紛れ込んだ物 9
翌朝、オスカーの部屋を訪れたセオバルドとシモンは、すぐさま応接室へと通された。
ソファを勧められ、セオバルドとシモンは、並んで腰を下ろす。
なんとなく応接室が広く感じたシモンは、ぐるりと視線を巡らせる。
部屋の広さや造り、大きな窓枠や暖炉、至る所に散りばめられた繊細な装飾――。作りつけられたものは、元の屋敷を彷彿とさせる立派なもの。
けれど、応接室で使用されているソファやソファテーブル、サイドテーブルやカップボードなどは部屋の大きさに見合わない質素で小さなものばかりだった。
シモンは、机上に置かれた燭台に目を留める。
泊めてもらった部屋に置かれていたのは銀の手燭だったが、机上に置かれていた物は使い込まれ錆びついた鉄の燭台だ。
他には、これといった調度品もなく、華美なものも見当たらない。
ただ、壁にはオスカーを描いたのであろう子供たちの絵が沢山貼られ、応接室を親しみやすく明るく飾っていた。
ソファテーブルに人数分の温かなお茶を運んだオスカーは、ふたりと対面するソファに腰を下ろす。
セオバルドが事務的にも思える切り口上で、話し始めた。
「お話させていただくのは、この孤児院で夜な夜な聞こえるという音についてです――」
まず、今まで行方不明になった村の子供たちと、孤児院の中で夜聞こえる音が無関係であること。しかし、孤児院に魔物が住み着いて育ってしまい、いつ子供たちや村の人に危害を加えてもおかしくない状況であることを、セオバルドはオスカーに説明した。
マシューやローラが関わっていたことは伏せて欲しいと、事前にシモンが頼んでいたために、ふたりの名前がセオバルドの口から出ることはなかった。
「どうされますか?」
一通り話し終えたセオバルドが、大まかな事情を把握したオスカーに淡々と尋ねた。
質問の真意を掴み損ねたのだろう。オスカーは眉を寄せて尋ね返す。
「――と、申しますと?」
「昨日お伝えしてありますように、魔物を退治するのであれば、対価を支払っていただくことになります」
セオバルドは立ち上がり、サイドテーブルに置かれていたメモ用紙とペンを持って、ソファへと戻る。さらさらと紙に何かを書きだし、それをオスカーの方へ、すっと滑らせて差し出す。
紙に目を落としたオスカーが、ぎょっとして目を剥いた。
「これは……、こんなに?」
「ええ、正式に依頼をされるのであれば、こちらが今回の対価になります」
裕福とは言い難い孤児院にも、手心を加えることなく提示される金額に、シモンは目を瞠る。
オスカーは、開いた口を閉じることなく片手で覆い隠す。顔を俯けると、言葉もなく机上の紙を凝視し続けた。
「失礼ながら……」
セオバルドは背筋を正し、オスカーを見据えた。
「こちらの孤児院には、余裕があるように見受けられませんが、対価の用意はありますか? それとも改めて別の者に依頼されますか?」
あまりにも冷淡に、突き放すに等しい語り口調のセオバルドに、寒気を覚えたシモンの肌が粟立った。
「ですが、今から他の方を探して、お願いするとなると……」
苦虫を噛み潰したような顔で、オスカーが言い淀む。
言葉尻からオスカーの危惧するものを汲み取り、セオバルドは歯に衣着せぬ物言いで、続きを引き取った。
「そうですね。その間、孤児院の子供たちが危険に晒されることになります」
眉間に深く皺を寄せて厳しい顔をするオスカーは、顎に手を当てて小さく唸った。
「申し訳ないのですが、今すぐに、この金額は……」
「対価は本来、現金で前払いになります。……が、現金を用意するのが難しいのであれば、事情もおありでしょうし、今回に限りこの金額に相当する物でも構いません。いつまでにどのくらい用意できますか?」
涼しい顔で話を進めるセオバルドとは対照的に、金額の書かれた紙を眺め下ろすオスカーの顔には、悲痛なまでの苦悩が浮かび上がる。
返事を待つセオバルドと、黙りこくるオスカーの間で空気が軋むように感じたシモンは、居心地が悪く身じろぎする。
シモンが見た限りでは、この孤児院にセオバルドが提示した金額を用立てする余裕はなさそうだった。
村からの寄付金を募ることは、孤児院があることに反発する村人もいることから、難しいだろう。
提示された高額な対価の支払いが難しいことは、セオバルドもわかっているはず。
(先生……)
オスカーに対して無茶な金額を吹っ掛けるセオバルドに、はらはらしつつも口を挟むことができず、シモンは固唾を呑んで見守る。
「数か月……、いえ、二、三か月分の子供たちの食費を差し引き、搔き集められる金のすべてと、換金できそうな私財をお渡ししても、この金額には到底及ばないかと……。ですが、どうかそれで、お願いできないでしょうか?」
オスカーの声音は悲痛な響きを持つ切実なもの。眼差しは解決を願い、縋るものだった。
「失礼。……差し出がましいようですが、これを機に孤児院を畳む気は? 村の方々に、人攫いが村に現れる原因のように言われるのは、オスカー牧師としても肩身が狭いのではありませんか?」
質問に含まれるセオバルドの真意を察したシモンは、ぎくりとして身を竦ませる。
結局。
魔物を倒したとしても、孤児院に子供が捨てられ、人攫いが村をうろつく状況が改善されなければ、村の人の悪意や負の感情は孤児院に向けられる。
また、何かのきっかけで魔物が湧くかもしれない。
――だが、孤児院が閉院してしまえば。
村に子供が捨てられることも、人攫いが来ることもなくなるだろう。
一部の村人から反発を買うこともなくなり、黒い影や靄の餌となる悪意や負の感情も少なくなるはずだ。
しかし。
それは同時に、今現在、孤児院にいる子供たちが居場所を無くすことを意味している。
「いいえ」
溜め息を漏らしながらも、オスカーはきっぱりと否定した。
「孤児院の噂を聞きつけた不逞の輩に、村の子供たちが攫われたことについては、私も心を痛めております。ですが、だからといって、今居る子供たちを無責任に追い出すわけにはいきません。その件に関しては、今後村の人たちと話し合い、自衛策を取るなどして解決していかなければならない問題だと、そう考えています」
難しい顔をして重々しく声を這わせるオスカーに、セオバルドは確認する。
「……つまり、この孤児院の子供たちは、貴方にとって何よりも価値あるものなのですね」
牧師としての地位や信頼、私財よりも――。セオバルドが、言外に仄めかせた。
「どうして価値などと……」
まるで子供たちを物のように言うセオバルドに、項垂れたオスカーが嘆く。
「子供たちが、私の私財などと比べられるはずがありません。あの子たちを守ることができるのなら、私が疎まれることなど、些細なことです」
真摯な声音で淀みなく言い切ったオスカーは、壁に貼られた子供たちの絵を眺め、優しく目を細める。
「……そうですか」
顔色一つ変えずに、セオバルドは頷いた。
いたたまれなくなったシモンは、なんとか助けてほしくて隣に座るセオバルドの服をそっと引く。
「先生……」
セオバルドは無感情な一瞥をシモンにくれただけで、オスカーに視線を戻した。
「では、交渉成立とします。提示した金額と同等のものでの支払いをお願いします。それと、仕事を引き受ける経緯から終了までの詳しい情報、対価の内容を一切外部に口外なさらないでいただきたい。……約束していただけますね?」
オスカーは、深く頷いた。
「ええ、約束します。……神に誓って」
セオバルドと共に応接室から退室したシモンは、暗い顔をして項垂れた。
身を翻し、扉の前から離れるセオバルドの後ろを、黙ってついて歩く。
容赦なくオスカーを追い詰めたセオバルドの言動に戸惑いを覚えていたシモンの顔が、徐々に拗ねたものとなり、不満に唇が尖った。
なんだか裏切られたような気持ちになって、不意にシモンの目尻に涙が滲む。
前を歩くセオバルドに非難の眼差しを浴びせ、小さな、けれど怒りの感情を帯びた硬い声をぶつける。
「……本当に、この孤児院から対価を取るんですか?」
「ああ」
振り向くことなく、セオバルドは答えた。
「私は仕事として引き受ける以上、どんな形であれ、必ず対価を得るようにしている。……対価は、お互いの関係を対等に保つのに、必要不可欠なものだと考えているから」
シモンは眉根を寄せた怪訝な顔で、セオバルドの言葉を整理する。
魔力を持たない一般的な人間と、魔力や知識を持って不可思議な事象に対応できるセオバルドとでは、元の立ち位置が違う。
セオバルドの言う対価とは、そんな両者の間を取り持ち、均衡を保つ役を担っているのだろうかと、シモンは考える。
確かにセオバルドは、それだけ高額な対価を得るだけの力を持っているのかもしれない。
だけど……、と釈然としない想いがシモンの口を衝く。
「……前のように高利貸しの人だったら払えるかもしれませんけど、そうでない人には、せめてもっと安くしてあげたらいいのに」
「私のやり方や考えを君に押し付ける気はないし、理解を得ようとは思っていない。だけど、……私は、最初に提示する金額は、人によって変えるべきではないと思っている」
「……どうしてですか?」
何を言われても納得できる気がしない。
不機嫌にむくれた声で、シモンは無遠慮に尋ねた。
足を止めたセオバルドは振り返り、シモンの瞳をじっと見つめた。
「彼らに共通しているのは『何か』に困っているということだけ。生きている人間は誰しも、様々な事情を抱えている。でも、私には会ったばかりの人間の深い事情まで把握する術はないからね。上澄みの部分だけを見て、人によって……、あるいは職種によって提示する金額を変えることはできない。だから依頼を受ける時は、対面して交渉の機会を設けている」
「……え?」
自分自身の持っていた考えと、セオバルドの考えを照らし合わせようと黙考するシモンに、セオバルドは頬を緩めた。
「君は、本当に素直だ」
ぱたぱたっと軽い足音が廊下に響き、背後から元気いっぱいのご機嫌な声が耳を打つ。
「シモーン!」
名を呼ばれ、セオバルドから視線を外したシモンは、振り返る。
「アニー……」
「見つけた! シモンーっ! 一緒にご飯食べよう? 今朝はプラム・ポリッジだって! 今日は雨が降っていてお外へ遊びに行けないから、食べたら談話室でご本読んで?」
シモンの足に飛びつき、しがみついたアニーが、顔を上げてびっくりしたように目を丸くする。
……不思議そうに尋ねる。
「シモン、元気ないの? 院長先生に叱られちゃったの?」
「うん? そんなことないよー……」
シモンはかろうじて口許だけ微笑み、アニーを抱き上げてきゅっと抱き締めると、彼女のふわふわした柔らかな頬に頬ずりをする。
背中越しに、遠ざかっていくセオバルドの靴音が聞こえた。




