アタシはあんたが嫌いだから
こんなつもりじゃなかったんです。
「…如月、睦月さんですか?」
飛び出してきたのは女の子。黒髪長髪の美人ではあるが、目の下の隈が不健康さを醸し出していた。
驚いてただ立っていることしかできない僕の返事を待たずに、彼女は続ける。
「如月睦月さんですよね。間違いありません。この香り!私が忘れるわけありません!ああ!ようやく出逢う事が出来ました。分かります?私がどれだけ、どれだけこの日を待ち遠しく思っていたか。手紙を渡そうと思ったことは何度もあったけど、どうしても渡せなくて煮え湯を飲まされた気持ちが分かります?ようやく、ようやくです!」
ふらりふらりと覚束ない足取りで、彼女は饒舌に言葉を吐き出す。
何この人ヤバイ。
狂気。僕の少ない語彙では、彼女の様子はこの言葉に尽きる。
早口で何を言っているのか殆ど聞き取れなかったけれど、何かヤバイと本能が叫んでいた。
取り敢えず逃げなければ。
「…どこへ行くんです?」
「…っ!」
しかし、回り込まれてしまった!
まて、現実逃避はやめろ如月睦月。
…まだ、ただ僕に用事があるだけのちょっと変わった女の子っていう可能性もある。
部活の勧誘かもしれない。
…いや、それはないな。彼女の胸ポケットに光る校章がこの高校のものでは無いのが分かった。
よく見れば制服の作りも少しづつ違う、詰まる所、彼女は他校の生徒だと言う事で、
「如月睦月さん、あなたと交わした言葉を私は一字一句違う事無く覚えています。初めて出逢ったのは、1ヶ月前。あなたは私を見て笑ってくれましたね?私はその時確信したんです。私とあなたは結ばれるべきだって。きっと前世から切られる事の無い縁に結ばれてるって。消えろって言ったのだって、照れ隠しだって分かっています。赤い糸が、確かに私の目には見えたんです!あなたの顔を見る事の出来ない時間がどれだけ苦痛だったことか」
捲し立てるように喚く少女にたじろいだ。
僕が一歩後ずさるごとに、彼女は二歩、僕との間を詰める。
「見てくださいこのハンカチ。あの日、あなたが私のためにわざと落としたんですよね?私は分かっています。あなたなりのプレゼントなんでしょ?勿論、あの日からずっと肌身離さず持ち続けています。トイレの時もお風呂の時も、寝る時も学校の時も、このハンカチに残るあなたの匂いも随分と薄くなってしまって…」
ガシャリと、フェンスに背が当たった。
もう後ずさる場所は無い。逃げ場を探して視線を移した次の瞬間には、彼女顔がすぐ近くにあった。
「…ねぇ」
彼女の吐息が鼻の頭にかかる。仄かに香る甘い匂いと、彼女の妖艶な唇が、酷く場違いにその存在を主張していた。
焦点の合っていない目が僕を射抜く。
「…どうして?どうして何も喋ってくれないの?どうして私から逃げるの?私達はこんなに愛し合っているのに、私はこんなにあなたを愛しているのに。…ねぇ?どうして?」
何?何なんだ?僕と出逢ったのは1ヶ月前?僕が落としたハンカチを肌身離さず持ってるだって?
僕が彼女を愛している?彼女が僕を愛している?
何を言っているのか全然わからない。僕はこの少女を知らないし、そもそも、以前の僕に他校の知り合いがいたとも思えない。
なら余計に彼女が何を言っているのか、僕の頭に彼女の言葉が木霊する。
何度もリピートされて、ぐるぐると回っていく。
「…そっか、そっかそっか。恥ずかしいんだね?私にはわかるよ。私に会えて嬉しくて何も言えないんだね?ついつい逃げちゃうなんて、睦月君は照れ屋なんだね。…ああ、もう私我慢出来ない!いいよね?いいよね?キスしてもいいよね?返事をしないってことはいいってことだよね?もしかして最後まで期待しちゃってる?…いいよ私が最後まで可愛がってあげるから。睦月君は力を抜いてればいいんだよ。…ほら」
その華奢な体のどこにそんな力があるのか、僕の体は地面に押し倒され、お腹の上に彼女の体重がのしかかった。
童貞卒業?棚ぼた?筆下ろし?
こんな状況なのに、そんな言葉が脳裏をよぎるのに嫌気がさす。
僕も普通の男子高校生で、狂気の中に見え隠れする性に本能は反応してしまっているのだ。
…駄目だ。如月睦月、お前はその一線を越えてはいけない。
目を覚ませ、親友を待たせてんだろうが。
「…っ!」
唇と唇が触れる数センチ手前、吐息がお互いにかかってしまうくらいの距離で、何とか押し返す。
そのまま走り逃げようとしたが、足首を掴まれて転倒してしまった。
「ねぇ!どうして?どうして逃げるの?ねぇ?あなたは私を愛しているの。逃げたら駄目よ?私があなたは愛しているから、あなたは私を愛さなければ駄目なの。恋人同士なら、愛を確かめ合うのは当然なの。あなたは私を拒んではいけないの、ほら、気持ちいいから。…いいから私に全てを委ねなさいっ!」
こけた時に腕を捻った。足首も、もしかしたら捻ってしまったかもしれない。
追い討ちをかけるように、彼女の平手が頰を撃ち抜いた。
視界には火花が散り、金属音のような耳鳴りが響く。
「…痛っ!」
こけた衝撃とぶたれた衝撃が重なって脳が揺れた。ぐわんぐわんと視界が揺れて、腕と足、それから頰が熱を持つのがかろうじて分かる。
上手く力が入らないし、思考も纏まらない。
ああ、もういいや。
目の前の少女が上半身をはだけさせているのに何も感じない。
ただ、歪む視界にだんだん、彼女の顔が近づいてーー、
ーー瞬きをした次の瞬間、視界から少女の姿が消える。
……え?
「おいあんた、大丈夫かよ!」
僕声でもなく、先程の少女でもない、第三者の声が体育館裏に響いた。
「…あんた、如月じゃねえか。…コイツ、知り合いか?」
鮮明になって行く視界に、声の主の姿が見えてくる。
強気な目に、軽く茶色に染められた長髪、どこか見たことがあるような美少女であった。
…が、僕はこの少女を知らない。
僕のことを知っている以上、僕の知り合いであるのだろうが、名前が出てこない。
つまり、以前は男だったと言う事になる。
「…知らない人」
「コイツ、他校のヤツじゃねーか。…何があった?」
「…わからない」
少女の質問に何とか答える。未だに痛みと耳鳴りが治らずに鳴っている。
少し霞む視界で周りを見渡す。
僕から10メートル離れたあたりに先程の少女が倒れていた。
うつ伏せに倒れてピクリとも動かない。
…まさか?この少女が蹴り飛ばしたのか?10メートル?
「…わからないってあんた」
「…ごめん」
何があったのか、本当にわからない。呼び出されて、浮かれて、訳のわからないうちに押し倒されて。
「ありがと、多分、助かった」
「…礼なんていらねえよ」
そう吐き捨てて、倒れた少女に近づいて行く。片手を乱暴に掴み上げて、背中に背負った。
「…じゃあアタシはコイツをケーサツに突き出すから。後日なんかあっても、アタシに文句言うんじゃねーぞ」
「ありがと、…えっと」
「橘皐月。…はっ、やっぱりあんたはそうなんだな。クラスメイトの名前も覚えてない」
どこかで見たことあると思ったら、どうやらクラスメイトだったようだ。
そのクラスメイト、橘皐月は言葉を続ける。
「…最近よお、急に態度を変えて、どういうつもりだあんた?」
「…どういうって…」
…おそらく彼女は、以前の僕を知っていて、今の僕の態度を不自然に感じていたのだ。
何かあると思われるほど、本当に、以前の僕はどれだけヤバイ奴だったのだろうか?
どういうつもりも、以前の僕が崩してしまった人間関係を改善しようとしている。
なんて言える筈もなく、口を閉じてしまう。
「言い訳なんていらねえよ。…アタシはあんたが嫌いだから。…じゃあな」
「あっ…」
ズキリ頭が痛み、彼女を引き止めることができなかった。
彼女が見えなくなっても、酷い頭痛に歩くことが出来ない。
耳鳴りも止まない、腕も足も頰も、ジンジンと重く痛い。
最近随分と眠たかったし、疲れが溜まっていたのかもしれない。
…少し休めば、大丈夫だろうか。
「…睦月君?」
体育館裏の壁に寄りかかっていると、聞き慣れた声が聞こえてくる。
声のした方を見れば、教室で待たせているはずの卯月が、角から顔を覗かせていた。
「…どうしたのその頬っぺた!それに制服も泥だらけだし…。…まさかさっきの?さっきの奴にやられたの?」
「卯月…、どうして?」
「どうしてって!睦月君が遅いから、見かけたっていうのを聞いて、いてもたってもいられなくて…」
「…ごめん」
「それで…、さっきの奴が?」
「さっきの、って?」
「あの茶髪の…」
茶髪の、その後に続く言葉は予想がつく。それに、多分卯月は橘皐月のことを知っている。
クラスメイトであるし、それに橘という苗字には聞き覚えがあった。
僕との交友関係があろうが、なかろうが、少なくとも小中のどちらかでは同じ学校だったに違いない。
「…さっきの、橘だよね?」
「違うよ」
「…でもっ!確かに!」
興奮して握り拳を作っている卯月を宥める。
彼女が妙な勘違いをしてしまう前に、違うと言ってしまうのが得策だろう。
「橘さんは僕を助けてくれたんだ。…よくわからないけど、もう1人誰か背負っていただろ?その人からね…、まあ、僕の事は嫌いだそうだけど」
「…でも」
「兎に角、橘さんは違うから。…そんなことより…ちょっと、肩を…」
ぐらりと世界が傾く。だんだん狭くなって行く視界に、もう立っていられない。
「む、むむむむむつっ睦月君⁉︎」
卯月の声が聞こえるが、何を言っているのか分からない。
そのまま、僕は意識を手放した。
ごめんなさい、でも描いてるうちに楽しくなって…。
反省はしていますが、後悔はしていません。




