瞬だけ言葉を飲み込み、それから小さく首を振った。
「……いえ。俺も、ちゃんと言えてなかったので」
高田先生は少しだけ目を細める。
「それでも気づくのが教師の仕事だ」
短く言ってから、視線を少し逸らした。
「それと……ひとつ、気になることがある」
彰は鞄の紐を握る指に、少しだけ力を込めた。
「神楽月が“お前との試合を希望した”理由だ。 普段は誰の名も挙げない子だが、きょうは珍しくはっきり言った」
先生は小さく首をかしげる。
「お前たちの間に……なにか、あったのか?」
先生の目は、彰から外れなかった。
彰は唇を結び、答えるまで一拍だけ置いた。
「昔、一度だけ会ったことがあります。シミュレーターの……シャドウボックスで」
「ほう」
「……その時、俺のスコアが、神楽月さんを上回ったことがあって。あれは、俺のほうが気にしていた話ですが……もしかしたら、彼女の記憶にも残っていたのかもしれません」
先生は目を細めた。
「……そういうことか」
視線を上げ、夕陽のほうへ目を向ける。
「なるほど。それなら説明がつく。神楽月が“名指しした”理由に近いかもしれんな」
彰は目を落とした。
「……はい」
先生は短く頷き、柔らかく言う。
「今日の結果にとらわれるな。神楽月は場数も経験も桁が違う。お前が劣っているんじゃない。まだ積めていないだけだ」
彰は一度だけ息を詰め、それから静かに吐いた。
「……ありがとうございます」
先生は軽く手を上げ、静かに歩き出していく。
その背中を見送る。
剣を受けた腕の痺れが、まだ薄く残っていた。
(……神楽月さんが、俺と……)
期待に応えられなかった悔しさ。
それでも逃げずに、“剣だけで向き合ってくれた”こと。
(……情けないな)
夕陽は傾き、長い影が足元へ伸びていった。
ふと前を見ると、電柱のそばで凱と陽菜が待っている。
凱が片手を上げた。
「おーい、アキ! 終わったか?」
彰は頷き、二人のもとへ向かった。
街の灯がぽつぽつと点り始め、風が制服の袖口をかすめた。
三人はそのまま並んで通学路を歩いていく。
凱は両手を頭の後ろに組みながら空を仰ぎ、陽菜もその横で自然に歩幅を合わせていた。
「……にしても、神楽月さんヤバかったな。学生でDランクって、反則級だろ。あの“シャドウボックス”の頃から、別格だったもんな」
陽菜も頷き、胸の前でカバンを抱えた。
「うん……見てるだけで足が止まりそうだった。……怖くなかったの?」
「正直、怖かったさ。でも――ちゃんと分かった。何ができて、何が足りないか」
「ま、負けは負けだしな。でも、次は勝てるようにすりゃいい」
凱が軽く拳を突き出す。
「放課後でも休日でも付き合うから。遠慮すんなよ」
「……ありがとな」
拳をぶつけ合う音が、夕風に小さく響いた。
陽菜は遅れて頷く。
「私も手伝うね。回復の練習、合わせればお互いに強くなれるよ」
彰は前を向いた。
夕焼けが三人の影を長く伸ばし、坂道に重なる。
(……ありがとう。二人とも)
駅へ向かう道を並んで歩き、そのまま帰りの電車へ乗り込んだ。
窓の外では、夕焼けに染まった街並みがゆっくり流れていく。
最寄り駅へ着いたころには、空の色も少しずつ夜へ変わり始めていた。
やがて最初に凱の家が見えてくる。
「じゃ、また明日な!」
凱はいつもの調子で片手を上げ、そのまま家の方へ走っていった。
「またねー!」
陽菜も手を振る。
凱の姿が見えなくなると、住宅街の音が少しだけ静かになる。
そのまま二人で歩き続け、今度は虹咲家の門が見えてきた。
「……今日はありがと」
陽菜が小さく笑う。
「うん。また明日」
短いやり取りを交わし、陽菜も家へ入っていく。
玄関の灯りが閉まったあと、彰は一人で帰り道を歩き始めた。
夕焼けはすっかり薄れ、夜の空気が静かに街へ落ち始めている。
(……このままじゃ、だめだ)
鞄の紐を握る指だけが、なかなか緩まなかった。
◇
――夜/自室
校門前で聞いた言葉が、まだ耳の近くに残っていた。
天井を見上げたまま、まぶたがなかなか落ちてこない。
(父さんなら、どう立つ。母さんなら、どう前を向く)
答えを探すみたいに視線をさまよわせ、それでも彰はすぐに目を閉じた。
自分の手のひらを強く押さえ込む。
跡が残るほど力を込めると、鈍い痛みだけが残った。
横向きになり、布団を引き寄せる。
風に揺れたカーテンの音だけが、静かな部屋へ小さく残っていた。
(――負けたままでは、終われない)
その思いを握った手の中へ残したまま、彰はゆっくり目を閉じた。




