妖精の恋人 10
ドアノッカーを打ち、来訪を報せて、シモンは静かに玄関扉を押し開く――。
「ケネスさん、シモンです。……お邪魔します」
部屋の奥まで通る声で、ケネスに断りを入れた。
ベッドの上で横たわっていたケネスは、セオバルドを連れて部屋を訪れたシモンに、驚いて目を瞠った。その脇には、少女を模ったシェリーが無表情を装い、目を伏せ、人形のように座っている。
ケネスが初対面のセオバルドを見つめて、不思議そうな顔をした。
「……シモン、その人は?」
「えぇ、と、こちらは僕がお世話になっている、町はずれの教会の……」
「セオバルドです」
シモンが紹介するよりも先に、セオバルドが平坦な声で名乗り、会釈をした。
眉一つ動かさないセオバルドは、付き添うとの言葉の通り、この件に進んで関わる気はないのだろう。押し黙ることで静観の構えをみせる。
ケネスは、セオバルドが噂の当事者である『薄幸の牧師』だと気づいたらしい。
「あぁ、貴方があの……」
決まりが悪そうな顔をしてセオバルドから目を逸らし、もごもごと口ごもる。
「……」
「……」
人数だけは増えたのに、誰も言葉を発しようとはしない。
家主であるケネスは、気まずそうに落ち着かない様子で、開かれた窓の外に視線を彷徨わせる。
茜色の滲み始めた空を眺めて、気持ちを落ち着けたのか。
ケネスは穏やかな顔をシェリーの方に傾けて、親し気な眼差しで見つめる。
「この子、僕が目を覚ました時に、シモンの知り合いだと言ったきり黙ったままなんだけれど……」
どことなく嬉しそうに、ケネスは優しく微笑んだ。
「……彼女と、少し似た気配がする」
伏せられていたシェリーの長い銀の睫毛が、ぴく、と微かに震えた。
詩神である妖精から、生命力と引き換えに豊かな感性を与えられているケネスは、精霊や妖精といった気配に敏感なのかもしれない。
シェリーは勘付かれることを厭うように、音もなく立ち上がり、シモンの隣を擦り抜ける際に小声で囁く。
「私は席を外すから」
「ありがとう。シェリー」
ケネスのそばに付き、目覚めを報せてくれたことに対して礼を述べると、シェリーはシモンに一瞥を返す。次いで、物言いたげな瞳でセオバルドの顔をじっと見つめ、ふい、と視線を逸らした。
外へ出て行くシェリーの後ろ姿を静かに見送り、ケネスは口を開く。
「今のあの子のことといい、シモンは不思議だね。この間、僕を部屋に送ってくれた時、シモンには尋ねてきた彼女の姿が見えていたよね。彼女のことは、僕にしか見えないものだと思っていたのに……」
少し吃驚した、とケネスは独りごちる。
たった今、シェリーの座っていたベッドの脇に、シモンが膝をついた。
「あの」
妖精の存在に触れたケネスに、シモンは慎重に、ゆっくりと切りだす。
「ケネスさんの体調の悪い原因について、わかったことがあるんです。今、お話してもいいですか……?」
刹那。
驚いた顔をして、ケネスは目を瞬かせた。すぐに彼は、困ったような寂しそうな顔をして曖昧に微笑む。
「……うん」
「先日、ケネスさんはお医者さまに診てもらったけれど、どこも悪くないって言いましたよね」
「……言ったね」
ベッドに横たわるケネスは、天井に視線を向け、吐息混じりの声で答える。
ただひたすらに天井を凝視し続けるケネスは、考えを巡らせ整理しているようでもあった。
「僕は臆病だから、人の口から聞かされるのがなんだか怖い。だから、……僕の口から訊いてもいいかな?」
「はい」
了承して頷くシモンに、ケネスは口許にぎこちなく笑みを浮かべて、「ありがとう」と返した。
「僕は、幼い頃から本が……、とりわけ詩が好きだった。そのうち、見たことや感じたことを自分で書き記すようになったんだ。手許にある本の知識や故郷の景色に満足できなくなるのに、そう時間はかからなかった。もっと色々なことを自分自身で経験してみたくて、見聞を広げるために故郷を飛び出した。彼女に会ったのは、数年前の夏の頃……。移動する馬車の窓から見えた荒野一面に咲き乱れる桃色のヒースと、そこに深みを添える紫のベル・ヘザーの濃淡があまりにも綺麗で、少しでも目に留めておきたくて。……馬車を停めて、街道に降りたんだ」
風が吹けば一斉にシャラシャラと音を鳴らしそうな、小さなベルの形をした可憐な薄桃色の花。
薄桃と紫の濃淡ある小さな花々が霞のように広がり、どこまでも続く荒野を美しく華やかに彩る。そんな景色を思い浮かべながら、シモンは表情を和らげて、静かな相槌を打った。
「ええ。……見渡す限り花で溢れる荒野は、きっと綺麗ですよね。花に見惚れて街道を見失い、迷子になってしまうほどに……」
岩盤の土地である荒野には、目印となるような背の高い木は生えない。
ヒースもベル・ヘザーも膝程の高さしかない灌木だが、ほんの少し離れただけで街道を隠してしまう。街道を見失い灌木に囲まれれば、あっという間に方向感覚を失う。
それに、こうした灌木の下には、妖精が休んでいることもある。
……悪戯好きの小妖精が、荒野に入り込んだ人間を誘い、迷わせるのもよくあること。
荒野での景色が見えているかのように話すシモンに、くすり、とケネスは笑った。
「そう。迷子になってしまって。街道を探しながら、どうせなら白い花を見つけようと思ったんだ」
ベル・ヘザーの花色は通常、薄桃や桃色、紫だ。
稀にあるといわれる白い花は、幸運のしるし。
そっと瞼を伏せるシモンは、荒野で迷っても、おおらかにのんびりと白花を探すケネスの姿を思い浮かべ、頬を緩める。
「……見つかりましたか?」
幸運の花は。
シモンが、そよぐ風を思わせる声音で囁き尋ねると、ケネスは泣きだしそうに顔を歪め、微かに唇を震わせる。
「うん、……見つけた。ベル・ヘザーの間で横になって、うたた寝していた彼女と目が合って……、その瞬間、周りの色彩が全部霞んで見えたんだ。夢か、光の加減で現れた幻なのかと思った。青空を流れる風を映したような銀の髪一筋、長い睫毛の一本一本に至るまで繊細で、触れたら掻き消えてしまいそうに透明感があって、儚くて……。とても綺麗だった」
「……はい」
軽く目を瞑ったシモンは、胸に手を当てる。
瞼に浮かぶ、深い紫と桃色の細かな花に囲まれて微睡む妖精は、やわい白肌に薄絹を纏う、光にほどけてしまいそうな透明感のある白。
「彼女から声をかけられて、二言三言、言葉を交わして……。恥ずかしいけれど、舞い上がって頭に血が上ってふわふわして。緊張に震える手で、彼女の手を取ったことを覚えている」
「ええ」
自分がケネスの立場であっても緊張するだろうと、シモンは共感を覚える。
何よりも。
ケネスをそのまま幼くした容姿の少年が、恥じらいながら妖精の手を取る姿を想像して、微笑ましく思ったシモンは、くすくすと笑みを零す。
ほんのりと頬を朱に染めて、むくれたケネスは視線を横に流し、拗ねた声で文句を言う。
「……ひどいな、もう。本当に恥ずかしいから、シモン。隣で笑わないでくれるかな」
「すみません」
「ああ。……でも、少し気楽に話せそうだ」
シモンにつられて頬を緩めたケネスは、吐息と共に肩の力を抜き、声の調子を和らげる。過ぎた日に想いを馳せるように、再び部屋の天井に視線を向けた。
読んでくださり、有難うございます。
ヒースについて。ヒースは本来荒野のことを指すのですが、そこに生えるエリカ属の植物もヒースと呼ぶそうなので(曖昧)、荒地をムーア、荒野に生える植物をヒースと表現させていただきました。ちなみにヘザーはよく似ているのですがツツジ科カルーナ属。「ヒース」でGoogle検索されると、荒野を覆いつくすように咲く桃色の花を見ることができるかと思います。




