紛れ込んだ物 4
孤児院に滞在するセオバルドとシモンのために部屋を用意してあるのだと、ふたりを案内するオスカーが、廊下の一番奥にある一枚の扉の前で立ち止まった。
セオバルドとシモンを振り返るオスカーは、すまなそうに眉尻を下げる。
「おふたりは、こちらの部屋をお使いください。今、世話をしている子供たちが多くて、生憎この小部屋しか空いていないので……。狭くて大変申し訳ない。シェリーさんは女性なので、別室を用意しました」
セオバルドの隣で、シモンの目が点になった。
「構いません。お心遣いに感謝致します」
オスカーに会釈するセオバルドに倣い、頭を下げたシモンは、彼と同室だと告げられて内心激しく動揺する。
少し前に訪れた村でも、セオバルドと同じ部屋で過ごしたことがあったが、何もない部屋で一緒に『待機』していただけ。座ったままうたた寝することはあったが熟睡などできるはずもなく、着替えをすることも、もちろんなかった。
孤児院に滞在するのは、一晩か二晩、長くても数日……。細心の注意を払えば女だと知られずに済むだろうか。
けれど……。やはり、セオバルドとの同室は、極力回避したい。
そわそわとして、シモンは衝動的に声を上げる。
「あの……っ!」
セオバルドとオスカーに注視され、シモンは急いで思案する。
――そうだ。
「あの、僕はシェリーと同室で大丈夫ですから。先生は、ゆっくり休んでください」
シェリーも部屋で休む時は、妖精猫の姿に戻るだろう。
頼み込めば、ベッドの端っこくらいは貸してくれるはずだ。
「ベッドも一緒に使いますし」
だから、シェリーと一部屋で、まったく問題ない。
しかし。
ぎょっとして目を剥いたオスカーは、すぐに眉を寄せて困った顔をする。
「シモンさん、……それはなりません。シェリーさんは女性なので、同室にお泊めすることはできません」
穏やかだが窘める口調で、きっぱりと言う。
はっとしたシモンは、即座に自身の発言が非常識なものだったと気づく。
(そうだった)
当然オスカーは、シェリーを人間の少女だと認識している。
シモンがシェリーと同室になるなど、許されるはずがない。
「はい。それは、そう、……なんですが、その……」
慌てたシモンは、視線を泳がせてしどろもどろになる。
違うんです、とは言えない。
シェリーは同性の妖精猫で、セオバルドは異性なんです、と弁明できないのがもどかしい。
「オスカー牧師」
すかさず、にっこりと笑みを浮かべたセオバルドが、オスカーと視線を合わせて取り成す。
「大丈夫です。ご心配なく。彼と私が同室になりますから」
「そうですか。そうしていただけると大変助かります」
吐息を洩らして肩の力を抜いたオスカーは、目尻に皺を寄せて柔和に微笑んだ。
部屋に一歩足を踏み入れたシモンは、思わず目を瞠る。
オスカーの言う通り、部屋は広くはなかった。だが、問題は広さなどではない。
(ちっ、近ぁい……)
訪問に合わせて運び込まれたのか。ほぼ隙間なく、幅の狭い簡易ベッドが二台並んでいた。
うっかり寝言も言えない。それどころか寝返りを打てば、セオバルドを殴ったり足蹴にしたりしてしまいそうな距離だ。
平常心を保つために、シモンは簡易ベッドから目を逸らし、部屋に視線を巡らせる。
壁際には、小さな机と椅子が備え付けられており、机上の隅には灯りを点すための銀の燭台。そして、小さなグラスに小花が飾られていた。
グラスには澄んだ水が張られており、外で見かけた数本の白い野花と、一本の茎の先に沢山の蕾をつけたスプレータイプの薔薇が活けられている。
子供たちが摘んだものを、オスカーが飾ったのかもしれない。
小さな手で、可憐な小花を摘む子供たちを思い浮かべて、緊張していたシモンの気持ちがほんのりと和んだ。
「先生、この花を咲かせてみてもいいですか?」
わくわくしながら、シモンはセオバルドを振り返る。
薔薇の蕾は、どれもまだ硬くて小さい。そのままにしていても、花を咲かせることなく枯れてしまうだろう。
「せっかく飾ってもらったから、咲いてほしくて」
「ああ」
許可を得て、呼吸を整え気持ちを鎮めたシモンは、切り花に魔力を注ぐ。
硬く結ばれていた薔薇の蕾がシモンの魔力を貰い、ほろりと緩む。……ゆっくりと、一斉に花開いていく。
瑞々しく艶のある花弁は、暖かな陽だまりを思わせる明るい黄色に……。華やかな手毬のようになった。
甘く心地よい春の芳香が、ふわりと部屋を満たす。
綺麗に咲いた花々の隣に、アニーから貰った絵を立て掛けて飾ると、シモンは満面の笑みを浮かべた。
机に間近く寄ったセオバルドは、花と共に飾られたアニーの絵とシモンを眺め下ろす。
「……絵は、子供たちから?」
「はい。アニーっていう小さな女の子が描いてくれたんです」
とっても可愛い子なんですよ、とシモンはセオバルドを見上げた。
ぴたっとついてくるアニーを思い出してくすくすと笑うシモンに、セオバルドは「そうか」と静かに相槌を打つ。
「誰か、異変について話している子供はいなかったか?」
「あ、はい。夜中に孤児院の中を、何かが走り回るような音がするそうです。最年長のマシューとローラが、一度だけ黒いわしゃわしゃしたものを見たことがあるとか……。そのふたりに、今晩シェリーと部屋を抜け出してきて欲しいと誘われました」
「……夜中に?」
「ええ。シェリーと僕に見せたいものがあるそうです。下の階の談話室で待ち合わせているんですが……、行ってきてもいいですか?」
微かに眉を寄せて、難しい顔をしたセオバルドは、しばし黙考する。
「魔除けは身に着けてきているな? 念のためにユアンに貰ったお守りも腰に提げていくといい。何か危険があったら、いち早く私に報せるように、シェリーに伝えてほしい」
「わかりました」
しっかりと明瞭に答えたシモンに、セオバルドは頷いて応える。
――視線をわずかに落とし、物思う顔で、問う。
「……シモン、君はこの孤児院と周辺で、黒い影や靄を見たか?」
「いいえ。それが、一つも見ませんでした。マシューから話を聞いた時に、それかなって思ったんですけど……。でも、これだけ人がいるのにあれが一つもないなんて、珍しいですよね」
口許に軽く握った拳を当てて俯くシモンは、怪訝に眉を寄せて考え込む。
セオバルドが重々しく頷いて同意を示し、おもむろに口を開いた。
「オスカー牧師の話だが、孤児院のあることをよく思わない村人がいるそうだ。孤児院のことを知って、村に幼い子供を捨てに来る者が後を絶たないことが理由の一つ。そして、噂を聞きつけてきたのか、人攫いのような不審者が目撃されているらしい。最近になって村の子供が何人か行方不明になり、村全体がぎすぎすしているそうだ。この孤児院でも、そんな雰囲気を察して情緒の不安定になる子供がいるとオスカー牧師が言っていた。……村がそんな状態なのに、黒い影や靄がないのは、腑に落ちない。あれらは人の負の感情が好物だから」
「村に、人攫い……が、出るんですか?」
不意に、追われて逃げた記憶が鮮明に蘇り、シモンは色を失う。
無我夢中で逃げた時、瞳に映した街並みが次々と脳裏に浮かんでは消え、身体中の血管がぎゅっと収縮し五感が遠のく。
人攫いの手を逃れ、セオバルドのそばで充実した日々を送っている今だからこそ、浮かび上がる過去はより暗く重いものに塗り替えられた。
当時の恐怖や不安といった感情が、シモンの心を冷たく絡めとる。
もしもあの時に捕まっていたら、今頃は――。そんな妄想じみた考えに捉われ、全身が凍りつく。
顔を強張らせたシモンは口を引き結び、ぎゅっと瞼を閉じる。
「シモン――?」
セオバルドに呼びかけられ、シモンの意識が現実へと引き戻される。
小さな溜め息を一つ洩らして顔を上げたシモンに、セオバルドが心配そうに言葉を継いだ。
「――嫌なことを思い出させた。……大丈夫か?」
柔らかな羽が触れるような、優しい声音に不意を突かれて、シモンは胸が詰まるのを感じた。
鼻の奥がつん、として目が潤みそうになる。
「大丈夫です」
忙しく目を瞬かせて、シモンは咄嗟に取り繕う。
気遣われたことが、少し意外だった。
セオバルドには、初めて会った時に人攫いに追われて逃げてきたことは伝えたが、それ以来身の上話には触れていない。
セオバルドの方も、シモンの過去に関する一切を訊き出そうとはしなかった。
シモンの素性や過去には関心がなく、人攫いから逃げてきたことなども、既に忘れられているのだと思っていた。
けれど、……もしかしたら。
セオバルドは、敢えて触れずにいてくれたのかもしれない。そんなふうにシモンは考える。
だから、シモンはほんの一歩、自分からセオバルドに歩み寄る。
心を寄り添わせようと、応える。
「祖母を亡くして村を出た僕は、大きな町へ出て仕事を探していたところ、声をかけられたんです。人攫いだってわからずに、誘われて……、ついて行っちゃったんです」
感情を昂らせることなく気負わずに、すっと自然に声が出た。
セオバルドは表情を変えるでもなく、受け入れるように、ただ目を伏せることで頷いた。
「よく、気づけたな」
「ええ、偶然。物のようにいくらで売るのか相談しているのを小耳に挟んで……。売られるのは話が違うって、すぐに逃げ出したんです。でも、何処にも行く当てがなくて、独りでどうしたらいいのかわからなかったから……。僕は、先生に出会えて置いてもらえるようになって、本当に運が良かったんですね」
ひとりの人間として、扱ってもらえる。
セオバルドに教え子として、助手として大事にされているのだと、感じることができる。
思いのほか穏やかに自身の境遇を振り返ったシモンは、語った過去を受け入れてもらえたことで、ひとつの区切りをつける。
ほっと安堵の吐息を洩らすと、セオバルドに淡く笑ってみせた。
同時に――。
ちくり、と胸が痛む。
性別を偽り、嘘を吐き続けていることに後ろめたさを覚えたから。
深夜、子供たちが寝静まり、孤児院が静寂に包まれた頃。
二階部分の奥まった部屋の扉が、音を立てずに、すぅ……、と薄く開いた。
部屋から零れた細い灯りが、廊下に一筋の線を引く。
ちろり、とやわらかな灯りが揺らめく。
炎を点した手燭を手に、シモンは扉の隙間から、そうっと廊下の様子を窺う。
……真っ暗な廊下は、空気の動く気配すらなく、ひたすらに無音だった。
扉の隙間から手燭を差し出すと、廊下が照らしだされ、ほの明るい空間ができた。
ささっ、と黒い影が走り抜けて行く。
すぐ後ろに立つセオバルドを振り仰ぎ、シモンは小声で報せる。
「先生、黒い影があります」
「ああ」
セオバルドからも見えたのだろう。彼の視線は、黒い影の走り抜けた先を追っていた。
シモンは、音を立てないように注意深く扉を押し開ける。
「……行ってきます」
コツ……、と。
廊下に、微かな靴音が反響した――。




