紛れ込んだ物 7
――部屋に戻ったシモンは、マシューとローラから聞いた話を、セオバルドに伝えた。
「寄贈されていた本に、皮紙が挟まれていた?」
「はい。でも、どうしてお伽噺の本の中に……」
表情を曇らせるシモンは、預かってきたお伽噺の本をセオバルドに差し出す。
本を受け取ったセオバルドは、丁寧に頁を捲って内容を確認していく。
「皮紙をここに挟んだ者は、挿絵の頁に関連付けて隠したつもりだったのかもしれない。この本が読まれなくなった不要な物として孤児院に寄贈されたのなら……。皮紙を隠した者、……本を所持していた者が亡くなるなどの理由で、家人が寄贈した物の中に紛れ込んでしまった可能性もある」
はらり、と最後の頁が捲られた。
裏表紙の裏部分に、しばし目を落としていたセオバルドが、静かに本を閉じた。ゆっくりと一度目を閉じて、小さな吐息を漏らす。
そして、本に挟まれていた皮紙を手に取り、古代言語とそれを訳した文字を、真剣な眼差しで食い入るように見つめる。
「皮紙の挟まれた本が寄贈されたのは、意図的ではなかった、ということですか?」
「そうだろう」
尋ねたシモンに答え、皮紙を机の上に戻したセオバルドは、深く息を吐いた。
「まず、これが何なのか知る者が多くいないこと。そして、子供たちが気づいて試すのを待つ……、そんな不確かで時間のかかる方法を取るとは考えにくい。だから、嫌がらせの線は薄い。村に被害が出る可能性もあることから、村人が故意に忍ばせたものでもないだろう。また、この皮紙の価値を知る、本に挟んだ者が手違いで寄贈をしたのなら、とっくに取り戻しに来ていておかしくはない」
「つまり、この皮紙にどんな利用価値があるのかわからない人が、孤児院に寄贈してしまったんですね」
「そういうことだ」
元の持ち主の手を離れたお伽噺の本と皮紙は、形あるものとして巡り、この孤児院に辿り着いた物。
悪い意図をもって送り込まれた物でなくて良かったと、シモンは心底安堵する。
机上に並ぶ、お伽噺の本と皮紙。
マシューとローラの書き写した三枚の紙を前にして、セオバルドとシモンは、お互いの話を整理し始めた。
「えぇ、と。孤児院が出来たことで、村に捨てられる子供が増えたことが発端ですよね? それが噂となって、人攫いが村の周辺をうろつくようになった」
音のする事象から遡り、シモンは、きっかけを生み出した村の背景を挙げる。
セオバルドは、目を伏せることで軽く頷き、話の続きを引き取った。
「村の子供が何人か行方不明になり、原因が孤児院にあると考える一部の村人から、閉院を求められるようになった。その話を耳にしたマシューとローラは、孤児院を存続させるべく、皮紙を使い妖精の助力を得ようとしたが、誤って蜘蛛のような魔物を召喚してしまった。それが二か月前のこと」
「はい」
シモンは、セオバルドに正確に話が伝わっていることを確認し、その上で、彼から聞いた話を整理する。
「一か月ほど前から、夜な夜な孤児院の中を走り回る音が聞こえると、子供たちから訴えられたオスカー牧師は、建物の元の持ち主に相談した。その方から町長を通じて先生の所へ依頼が来たのですね。……ということは、村の子供がいなくなった件と、マシューとローラに喚び出された魔物は、完全に別の問題になるのですね」
村からいなくなった子供は、おそらく人攫いによるもの。魔物による被害ではない。
魔物はマシューやローラが喚び出してしまったものだが、話を聞く限り、とても小さなもの。
孤児院の中を走り回るだけで、実害があるわけではない。
ふたりが咎められることはなく、責任を感じる必要もないのだと、ほっとしたシモンは声の調子を和らげた。
――だが。
相反して、セオバルドは難しい顔をして考え込んでいる。
「……今のところは、な」
「どういう、ことですか?」
「黒い影や靄のない理由がわかった」
「……理由?」
きょとんとして目を瞬かせたシモンは、小首を傾げる。
セオバルドは、ちらりとシモンを一瞥し、再び皮紙を見遣った。
「人を襲うに至らない脆弱な魔物が、効率的な狩りをしたようなものだ。元々黒い影や靄は、魔物の住まう世界――異界から滲み出て来たもの。……村人と孤児院とでごたごたがあって負の感情が湧き、それを目当てに黒い影や靄が集まってくる。その集まってきたものを、喚び出された魔物が餌として捕食しているんだ」
「……え?」
シモンは、息を呑む。
確かに。
元は同じ異界のものである魔物と、黒い影や靄が捕食関係にあってもおかしくはない。
魔物は、孤児院に自然と集まってくる黒い影や靄を捕食することができるのだから、効率が良いというセオバルドの説明に納得がいった。
「あっ!」
談話室へ行く途中に廊下で聞いた、硬くて小さな音。
黒い影が何かに掴まれて消えたことが、シモンの脳裏に浮かび上がり、今の話と重なった。
「じゃあ、夜な夜な走り回る音っていうのは、魔物が狩りをしている音だったんですか?」
ああ、とセオバルドは相槌を打った。
「直接扉となる魔法陣を通って喚び出された、実体を持つ魔物だ。いくら弱いものだったとしても、二か月もの間、黒い影や靄を捕食し続けていたら育っている。しかも、まったくそれらを見ないということは、魔物の捕食する量が上回って、餌が足りないということだ」
――餌が足りない。
その状況が何を意味するのか、薄らと察したシモンの表情が強張る。
「育った魔物が人を襲いだすのは、時間の問題だろう。正式にオスカー牧師から依頼を受けたら、すぐにでも処理した方が良さそうだ」
「処理……」
状況は把握した。
しかしシモンは、セオバルドの物言いに、小さな抵抗を覚える。
人の都合で……、しかも間違って呼び出された魔物はまだ人を襲っていない。悪さをしていないのに殺してしまうことに気が咎めた。
「先生、魔物が人を襲う前に、元居た世界に還してあげることはできませんか?」
セオバルドは顔色一つ変えずに、じっとシモンを見据える。
「君は人を襲う魔物を、人やその辺りにいる動物と同一だと思っているのか?」
セオバルドの口調は、責めるものでも咎めるものでもなかった。
――だが。
シモンは気持ちの奥底を探られているような、居心地の悪さを感じる。
「そういうんじゃなくて……」
魔物を庇おうと考えたわけではない。
ただ、ほんの少しの理不尽さと罪悪感が胸に燻っていた。
「元々、別の世界で生きていたものが間違いで喚び出されてしまったのなら、元の場所に還してあげたら丸く収まりませんか? ……喚び出されなければ、人と関わることもなかった魔物ですよね?」
魔物は、人を襲おうとしてここへ来たのではない。
連れて来られたがために、人を襲う環境に身を置かざるを得なかったのだ。
訴えかけるシモンの眼差しを拒絶するかのように、セオバルドは軽く瞼を閉じた。
「魔物に情を寄せるんじゃない。魔物は人に害を及ぼすもの。……魔物にとって、人は捕食対象でしかないのだから」
窘められて俯くシモンに、セオバルドは魔物を異界に還すことのできない理由を、噛んで含めるように説いて聞かせる。
「妖精が、迷い込んだ人間を妖精界に留めようと、食べ物に術をかけて差し出すのはなぜか、考えてごらん。……食べ物は、生きとし生けるもの全てになくてはならない物。身体の中に直接入れるものであり、内側から身体を作る物だからだ。異界の食べ物を食せば、身体は内側からその世界に合うようにと変質してしまうんだよ」
妖精は食べ物に術をかけることで内側から縛り、妖精界に留めるのだと、セオバルドは言った。
「たとえば……君は以前、オーグルに森へと誘いこまれただろう?」
「……あ、ええ。冬の始まりの日に、栗を探しに入った森で……」
森で迷い、セオバルドに迎えに来てもらったことがあったと、シモンはその時の記憶を呼び覚ます。
「異界の空気の濃い森の深淵で、魔物の用意した物を口にしていたら、私だけが森を出て、君は森から出ることができずに彷徨い続ける可能性もあった」
「……っ!」
意味を理解すると同時に、恐怖が全身を撫でて、肌が粟立った。
シモンの脳裏に鮮明に蘇る、暗い森の景色――。
前を歩くセオバルドの足許が、ふっと掻き消える。決して離すまいと固く握っていたセオバルドのコートの感触が、手の中からすり抜けていくように錯覚する。
――独り、真っ暗な森に残される自分を想像したシモンは、じんわりと汗ばむ掌を拳に握った。
「逆もまた然り、だ。……異界から来たものが、この世界のものを摂取したならば、身体は内側から変質していく。この世界に馴染むよう作り変えられていく。結果、こちらのものでもないが、あちらのものでもなくなる。元居た世界に同じものとして還ることはできなくなる」
黒い影や靄は異界から滲み出たものだが、この世界の人間から生まれた負の感情や悪意を捕食している。
魔物は、そういった黒い影や靄を多量に捕食することで、この世界のものを摂取し、既に変質している。
異質なものとして変化した魔物は、もう異界のものですらない。異界に馴染むことができず、歪みをもたらすだろう。
魔物を異界に還すことは、不可能なのだ。
それが摂理であり道理だと聞かされ、シモンは納得せざるを得ない。
「そう、ですか」
肩を落とすシモンに、セオバルドは小さな溜め息を洩らした。
「異界に還すことができない以上、封じるか殺すか。……浄化するか」
「浄化?」
思案するように目を伏せて、ぽつりと独りごちるセオバルドに、シモンは何のことかと訊き返した。
セオバルドは無感情にも見える顔で、何でもないと首を横に振る。
「もう、遅いから休むといい。明日の朝、オスカー牧師と話をしよう」
「はい……」
神妙な面持ちでシモンは視線を落とす。わずかに全身を強張らせて、佇む。
しん……と。深夜の静寂が部屋を満たし、耳が無音の圧を感じとる。
セオバルドは微かに眉を寄せ、机の前から動かない、動こうとしないシモンの顔を覗き込んだ。
「どうした? まだ納得できないのか?」
「いえ……」
シモンは微動だにせず、硬い声音で返事をした。
しばらく黙ってシモンを見つめていたセオバルドは、埒が明かず、わけがわからないといった顔をする。
「休まないのか?」
顔を上げたシモンは真剣に表情を引き締めて、真面目な声で答える。
「はい。あの、僕のことは気にしないでください。先生が眠った後に、休ませてもらいます」
異性と同室なのだから。
女性であることがばれないよう、シモンは細心の注意を払う必要がある。
――セオバルドよりも先に眠るだなんて、とんでもない。




