第9話:届かない刃
――一か月後/通学路
初夏の風が街路樹を揺らし、淡い光が歩道へまだらを落としていた。
凱は肩へ鞄を引っかけたまま大きく伸びをし、そのまま空を見上げる。
背骨が小さく鳴り、薄い雲が空の端へゆっくり流れていった。
「来週、いよいよ模擬戦か。最初の“評価戦”ってやつだな」
「ほんと、早いよね」
陽菜がリュックの紐を握り直す。
歩幅が揃い、そのまま前を向く。
「でも、練習の成果を見せるチャンスでもあるし――きっと大丈夫だよね、アキ?」
「……実は、さ」
足が止まった。
彰は足元へ目を落とし、靴先で小石を軽く蹴る。
「属性付与、まだ一回も成功してない。剣に通らないんだ」
「マジか」
凱が目を丸くする。
だが次の瞬間、どこか納得したように息を漏らした。
「……あー、だから最近、授業でも端っこいたのか」
彰は苦笑する。
「できないとこ、あんま見られたくなくて」
凱はすぐに口角を上げた。
「でも、それだけだろ。焦ることねぇよ。今週みっちりやれば間に合う」
凱は両手を頭の後ろで組んだ。
太陽を見上げ、眩しそうに目を細める。
「……間に合う、かな」
「間に合わせるんだよ」
凱は軽く拳を突き出し、背をどんと叩いた。
彰の身体が前へ揺れる。
苦笑しながら姿勢を戻す。
「お前、根っこは丈夫だからな」
陽菜は笑みをこぼし、ノートを抱き直した。
ページの角が風に揺れ、手元でそっと押さえる。
「私も手伝う。放課後、空いてるでしょ? 一緒にやろ」
「……助かる」
陽菜は頷いた。
そのまま顔を上げ、逸らさなかった。
歩道に三人の影が並び、校門の方へゆっくりと伸びていった。
◇
――その週の放課後/訓練場の片隅
夕焼けが窓を染め、鉄の匂いが漂う。
三人は小さな区画を借り、剣と杖を構えて向き合った。
足元には、何度も踏みしめた跡。
床の焦げが、まだ新しい。
「まずは呼吸合わせろ。魔力が外に逃げる前に、柄の中心まで流せ」
凱の声が区画に残る。
鍔へ指を添え、呼吸を揃える動きを見せた。
陽菜は手をかざし、彰の動きを追う。
「ううん、今のは早い。もう少し“待つ”感じで」
杖の先で空気の流れをなぞり、タイミングを示す。
「……わかった」
もう一度。
彰は胸の内で拍を整え、掌へ意識を集める。
だが刃は光らない。
風も形にならず、“つながらない”感覚だけが指先へ残った。
何度やっても噛み合わない。
剣を下ろした手には、じわりと汗が滲んでいた。
陽菜はそんな彰を見て、小さく口元を緩める。
「でも、ちょっとずつ近づいてる。焦らないで」
凱は腕を組み、彰の呼吸に合わせて頷いた。
「よし、次は通すぞ」
凱が拳を突き出し、彰も軽くぶつけ返した。
手のひらに残る衝撃が、言葉より先に約束を刻んだ。
――そうして、一週間が過ぎた。
◇
――翌週の午前/第一訓練場
訓練場の床は朝日を受けて白く輝き、生徒たちのざわめきが高い天井へ反響していた。
中央に立つ先生は出席簿を片手に生徒たちを見渡し、杖の石突きで床をことりと鳴らす。
「ここからは実戦形式に移る。属性付与で得た技術を、どう戦いに活かすか見せてもらう」
その言葉と同時に、ざわめきがゆっくり静まっていく。
彰の脳裏には、前回の授業風景が一瞬だけよぎった。
剣を握る指先へ自然と力が入り、背中の硬さだけが最後まで抜けなかった。
(……また“できない”と、笑われるのか)
腰帯を握る。
重心を前へ寄せた。
「アキ、気合入れろ! 相手が誰でも一発ぶちかませ!」
背を叩いた凱が、口元だけで笑う。
「無理しないでね」
陽菜は袖口をつまみかけて、すぐにその手を離す。
対戦相手の名が読み上げられ、訓練場がざわつく。
「……神楽月凛」
主席。
すでに現役インサイダーとして活動している、同学年でも別格と呼ばれる存在だ。
その名を聞いた瞬間、彰の指が腰帯を強く押さえた。
――あの“シャドウボックス”。
三人で見上げた、蒼氷色の瞳。
カプセルが開き、汗を押さえながら現れた少女の姿が、記憶の奥でゆっくり重なっていく。
周囲の動線を確認するように視線を走らせていた、あの鋭い目。
(すごい。立ってるだけで、違う)
あのとき感じた距離が、今は真正面に立っていた。
口の中が、急に乾く。
足元の砂が、じっとり湿っているように重く感じた。
凛が、すっと一歩、間合いを詰める。
蒼氷色の瞳が、まっすぐこちらを射抜いた。
「……よろしくね、龍胆くん」
その声は、いつも通り淡々としている。
けれど、語尾にかすかな引っかかりが残る。
「できれば……“ちゃんと”戦ってほしい。手加減とか、形だけの試合は、あんまり好きじゃないから」
本気で来てほしい――
その一言で、剣を握る指がわずかに止まった。
彰は一度、息を飲み込み、顔を伏せた。
「……その、さ。俺、まだ……属性付与が、一回も成功してなくて。今日も、多分……剣に通せない」
凛の目が、かすかに見開かれた。
それから――表情がわずかに沈む。
(……期待、してたのか?)
すぐに、その影は引く。
凛はまばたきを一度だけし、表情を戻した。
「……そっか。先生からは、聞いてなかった」
「わかった。じゃあ――付与なしで。“剣だけ”で、やりましょう」
刀身に魔力を乗せないまま、凛は模擬剣を持ち直す。
次の瞬間、高い鐘の音が訓練場へ響き渡った。
審判の旗が水平に振られる。
「始め!」
その合図と同時に、胸の拍動が急に近くなる。
模擬剣が、いつもより重かった。
凛は静かに構えを取る。
その足元で、砂だけが薄く沈んだ。
試合場の周囲では、小さなどよめきが広がっていた。
「付与、乗せないのか……?」
「素の剣だけでやるの?」
「あの構え……もう完成してるだろ」
そんなざわめきが広がる中、彰は模擬剣を握り直した。
授業で叩き込まれたユニオン・ブレードの型も、踏み込みも、受けの構えも、一通りこなせる。
頭の中では、動きの流れだって最後まで描けていた。
自分はもう“戦える”。
そう思っていた。
だが――
凛の踏み込みが、一瞬で間合いを潰す。
火花が散り、白い砂が舞い上がる。
低い軌道の斬り上げが続き、受けた衝撃がそのまま腕へ突き抜けた。
次の刃が胸元へ届いた瞬間、視界が大きく揺れる。
「今の受け、完全に弾かれた……」
「打ち込みの重さ、倍になって返ってる」
剣を握る手だけが、遅れて震えた。
凛は、ただ軽く腕を振ったようにしか見えない。
それなのに、刃と刃がぶつかった瞬間、凄まじい衝撃が剣柄から一気に跳ね上がった。
身体が後ろへ吹き飛ぶ。
膝裏が抜け、遅れて背中へ強い衝撃が落ちた。
先生はそんな彰の足取りを確認し、小さく頷く。
「龍胆、いけるか?!」
「……はいっ!」
彰はどうにか足へ力を込め、崩れかけた体勢を立て直す。
だが、受けた衝撃はまだ手首から肘の奥まで残っていた。
彰の剣は、確かに教わった通りの型をなぞれている。
それなのに、凛の剣はその外側から重さごと押し込んでくるようだった。
踏み込みも、刃を滑らせる角度も、触れた瞬間にこちらの想定を外していく。
軽く払われただけにしか見えない。
それでも刃が触れるたび、衝撃だけが全身へ深く抜けていった。
(……なんだ、これ……さっきまでと、違う)
理由は、まだ掴めない。
同じ剣を受けているはずなのに、力の抜け方だけがこちらの想定から外れていく。
腕へ残った震えだけが、今起きたことをはっきり告げていた。
理解は、まだ追いつかない。
それでも、“違う”ことだけは身体が先に掴んでいる。
彰は、すぐに剣を構え直せなかった。
凛は剣を引き、わずかに眉を寄せながら彰を見下ろす。
「……ごめんなさい。加減したつもりだったんだけど」
その瞳には、勝者の驕りとは違う戸惑いだけが残っていた。
期待していた分、思った以上に差が開いていたのだと、彰にも分かってしまう。
やがて凛が静かに刃先を下げる。
その直後、審判の旗が上がった。
「一本、神楽月!」
――短い拍手と、息をのむ音が混ざる。
「龍胆、想定が違った。すまない。最初の相手に“現役インサイダー”を当てたのは、俺の判断ミスだ。模擬戦は“経験を積む場”だ。できたか、できなかったかだけで決めるものじゃない」
先生は息を吐いた。
「もう一本。今度は“動き”だけを見る。基礎の打ち合いを、見せてくれ」
「……はい」
「焦るな。戦いは“付与が乗らない時”の動きも大事だ。神楽月や、一部の連中が完成しているだけで――
お前の基礎が、遅いわけじゃない」
二本目の相手は、同じクラスの女子だった。
学科や体力では、彰より下だと見られている相手。
互いに付与なし。
審判の合図と同時に、二人が一気に踏み込んだ。
今度は、ついていける。
刃が何度もかすめ合い、間合いの取り合いが続く。
だが、踏み込み切った瞬間、ほんのわずかに足が遅れた。
その隙を、相手の剣先が逃さない。
旗が交差する。
「勝負あり、二本、相手」
紙一重だった。
それでも、一歩届かない。
先生は頷きながら前へ出る。
「よし、二人とも下がれ。今日の模擬戦はここまでだ」
視線が、彰へ向く。
「龍胆、よく耐えた。焦らず、少しずつ掴め」
「悪くない。形は守れている」
近くで見ていた生徒が、少しだけ身を乗り出した。
「今のは紙一重だったな」
「間合いの出入り、かなり良かったぞ」
周囲から、そんな声が少しずつ聞こえてくる。
試合場の端では、凱が拳を膝の上で握りしめたまま、真っ直ぐこちらを見ていた。
「……負け、か」
陽菜も胸の前で手を組み、唇を強く結んでいた。
勝敗そのものより、彰が倒れた瞬間の表情が頭から離れない。
そんな二人の姿を、彰は視界の端でぼんやり捉える。
試合場のざわめきが、遅れて耳へ戻ってきた。




