↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
92/152

妖精の恋人 11 


 妖精との出会いを語り、一緒に過ごした日々を振り返るケネスの瞳が、優しく細められる。


「彼女と会うようになって、世界は一変したんだ。僕を取り巻くすべてが鮮明に……、空から零れ落ちる光の一筋、ひとかけらの影でさえ色鮮やかに見えた。音は多彩に――雨や水、土の香、風の囁き。根から吸い上げた水を巡らせる、木々の脈打つ鼓動――。密やかに繰り返される葉の息吹まで、微細に聞き分けられるようになった。季節と共に巡ってゆく不可視の精霊たちの気配を……、生きている自然を身近に感じられるようになったんだ。僕にしか見えていない彼女の存在はとても不思議だったけれど、紡いだ詩を喜んで、とびきりの笑顔をくれる。いつだって隣に寄り添い、美しい声で詩を詠みあげてくれる彼女は本当に綺麗で、愛おしくて……」


 真面目に働く傍ら、好きな詩の勉強をしながら彼女と過ごしてきたのだと、ケネスは言った。


 故郷を出てたった独り。嬉しい時や哀しい時、郷愁の念に駆られた時にも寄り添い、笑顔でそばにいてくれる妖精(リャナンシー)はケネスの心の支えだったのだろう。

 見知らぬ土地で、自分を支えてくれる誰かがそばにいてくれる。それがどんなに心強いことなのか、かけがえのない存在なのか。シモンは、身をもって知っている。

 セオバルドとシェリーに支えられているシモンには、痛いほどわかる。


「だけど、もう一年以上前かな。段々と体調が悪くなっていって。僕の体調を気遣って町で話しかけてくれるお婆さんに、何かに憑りつかれているんじゃないかって言われた時には、まさか、って。でも、出会ったばかりで僕のことを知らない、彼女の姿を見ることのできる君が今、答えをもってここにいることが……」

 ケネスの声が、上ずって震えた。

 先の言葉を呑み下すように咽がこくんと動き、ケネスが口を引き結ぶ。

 シモンは相槌を打つ代わりにベッドに両手を伸ばし、ケネスの片手に重ねて包み込む。伏し目がちに黙って、ほんの少し冷たく感じるケネスの手を温めながら、彼の気持ちが落ち着くのを静かに待った。


「体調を崩し始めてから、身体を起こしていられる時間はどんどん減っていった。……ここ最近は、特に。彼女と会った後は酷い疲労感で身体が動かなかった。気づいていたのに、目を背けていたんだ。きっと、何かの偶然で一時的なことだろう……って。でも、もう身体が軽かった時のことなんて思い出せないし、食事もあまり受け付けないんだ。……わかっている。僕はあまり長くないんだろう?」

 自分の身体のことだから。そう力なく呟いたケネスの瞳が、静寂にも似た諦念に彩られる。


 ケネスの疑念に対して、シモンは気遣う声音でやんわりと肯定する。

「今のままでは……」

 両手で包み込んだケネスの手の温もりが、これ以上零れ落ちてしまわないように。シモンは、きゅっとケネスの手を握りなおす。

「でも、まだケネスさんにやりたいことがあるのなら……、ケネスさんが生きることを選んでくれるのなら……。僕は、そのお手伝いをすることができます」

「それは、どういうこと?」

 ケネスに見つめられて視線を交わしたシモンは、伝えなければならない言葉を整理する。目を伏せて、わずかな間、逡巡する。

「……ケネスさんは、彼女と一緒にいることで、身体に無理が、……かかっているんです」

 憂いと後ろめたさが、シモンの声を沈ませた。

 妖精を心の支えにしているケネスに、彼女が生命力を奪っているのだとは、言えなかった。

 ありのままに真実を伝えるのは、心が軋むように痛くて。

 嘘を、吐いた。


「彼女の存在は、自然そのものだから……。彼女と一緒にいることで、ケネスさんは自然を身近に感じることができたのでしょう。……ただ、その力は身体に負担が大きいから。だから、自然を感じる力を彼女へ還して、今まで彼女と作り上げて来たものも無かったことにして。……彼女に、別れを告げることで、ケネスさんは命を繋ぐことができます」


 途端に、ケネスの表情が苦悶に歪む。

 瞳に色濃い悲しみを浮かべるケネスの口から零れたのは、深い嘆息。 

「……そう、なんだ」

 生き延びる可能性を示されても、それに飛びつくことをしない。

 忍び寄る死を間近く感じながらも、妖精を失ってまで生き永らえたいとは、思えないのかもしれない。

 ケネスにとって妖精は、それだけ大切な、失いたくない存在。

 だから。 

 ケネスの気持ちを理解した上で、シモンは一歩踏み込んで、訊く。

「初めて僕が声をかけた時に、ケネスさんは『薄幸の牧師』に自分を重ねたんですよね……?」

 シモンを衝き動かすのは、ケネスと向き合う『今』に悔いを残したくないという、利己的な感情。


「え?」

 きょとんとするケネスに、シモンはできる限り穏やかに、やわらかな声音で語りかける。

「僕が『薄幸の牧師(せんせい)』は元気だと伝えた時に、ケネスさんはとても嬉しそうに、よかった……って言ったから」

 死を厭い、生きようとするケネスが、未来へと繋がる希望を見出し安堵した、紛れもない彼の本心だったと思えるから。

 シモンは、その時のケネスの笑顔を思い浮かべながら、垣間見た彼の心の一片に、問う。

「ケネスさんは、まだ、生きていたいのではないですか?」


 はっとして表情を強張らせたケネスが、息を呑んだ。

 驚愕、怯え、戸惑いといった感情の波に翻弄されるケネスの瞳が潤み、大きく揺らめいた。逃げ場を探すように焦点が定まらない。

 声を発することを厭うように唇を固く噛み締めて、ケネスは黙り込む。

 音が途切れ、深い水底(みなそこ)を思わせる重々しい沈黙が、とっぷりと部屋を満たした。


 泣きだしそうに眉尻を下げたケネスは、天井を仰ぎ、そっと双眸を閉じる。

「……未練なんてないって、納得したつもりで……。紡いだ詩が、書き留めてきたものが僕の生きた証だから、それが遺るのならって。でも……っ」

 声を詰まらせ、口をつぐんだケネスは、自分自身を落ち着かせるように深い呼吸を繰り返す。

 苦悩の表情で、心情を吐露する。

「本当なら、何も失いたくない。今まで通り詩を書いて彼女と過ごしていたい。そうして生きていきたい。そう思う僕は、強欲な人間なのだろうね。そして、それが叶わないのなら潔く諦めてしまえばいいのに、心のどこかで生きることを諦めきれない僕は……、酷い人間なんだと思う」


「……いいえ。そんなことは、ないです」

 決して慰めや同情心からではなく、シモンは確信をもって、きっぱりとケネスの言葉を否定する。

 妖精と共に在り、生きている自然を身近に感じられるケネスは、輝く命の力強さ、その儚さを知っているはず。

 自然に心を寄せて慈しみ、生きとし生けるものの命を尊ぶ感性を持ち合わせていて、自分自身の命にだけ鈍感であるはずがない。

 ケネスの命も、生きたいという想う気持ちもまた、尊いもの。


 物思いに沈むケネスの瞳が、風を招き入れる窓に向けられた。

 妖精の瞳と同じ、濃藍に染まりゆく空を、ケネスは切なく眺める。

「彼女と別れたら……。一緒に過ごした日々や彼女との思い出も無かったことに……、すべて夢のように忘れてしまうってこと?」

 進むべき道を見失ったかのような弱々しく心許ない声が、ケネスから絞り出された。

 答えを知らないシモンは、不安に駆られて背後に立つセオバルドを振り仰ぐ。

 寡黙を貫くセオバルドは、冷徹な青い双眸でケネスを一瞥し、簡潔に言った。

「いいえ」


 冷ややかな夜の微風がケネスの前髪を数本揺らし、気力に乏しい蒼白い顔を撫でていった。

 ケネスは薄く零した溜め息を、澄んだ夜気に忍ばせる。

「彼女と会って、きちんと話がしたい」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。