廃教会の魔法使い 5
――今までと何も変わらない。
その言葉の通り。翌朝、セオバルドがシルヴィに接する態度は、シモンであった時と何も変わらなかった。
いつもと変わらない、朝のキッチンの風景。
寝起きの気怠そうなセオバルドと妖精猫のシェリー、少年の姿をしたシルヴィが、ダイニングテーブルに着いている。――ただ。
ほんの少しだけ、険悪な空気が漂う。
むすっとして不機嫌にむくれるシェリーに、シルヴィはひたすら謝っていた。
椅子に腰かけ、銀色の両前足をテーブルに揃えて置き、小さな眉間に皺を寄せたシェリーが、ふいっとシルヴィから顔を背ける。
「ごめん、ごめんね。シェリー」
「別にぃ。あなたが女性で、名前がシモンからシルヴィに変わったところで、私は構わないわ。とにかく、……セオが貴女のことを知っても、今までと変わらないっていうのなら」
何か思うところがあるのか。
声音に複雑な胸中を覗かせるシェリーは、両前足に視線を落として、渋い顔をする。
「そもそも散歩から戻ってきた時点でふたりとも寝ているし、そんなことがあったなんて、全然知らなかったんだから……!」
「それは……、その、真夜中だったから」
シルヴィは、曖昧に言葉を濁す。
セオバルドと話をしていたために、いつもよりも遅くまで起きていたのだが……。シェリーが散歩から戻るのを、待っていなかったのは事実。
「なによ。ふたりして私を蔑ろにして……! いない間に話を終わらせるなんて!」
話し合いの輪に入れず、たった今『シモン』の性別と本当の名前を知らされたシェリーは、ぷりぷりと怒る。面白くないとばかりに、ふん、と鼻を鳴らす。
「シェリーを除け者にしたつもりはないんだけど……、そうだよね」
セオバルドが牧師でないことを昨日まで知らなかったシルヴィは、ショックを受けるシェリーの気持ちが痛いほどわかり、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ずっと秘密にしていたから……。シェリーは、僕のことを男の子だと思っていたから、驚いたよね。それに、知らせるのが最後になっちゃったから……」
重ねて謝罪しようとするシルヴィを、シェリーは、じろりと睨む。
「知っていたわよ!」
ぴしゃりと言い放ったシェリーは、喉を反らして胸を張る。険しく細めた目で、シェリーよりもかなり高い位置にあるシルヴィの顔を見下した。
一瞬、シェリーが何を言っているのかわからなかったシルヴィは、ぽかんとする。
「……なん、で?」
「男か女かだなんて、最初っから匂いでわかるわよ!」
さも当然といったふうに、シェリーが言ってのける。
「え!? そうなの?」
驚きの声を上げて、シルヴィは目を瞬かせた。
妖精猫のシェリーは、嘘を吐かない。
シルヴィが教会にやってきたその時に、いち早く男装していることに気づいていながら、シェリーは黙っていたのだ。
それこそ、シルヴィが言い出すまで、一年以上もの間を。
シェリーの優しさが心に沁みて、つん、とシルヴィの鼻の奥が痛み、目尻に涙が滲んだ。
「シェリー……」
「……それは、初耳だ」
それまで黙っていたセオバルドが、口を挟んだ。
淡々と発せられた声は地を這うように低く、それでいて明瞭に響き、部屋の空気をがらりと変える。
不快感をあらわにしたセオバルドは、青い双眸に鋭利な光を湛え、シェリーを冷ややかに見据えた。
はっとして息を呑んだシェリーは、射すくめられたように身を固くする。大きく瞠られた彼女の紫の瞳は、動揺と緊張に彩られて虚を映す。
シルヴィは何が起きたのか理解できずに、怪訝に眉を寄せて、シェリーとセオバルドを交互に見た。
「やっぱり……、知らなかったはずがない。妖精猫の身体は猫と同様。お前たちの鼻が利くことは知っている。最初に『シモン』が礼拝堂に現れた時に、『シモン』に関してわかることがあれば、話すようにと言っただろう。今まで『シモン』が男装している女性だということを知っていて、意図的に私に黙っていたな」
「…………」
反論もせずに、ぴんと耳を外向きに立てたシェリーは、硬い表情で黙りこくる。
険しい眼差しでシェリーの一挙一動を注視しながら、セオバルドは重々しく尋ねる。
「知り得た情報を私に渡すことが条件で、そばに置く約束だったが……? どうして黙っていた」
交わした約束を反故にしたことをセオバルドに仄めかされ、シェリーの華奢な銀の身体が、きゅっと縮こまった。
嘘を吐かない妖精は、けれど、言いたくないことには口をつぐむ。
「…………」
「シェリー……?」
シルヴィは努めて優しく、事情を尋ねる声音で名を呼ぶ。しかし、シェリーはぴくりとも動かない。
応えることを頑なに拒否するシェリーの態度に、部屋の空気が膠着する。
静かに業を煮やすセオバルドから放たれる不穏な気配を感じとり、シルヴィも肌のひりつくような緊張を覚える。
「……弁明する気もないのか」
無造作に言い捨てられた言葉が、冷淡に響く。
たまらずに椅子を弾いて立ち上がったシルヴィは、シェリーとセオバルドの間に割って入った。
「先生、あの……っ」
発端は、シルヴィの吐いた嘘。
本当のことを知りながら、黙っていてくれたシェリーが叱られるのは、胸が締め付けられるように痛んだ。
「シェリーよりも先に、原因になった嘘を吐いたのは……」
自分を引き合いに出し、シェリーを庇おうとするシルヴィを、厳しい表情のセオバルドは視線で制する。
「君の時とは、状況が違う」
一呼吸置いて、セオバルドは纏う険しさを幾らか抑え、声音を整えて説く。
「……二か国、三か国と人の言語を理解して操る妖精猫は賢く、魔力を用いて術を使うものもいる。しかし、人に姿を変える妖精猫は、あまり例がない。元ある姿を他の生物に変えるのは、主に悪魔や魔と通じたものとされている。それ故だろうが、シェリーはこの教会に住み着いていた魔物とは別に、前居た牧師が礼拝堂の地下に溜め込んでいた『いわくつきの物』の、ひとつだ」
「シェリーが!?」
驚きの声を上げたシルヴィに、セオバルドは小さく頷く。
「シェリーを封じた水晶が収められた箱に、『悪魔の猫』と記されていた」
「えぇっ!?」
酷い勘違いだと、眉をひそめたシルヴィは、気遣う眼差しをシェリーに向けた。
「封印を解いた時に、情報を集めて渡すからそばに置いて欲しいと交渉してきたのは、シェリー自身だ。……自ら条件を提示しておきながら故意に情報を隠して、その理由も述べない。そんな不誠実なものとは、この先やっていけない」
セオバルドは、まるで見切りをつけたかのように素っ気なく、シェリーに痛烈な批判の言葉を浴びせた。
続く言葉は、『解雇』か。
ひやり、とシルヴィの背筋に冷たいものが走る。
「待ってください……!」
シルヴィは、セオバルドが決定的な一言を告げる前に、慌てて口を挟んだ。しゅんとして項垂れるシェリーを胸に抱きかかえて、腕で覆い隠す。
シェリーを捉えていた青い双眸が、厳しさを交えてシルヴィに向けられる。
視線を逸らしたくなるのを堪えて、シルヴィはセオバルドをまっすぐに見つめ返した。
「理由は、僕が言い出すまで待っていてくれたからで……。だから、今回は赦してもらえないですか? 一番ひどい嘘を吐いていた僕が言えることじゃないかもしれませんが……」
シルヴィが嘘を吐かなければ、シェリーがそのことを隠す必要はなく、咎められることはなかった。
ほんの少しだけシェリーを抱く腕に力を込めて、シルヴィは真摯に頼み込む。
「お願いします。その、僕は嘘を吐いて、先生とシェリーはひとつずつ言いそびれたことがあったということで……。駄目、ですか?」
他に行く当てもなく、居場所を失いたくなかったシルヴィ。
心の不安定だったシルヴィを気遣い、牧師のふりをしていることを言い出さなかったセオバルド。
最初から『シモン』が女だと知っていて、敢えて見逃していたシェリー。
ひとり、ひとつずつ。
「君は、全部同等に扱おうというのか」
「先生とシェリーの間に、何か約束事があったんですよね。それなのに、口出ししてすみません」
シェリーが衣食住を確保するために、セオバルドと約束を交わしているらしいことは知っている。
それを反故にしてまで、黙っていてくれたのだ。
早い段階で、セオバルドに女性であることが伝わっていたら……、否。
シェリーがセオバルドに報せずとも、彼女にこっそり女性であることを仄めかされていたら、今、シルヴィはここにいなかったかもしれない。
「でも、シェリーは大事な同志で、友達なんです……!」
ぴくん、とシェリーのビロードのような耳が動いた。
眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような顔のセオバルドは、シルヴィに何か言いかけて。
ぐっ、と何かを堪えるように口を引き結んで黙り、瞼を閉じて、深く息を吐き出した。
「……わかった」
ほっとしたシルヴィの緊張が緩み、シェリーを抱えている腕から、力が抜けた。
直後。
セオバルドが両手を伸ばし、シルヴィの腕の中からシェリーを引っ張り出して、ずるりと持ち上げる。
小さな子供が『高い高い』をされるような格好で、両脇を持たれたシェリーの身体が、びろんと長く伸びた。
「先生!? 何を……」
狼狽えるシルヴィに構わず、セオバルドはシェリーの身体をテーブルの上に静かに降ろす。そのまま、テーブルに腰を下ろしたシェリーの首根っこを軽く摘まんで、茫然と見開かれた紫の瞳を覗き込んだ。
「……今回だけだ。私に報せなかった理由も問わない。ただし、次はない。そばに置く条件は最初に取り決めをした時のままだ。いいな?」
感情のこもらない、温度を感じさせない声で不問にする旨を告げたセオバルドは、シェリーから手を離し、それ以上は何も言わなかった。
赦してもらえたのだろうか……?
セオバルドの顔を覗き込むと、刹那、シルヴィと視線を交わした彼は、頷いて応える。
「ありがとうございます……!」
ほっと胸を撫で下ろしたシルヴィは、満面に笑みを浮かべる。腰を屈めてテーブルの上のシェリーと目線の高さを合わせた。
「シェリー、僕が言い出すまで黙っていてくれてありがとう。これからもよろしくね」
澄んだ紫水晶を思わせる瞳をまん丸くしたシェリーは、決まりが悪そうに視線を落として、ふいっと顔を逸らす。
ちりん。
小気味よく鈴を鳴らし、テーブルの上から飛び降りたシェリーは、暖炉前に置いてあるクッションの上で丸くなった。
キッチンに立つシルヴィがハーブティーを淹れ始めると、温かな湯気と共にほのかな香りが立ち、部屋にわずかに残っている剣呑な空気と緊張を、ときほぐした。
それぞれが口をつぐみ、朝らしい爽やかな静寂に満たされた部屋に届くのは、気持ちよさげに囀る駒鳥の、透明に澄んだ声。
いつもの、穏やかな朝の様相だった。
「考えたんだが……」
シルヴィがテーブルに着くのを見計らったように、セオバルドは口を開いた。
「この町を気に入っている君には申し訳ないが、近々ここを離れようと思う」
「え……っ?」
耳を疑い、大きく目を瞠ったシルヴィが訊き返した。
シルヴィに食い入るように見つめられたセオバルドは、神妙な面持ちで返す。
「密告者が、私たちを探して町をうろついたら、厄介だからね」
「……あ」
密告者は、教会の状況はもちろん、位置も正確に把握している。
魔除けの結界を張ることは、密告者の探すセオバルドとシルヴィの存在を示すことに他ならない。
教会に入ることのできない密告者が、ふたりを捜し歩き、町まで足を延ばすことは想像に難くない。
「そう、……ですよね」
セオバルドやシルヴィは魔除けを身に着けているが、町の人はそうではない。
町の人たちが密告者に目をつけられ、とばっちりを受けるようなことがあってはならない。
「それに、私が教会に住み始めて、次の秋で二年になる。このまま礼拝堂を直さずに牧師のふりを続けるのも限界だろう。元々、町長には長く住むとは伝えていなかったから、頃合いかもしれない」
噛み締めるように一言ずつ、ゆっくりと。
言葉を連ねるセオバルドは、熟慮を重ねたうえで決断したようだった。
噂好きのお婆さんにしても、セオバルドのことを怪しんでいる節がある。
セオバルドが牧師でないと知ってしまった今、シルヴィに嘘を吐き通す自信は、あまりない。
慣れ親しんだ街並みや世話を焼いてくれたパン屋夫婦の顔が脳裏を過り、寂しさを覚えるも、仕方ないのだとシルヴィは納得する。
「わかりました」
応えたシルヴィに、セオバルドは表情を和らげて小さく頷く。ハーブティーを片手に吐息を洩らして肩の力を抜いた。
「世話になった人には、挨拶を済ませておくといい。……それから、君が約束を交わした彼だが――」
わずかに声を落として言い淀むセオバルドに、一瞬、誰のことなのかわからないシルヴィは、きょとんとして小首を傾げる。
「……彼?」
しばし、考えを巡らせて。
「あ、ケネスさん。……ですか?」
ひとり、思い当たる男性の名を口にした。
「――ああ。町を離れる旨を手紙に記して、誰かに託していくといいだろう。手紙が彼に渡りさえすれば、その後も連絡がつくだろうから」
「はい、そう……ですね。ありがとうございます」
ケネスと交わした約束を違えないように、手紙を書いたらパン屋の奥さんに預けていこう。
移動先で落ち着いたら、パン屋の奥さんにも手紙を書こう。そう決めて、シルヴィはセオバルドに尋ねる。
「先生、ここを出たらどこへ行くんですか?」
カップを下ろして、セオバルドは頬杖を付く。
「そうだな、特に当てはないんだが……」
遠くを見遣り、まだ定まらない未来に思いを馳せるかのように、瞼を閉じた。
セオバルドの、煩いや不安などは微塵も感じさせない穏やかな顔は、どことなく楽しげにも見えて。
そして。
「シルヴィ」
セオバルドの透る声が、昨日までと違った名を口にする。
丁寧にはっきりと発音された名は、耳の奥に沁みこみ、心の奥底に触れるような優しい響きを帯びて、シルヴィの胸をあたたかにする。
「はい」
「君は、どんな所へ行ってみたい?」
――どこへでも、望むところへ連れて行くから。
そんな含みを持たせて尋ね、セオバルドは涼やかに微笑んだ。
拙い話ですがここまで読んで下さった方、ブックマークや評価をして下さった方、有難うございます。読んでくださった方がいたことに励まされました。心からお礼申し上げます。
シモン/シルヴィ目線のお話を、ここで一区切りとさせていただこうかな、と思います。
この先はもやっとした思いを抱えたシェリーの幕間から、セオバルドの過去、シェリーの過去のお話になります。
セオバルドの過去は、今までの話とも絡みますが、シリアスなダークファンタジーに傾き、シェリーの過去は鈴に絡んだ話になります。
興味ないよ~、という方もいらっしゃるかと思い、一応ご報告まで。
ここまで読んでくださり、本当に有難うございました。




