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男装少女は言い出せない  作者: 和奏
男装少女は言い出せない
27/152

冬の風邪 1


「シモン、起きなさい。キッチンが寒いわ」

 すぐ間近で、不機嫌な声がする。


 ずんっと胸に圧し掛かる重みに、シモンは息苦しさを覚える。

 うーん、と唸り、少しの間を置いてから瞼を薄く開けると、目の前に迫るのは妖精猫(シェリー)の小さな顔。

 眠っていたシモンの掛布団の上。……ちょうど胸許辺りに前足を折り畳んで伏せているシェリーの姿があった。

 首筋と肩に冷気を感じたシモンは、ふるふるっと身体を震わせる。掛布団の端を両手で掴んで、身体を布団の奥へと滑り込ませる。

 詰まっている鼻がむずむずして、くしゅん、と布団の中でくしゃみをする。

 そういえば、昨夜から、やたらにくしゃみの回数が多かったと、シモンはぼんやりと考える。


 シェリーは掛布団に前足をかけて捲り、シモンの顔を覗き込む。

「どうして布団に潜るのよ」

「……重いよ、シェリー」

「折角起こしに来てあげたのに、失礼な子ね」

 シモンの胸の上からどかずに、シェリーはすぅっと目を細める。


 ――迷い込んだ森からセオバルドと戻って、二日後の朝。


 すっかり明るくなった窓の外を見て、シモンは目を瞬かせる。

 いつもよりも、大分遅い時間に目を覚ましたのだと気づいた。

「あれ? 寝坊した……? あ、だから……」

 シェリーは、シモンを起こしに来たのだ。

 はっとしたシモンは、ぱちっと目を開く。

「シェリー、先生は!?」

 そうねぇ、とシェリーは窓の外を一瞥する。

「そろそろ、起きる頃かしら?」

「大変!」

 雇い主であり、師でもあるセオバルドよりも遅く起きるわけにはいかない。ましてや、寒いキッチンで彼を待たせるなんて、とんでもない。

 すぐにお茶を出せるようにお湯を沸かさないと……。

 温まっているのか、布団から降りようとしないシェリーを両手で抱き上げ、枕元へと移動させたシモンは、急いで上半身を起こす。

 足をベッドから床に降ろして立ち上がると、心なしか身体が重い。

 加えて、あちこち痛む身体にシモンは一瞬動きを止めて、小首を捻る。

 ……寝すぎたのか。それとも、寝方が悪かったのだろうか。

「シェリーごめん、起こしてくれてありがとう。先にキッチンへ行ってくれる? 僕もすぐに着替えて行くから」

 ベッドから、とんっと下りたシェリーは、ちらりとシモンを振り返る。

「起こしてあげたのだから、ホットミルクにブランデーを入れて頂戴」

「うん、わかった」

 部屋の扉の隙間からシェリーが外へ出て行くのを見送ったシモンは、そっと扉を閉めて身支度をした。



 キッチンでセオバルドにお茶を出し、シェリーにブランデーを二滴落としたホットミルクを出して、シモンも椅子に腰かける。

 マグを両手で包み込み、温かなお茶から白い湯気が立ち昇るのを、シモンはぼーっと眺める。

 頭がぼんやりとして、動きの緩慢な身体は妙に気怠い。


「あなたの朝が遅いから、ちっともキッチンが暖まらないわ」

 不満げなシェリーの声が少し遠く、他人事のように聞こえる。

 マグに目を落としたまま、シモンは相槌を打つ。

「……ん、……ごめん」

「寝坊するなんて、本当にお子様なんだから」

「…………」

「聞いているの?」

「……ん?」

 よく聞こえなかったシモンは、マグからのろのろと目を上げてシェリーに訊き返す。

 朝は殊更に口数の少ないセオバルドが、時々お茶を飲むためにマグを持ち上げる以外に動きのない、静かな時間がゆったりと流れた。


「なんだか……変ね」

 歯切れの悪い口調で首を傾げるシェリーは、シモンをじっと見つめて考え込む。

 たっぷりと間を取ったシモンは。

「……うん?」

 黙ったままのシェリーに、吐息混じりの声で先の言葉を促す。

 

 小さな額に皺を寄せたシェリーは、シモンの顔を見つめて、嫌そうな顔をした。

「変よ。気持ち悪いわ」

「気持ち悪いの?」

 具合でも悪いのかとシモンは心配になり、重ねて尋ねる。

「大丈夫……? 変なもの食べた? 鼠とか……」

「そんなもの食べないわよ! あなたってば、本当に失礼ねっ!!」

 一気に頭に血が上ったのか、シェリーはぶわっと銀の被毛を逆立てる。尾の先までたんぽぽの綿毛のようにふかふかに毛が開いた。

 つんっとそっぽを向いたシェリーは、そのまま椅子から飛び降りて、キッチンから出て行ってしまった。


 頬杖をついて、一連のやり取りを眺めていたセオバルドが、静かに口を開いた。

「……声が少し、鼻声のようだが」

「そう、ですか?」

 ちょこっと首を傾げ、眉を寄せたシモンは反らせた喉に片手を添える。息を吸い込み、あー、と声を出し始めてすぐに、ごふっとむせる。

 片方の肘で口許を覆い、ごほごほと咳をして涙目になりながら、はぁ……と一息つく。

 鼻が詰まっているからか、ぼうっと熱が頭にこもる。頭や顔がぽかぽかと火照るのを、思わず片手で煽ぐ。

「シェリーが言っていたのは、君がいつもよりも大人しいから……。眠いのか?」

 セオバルドは、頬杖を付いていない方の手をシモンの前髪の下に滑り込ませて、ぴたりと額に当てた。

「……ん?」

 怪訝な顔をしたセオバルドは、シモンの額に当てた手を頬へ、そして耳朶の下から首筋へと滑らせる。

「あの……?」

「熱い。……このまま部屋に戻って、横になっていなさい」

 シモンの首筋から手を離したセオバルドは立ち上がり、再び確認するように、もう一方の手でシモンの額に触れる。

「え?」

「熱があるから」

「でも、掃除も食事の支度もまだ……。やることをやってから、早めに休ませてもらってもいいですか?」

 動けないほど具合が悪いわけではない。

 請け負った家事を気にするシモンに、セオバルドは怖いくらい真顔になる。

「何もしなくていいから、寝ていなさい」

 一切の反論を認めない口調で、ぴしゃりといった。

「……すみません」

 せめてマグを片付けようと手に持つも、セオバルドにすっと取り上げられる。

「いいから」

 窘められたシモンはキッチンを追い出されるようにして、部屋に戻った。


 ふわふわする身体を投げ出すようにして、シモンはベッドに倒れ込む。

 うつ伏せになりながら、こんなふうに体調を崩すのはいつぶりだろうと、記憶の糸を手繰り寄せる。

 最後に熱を出して寝込んだのは、シモンが幼い頃。まだ、祖母が元気な頃だった。

 優しかった祖母を懐かしく思い出しながら、シモンは瞼を閉じる。

 ひんやりとしたシーツが肌に心地良く、額を埋めると急速に眠たくなった。

 もそもそとベッドの上を這ったシモンは、枕に頭を乗せて掛布団を引っ張り上げて被る。

 すぅ、と。眠りに落ちた。

 


 ――気がつくと、ぽつんと独り。

 暗い森の中に、シモンは立っていた。

 森に入ってはいけないと祖母に言い付けられていたのに、何で入ってしまったんだろう。

 後悔の念が全身を浸し、背徳感が押し寄せる。

 早く森から出ようと焦るシモンは、闇雲に歩き始めた。

 出口を探して、独りで彷徨う。

(どうしよう……)

 帰り道がわからない。帰れない。

 音のない暗闇で、背後から何か怖いものの足音がゆっくりと近づいてくる。

 ……シモンを探して、追いかけてくる。

 木の幹の裏に隠れても、茂みに隠れても、どこに隠れてもすぐに足音が聞こえてくる。迷いなく枯葉を踏みしめて、迫ってくる。

 そうだ。怖いものは、匂いを辿っているのだ。

 怖いものに捕まったら、頭からばりばりと食べられてしまう。

 まっすぐに近づいてくる足音に慌てふためいて、どうしたらいいのか考えを巡らせる。

 きっと、祖母のそばにいれば、怖いものは近寄れないはず……。

 暗い森に視線を巡らせ、シモンは祖母の姿を必死に探した。


 ばあちゃん、どこ――?

 

 微かに扉の開く音がした。

 シモンは、追いかけて来るものから逃げるように、浮き沈みする意識を捉える。

(起きないと……)

 頬から首筋に掌が添えられたような感覚があり、すっと離れる。

 薄く目を開けると、見覚えのある部屋の天井が視界に入った。

 ゆっくり視線だけ動かすと、レースのカーテンの下ろされた窓の外は(うっす)らと明るい。部屋は仄暗いが蝋燭に灯りを点すほどではない。

 朝なのか、夜なのか時間の感覚が無かった。

 

「……ばあ、ちゃん……?」

 まだ目が覚め切らず、身体だけが眠ったように動かない。

 祖母を探すために顔を横に傾けると、額から何かが、ずるりと滑り落ちた。

(……布?)

 身体が鉛のように重く感じてすぐには動かない。掛布団の中からのろのろと手を伸ばし、シモンは目の前に落ちた布を手に取って、しげしげと眺める。

 頭を冷やすために置かれていたのだろうか。濡らされた小さな布は、肌の温度に馴染んで(ぬる)くなっていた。

 手に持つ布の、ずっと向こう。視界に映り込むのは長身の黒髪の男性の後ろ姿。

 男性は、机の上に置かれた水桶を前に、布を固く絞っている。

 それをじっと見つめるシモンの胸の内に、じわじわと違和感が湧きあがった。


(ばあちゃん、……じゃない?)


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