↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
78/152

夏の始まり 4


 ウィリアムの敷地である広大な牧草地は、山羊たちが草を毟り食んでいるために、草丈が短くて走りやすい。

 シモンは息を切らして走り、牧草地を突っ切った。


 ウィリアムの牧場からやってきた小妖精たちは、山羊のミルクと妖精猫を歌っていた。

 きっと。

 パティのいる家畜小屋を見回りに行くのだと言っていたシェリーは、そこで小妖精たちと鉢合わせたに違いない。

(家畜小屋は……!)

 以前、山羊のミルクを買うために農場へ足を運んだシモンは、ウィリアムに家畜小屋へと案内され、パティを紹介されている。

 記憶を頼りに、シモンはカンテラを翳して家畜小屋を探す。

 確かこの辺りのはず……、と首を巡らせたシモンの双眸が見開かれる。

「……あれだ」

 山羊たちの家畜小屋が、星明かりを浴びて、ぼんやりと浮かび上がった。


 家畜小屋の周りは静まり返っていて、人や妖精の気配はない。

 シモンは戸口に近づいて、音を立てないように注意深く扉を開ける。星明かりから隔絶された真っ暗な家畜小屋へ、カンテラを滑り込ませて中を照らす。


 屋内は広々として、床には藁が敷き詰められている。

 近くにいた一頭の山羊が、灯りを携えるシモンに気づいて顔を向け、――目が合う。

「…………」

「……お邪魔します」

 山羊たちは立ったまま、あるいは横たわり、思い思いに休んでいる。

 休んでいる山羊たちが眩しくないように、彼らの瞳に直接光が射しこまないように注意して、シモンはカンテラを高く掲げる。

 さっと、周囲に目を配る。


「シェリー?」

 できる限り声を潜め、銀色の妖精猫の名を呼ぶ。


 きょろきょろとシェリーを探すシモンは、家畜小屋の奥へ。注意深く足を進める。

 目を皿のようにして、隅々まで見渡した。

「シェリー……、いる?」

 耳を澄ませてみるが、シェリーの答える声も、鈴の音色も聞こえない。

 シモンは屈んで、林のように立ち並ぶ山羊たちの足の間に視線を彷徨わせる。次いで、横になって休んでいる山羊たちの背の間に目を留めた。


(……あ!)


 華奢で滑らかな曲線を描く、背の輪郭。

 くったりとして動かない小さな銀色の塊を認めて、ぎくりとする。

 薄暗がりに包まれていても、わかる。

 シモンの脳内で、シェリーの鮮やかな美しい銀色の被毛と、ぴたりと一致する。

 胸がざわざわし、呼吸が(つか)える。

 力が抜けて(まろ)びそうになりながら駆け寄り、崩れるようにして傍らに膝をついた。

 目を閉じて弛緩した小さな身体に、シモンは怖くて触れることができない。

「シェリー……!」

 悲鳴にも似た音にならない悲壮な声が、シモンの咽から洩れた。


 ――(うっす)らと。

 閉じられていたシェリーの瞼が開いた。

 むくれたシェリーはシモンと目を合わせず、放っておいて欲しいと言わんばかりの口調で言った。

「小妖精が山羊のミルクを盗もうとしたから、ひとりを上から押さえつけてやったのよ。そうしたら別の奴に背中を抓られて、痺れてしまったの」

 不覚だったわ、とシェリーは悔しそうに独りごちる。

 前のめりになって、シモンはシェリーの顔を覗き込む。

「シェリー、怪我は!?」

「……抓られて、痺れているだけよ」

 覗き込まれたシェリーは、ばつが悪そうに、ふいと視線を逸らす。

 ひたすらに不機嫌だが、思ったよりもしっかりと受け答えするシェリーに、シモンはひとまず胸を撫でおろした。

「妖精猫のシェリーでも、彼らを怒らせては駄目なんだね」

 妖精は怒らせると、抓ったり刺したりして相手を痺れさせることがある。

 ミルクを()るのを邪魔した妖精猫(シェリー)も、例外ではなかったようだ。


「背中、痛む……?」

 シェリーを掬い上げて膝に乗せ、彼女の身体に付いた細かな藁を撫でて落とし、背中にそっと手を当てる。

 まだ治癒の術を使うことのできないシモンに、シェリーを癒すことはできない。

 己が未熟であることを、シモンは申し訳なく思う。


「どうしてあなたがここへ来たの?」

 素っ気ない物言いのシェリーだが、膝から降ろせとも、背に触るなとも言わない。拒絶されなかったことが嬉しくて、シモンは声音を柔らかくした。

「小妖精たちが、妖精猫を抓ったとか打ったって歌を歌っていたから吃驚して。あと、仲間を連れてミルクを盗みにやって来るって……」

 弾かれたようにシモンを振り仰いだシェリーは、ぎょっとして紫の瞳を真ん丸にした。

「セオは!?」

「え? えぇ……、と。先生は森へ入って別行動だったから」

「あなた、セオに黙ってきたの!?」

「……うん」

 口調、態度、表情全部で咎められ、シモンは急に後ろめたくなる。

 シモンが口をつぐむと、シェリーは渋い顔をして小さな溜め息を吐いた。

「最初にミルクを盗もうとした小妖精は数人だったけれど……。それ以上の人数で来られたらどうしようもないわ。あなたはセオの所へ戻りなさい」

「シェリーは?」

「……私を抓った小妖精と、尾の付け根を打った小妖精を引っ掻いてやるわ」

 澄ました顔で、つんとシェリーは顎を上げた。

 ここに残るつもりでいるシェリーに、シモンは慌てる。

「無理だよ……!」

 痺れて思うようにならない身体で、すばしこい小妖精を引っ掻くなんて、できるはずがない。それに、そんな真似をしようものなら、今以上に酷い目に遭うだろう。

「駄目だよ。酷い目に遭うことがわかっているのに、置いていけないよ。シェリーは大事な同志(なかま)で友達だから」

 それに、山羊たちのミルクが盗まれるのを、放っておくこともできない。

 シェリーの背を撫でながら、シモンは、どうにかならないかと山羊たちを見回した。


 驚いたようにシモンを凝視したシェリーは、すぐに我に返る。

「いいから! 小妖精たちが戻ってくる前に、人間のあなたは早く小屋を出て……!」

 シモンを軽く睨めつけて、急かす。


 妖精猫のシェリーであればともかく。

 人間に姿を見られることをひどく嫌う小妖精たちは、シモンと家畜小屋で鉢合わせでもしたら、間違いなく逃げ出すだろう。だが、人間に姿を見られ、家畜小屋に出入りしていることを知られたとあれば、小妖精たちは二度とウィリアムの農場へは来なくなる。

 それは、普段この家畜小屋で手伝いをしてくれる小妖精も同様に――、だ。

 自然に近い存在である小妖精たちが行き来する牧草地だからこそ、美味しく健やかな草が育ち、それを食べる山羊たちのミルクが美味しいのかもしれない。

 だから。

 シモンは、小妖精たちに姿を見られるわけにはいかない。


「山羊たちに結界を張ってから、僕が物陰に隠れたら……」

「この数の山羊、一頭一頭に? それとも、この家畜小屋すべてを覆うほど大きな結界を? どちらにしても、力不足ではないの?」

 わたわたとして当てずっぽうな提案をするシモンに、眉間に皺を寄せたシェリーは冷徹に言った。


「なんにしても、シェリーは一度、外に……」

「待って!」

 家畜小屋から出ようと言いかけたシモンを、シェリーは鋭い声音で遮る。

 黙ったシモンの膝の上で、ぴくん、とシェリーの耳が動いた。


「……戻ってきた。小妖精たちだわ」

「えっ!?」

 ぴくぴくと耳を動かして、シェリーは目付きを険しくさせる。

「数が、ものすごく多い。家畜小屋の周りを囲っている。まったく……、ここにいる山羊のミルクを搾りつくす気かしら。とにかく、あなたはすぐに隠れて!」


 姿を隠せる場所を探してきょろきょろするシモンは、家畜小屋の隅に、積み重ねられた藁と鍬などの農具が立てかけてあるのを見つける。シェリーに知らせようとして、ふと、腕から提げていた籠に目を留めた。

 夜露に濡れる瑞々しい花が、たっぷりと手許にあった。

「あ、花を……、摘んだ花を家畜小屋に散らして飾ったらどうかな!?」

 元々、家畜の無事を願い、厄を祓うために摘んできた花だ。

 もしかしたら、ミルクを盗もうとする小妖精たちが嫌がるかもしれない。

 シェリーは何か思案するように、不安気に首を傾げる。

「そもそも花は……、それに」

「時間がないから、シェリーは少しだけ待っていて! 花を散らしたらすぐに隠れるから」

 言うが早いか、シモンはシェリーを下ろし、籠を掴んで勢いよく立ち上がる。

 なにもできないよりは試してみようと、くるりとシェリーに背を向けた。


 シモンは大急ぎで、家畜小屋の入口から摘んできた花を掴み、山羊たちの近くに撒いて散らす。

 花を撒き終えて戻ったシモンはシェリーを抱き上げて、積み重ねてある藁の裏に身を隠す。

 腕に抱えたシェリーが首を伸ばし、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「やっぱり……。ねぇ、みてごらんなさい」

 溜め息にも似た落胆の滲む声に促され、シモンは山羊たちの様子を窺い、ぎょっとする。

「えぇ……っ!?」

「静かに」

 ぷに、とシェリーの柔らかな肉球が、下からシモンの唇を押し上げる。


(えぇぇぇっ!?)

 甘い香りを放つ花に、休んでいた山羊たちは鼻をひくひくとさせて、首を揺り動かす。立ち上がって尾を振り、シモンの撒いた花を手当たり次第食べ始めた。

 シェリーは、すぅっと目を細める。

「……山羊のミルクから季節の花の香りがするって、言わなかったかしら」

「ぜ、全部食べちゃった……!?」

 あっという間に花を平らげた山羊たちは、まだ鼻をひくつかせて、花を探している。

「花はもうないの!? 山羊たちが花を探している今なら、一か所に集められるでしょう? 山羊たちを囲って結界を張れない?」

 唖然とするシモンと、捲し立てるシェリーは、ほぼ同時に籠の中を眺め下ろした。

 ――しかし。

 シモンの腕に提げられた籠には、一輪の花も残っていない。

 惜しげもなく花を撒き切ったシモンは呆然として、シェリーと顔を合わせる。

「ごめん……」

「もうっ――!」

 憤慨や不満の感情をぎゅっと詰め込んで吐き捨てたシェリーが、ぴたりと身体を固まらせた。

 直後、家畜小屋の戸口を見遣る。

「……来たわ!」

 息を潜めた。


 するり。

 するっ、……するり。

 戸口や窓、屋根の隙間から、小さな妖精たちがひょこひょこと姿を現す。

 絹の擦れるような音を立てて、くるりと軽やかにステップを踏む。


「山羊だ、山羊だ」

「ミルクの匂い」

「ミルクを搾って運び出せ」

「不思議の夜が去る前に」

「朝陽が顔を出す前に」


 陽気に歌を口ずさみ、小躍りする小妖精たちは、ひとり、またひとりと家畜小屋に入ってくる。

 内側から扉が細く開けられ、そこからおびただしい数の小妖精たちがなだれ込んだ。

 搾ったミルクを運ぶための物か、小さな壺を頭上に掲げた者もいる。

 広々とした家畜小屋は、数百、数千といった小妖精たちで、埋め尽くされてしまいそうだった。

 堰を切った水のようなすさまじい勢いに、物陰から覗いていたシモンは目を瞬かせる。

(凄い数……!)

「まるで虫ね……。蟻の大群を見ているようだわ」

 同じく物陰から首を伸ばして小妖精たちを窺うシェリーが、忌々しげに呟く。

 

 小妖精たちが手際よくミルクを搾り出すと、シェリーが腕の中で身を捩った。腕から抜け出そうとするシェリーをシモンは慌てて抱きなおす。

「離しなさいよ! あの中にパティも……」

 痺れた身体で弱々しくもがくシェリーを抱きすくめ、シモンはぶんぶんと首を横に振った。

 小妖精たちが一斉に襲い掛かれば、小さなシェリーはあっという間に埋もれて身動きが取れなくなってしまう。シェリーを行かせるわけにはいかない。


「山羊たちのミルクが搾りつくされちゃうわ!」

 

 ――わかっている。だが。

 小妖精たちに人間(シモン)の姿を見せて驚かせ、立ち退かせることは、後々のことを考えると打つべきではない悪手である。 

(小妖精たちに、帰ってもらうには……)

 緊張の表情を浮かべたシモンは、シェリーを一度見つめて息を吸い込む。

 ほんのわずかな間躊躇い、天井を仰ぐことで喉を反らしたシモンの口から、小さな声が漏れた。

「こ……っ」


「こ……?」

 シェリーが怪訝そうに小首を傾げて、シモンを見上げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。