最終話「孤星」
季節はまた巡っていた。
リアの部屋の窓から、桜の蕾が膨らみ始めているのが見えた。もうすぐあの季節が来る。蒼と再会した、あの春が。
朝の支度をしながら、リアは窓辺の指輪に目をやった。
もう隠すことはしていなかった。棚の一番奥に押し込むのではなく、いつも目に入る場所に静かに置いてある。
嵌めることはない。それでも捨てることもない。
その矛盾を抱えたまま生きることに、リアは少しずつ慣れていた。
出勤前、颯太からメッセージが届いた。就職活動が始まったらしく、面接の相談だった。リアは簡単なアドバイスを返信した。あの颯太が、もう社会人になろうとしている。時間の流れの速さに少しだけ驚いた。
咲良からも時々連絡が来る。先月は記者として書いた記事が賞を取ったと報告してくれた。父のことについては、今も詳しくは話していない。でも咲良の声には、以前より確かな強さが宿っていた。
隼は相変わらずだった。先週も、あいつ元気かなと蒼の話をした。リアはいつものように、さあね、と答えた。その言葉のやり取りが、もう五年以上続いている。終わることのない優しい習慣のように。
オフィスに着くと、今日も何人かのクライアントが待っていた。
一人ひとりの話に、リアは静かに耳を傾けた。傷つき迷い、それでも前を向こうとする人たち。その姿に、リアはいつも自分自身を重ねていた。
答えを与えることはできない。それでも隣に座り、話を聞くことはできる。その積み重ねが誰かの支えになることを、リアは信じていた。
夕方、仕事を終えて、駅前のニューススタンドの前を通りかかった。
新聞の見出しが目に入った。
海外の慈善活動についての記事だった。あの匿名財団が、また新しい支援プロジェクトを発表したという内容だった。
リアはその見出しを、しばらく見つめた。
以前のように心臓が大きく跳ねることは、もうなかった。ただ静かに、その事実を受け止めていた。
蒼は今もどこかで生きている。
そしてこれからも、彼のやり方で誰かを守り続けるだろう。
その守り方がどれほど歪んでいても、それが蒼にとっての唯一の愛の形だった。
リアが生きている限り、蒼の中の何かは燃え続ける。
その事実を、リアはもう恐れていなかった。
家に帰り、いつものように夕食の準備をした。
一人分の料理を作りながら、リアはふとこの五年間のことを振り返っていた。
千景のことを時々思い出す。あれから一度も会っていないが、風の噂で遠くの街で静かに暮らしていると聞いた。心が完全に癒えたかどうかは分からない。それでも生きているという事実に、リアは密かに安堵していた。
倉橋とは今も、年に一度か二度、連絡を取り合っている。蒼の追跡は今も続いているが、大きな進展はない。それでいい、とリアは思っていた。
食事を終え、窓辺に座った。
指輪を、そっと手に取った。
夜の光の中で、それは静かな輝きを放っていた。
蒼を愛したことは間違いではなかった。
その愛は蒼を救わなかった。それでも愛した事実は消えない。
その考えに、リアはもう迷いを持っていなかった。
窓の外を見上げた。
都会の夜空に、星はほとんど見えなかった。それでも、その見えない空のどこかに、確かに光が瞬いているはずだった。
蒼という、たった一つの孤独な星。
誰にも見つけられず、誰にも裁かれず、それでも燃え続けている星。
リアは、その星の光を、直接見ることはできない。それでも、その存在を、確かに感じることができた。
指輪を、もう一度、窓辺に戻した。
明日も仕事がある。誰かの傷に、寄り添う仕事が。
リアは、その日常を、これからも、静かに生きていく。
指輪を残したまま。
蒼を愛した記憶を、抱えたまま。
世界のどこかで、蒼はまた誰かを掃除している。
彼の愛は今日も燃えていて、リアがいる限り、消えることはない。
◆あとがき◆
本作を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「愛は、その人がすでに持っているものを完成させる」。このテーマを描きたくて書いた物語でした。リアの愛は蒼を救えませんでしたが、愛した事実は本物のままです。
切なさと後味の悪さ、両方を心に残していただけたなら嬉しいです。
【新作連載のお知らせ】
明日9月18日(金)21:05より、新作ダークファンタジーの連載をスタートします!
『復讐のダークナイト 〜愛を知った男は、再び黒い牙となる〜』
前作の現代学園ものから一変、重厚な世界観で描く「非転生ダークファンタジー」です。
明日はスタートダッシュとして、21:05に第1話と第2話を同時公開します。
愛と復讐が交錯する物語になっています。ぜひ作者アカウントをフォローして、明日の公開を楽しみにお待ちください。
それでは、また明日の夜にお会いしましょう!
筑紫隼人




