紛れ込んだ物 1
「遠方からご足労いただき、すみません」
「いえ」
「では、どうぞこちらに……」
セオバルドと和やかに挨拶を交わし、建物の外観に見合う重々しくも立派な玄関扉を開いて招き入れるのは、慎ましい身なりの痩躯の男性だ。
白髪の混じる短髪はきっちり整えられ、清潔感のある落ち着いた紳士といった印象を受ける。かといって威圧的な雰囲気などはなく、男性は彼自身よりも年若いセオバルドに対して、物腰柔らかに丁寧に接している。
温和そうな、優しそうな人だと、シモンは男性に親しみを覚えた。
「お連れのふたりも、ようこそ」
男性は、セオバルドの背後に立つ少女とシモンに向き直り、にっこりと微笑む。
笑みを浮かべることで目尻りに刻まれる皺が、より一層男性に柔和な雰囲気を纏わせた。
心がくつろぐのを感じたシモンは、つられて笑みを浮かべる。
「こんにちは。お会いできて嬉しいです。オスカー牧師」
男性はオスカーといい、この度訪れた村の教会の牧師であり、孤児院の責任者でもあった。
孤児院のエントランスホールに通されたセオバルドが、淡く微笑み、感心したように言った。
「……とても、立派な建物ですね」
客をもてなすためにゆったりと広く作られたエントランスホールは、天井が高く、窓も多いために明るく開放感がある。
豪奢な装飾の施された壁には、美しく華奢な燭台。暖炉も見栄えの良い大きなものだ。
ええ、とオスカーは柔らかに微笑む。
「建物は、この村に縁のある方の別宅だったのです。……親と一緒に暮らせない子供たちのために孤児院を開きたいと建物を探していたところ、少し古いけれど部屋数もあって丈夫だから……と、その方の善意で譲っていただきました。孤児院が開院した時にはその方のお知り合いなどから、子供たちのために衣服や本などを、沢山寄贈していただいたのですよ」
子供たちが贈られた本を読むことができるように、空いた時間を使って読み書きを教えているのだと、オスカーは嬉しそうに語った。
「そうでしたか……」
セオバルドが、頷いて答えた。
はぁ、と感心してシモンは辺りを見渡す。
部屋数が多いのは、客人を招く機会が多いから。……使用人を多く抱える、裕福な人物の屋敷だったことが窺い知れる。
確かに建物は古いが、しっかりと頑丈な造りで、劣化していそうな個所は見当たらない。廊下も広く、暖かな陽光の射しこむ大きな窓には硝子が豊富に嵌め込まれ、外の景色を広く眺めることができた。
「あ……」
廊下の壁に目を留めて、シモンは思わず頬を緩める。
そこには、この施設の子供たちが書いたのであろう絵が、沢山飾られていた。
シモンの隣を歩くシェリーが意味深な視線を寄越し、薄く微笑む。顔を傾けてシモンの顔を覗き込み、本気とも冗談ともいえない口調で囁く。
「ねぇ、シモン。あなた、今日からここの孤児院で、住み込みで働かせてもらえばいいじゃない。歳の近いお子様が沢山いるわよ?」
「無理だよ」
驚いて目を丸くしたシモンは、慌ててシェリーの言葉を小声で打ち消し、前を歩くオスカーの背中を、ちらりと盗み見る。
孤児院へ来る途中の馬車で――。
この孤児院は、村の人々の厚意による奉仕と、施設内の年長の子供らが年下の子供たちの面倒をみることで人手を補っているのだと、馭者から教えられたばかりだった。
敷地内には、いくつかの畑があったが、おそらくそれも、元は屋敷の庭園だったもの。
しかし、施設の大きさからして畑で採れるものだけでは、到底賄いきれないだろう。
人々の善意で成り立つ孤児院に、手伝いの為だけに、外から新しく人を入れる余裕はないはずだ。
そばにいたシェリーも知っているだろうに……と、シモンは彼女に視線を転じる。
目が合うとシェリーは、つーんと顔を背けた。
元々、一緒に来る気のなかったシェリーは、セオバルドに言い付けられて渋々同行することになったらしい。
そのため、彼女の機嫌はすこぶる悪い。
「院長先生、お客様?」
「そのお兄ちゃんはだぁれ? 新しく一緒に暮らす子? そっちのお姉ちゃんはどこかのお屋敷のお姫様?」
あちこちで弾む、好奇心に満ちた明るい声。
シモンが首を巡らせると、廊下の角や階段の上、部屋の扉の隙間から幼い子供たちの顔がひょこひょこと覗いている。
「三人とも、お客様だよ。ほら、みんなご挨拶をして」
優しく促すオスカーの声に、子供たちが姿を現す。
シェリーとシモンの周りを、小さな子供たちが一定の距離を保ちつつ、囲んだ。
シモンと同じ年頃の少年や少女もわずかにいた。そんな彼らは寄っては来ないが、少し距離を置いて遠巻きに、興味津々といった様子でこちらを窺っている。
オスカーと共に院長室の扉の前に立つセオバルドが、振り返った。
「私は話を伺ってくるから、ふたりは手伝いをするなり、小さな子供たちと遊んであげるといい。……オスカー牧師、構わないでしょうか?」
「ええ、是非お願いします。子供たちも喜ぶでしょう」
朗らかな笑顔のオスカーに、小さな子供たちが、わぁっと歓声を上げた。
こっそりとシモンが隣を窺うと、シェリーは死刑宣告でも受けたかのように身震いし、驚愕に大きく目を見開いている。
対して、オスカーに背を向けたセオバルドは、優しげに薄く微笑んでいる。けれど、その青い瞳は笑ってはいない。物言いたげに鋭く細められ、ひたとシェリーを見据えていた。
(同志だ)
シェリーは妖精猫。つまり、本質は猫だから。
沢山の人間の子供の面倒をみるのが得意だとは思えない。
苦手であろう子守を雇い主であるセオバルドに指示され、しかし断ることのできないシェリーに、シモンは雇われた者同士、心底同情する。
ぽふっと柔らかな衝動を足に受け、シモンは真下に視線を落とす。
足にぎゅっと抱き着いて、シモンのお腹辺りに顔を埋めてすりすりとしているのは小さな女の子だ。顔を上げた女の子は、はにかんで微笑む。
(か、可愛い……!)
女の子は抱きあげて欲しそうに、両手を上げた。頬を緩めたシモンは、女の子を抱き上げる。
「……何して遊びたい?」
「お絵描き!」
女の子が、ぱぁっと笑顔を弾けさせた。
「えー、嫌だよ! 鬼ごっこがいい!」
別の小さな男の子が、シモンの腕の中から女の子を引き摺り降ろそうと、彼女の服を引っ張った。
「待って待って、落ちちゃうから引っ張らないでね」
柔らかな口調で諭したシモンは、女の子が落ちないように抱え直す。
すると、シモンの周りに小さな子供たちが一斉に詰め寄った。
各々が、やりたい遊びを聞き入れてもらおうと、大きな声で主張し始めた。また、次々に質問を浴びせられるが、たくさんの声が重なり、シモンはわけがわからなくなる。
元気いっぱいな子供たちの勢いに、圧倒される。
「シェリー……」
藁にも縋る思いで、シモンは隣に立つシェリーを見遣った。だが。
シェリーは胸の前で軽く腕を組み、近づいてきた子供を真顔で睨みつけている。
人形のような愛らしい容姿をしたシェリーに近づきたいのに近づけない、そわそわと落ち着かない数人の子供たちと絶妙な距離を保って固まっている。
(えー……?)
シェリーに小さな子供の相手は無理だ。
咄嗟にそう判断して、シモンは勢いよく首を巡らせる。
しかし訴えようにも、セオバルドは既に、オスカーと院長室の扉の向こうに消えた後だった。
(えー……)
子供たち全員の相手と、シェリーのフォローをどうしたらいいのか。
小さな女の子を抱きかかえたまま途方に暮れるシモンは、引き攣った笑顔を浮かべて固まった。




