第1話 僕とこの世界
「ホクト、気をつけて行ってこい!」
「はーい、おじいちゃん。行ってきます」
爽やかな朝の空気に、どこか古めかしい家屋の木の匂いが混じる。
僕は玄関先で手を振る養父に、精一杯の笑顔を作って返した。
今日は騎士団学校の入学式。この世界のルールでは、17歳になった子供は国内に4つある育成機関のいずれかに通わなければならない義務があるという。
その中でも、僕がこれから通うのは、王立騎士団学校――らしい。
なぜこんなに他人事なのか。それは僕が、つい一週間前まで日本でごく普通の生活を送っていた高校生だからだ。
適当に授業をうけ、夜は自室でスマホをいじりながらダラダラと過ごす。
そんな、どこにでもある平凡な日常。あの日も、お気に入りのゲームをしながら寝落ちしただけだったはずなのに。
目が覚めたら、僕は見知らぬ森の中の家で、見たこともないおじいちゃんに「ホクト」と呼ばれていた。
一週間、必死に情報を集めたけれど、わかったのはここが中世ヨーロッパのような異世界であること。
そして僕には「ホクト」という名前と、何らかの理由でこの学校に入学する義務があるということだけだった。
森を抜けると、目の前には重厚なレンガ造りの大校舎が何棟もそびえ立っていた。
まるでファンタジー映画のセットのような、ヨーロッパの古城そのものの外観に、僕は圧倒されて足取りが重くなる。
これ、本当に入っていいの? 不法侵入で捕まったりしない?
門へと続く長い列には、僕と同年代の少年少女たちが並んでいる。場違いな僕が、わけもわからず並んでいると、隣にいた女の子が明るく声をかけてきた。
「君も新入生だよね? なんか緊張してる? うち、メルシア! よろしくね!」
「あ……よろしく、メルシアさん。僕はホクト」
振り返ると、そこにはポニーテールを元気に揺らした少女が立っていた。
ひまわりのような明るい笑顔と、意志の強そうな眉。
……あれ? この顔、この声。
その瞬間、頭の中に強烈な既視感が走った。
メルシア、ホクト、それに騎士団……。
霧が晴れるように、記憶の断片がつながっていく。
思い出した。僕が昔やっていたゲーム『knight order~3人の騎士たち~』だ。
戦略性と重厚なストーリーで人気を博したファンタジーRPGで、その主人公の名前は確かに「ホクト」だった。そして目の前にいる彼女は、間違いなくヒロインの一人であるメルシアだ。
あまりの状況に冷や汗を流している僕を尻目に、メルシアが目を輝かせて身を乗り出してきた。
「ホクト……えっ、じゃあ君が今年の首席合格の子なの!?」
「――っ!?」
首席……? 僕が?
「一週間前にここに来たばかりの素人なので、状況がさっぱりわかりません!」なんて、口が裂けても言えない。
「えぇっと……そうなのか……な?」
「すごいじゃん! もしかして、あのロイア生徒会長みたいになれるんじゃない!?」
間違いない。ロイアはゲームにおけるもう一人のヒロインだ。
確信した。ここはあのゲームの世界であり、今まさに物語が始まる直前の時間軸なんだ。
『Knight Order』。
卒業後に騎士団へ入団した主人公が、3人のメインヒロインの中から「ただ一人」をパートナーとして選び、過酷な戦場を生き抜いていく物語。
だが、このゲームにはプレイヤーの間で悪名高い、最大の特徴があった。
それは、《選ばれなかったヒロインは、様々な形で必ず退場する》ということ。
ある者は凄惨な戦死を遂げ、ある者は不慮の事故で命を落とし、またある者は絶望の中で姿を消す。
三人の騎士が共に生き残るルートは、どれだけ攻略サイトを漁っても、どんな隠しフラグを探しても、存在しなかった。
画面の向こうで、選ばなかったキャラが死ぬたびに胸が痛んだものだ。
……そんなの、あんまりじゃないか。
だからこそ、本物のホクトとしてこの世界に来た今、僕の中に一つの無謀な思いが芽生えた。
誰も死なせたくない。
三人全員が笑っていられるハッピーエンドを目指してみようと。
◇ ◇
気が付くと、入学式は終わっていた。
荘厳な式典、校長からの激励、周囲からの熱い視線。そのすべてが上の空で、教室に戻った僕は、自分の机に突っ伏すことしかできなかった。
どうすればいいんだ、これ……。口ではデカいことを考えたけど、現実は厳しすぎる。
確かに、ゲームの中の《《ホクト》》は憧れの対象だった。
非の打ち所がないイケメンで、圧倒的な武力で敵をなぎ倒していく無双の主人公。
優柔不断で気弱な自分にとって、「こんな風になれたら」と夢見た存在だ。
でもいざそうなってしまうと話は違う……。確かに外見は清潔感のあるイケメンだが、中身はこんなモブだ。
鏡に映る自分は、確かに清潔感のある完璧な美男子だ。けれど、その殻の中にいるのは、相変わらず臆病なだけのモブ。
『三人全員が笑っていられるハッピーエンド』なんていったものの、この世界の過酷な運命をどうにかできる自信なんて、ひとかけらもなかった。
「ホーーークートくん! どうしたの、そんなに丸まって!」
不意に、背中を叩く強い衝撃と、明るい声が降ってきた。
顔を上げると、そこには予想通りの少女が立っていた。
「……メルシアさん、どうしたの?」
「元気ないから声かけに来たの! 入口で並んでる時も、なんか魂が抜けたみたいな顔してたし!」
腰に手を当てて笑う彼女は、すでに「クラスのムードメーカー」としての立ち位置を確立しているようだった。
これからの生活に希望を抱いている彼女と僕の様子は対照的だ。
「……少し、自信がないんだ。主席といってもどうすればいいのか」
僕がそう弱音を吐くと、メルシアの笑顔が、少しだけ深く静かなものに変わった。
「自信がない? ……ふふ、いいよ、それで」
彼女は僕の机に手をつき、ぐいっと顔を近づけてくる。爽やかな石鹸の香りと、彼女の熱っぽい吐息が混ざり合う。
「ホクトくんが弱いのなら、うちが守ってあげる。……うちはみんなを守るためここにいるんだから」
「メルシアさん……?」
「!ううん、なんでもない!私、戻るね」
彼女は焦った様子で、他の友人のところへ駆けていってしまった。今のはどういうことなのだろう?そんな疑問も、教室の扉が開く音でかき消された。
入ってきたのは、彫りの深い険しい顔つきの大柄な男。およそ生徒を導く教官には見えない、歴戦の戦士のような威圧感。
「席につけ。これから俺が、お前らをしごいてやる。3年のロイアレベルとまでは行かなくとも、2年のユスティアやレックスに並ぶくらいにはしてやるから覚悟しとけよ」
寄りによってThe・体育会系な教官の登場に僕は絶句した。僕が一番苦手なタイプであり、僕を一番嫌うタイプだ。
もうこの時点でうまくやっていける自信がない……
――こうして僕の憂鬱なる第二の人生の学校生活が幕を開けた。




