プロローグ
どこか楽しげな鼻歌で、僕は目を覚ました。
いつの間にか意識を失っていたようで、起き上がろうとすると全身に鋭い痛みが走る。
……この痛みが僕が置かれた現状を嫌というほど思い出させた。
豪華な天蓋付きベッドのシーツがカサリと音を立てる。かつて日本で安物の布団にくるまっていた僕からすれば、これ以上ないほど贅沢な環境だ。
「ホクト、ご飯だよ♩」
キッチンから聞こえる、陽だまりのように朗らかな声。僕は重い身体を引きずるような足取りでキッチンに向かった。
テーブルの上には鮮やかな彩りの料理が並んでいる。数種類の新鮮な野菜が入ったサラダボウルに、湯気を立てる濃厚なスープ、そして漫画のような骨付き肉が食欲をそそる。
「……いつも、ありがとう。メルシア」
「気にしないで。ホクトの身の回りのことは、全部うちがやってあげるから。ね? ホクトはただ、ここで美味しくご飯を食べて、笑っていてくれればそれでいいんだよ」
掃除も、洗濯も、食事の用意も。この家の中での家事は、すべてメルシアたちが完璧にこなしている。一度「僕も手伝うよ」と言ったこともあったが、彼女たちは頑なに譲らなかった。
なんでも、「私たちがいるからあなたは何もしないでほしい」とのこと。
「ダーリン起きたんだ。ボクにも声かけてよ」
「あ、ユスティアおはよ」
僕のことを「ダーリン」と呼ぶ彼女――ユスティアが、当然のような顔をして僕の隣に座った。いつも僕の隣の席を巡っては、《《三人》》で争いあうのだが、今回はユスティアが勝ったようだ。彼女が席に着くのと同時にメルシアも向かいに座り、僕たちは手を合わせた。
料理を口に運ぶと、ジューシーな肉の旨みが口いっぱいに広がる。《《前世で食べた料理》》に負け劣らず、ここの料理は絶品だ。
僕が夢中で食べる様子を見て、メルシアは心底幸せそうに目を細めた。ふと、彼女のほうを見ると白く細い手の甲に、真新しい傷がついているのが目に入った。
「メルシア、その手……また怪我してるじゃないか。よく見せて」
「え……あ、あはは。ありがとう。ホクトは本当に優しいね」
僕がその手を取ると、メルシアは頬を赤らめ、震えるような声で見つめてくる。だけどその瞳の奥は、どこか空虚で真っ黒。
彼女の傷を見つめていると、それを遮るように横から手が飛んできた。
「だめ、ダーリンは手放して。じゃないと、その指――」
瞬間、部屋の温度が数度下がったような錯覚に陥った。ユスティアの瞳からもハイライトが消え、底なしの欲望がむき出しになっている。彼女が握る銀色のフォークが、みしりと音を立てて撓んだ。
「ご、ごめん!食事中だったね……」
僕は焦りながら、メルシアの手を離した。そこからは、先ほどの弾むような会話などなくなり、三人無言で食事を進めるしかなかった。さっきまであんなに美味しかったはずの料理が、今は何も感じられなかった。
◇
食事を終え、彼女たちが食器を片付け始めた時、ふとテーブルの端に置かれた一枚の手紙が目に入った。それは僕宛の封書で、公式な魔導封印が施されている。
「えっとなになに、『来週に行われる、エリュー砦攻略戦へ参加せよ。これは部隊長からの命令である』か……」
どうやら僕の所属する部隊からの招集命令のようだ。かつての僕なら、部隊長から直々に指名が来るなんて、栄誉なことだと喜んでいたかもしれない。けれど今の僕は、その手紙を持つ手が震えるのを止められなかった。
これには、笑えないほど深い理由がある。
「えっと……これって許されると思う?二人とも」
キッチンにいる二人に声をかけると、彼女たちは音もなく僕の背後に現れ、手紙をのぞき込んできた。内容を読み取った彼女たちの顔が、一瞬で氷のように険しくなるのが、見なくても伝わってきた。
「……無理に決まってるでしょ? こんな紙切れ一枚で、ここから出たいなんて」
「そう。ロイアさんにこの手紙を見せたら、どうなるか想像つくよね?部隊長クラスの命令なんて、彼女の前ではただの落書きじゃん」
「あはは……そうだよね。ごめん、忘れてた」
僕は思わず絶望し、天井を仰いだ。
そう。僕は何を隠そう――三人のヒロインに、《《監禁》》されている。
騎士団長や副団長、それ以上の権力者が直接命じない限り、僕はここから解放されない。それほどまでに、現在のロイアの……いや、彼女たち三人の力は、この国において強大になりすぎていた。
出会った頃は、みんなこんなんじゃなかったんだけどな……。
僕の知っている彼女たちは、もっとずっと、眩しくて、尊い存在だった。
頑張り屋で、自分のことを後回しにしてでも他人を助ける、少し無理をしがちな姉御肌の同級生、メルシア。
徹底的な合理主義で感情が薄そうに見えるけれど、一度信頼した相手には不器用なデレを見せてくれた、クールな先輩、ユスティア。
そして、誰からも尊敬され、強い責任感で学校を導いていた、理想の生徒会長、ロイア。
《《ゲームのヒロイン》》として、僕が何度も救われ、愛おしいと思った彼女たち。
そのはずなのに、今の僕の前にいる三人は、どちらかというと――「ヤンデレ」というやつだ。
どうして彼女たちはこうなったのか。そう。確かあれはあの学生時代のあの日から――




