廃教会の魔法使い 2
濃厚な夜の気配が漂い、教会の建物全体が深い闇にとっぷりと呑まれた。
教会の暗い廊下を、シモンは、セオバルドの後について歩く。
唯一の光源――。セオバルドの喚び出した小さな炎が揺らめきながら、シモンの足許をほのかに照らし出す。
「……」
「……」
言葉を交わすこともなく、音は、規則正しく床を打つ靴音だけ。
しかしそれも、反響することなく暗闇にとけて消え、静寂を際立たせる。――まるで。
すべてのものが、夜の世界を構成するただの一欠片であるかのような、調和のとれた静けさがあった。
セオバルドは足を止め、キッチンの扉を開くとシモンを振り返る。
扉に圧されて、ささやかな風が起こり、シモンの足許で緩やかに渦を巻く。……別々の空間に閉じ込められていた異なる香りが、ゆるりと混じり合う。
おもむろに手をあげて、セオバルドは廊下に浮遊させていた炎を消し去り、代わりに淡い光を放つ珠を掌に作りだす。
セオバルドの掌の上で、くるりと自転する檸檬色の光の珠は、さながら小さな満月のよう。
「少し、長くなるかもしれないから」
そういって、セオバルドはダイニングテーブルの上に両手を掲げて、天井近くに月を懸ける。
ふわり、と月が浮かんで。
やわらかな月光に照らしだされるキッチンに、どこか遠くで鳴く、梟の声が届いた。
「……お茶を、淹れますね」
昼間というには薄暗く、夜というには明るすぎる。
そんなキッチンで、シモンは気持ちを落ち着かせるためにハーブティーを淹れる。香りを乗せて立ち昇る温かな湯気を、胸いっぱいに吸い込む。
リンデンとレモンバーベナに少量のカモミールを加えたハーブティーは、甘くまろやかな香りにひとつまみの清涼感を漂わせ、緊張したシモンの心をほぐして和ませる。
一息ついて。
ほんの少しの心構えをしたシモンは、淹れたてのハーブティーをダイニングテーブルに運び、セオバルドと差し向かいに座った。
「先生、あの……」
何から訊けばいいのか、わからない。
続く言葉を探し出せずに、シモンは手許のカップに視線を落とす。
琥珀色の水面に浮かぶ月が、白く立ち昇る湯気を纏って、おぼろに霞んだ。
黒い睫毛をやんわりと瞳に被せ、セオバルドは吐息を漏らす。
「ああ」
わかっているとばかりに相槌を打ち、セオバルドは背筋を正すと、まっすぐにシモンと視線を合わせた。
「まず、私は牧師ではなくて魔法使いだ」
「……はい」
魔法使いについては、何も知らない。だが、シモンはひとまずセオバルドの言葉を受け止めて、こくりと頷く。
次いで、尋ねた。
「魔法使いって、何をしている人なんですか?」
セオバルドは淡々と、しかしシモンの理解を促すように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「魔法使いとは、世界にある不可視の力や、己の魔力についての理解を深め、術の研究をする者。また、それを用いて、この世の摂理を探求し続ける者。現世とは別に存在するいくつもの異界、そして、そこに住まう者について学び続け、人を介して知り得た知識を伝承していく者」
「……」
シモンは、セオバルドの言葉を理解するのに少しばかり時間を要して、押し黙る。
セオバルドが語るのは、おそらく魔法使いの本質なのだろう。
魔法使いという存在について大まかに理解したシモンは、セオバルドと重ねてきた時間を振り返る。
確かに。
今までセオバルドから習ってきた事柄は、その一端だった。経験を結び付けて、シモンはセオバルドが魔法使いであるのだと、腑に落とす。
しばらく黙っていたセオバルドは、シモンの顔に疑問が浮かばないことを見定めて、妖精によって暴かれた、もうひとつの真実に触れる。
「ここが『教会の跡地』であるという件だが……。前の牧師は、魔物の住み着いてしまった礼拝堂を放置していなくなり、以来、行方がわからないそうだ。魔物に対処する術を持たない町長は、然るべき手続きを済ませて、教会を閉鎖した。ここは比較的小さな教区だから、隣接する教区へと統合されたんだ」
シモンは、ふと、町でも同じような噂話がされていたことを思い出す。
化け物が住み着いた教会から牧師が逃げ出し、それから誰も近づかないのだ、と。
「魔物が……」
うわ言のように呟いて、シモンは薄らと事情を察する。
魔物の住み着いた教会は、正式な手続きを踏むことで、その存在意義を失ったのだ。
けれど、原因となった魔物がいなくなり、セオバルドがここにいるということは――。
「ああ。ここの建物は、礼拝堂に住み着いていた魔物を祓うことで町長から得た、対価だ」
言い終えて、セオバルドは持ち上げたカップに口を付けて、咽を潤す。
音もなくテーブルに戻されたカップの内側で、琥珀色の水面に小さな波紋が生じる。
――依頼者はこの町の町長で、セオバルドは依頼を受けた魔法使い。
ぼんやりと全容を把握して、シモンは息を詰め、わずかに身を硬くする。
これまでセオバルドは、引き受けた仕事の内容や対価について口外しないよう依頼者たちに口止めをしてきた。それを彼のそばで見ていたシモンは、自分は口止めをする側にいるものだと思っていた。
何も知らなかった。知らされていなかった。
その事実が、シモンの心に色濃い不安の影を落とす。
手許のカップに視線を落とすセオバルドは、シモンの些細な変化に気づくことなく話を継いだ。
「ここにいた牧師は、いわくつきの物……。呪われた物や、魔物の封じられた物を引き受けていたのだろう。それらを、礼拝堂の地下へと溜め込んでいたんだ」
「じゃあ、礼拝堂にいた魔物は……?」
溜め込んでいたというからには、相当な数の品物があったはず。
封じられているとはいえ、沢山の魔物が礼拝堂の地下に閉じ込められていた状況に危ういものを覚えて、シモンは眉をひそめる。
シモンの危惧したものを読み取り、頷くことでセオバルドは、それを肯定した。
「そのうちの一つの封印が、礼拝堂で解けたとみて間違いない。だが、牧師が各所に施した魔除けが出口を塞ぎ、礼拝堂自体が魔物を閉じ込めた箱のようになっていた」
「箱、……ですか」
割れた祭壇と折れた十字架、歪んだ壁と傷んだ屋根。……傾いた尖塔屋根と、鳴らない鐘。
暴れた魔物によって、内側から壊されたものだとしたら、納得がいく。
「……それで、あの壊れようなんですね」
教会の鐘は、悪霊除けや魔除けとされ、その音色は悪しきものを遠ざける。
鐘の音の響かない、十字架の折れた礼拝堂は、魔物の住処となった。
「放置されている魔物を祓う代わりに、しばらくの間、教会に住まわせて欲しいと町長に交渉を持ちかけたんだが……」
「はい」
「その際、町長から『教会の建物に魔物が住み着いているのだと公になるのは避けたい。それに、閉鎖したとはいえ、無関係の人間をそこに住まわせておくのは体裁が悪い。隣接する教区の牧師や町長には根回ししておく。町の人たちには、礼拝堂が直るまで近づかないように言っておくから、礼拝堂は直さずに牧師ということで話しを合わせて欲しい』と持ちかけられて、その方が私も都合がいいから、話しに応じた」
「あの、……都合って?」
不思議がるシモンに、セオバルドは、煩わしいものを思い浮かべるように眉をひそめた。
「新参者は、どうしても興味を持たれて素性を詮索されがちだ。それに、香を焚けば香りが立つ。常に人目のある状況なら、術を唱えることもままならない。……だけど、人が寄り付かないのなら、詮索されることも無暗に干渉されることもないだろう」
丘の上にぽつりと建つ教会は、町から程よく離れているうえに、道の脇には木が植えられて目隠しとなっている。人が寄り付かないのなら、気兼ねなく術を使うこともできる。
なるほど、優良物件だ。
「そう、だったんですか……」
頷いて、シモンはそのまま顔を上げることができずに項垂れた。
セオバルドが牧師のふりをしている理由は、わかった。
すべては、交渉の際の取り決めだから。
その時に、その場にいなかったシモンは部外者なのだから、知らなくて当然のこと。
それならば。
同じ立場であるはずの、シェリーは……?
「シェリーも……。シェリーは、先生が魔法使いだって知っているんですか?」
かろうじて咽から押し出した声は、弱々しく掠れた。
薄く口を開いたセオバルドは、声を発するのをほんの刹那、躊躇う。
俄かに訪れた沈黙は、妙な間となって気まずさを誘う。
「……シェリーは、知っている。交渉の際に、私が教会に迎え入れる者に対しては、情報の秘匿からは除外するよう申し出て、町長から了承を得ている。礼拝堂の魔物を祓った後、シェリーはそばにいたから……」
セオバルドの声音はいつもよりも低く、口振りは慎重だった。そっと向けられる眼差しは、シモンの反応を窺うもの。
「……え?」
――教会に迎え入れる者に対しては……?
不意に頭を殴られるような衝撃を受けたシモンは言葉を失い、身を竦める。呆然とした顔をセオバルドに向けた。
教会に居て、知らなかったのはシモンだけ。
自分だけが町の人と同じように事実を伏せられていたことに、シモンは動揺を禁じ得ない。
(ここに、受け入れてもらえたわけじゃなかったんだ……)
入れてもらえていたのだと思っていた輪の中に、入っていなかった疎外感。独り、置いてけぼりにされてしまったような寂寥感に襲われ、シモンの心がきゅぅっと萎縮する。
胸の深いところから悲しみが湧きあがり、じわじわと身体を浸していく。そのまま何もせずにいたら、悲しみの海に沈んで泣き出してしまいそうで、シモンは無理矢理、顔を笑みの形につくる。
そして、胸の内で自分自身に言い聞かせる。
セオバルドやシェリーに隠し事をしているのは、自分も同じなのだから。
納得しなければいけない。
口許が引き攣って、上手く笑えていなかったのかもしれない。
「僕は……、知ったらいけなかったんですね」
口から零れた声が上ずったのを感じて、シモンは俯いて顔を隠す。
見据えた手許のカップの輪郭が、じわぁっとぼやけて視界が揺れる。
わずかな重みが睫毛を滑り、離れて――。
ぴとん、とカップの中で微かな水音が立ち、波紋が広がった。
慌ててぱちぱちと目を瞬かせたシモンは、両手でカップを包み込んで持ち上げる。ぎこちない手つきで傾けて、少し温くなったハーブティーを口に含む。
熱くも冷たくもない、味のしない液体。それを、込み上げてくる嗚咽と共に呑み込んで、腹の底へと押しやった。




