紛れ込んだ物 3
鬼ごっこの疲れから地面に座り込み、汗の噴き出す額を拭ったシモンは、隣に立つマシューを見上げた。
心臓がばくばくして呼吸が整わずに、言葉は途切れ途切れになる。
「一か月くらい前……、から。何か、夜? に出るって、聞いて……。はぁー……、ごめん。ちょっと疲れて。……詳しくは知らないよ? 出るの?」
だらしねぇなぁ、と呆れたように呟いたマシューは、シモンを眺め下ろして閉口する。
シモンの隣に腰を下ろし、孤児院を見つめたマシューの横顔が、わずかに陰った。
「一緒に来たあいつ……。院長先生に呼ばれて来たんだろう? 何者? 何かできるの?」
「あいつ?」
一転して、力の無い声で囁くマシューに、シモンは尋ね返す。
「でかい男の方」
「あぁ、うん。……先生?」
セオバルドが何者かと訊かれたシモンは、声のトーンを落として口ごもる。
村までの道中で、セオバルドから自分たちの素性を伏せておくようにと口止めされた手前、「先生も牧師だよ」とは、言えない。
依頼主は孤児院の責任者であるオスカーなのだが、彼が伝手を頼り、セオバルドのところへと直接依頼を持って来たのは、シモンの住んでいる町の町長であると聞いている。
その町長とセオバルドが、依頼を受ける際にオスカーには素性を明かさないと決めたらしい。
(礼拝堂が壊れたままで、二人共体裁が悪いから……かな。町の沽券に関わる、とか?)
それとも。
シモンのあずかり知らないところで、町長に何か事情があり、セオバルドを牧師だと紹介できなかったのかもしれない。
シモンは、答えられることだけを、答えることに決めた。
「先生は、怖いものをどこか遠くへやったりできるよ」
「どこか……? 追い払うってこと?」
的を射たものではなかったのか、マシューは眉をひそめる。
「……あのさ、オスカー牧師はそういうことはできないの?」
「院長先生が? 聞いたことないし。大体さ、院長先生が変なものを追い払えたら、人なんて呼ばないだろ?」
「え? ……あ、ごめん。なんでもない」
「は?」
マシューにそれ以上訊かれる前に、シモンは目を逸らして話を切り上げる。
魔力を持ち、普通の人には見えないものが見える人間が稀なのだ。表立って公言するものではないのだろう。
それに、牧師だからといって、皆が皆セオバルドのように魔力を持っているわけではないのかもしれない。
魔力を持つことと、牧師の仕事は別のもの。シモンはそんなふうに分けて考える。
それなら、シモンの一存で、事情を知らなそうなマシューに話すわけにはいかない。
これ以上深い話をしない方が良さそうだと、シモンは判断した。
一瞬、訝しむように眉を寄せたマシューだったが、シモンから視線を逸らして、再び孤児院をぼんやりと眺める。
「……化け物……とかでも、大丈夫なのか?」
「化け物? 死霊……とか、幽霊みたいなものじゃなくて?」
ああ、とマシューは相槌を打った。
「音が、するんだ。夜になると……、孤児院の中をカチカチっとか、カタタタタッて。何か尖ったものが走っていくような、変な音がするんだよ。音は小さいけどはっきり聞こえるから、小さい子供らも怖がってさ。それに、……俺とローラも一度だけ掌くらいの、黒くてわしゃわしゃしたものを見たんだ」
「…………」
口を挟むことなく、神妙な顔つきで話しに耳を傾けるシモンに、マシューは意外そうに目を瞠った。
「お前、驚かないのか? 嘘だとか思わないのか?」
「え? ああ、うん。だけど、……なんだろうね?」
素の表情で呟き、シモンは考え込む。
(黒いわしゃわしゃ……?)
黒い影や靄が思い浮かぶも、釈然としないシモンは、小首を捻った。
黒い影は地や壁を這って動き、靄は煙のように宙を漂っている。だから、音を立てて走り回ることはない。
そもそも黒い影や靄の見える人間は、あまりいない。マシューだけでなくローラも……、しかも一回だけとなると、黒い影や靄ではないのかもしれない。
(そういえば……)
ふと、気づいたシモンは、孤児院を見遣る。
孤児院に入ってから、シモンは一度も黒い影や靄を見かけていない。
「シモンーっ!」
高く細い子供の声と共に、孤児院の玄関から一枚の白い紙を持ったアニーが飛び出してきた。その後を追いかけて来るのはローラだ。
アニーは、距離が近づいても一向に勢いを弱めるつもりはなさそうだった。そんなアニーを抱き留めるために、シモンは急いで腰を浮かせて立ち上がる。
体当たりに似た勢いで飛びついてきたアニーを抱きかかえると、シモンの首に細い腕が回された。
「シモンはなんで戻ってこないのー?」
「降りなさい、アニー……!」
追い付いたローラが、シモンの首に両腕を巻き付けたアニーを剥がそうと、手を伸ばした。
するとアニーは、きゅっと腕に力を込めてシモンにしがみ付く。いやいやと首を横に振ると、シモンの首筋に顔を埋めた。
シモンは、アニーの背をぽんぽん、と撫でるように優しく叩く。
「今、マシューとお話をしていたんだよ」
懐かれた嬉しさから顔がほころび、つい口調が甘くなる。
「ごめんね、シモン。絵が描けたからシモンに届けるんだって、アニーが………」
話の邪魔をしてしまったと、申し訳なさそうに表情を曇らせるローラに、シモンは大丈夫だと笑ってみせた。
「アニー、そうなの? 描いたものを見せてくれるの?」
シモンに訊かれたアニーは、首に回していた腕を緩める。にぱっと笑いながら手に持っていた紙を、シモンの顔の前に掲げた。
白い紙には、背の高い薄茶色の髪の男の子と手を繋ぐ、小さな女の子の絵が描かれている。背景の家は孤児院のようだ。
「シモンとアニー、描いたの。あげる」
「わぁ! 上手に描いてくれてありがとう。絵を描いてもらったのは初めてなんだ。大事にするね」
ぱぁっと顔を輝かせて、シモンはアニーに礼を言った。
アニーは嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、もう一枚書いてくるとシモンの腕から滑り降り、孤児院の方へと戻っていった。
アニーが孤児院へ帰るのを見届けたマシューは、視線を落として、思い詰めた表情をする。
「……シモン、お前さ」
緊張からか。きゅっと引き結ばれた唇の端が、ぴくりと動いた。
躊躇いがちに開かれた口から、溜め息のような細い声が零れる。
「夜中に……、部屋を抜け出せるか?」
「マシュー?」
不安気なローラが、マシューの真意を推し量るように口を挟む。
夜中に部屋を抜け出す理由を尋ねるべく、シモンが口を開いた。――その時。
「いた……! シモンっ!!」
アニーと入れ違いに、孤児院の方からよく知る声がした。ただその声には、怒りの中に恨めしさを潜ませた響きがあった。
ただならぬものを感じて、はっとしたシモンは声のした方へと首を巡らせる。
孤児院の入口に立つのは、酷い恰好の険しい顔をしたシェリーだ。
思わず触れたくなる彼女の美しい髪は、子供たちに遠慮なくいじられたのだろう。細く柔らかな銀糸の髪は根元からくしゃくしゃに乱れている。
セオバルドに指示された手前、すぐにその場を離れることができず、だからといって子供たちに怒るわけにもいかず、外へと逃げてきたといったところか。
シェリーは疲れ切った表情で俯き、皺の寄ったスカートの裾をぎゅっと掴んで、大きく息を吐き出す。
息を吸い込みながら顔を上げ、目を吊り上げて、ひたとシモンを睨めつけたシェリーは。
狙いを定めたようにシモン目掛けて、一直線に走り出した。
「シモン! あなた……!」
怒りのあまり泣きそうに顔を歪めたシェリーは、今にも飛びかからんばかりの剣幕でシモンに凄んだ。
気を呑まれて、じり……っと、後退りするシモンは、黙っているわけにもいかずに恐る恐る気遣いの言葉を掛ける。
「あの、シェリー。……大丈夫だった? あー、えぇと。…………ごめん。大丈夫じゃないよね」
苛立ちを隠さないシェリーは、ますます眼光を鋭くさせる。
すぅっと、息を吸い込んだ。
「なんで……、どうして外でくつろいでいるのよ……!? 私はあなたの御守りをするためにここに連れて来られたのよ!? こんな所で暇そうにしていないで、早く迎えに来なさいよっ!!」
――猫としての習性か。
刺々しい口調で一気に捲し立てながらも、シェリーはワンピースにできた皺を丁寧に手で撫でて伸ばし、叩いて埃を落とす。手櫛で髪を何度も梳いて身だしなみを整える。
憤慨するシェリーの様子にたじろぐマシューが、シモンの隣に並んで、こそっと耳許で囁く。
「なぁ、一緒に来たってことは、シェリーもお前と同じで、化け物の話に驚かない?」
「うん、僕よりも驚かないし、よっぽど詳しいよ」
「そっか」
眉尻を下げたマシューは、どうする? とでも言いたげに、ローラに問いかける眼差しを投げる。
マシューの視線を受け止めたローラは、困った顔をするも黙りこくる。
やがて――。
限りなく声を潜めて、マシューは切り出した。
「ちょっとさ……、シモンとシェリーに見てもらいたいものがあるんだ」
「それって、さっき夜中に抜け出せるかって訊かれた話の?」
シモンの問いに、マシューは頷いた。
「なんの話よ?」
不機嫌なシェリーは、わけのわからない話に自分が巻き込まれていることを察して、殊更嫌そうに顔を顰めた。




