紛れ込んだ物 8
「ですから、先生」
セオバルドと向かい合い、シモンはにっこりと笑顔を作る。
下げた両手を腹部で重ね合わせ、ぺこり、と丁寧に頭を下げる。
「どうか、先に休んでください。――おやすみなさい」
虚を突かれたように目を見開くセオバルドは、シモンの顔をじっと見つめる。
「…………」
「…………」
微笑むシモンに、セオバルドは確認する口調で尋ねた。
「君は、私が眠るまでそこに立っているのか?」
そうですね、と答えかけてシモンは、はたと気づく。
そばで立っていられたらセオバルドも眠りづらいはずだと、部屋をぐるりと見回す。
「せっかく机があるので、炎を維持しながら勉強します」
ぽんっ、と。
手の中に、灯りとなる小さな炎を喚び出した。
小さな炎であれば、比較的長く維持できる。
セオバルドが訝しげに眉を寄せる。
「もう深夜だが、今から?」
「はい」
「私が眠るまで?」
「はい」
きっぱりと即答するシモンに、セオバルドは驚きの表情で目を瞬かせた。
そして。
「……」
顎に手を当ててしばらくの間考え込むようにして黙り、小さな嘆息を漏らして物想う顔をする。
「どうやら私は、いまだに君に警戒されて……、いや。好かれていないみたいだ」
「はい?」
――警戒? 好かれていない?
さっぱりわからないシモンは、きょとんとして訊き返す。
セオバルドの真摯な青い瞳が憂いを帯びる。
「君が以前、風邪をひいた時もそうだったが、ここでも同室になるのを拒絶されるとは思わなかった。わざわざオスカー牧師の前で、妖精猫とはいえ『異性』であるシェリーとの同室を望むだなんて……。どうやら私は、君に心底嫌われているようだ」
暗く沈んだ声音で、セオバルドは深刻そうに言った。
(心底、嫌がって……?)
同室を拒んだのは、セオバルドに向けた感情からではない。
そもそも、セオバルドのことを嫌ってなどいないのだから。
ゆっくりと一度瞬きをして、シモンは思考を巡らせる。
……そういえば。
つい先程、シェリーに部屋を変わって欲しいと訴えた時に、セオバルドと同室が嫌なのかと訊き返されたことが思い出された。
同室を拒むということ。それはすなわち、その人のことが嫌いだから――。
そう解釈されたのだと理解したシモンは、脳天に落雷を受けたような衝撃を受けて、仰け反りそうになる。ばくばくと大きく脈打つ心臓が、喉許までせり上がったように感じた。
動揺から、手許に喚び出した小さな炎が、霧散する。
シモンは、さっと視線を走らせる。
ぴたりと隙間なく並べられた、二台の幅の狭い簡易ベッドを確認する。
(だって……!)
セオバルドは、異性であるから。
彼の前で出来ない身支度だってある。そうしたものは、セオバルドが眠っている間に済ませてしまいたい。
隣で熟睡してしまうことも不安だ。寝返りを打てば身体に触れてしまう距離。それに、夢現の境で、変な寝言を口走るかもしれない。
眠っている時間は、少ないに越したことはない。
口には出せない言い訳が、シモンの胸の内でぐるぐると渦を巻く。
「君にとって私は、気に食わない雇用主であるのかもしれないが」
「えぇ……っ!?」
思ってもみないことを言われ、シモンの声が詰まった。
忙しなく目を瞬かせたシモンは、セオバルドの青い瞳を見つめて、首を横に振ろうとする。
しかし、ほんの刹那シモンと視線を交わしたセオバルドは、逃げるように視線を落として……、そっと片手で胸を押さえる。
そのさまは、まるで酷く心を痛めているように見えた。
「君に、そこまで毛嫌いされているとなると――」
ぎょっとして、シモンは大きく目を瞠る。
(毛……っ!?)
「せっ、先せ……」
毛嫌いなどしていないと訂正するために、シモンは慌てて口を挟む。
だがしかし、何と言えばいいのだろう。
同室を拒んだ理由が思い浮かばずに、シモンは言い淀んだ。
言い淀んだが故に、セオバルドは肯定と捉えたのか。
「――私も人間だから、いささか傷つく……」
気落ちした様子で瞼を伏せ、力なく声をしぼませた。
悲しげな青い瞳に、ふわりと被せられた睫毛が影を落として、より一層悲愴感が漂う。
普段の涼しげな表情とは打って変わって、雨に打たれた迷子の少年のように心許ない顔をするセオバルドに、シモンの胸は、きゅうっと締め付けられる。
面と向かって傷つくと言われ、セオバルドをいじめてしまったような……、ひどく申し訳ない気持ちになる。
項垂れるセオバルドを正視できずに、シモンは、おろおろとして視線を彷徨わせた。
(どっ、どうしよう!?)
セオバルドの誤解を解こうと原因を探るべく、シモンは記憶を手繰り寄せる。
(風邪をひいた時――?)
――思い当たることが、一つあった。
汗をかいて着替えるようセオバルドに言われたシモンは、焦るあまり、看病してくれていた彼を半ば無理矢理部屋から追い出した……ような気がする。
自分のことで頭が一杯になり、口調もきつくなってしまった……かもしれない。
しかも。
セオバルドが部屋から出て行く時に、心からほっとしたのが顔に出ていたとしたら。
(それは、普通に傷つく……!)
親切で看病したのに拒絶されたと、そう思われても仕方がない。
その時の事も含めて。
同室になるのを拒み、隣で眠ることを避ける素振りをみせれば、セオバルドが嫌われているのだと勘違いしても、おかしくはない。
(先生に、酷いことをしてしまった……!)
シモンの頭から、さぁっと音を立てて血の気が引いた。
ざくざくと胸に刺さる罪悪感から逃れるように、シモンは一歩、セオバルドのそばに近寄る。
自分の掌よりも一回りは大きいセオバルドの片手を、両手で掬い上げて、胸の前できゅっと包み込む。
俯いたままのセオバルドの顔を覗き込み、シモンは誠心誠意をもって謝罪をする。
「すみません……、それは誤解なんですっ! とにかく、僕が先生のことを嫌うなんてことは、絶対にないです!」
「……それは、本当だろうか」
「はいっ、本当です!」
不安げに、ほのかな憂いを漂わせるセオバルドに、シモンは真摯な眼差しを送り、力強く言い切った。
片手をシモンに預けるセオバルドは、吸い込まれそうに澄んだ青い瞳で、シモンの双眸を覗き込む。
それなら……、と。セオバルドは吐息にも似た静かな声で、囁きかける。
「私を嫌っているわけではないのに、同室だと気を許せないというのなら……、君には、私の隣で眠れないという理由が、別にあるのだろうか――?」
なにかあるのなら話してごらん、とシモンを心から気遣う物言いで、尋ねた。
間近でセオバルドの顔を見つめていたシモンの双眸が、これ以上ないくらいに大きく見開かれた。
セオバルドの手を握るシモンの両手が、ぴくんと動く。ほんのわずかに力が入り、ぎこちなく固まる。
性別を偽っていることに後ろめたさを覚えていたシモンの気持ちが、一瞬ぐらりと揺さぶられた。
今、この流れで「実は……」と、正直に切り出したら。
事情を話してしまえたら、セオバルドのことを嫌っているわけではないと、弁明することもできる。
セオバルドの手を握るシモンの両手に、決意の力がこもる……。
雰囲気と話の流れに呑まれ、物言う瞳でセオバルドを見上げたシモンは。
「……ぁ」
薄く開いた口から零れた声を、続く言葉をすんでのところで呑み込んだ。
自分が何を言おうとしていたのか自覚して、凍り付いた。
(……ぁああああ……っ! あ、ああ危なかっ……!)
危なかった。
この後も、セオバルドと同じ部屋で過ごすのだ。
女だからです。とは、後のことを考えたら気まずくて、とても言い出せない。
そもそもセオバルドが気遣っているのは、弟子で助手の『少年』、『シモン』のこと。
自白した時点で、セオバルドの気遣う人間が、この世に存在しないことがばれてしまう。
「ありませんっ。何も……!」
きりっと表情を引き締め宣言するシモンに、一度軽く瞼を閉じたセオバルドは、そうか、と頷いた。
「じゃあ、遅いからもう寝なさい」
にこり、と穏和に微笑む。
急ににこやかに態度を変えたセオバルドに、シモンは、ぽかんと呆けた顔をする。
戸惑う。
「え? あ、……はい?」
「……とにかく、君に嫌われていないのなら良かった。君が私と同室で何も問題ないのなら、私に気を遣う必要はないよ。私もすぐに休む。だから、君も早くお休み」
誤解が解けて、納得してくれたのなら。
また変に誤解をされないうちに、素直に休んでおいたほうがいいような気がしたシモンは、セオバルドにつられるように挨拶を返す。
「……はい、おやすみなさい。――でも、あの、先生?」
「うん?」
伏し目がちになったシモンは、ちらりとベッドを横目に見る。羞恥心から頭に血が上り、頬や耳朶が、かぁっと熱をもつのがわかった。
言い出しづらくて、少しの間言葉にするのを躊躇う。口許が緊張で震えそうになりながら、シモンは声を絞りだす。
「ぁああのっ、もしも僕が寝ている間に、へ……変な寝言とか言っちゃっても、夢とか……なので、全部忘れてくださいっ……!」
万に一つでも、「実は女なんです」などと呟いてしまっては困るのだ。
ふ、とセオバルドの呼気が微かな笑みを含んだ気がして。
シモンは、おずおずと視線だけを上げて彼の顔を窺う。
けれど。
軽く俯き、口許に片手を当てたセオバルドの表情は、前髪に隠れてわからない。
「……先生?」
消え入りそうに小さな声で呼びかけて、シモンはセオバルドの様子を、そうっと探る。
「わかった。そうする」
セオバルドの穏やかな声音が、シモンの心配をほんの少し和らげた。
空いている手をシモンの背に添えてベッドに入るよう促すと、セオバルドは机に置かれた燭台のそばへと寄る。
「……灯りを消すよ」
「はい」
ベッドの縁に腰掛けるシモンに向けられるセオバルドの表情は、部屋を照らす灯りのように柔らかで、見惚れるほどに優しい。
シモンがベッドにもぐりこむと、燭台の炎が吹き消されて、部屋が真っ暗になった。
セオバルドの靴音がコツコツと近づいてくる。すぐ隣でベッドが軋み、次いでシュルッと衣擦れの音がする。
軽く目を瞑って数秒置いてから、シモンはゆっくりと瞼を開けた。
静かになった部屋。
(あれ……?)
とくとくと、いつもよりも早く大きく脈打つ胸をシモンは押さえる。
(何で?)
身体の隅々まで鳴り響くような胸の鼓動が、隣にいるセオバルドにまで聞こえてしまいそうで、シモンは気が気ではなくなる。
自分自身の微かな呼吸音ですら、いつもより大きく聞こえた。
どきどきとして落ち着かないのは、セオバルドがすぐ隣で横になっている緊張と、……うっかり彼に秘密を話してしまいそうになったから。
セオバルドに背を向けて、シモンは掛布団を鼻先まで引っ張り上げる。
――どうしよう。
枕に顔を埋めて、思い悩む。
(全っ然、眠れる気がしない……!)




