第10話:得意のかたち
コントローラーの握り跡が、掌へまだ熱を残していた。
彰はそれを眺めながら、もう一度だけコントローラーへ手を伸ばしかける。
けれど、その前に隣から伸びた手がひょいとそれをさらっていった。
「次、俺もやる!」
凱が目をきらきらさせながら笑う。
「二人プレイもできるみたいよ」
玲奈が説明書をめくりながら言った。
誠がメニューを操作し、協力モードを選ぶ。
画面へ並んだ二人のヒーローを見て、凱がすぐ指を伸ばした。
「赤がアキな。ガントレットのままでいこうぜ」
「うん!」
「じゃあ俺は剣スタイルな」
凱がソードのアイコンを迷いなく選ぶ。
青いマントのヒーローが、細身の剣をしゃきんと構えた。
「えー、じゃああとで私もやる!」
陽菜が手を挙げる。
「陽菜ちゃんの番も、あとでちゃんと作ってあげてね」
美咲が説明書から顔を上げた。
スタートの合図と同時に画面が切り替わる。
赤いマフラーのガントレット使いと、青いマントの剣使いが並んで走り出した。
押し寄せてきた敵へ、凱がすぐ声を飛ばす。
「そっちの近いの、任せた!」
「分かってる!」
彰が前へ出る。
ガントレットを振り抜くたび、突っ込んできた敵影が素早い連打で止められていく。
その後ろから、凱の剣が大きな軌道で敵の群れをまとめて薙ぎ払った。
敵の予兆マークが浮かぶ。
二人は違う方向へ散り、避けた隙へもう片方が自然に入り込んだ。
「すご……」
陽菜の足が、座布団の上で止まる。
ステージをクリアするたび、画面へ《Sランク》《コンボボーナス》の文字が次々と浮かんだ。
画面の端へ並んだスコアを見て、凱が口元をゆるめる。
「アキのほうがちょっと高いな」
「よっしゃ!」
彰も思わず笑った。
その様子を見ながら、陽菜がそっと口を開く。
「ね、ねぇ。次、私の番は?」
膝の上で握った手へ、きゅっと力が入っていた。
凱はコントローラーを持ち替えながら頷く。
「よし、じゃあ次は陽菜と俺な」
「アキはちょっと休憩。あとでまたやろうぜ」
「う、うん」
彰はコントローラーから手を離し、小さく頷いた。
誠がメニューを操作する。
プレイヤー1が青い剣士へ変わり、プレイヤー2にはピンク色のガントレット使いが表示された。
「わ、わたしこっち?」
陽菜はコントローラーを握る。
手のひらへ汗がにじみ、指先が少し震えていた。
「最初はゆっくりでいいからな」
凱が軽くコントローラーを振ってみせる。
「近づいてから振るんだぞ」
「ち、近づいてから……」
陽菜もぎこちなくコントローラーを動かす。
その動きに合わせて、画面の中のガントレット使いも小さく腕を振った。
スタートと同時に、二人のヒーローが走り出す。
「陽菜、そっち!」
「え、え、こっち!?」
陽菜が慌ててコントローラーを振る。
けれど間合いが合わず、キャラだけが敵の前へ突っ込んでしまった。
その瞬間――
『WARNING』
赤い予兆マークが画面へ弾ける。
降ってきた攻撃が、そのまま陽菜のキャラへ直撃した。
「きゃっ!?」
キャラがぺたんと倒れ込む。
「うわ、もうやられた……!」
制限時間が一気に減り、凱ひとりでは押しきれない。
そのまま画面へゲームオーバーの文字が浮かんだ。
「ご、ごめん……」
陽菜の肩が小さく縮む。
「大丈夫よ、最初はみんなそんな感じ」
玲奈が苦笑する。
「もう一回やってみたら?」
雪も優しく声をかけた。
「よし、もう一回!」
凱がすぐスタートボタンを押した。
二度目のステージが始まる。
「今だ、避けろ!」
凱の声が飛ぶ。
陽菜は慌ててコントローラーを振った。
けれど反応が追いつかない。
『WARNING』
赤い表示が弾ける。
キャラが大きく吹き飛ばされた。
「あっ……!」
陽菜の肩がびくりと揺れる。
さっきよりは長く生き残った。
けれど結果は変わらない。
「だから今の避けるやつだって!」
凱の声が少し強くなる。
「だって、分かんなかったもん……」
陽菜は視線を落とした。
凱は何か言い返しかける。
けれど、先に口から出たのは苛立ちだった。
「……陽菜、下手すぎ。雑魚じゃん」
その瞬間、部屋の空気が止まった。
彰の口元も、つられるように少しだけゆるむ。
「ざ、雑魚……?」
陽菜の目が見開かれた。
握っていたコントローラーへ、きゅっと力が入る。
「わたし、ちゃんとがんばってるのに……」
瞳のふちへ、大粒の涙がにじんだ。
「雑魚なんて言わないでよ! 一緒にあそびたいだけなのに……!」
言い終わるころには、涙がぽろっとこぼれ落ちている。
「ちょ、ちょっと待てって。そんな本気で怒んなよ」
凱が慌てて声を上げた。
「べつに本気じゃ――」
「本気じゃなくても、やだもん!!」
陽菜は座布団をばさっと押しのけて立ち上がる。
「アキも……笑ってた……」
そう言い残し、くるりと背を向けた。
「陽菜!」
雪が慌てて手を伸ばす。
けれど陽菜は、その手をすり抜けるように廊下へ走っていってしまった。
髪飾りだけが、ちりん、と寂しそうに鳴る。
「凱」
玲奈の視線が、まっすぐ凱へ向けられた。
「な、なんだよ」
凱がコントローラーを持ったまま固まる。
「今の言い方は、ちょっときつかったかな」
玲奈が小さく息をついた。
「ゲームが上手いのはいいことだけどね。 意地悪な言い方は、してはだめ」
「べ、別に本気で言ったわけじゃ……」
凱は言い訳しかける。
けれど途中で、横にいる彰の様子へ気づいた。
彰はコントローラーを握ったまま、自分の足元を見ている。
(……ひな、泣いちゃった)
息が詰まり、握ったコントローラーへ力が入った。
さっき笑いかけた口元だけが、遅れて重く残る。
「アキ」
拓也が静かに声をかけた。
「ゲームってさ。腕がいいほうが偉いわけじゃないんだよ」
彰は顔を上げる。
拓也の目は、穏やかだった。
「一緒に遊ぶ人が、ちゃんと笑ってるかどうか。それだけだよ」
コントローラーの電子音だけが、小さく続いている。
「……うん」
彰はコントローラーをそっとテーブルへ置いた。
握っていた手のひらが、じんわり汗ばんでいる。
「ひなのところ、行ってくる」
そう言って、小さく廊下へ駆け出した。
客間の前まで来ると、陽菜が廊下で体育座りをしているのが見えた。
膝を抱えたまま、顔を深くうずめている。
肩だけが、ときどき小さく揺れていた。
「……陽菜」
彰がそっと声をかける。
「……なんで来たの」
くぐもった声が返ってきた。
「ゲーム、続きを……」
と言いかけて、違うと思って口をつぐむ。
「さっきは、ごめん。笑いそうになって」
陽菜は顔を上げない。
けれど、膝へ押しつけていた指先だけが少しほどけた。
「わたし、たぶん強いよ。 だって……金魚すくいも、ヨーヨーも、前にアキより上手だったし」
「ゲームは、ちがうもん……」
「うん。でもさ、俺……ひなと一緒にやりたいから、強いとか弱いとか、正直どうでもいいや」
「……どうでも、よくない」
やっと陽菜が顔を上げる。
目の縁が赤くて、涙の筋がほっぺたへ残っていた。
「雑魚って言われたら、いやだもん。 アキに笑われるの、いちばん、やだもん」
彰は、息を吸うのを忘れたまま固まった。
握った拳へ力だけが残る。
さっきまで頭にあった言葉が、どこかへ消えていた。
ただ、陽菜の赤い目だけが、はっきり見えている。
「……ごめん」
彰はぺこりと頭を下げた。
驚くくらい自然に、頭が下がる。
「陽菜、強いとか弱いとかじゃなくてさ。 一緒にやると楽しいから、やりたいんだ。 だから……一緒に戻ってくれない?」
陽菜はしばらく黙っていた。
廊下の時計だけが、こつ、こつ、と静かに鳴っている。
「……アキ」
やがて、ぽつりと名前が呼ばれた。
「なに?」
「アキは……しょうがないから、ゆるしてあげる」
陽菜はぷいっと顔を横に向けたまま言った。
「でも、もう……アキが笑ったら、ぜったい、ゆるさないから」
「……うん。笑わない」
彰が頷くと、陽菜の口元が少しだけほどける。
「じゃあ……わたし、やってみる」
小さな手が体育座りをほどき、そのままゆっくり立ち上がった。
「アキ、となり、いてね」
「もちろん」
彰もすぐ隣へ並ぶ。
二人はそのまま、並んで居間へ戻っていった。
「戻ってきた」
玲奈の息が、ひとつほどける。
「ごめんなさい……」
陽菜が小さく頭を下げた。
「ううん、こっちこそ悪かったな」
凱も視線をそらしながら言う。
「さっきの“雑魚”は、なし」
陽菜がじっと凱を見上げた。
「……分かったよ。 陽菜、ぜんぜん雑魚じゃない。たぶん」
凱が白旗みたいに両手を上げる。
その様子を見て、玲奈の口元がふっとほどけた。
美咲は何も言わず、そっと陽菜へコントローラーを手渡す。
「じゃあ、次は陽菜ちゃんの番ね」
陽菜はコントローラーを握り直した。
両足を肩幅へ開き、そのまま画面から目を離さない。
「アキ、となりでおしえてね」
「うん。あ、そうだ」
彰は画面の端へ目をやった。
「ひな、さっきガントレットだったろ? 近くまで行かなきゃいけないから、むずかしいんだよ」
「……うん。すぐ、ぶつかっちゃう」
陽菜が小さく頷く。
「陽菜は、後ろから“まほう”撃つほうが似合いそう。
杖にしてみない?」
「杖……」
彰がメニューを開くと、武器スタイルのアイコンがもう一度並んだ。
その中で、星みたいなエフェクトをまとった杖のアイコンへ、陽菜の視線が止まる。
「これ、かわいい……」
目がぱっと明るくなった。
「じゃあ、それにしよ」
彰が決定ボタンを押す。
画面の中で、ピンク色のヒーローが細い杖を構えた。
先端の宝石みたいな部分が、淡く光を揺らしている。
「アキは、ガントレットのままでいいや」
彰も赤いマフラーのガントレット使いを選び直した。
そのままゲームが再開する。
今度は、ガントレットの彰と、杖を持った陽菜の二人プレイだった。
「アキ、となりでおしえてね」
「うん。陽菜は、ちょっと後ろにいて。杖を、こうやって軽くふると――」
彰がコントローラーを小さく振る。
すると画面の中で、杖の先から小さな光の弾が、ぽん、と飛び出した。
「わ、出た!」
陽菜がまんまるな目をする。
「危なくなったら“にげて”って言うから、そのときだけ横に振って避けて」
「……うん、やってみる」
陽菜は息をひとつ吸い込み、そのままスタートボタンを押した。
敵が現れる。
彰が前へ出てガントレットを振るい、近づいてきた敵を次々と殴り飛ばしていく。
その後ろでは、陽菜が杖を振るたび、小さな光の弾がぽん、ぽん、と飛び出して援護していた。
「今、よけて!」
「わっ――!」
彰の声へ合わせて、陽菜がコントローラーを横に振る。
ぎりぎりのところで、キャラが予兆マークの外へ滑り抜けた。
「やった! あたった!」
飛ばした光の弾が敵へ命中し、そのまま光になって消えていく。
陽菜の目が大きく開き、口元が一気にほどけた。
その笑顔を見た瞬間、胸の張りだけがすっと抜ける。
「ほら、言ったろ。陽菜、強いじゃん」
彰が笑った。
「……さっきは雑魚って言ったくせに」
「今は強いって言ってるから、セーフ」
そんなやり取りへ、玲奈がもう一度だけ小さく息を漏らす。
結果画面には、二人のスコアが並んでいた。
陽菜のポイントも、ちゃんと彰の隣へ並んでいる。
「遠くから当てるほうが向いてるかもしれないね」
雪は娘から目を離さないまま言った。
「ひな、けっこうやるな」
凱が素直に言う。
「でしょ!」
陽菜が胸を張る。
画面の中では、杖を構えたヒーローがくるりと回ってポーズを取っていた。
その笑顔を見ているうちに、さっきまで張っていた空気も少しずつほどけていく。
ゲームを少しだけ進めたあと、美咲が「そろそろお開きにしようか」と声をかけた。
皿やコップをまとめながら、名残惜しそうにテレビを一度振り返る。
「名残惜しいけど、また今度、続きをやろう」
拓也が立ち上がり、椅子がわずかに後ろへ滑った。
「明日から、ちょっと遠くの病院に出張なんだ。……えーと、なんでだったかな。ああ、そうそう。困ってる患者さんがいるから、お手伝いしてくるだけ」
「しゅっちょう?」
陽菜が首を傾げる。
揺れた髪飾りが、ちりんと小さく鳴った。
「ああ。少しだけね」
拓也はいつもの穏やかな笑顔で頷く。
彰は、その顔を見て一度だけ視線を外した。
「じゃあ、ちゃんと無事に帰ってきてね。みんなで待ってるから」
雪が隣でそう言いながら、拓也の袖口へそっと触れた。
けれど次の瞬間には、何もなかったみたいに指を離している。
「お土産、期待してるから!」
陽菜が元気よく手を上げた。
「はいはい。じゃあ、がんばって選ばないとな」
拓也は笑いながら、陽菜の頭をくしゃっと撫でる。
陽菜はくすぐったそうに肩をすくめた。
みんなを見送ったあと、家の中は少しずつ静かになっていく。
さっきまで重なっていた笑い声も遠ざかり、居間には空になった紙皿とケーキの箱だけが残っていた。
窓の外では、秋の夜風がゆっくりカーテンを揺らしている。
遠くで聞こえる虫の声が、夜の静けさへ薄く混ざっていた。
彰は自分の部屋へ戻り、もらったゲームのパッケージをもう一度見つめる。
ベッドの上へ正座したまま、膝の上へ箱をそっと置いた。
『いつか一緒に戦える日を楽しみにしている』
焔のサインの文字を、指先でそっとなぞる。
(いつか……)
その言葉だけが、サインの文字と一緒に残った。
「彰、寝るぞー」
廊下から誠の声がする。
「はーい!」
彰はゲーム機を棚へそっと置き、布団へ飛び込んだ。
シーツがふわりと浮き、すぐ身体を包み込む。
天井を見上げているうちに、今日の景色がゆっくり浮かび上がってくる。
ロウソクの光と、ケーキの甘い匂い。
みんなの笑い声に混ざる、焔の低い声。
Z-FORCEの画面へ夢中になっていた時間。
そして――泣いたあと、また笑っていた陽菜の顔だけが、最後まで離れなかった。
暗い天井の向こうで、その光景だけが静かに揺れている。
(……きょう、すごく楽しかったな)
布団の中で握った拳だけが、まだほどけなかった。
そのまま彰は、夜の静けさへゆっくり沈んでいった。




