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お見舞い

 ーーお見舞い。


 お見舞いとは、本来、誰かを訪問することを示す日本語であった。古語においては、巡回する事の意味で使われていた事もある。

 現在では一般的に、怪我人や病人のもとを訪れ、慰める行為を指している。


 勿論、慰めると言ってもそう言う、下的な意味で無く、文字通りである。


 ーーが、


 何故だ?何故、僕の掌はガッチリと『ソレ』を鷲掴みにしている?


 気を失う前の微かな記憶と、身の回りの状態を見れば、僕が病人として病院の一室にいる事に納得はいく。

 急激に現実に引き戻される意識の中で、おそらく、その事実だけを理解したのではないだろうか。


 だが、寝惚け眼の薄ぼんやりとし思考では、僕の掌が掴んでいる物に対する理解が追いつかない。


 …いやまて如月睦月。まだ焦る時じゃない。落ち着いて考えろ、今謝ればまだこの過ちは許される筈だ。

 それに相手は親友だろ?何を気後れる必要がある?

 

 僕は何も言わず掌の力を抜いた。掛け布団を抜けて、背筋を伸ばし膝をつく。親友、月影卯月の顔を一瞥し、両の掌を敷布団についた。

 そして、敷布団に額を押し付けてこう言うのだ。


「ごめんなさいっ!」


 謝罪と請願における日本文化的最終奥義。


 ーーそう、『DOGEZA』であった。


*****


 睦月君との面会が許されたのは、翌日の正午を過ぎたぐらいだった。


 体育館裏の事件以降、気が気で無く、どこか地に足が着いている感覚が無い。

 事件自体は昨日の事である筈なのに、その一日は千秋のように永く感じた。


 昨日は睦月君が入院している病院のロビーをずっと、行ったり来たりしていた。

 どれ程そうしていたのか、受付の人に今日は帰るように言われて、気が付けば次の日、また病院の前に立っていた。


 面会の許可はあっさりと出た。時間こそ、彼の事を配慮して午後からであったが、おそらく、おばさんか弥生ちゃんが話を通してくれていたのだろう。


 本来、家族でもない私が睦月君と面会する事は出来ない。

 仮におばさんや弥生ちゃんの助け無しに面会出来たとしても、よく刑事ドラマなんかで見る、ガラス越しの面会になった筈だ。


 いくら幼馴染であるとは言え、長いこと睦月君と深い関わりが無かった私だ。おばさんも弥生ちゃんも、物凄く心配だと思う。

 言ってしまえば私は、息子或いは兄を狙う、雌猫であるのだから。


 睦月君の病室の前まで辿り着いた。男性用に作られた、他の病室とは異なる作りの扉に手を掛ける。

 ガチャン、と扉が引っかかり、エントランスで渡されたカードの事を思い出す。


 そう言えば、鍵がかかっているのだった。

 男性保護法に則って、数年前に入室にカードが必要になったらしい。


 そんな当たり前の事まで、私の頭からは飛んでいるようだ。


「…失礼、しまぁす」


 音も無く扉が滑り、開いた隙間から病室の中を覗く。

 誰かがいて都合が悪いわけじゃないけれど、なんと無く身構えてしまった。


 返事は返ってこない。


 静かな病室に私の足音だけが響く。カチャン、と後ろで扉の閉まる音がした。

 その様を見届けた後、病室を見渡して、気付く。


 病室の窓から差し込む光が、白い床を照らして眩しい。

 反響する光の中で、一人。眠り王子の如く、美麗な少年が寝ている事に。


 人は本当に感動した時、言葉が出てこないらしい。

 ただ無言で、立ち尽くすことしか出来ず、気付けば砂の塔のように崩れ去る。


 今の私が、まさにそうであるように。


 どれ程そうしていたのか、思い出したように立ち上がる。


 眠り王子。

 民話である為、いくつか類話が存在するが、その内で最も有名な1つ、グリム童話における『眠り王子』。

 

 呪いによって、100年間眠り続けた王子が、1人の王女のキスによって目覚める。それから、目を覚ました王子は王女を見そめ、結婚して幸せに暮らす。


 そんな話だ。


 もしかすれば睦月君も、キスをすれば目覚めるのではないか。目覚めた睦月君は魔法にかかったように、私の事を好きになるのではないだろうか。


 そんな妄想が私の思考を支配する。理性はとうの昔に逃げ出して、本能だけが声高に主張している。


 いつの間にか、睦月君のベッドの前に立っていた。布団に手をつき、自然と体が前屈みになっていく。

 駄目だと、頭の中で思っていても、体は言う事を聞いてくれない。


 ーー彼の唇が眼前に迫った時だ。


「……ぇ?」


 これ以上、体が下がっていかない。彼の右手が、私の胸に当てられているのだ。

 そのまま少し呆然として、彼が、私を止めているのだと気付くのに少し時間がかかった。

 彼の目はまだ閉じられているところを見ると、寝相、なのかもしれない。

 

 急に理性が大軍を率いて戻ってきた。

 私が今、何をしようとしていたのか。その現実が叩き付けられる。

 彼が目を覚ましていない以上、弾糾される事は無い。


「…何やってんだ」


 溢れ出てくる自己嫌悪。それを止める術を私は持っていない。

 女であるのだから仕方ないと、言い訳出来たらどれだけ楽だったろうか。


 大太鼓のように脈打つ心臓は止まってくれない。私の胸を掴む右腕から、この鼓動が伝わってしまいそうで怖い。

 睦月君が起きた時、どう反応すればいい?


「…んぅ、ん」


 そうしている内に、ゆっくりと、睦月君の瞼が開いていって、


 じっくり、10秒程目が合う。


「…その、おはよう、睦月君」


「ぇ、ぁ…え?」


 目を覚ました途端に私の顔が目の前にあって、混乱しているのかもしれない。

 胸に当てられている手に力が入って、思わず声が漏れた。


 そのまま、私の声だけが病室の残り、それ以外の沈黙がしばらく続く。


 沈黙が破られたのは、唐突だった。


 睦月君の手の力が抜けていき、私の胸から離れていく。

 少しの名残惜しさを感じて、その掌を眺めていると、彼は両膝と両の掌を布団に付いて、


「ごめんなさいっ!」


 そう、叫ぶように吐き出した。


 な、なんだこれは?


 私は、寝ている幼馴染にキ、キスしようとした挙句、何故か幼馴染に『DOGEZA』させている。


 もし、何も知らない第三者に見られたら、例え私が全く悪くなくても、御用されてしまうだろう。

 それに加え、そもそも『DOGEZA』されている理由がわからない以上、彼を止める必要があるのは明白だった。


「ちょっ!む、睦月君!」


 咄嗟に彼の頭を上げる。少し潤んだ瞳に、どきり、と心臓が跳ね上がるのを感じながら彼を宥めた。


「…ごめん、って、謝るのは私の方、だから、さ」


 例え彼が、私のした事を知らなくても、私の罪が軽くなることはない。

 理由を告げる度胸はなく、ただ贖罪の為に顔を下げる。


 正式な謝罪の方法も知らない高校生の私が、幼馴染に出来る謝罪。

 目覚めたばかりの彼にDOGEZAをしても、かえって混乱させるだけだろうから。


 


 

どうやら、睦月の寝顔を1人で見た者は彼に口付けをしたい衝動に駆られるらしい。


ある種呪いだな、と考えながら書いた記憶があります。

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