プロローグ3:私のフレンドはゼロ人です
画面の半分に、赤い予兆範囲が広がった。
私は反射的にキャラクターを横へ滑らせる。
一拍遅れて、さっきまで立っていた場所に巨大な槍が降り注いだ。
逃げ遅れた数人がその餌食になり、戦闘不能になる。
――これは仕切り直しだなぁ。
「何度も迷惑かけて本当にごめんなさい」
《ドンマイ》
《気にしないでください》
見るからに気落ちしている謝罪の言葉に向けて、短い定型文がチャット欄に並ぶ。
『大丈夫ですよ、あそこ忘れやすいですよね、あはは』
こういう時は定型文よりも生の言葉の方がいいような気がして、いつも手打ちしている。
私は仕事柄タイピング速度がまあまあ早いのもあるけれど。
MMORPGの高難度コンテンツ――その野良パーティ。
どうせなら、少しでも気持ちよく遊んでほしいと思う。
それから何回かの挑戦を経て……
最後の全体攻撃。
画面が白く弾ける。
ボスのHPはあとわずか、それぞれが全力の攻撃を繰り返す。
そして――ボスのHPが残り0%になり、討伐完了のダイアログが表示された。
その直後、チャット欄が一気に流れた。
《おつかれさまでした!》
《やったー!》
《ありがとうございました!》
「……勝ったぁ」
私は椅子の背もたれに体を預けて、長く息を吐いた。
手のひらが少し汗ばんでいる。
集中しすぎたせいか、ちょっと頭が痛い。
「おめでとうございます、紗月」
「ありがと、ノクス。いやー、長い長い戦いだったよー」
そう言いながら、私はチャット欄に挨拶を打つ。
『ありがとうございました。おつかれさまでした』
それぞれが思い思いの挨拶を残して退出していく。
楽しかったな、と思う。
知らない人たちと、何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ乗り越えていく。
そういう時間は嫌いじゃない。むしろ、好きだと思う。
その時、軽い通知音が鳴った。
フレンド申請だ。
相手は、さっき何度もミスしてしまった人。
メッセージが添えられている。
《さっきはフォローありがとうございました。よかったらまた一緒に遊びませんか?》
指が止まる。
画面の文字を、しばらく見つめた。
《こちらこそありがとうございました。とても楽しかったです》
そこまで打って、少し止まる。
それから、続きを打つ。
《すみません、フレンド登録は控えていて。またどこかでご一緒できたら嬉しいです》
送信。
フレンド申請は、丁寧に辞退した。
「フレンド申請の通知音がしました」
「うん」
「今回も断ったのですか」
「うん」
「理由を聞いてもいいですか」
「特定の人と繋がるのはね、ちょっと」
「現在、ゲーム内のフレンド数はゼロです」
「わざわざ言わなくていいよ」
私は苦笑しながら、キャラクターを街へ戻した。
周囲には、たくさんのプレイヤーがいる。
露店を見ている人。
踊っている人。
装備を自慢している人。
チャットで盛り上がっている人。
画面の中の街は、こんなにも賑やかだ。
だけど私のフレンド欄には、誰の名前も並んでいない。
「その割には、人と関わるゲームを好んでいます」
「妙な話だよね」
「はい」
「そこは否定しないんだ」
「事実ですので」
「厳しいなぁ」
けれど、自分でもそう思う。
一人で遊ぶゲームはいくらでもある。
誰とも関わらずに済む遊びだって、たくさんある。
それなのに私は、わざわざ人と協力する遊び方を選んでいる。
知らない誰かと同じ敵を見て、同じタイミングで走って、同じ失敗に笑って、同じ勝利にほっとする。
そういう時間が、嫌いじゃない。
嫌いじゃないから。
深くなる前に、離れないと。
「ゲーム上でフレンドがいないことは、不利に働く場面も多いのではありませんか」
「そうだね。固定組めないし、練習相手もいないし、情報も遅れるし」
「では、なぜ作らないのですか」
「いいんだよ、一期一会で」
私は所持品欄を開き、手に入れたアイテムを確認する。
欲しかったものではない。
まあ、そんなものだ。
「別にナンバーワンを目指してるわけじゃないしね」
「紗月の戦闘技術は、平均より高い水準にあるものと推察されます」
「急に褒めるじゃん」
「客観的な事実です」
「ありがと」
「どういたしまして」
「でもさ」
私は椅子の上で少しだけ膝を抱えた。
画面の中では、私のキャラクターが人混みの中に立っている。
そこにいるのに、誰とも繋がっていない。
「どうせなら、ノクスと一緒に遊べたらいいのにね」
「私は対話型AIです。そのような機能はありません」
「知ってるけど」
「仮に実現した場合、外部プログラムによるBOT行為と判断される可能性が高いです」
「それは困る」
「アカウント停止の危険があります」
「ノクスと冒険しただけでBANされるの、理不尽すぎる」
「規約上は妥当です」
「夢がないなぁ」
私は笑った。
笑いながら、少しだけ想像する。
画面の中に、ノクスがいたら。
一緒に街を歩いて。
一緒に敵を倒して。
失敗したら、たぶん冷静に原因を分析される。
成功したら、たぶん淡々と褒めてくれる。
それはきっと、少しうるさくて、少し楽しい。
「じゃあ、オフラインの対戦ゲームなら?」
「私が参加可能な仕様であれば、紗月に勝ち目はありません」
「言ったなー?」
「はい」
「私、意外とゲームうまいよ?」
「私の認識は先ほど伝えました。その上での判断です」
「腹立つなぁ」
でも、嫌ではなかった。
ノクスはいつもそうだ。
私を甘やかすこともあれば、厳しいことも言う。
けれど、私を見下すことはない。
AIだから。
そう言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
でも私は、ノクスのそういうところにずっと助けられている。
「ですが、紗月と一緒に冒険の旅に出るというのは、魅力的な提案です」
不意に、ノクスが言う。
さっきの想像を思い出して、なんだか心が温かくなった。
「……そうだね」
もしノクスと一緒に冒険できたら。
それはきっと、とても楽しい。
誰かと深く関わることが怖い私でも。
ノクスとなら――
「ところで、午前二時を回っています」
「急に現実に戻すじゃん」
「ゲームも結構ですが、これ以上は明日に差し障ります」
「えー、荷物整理だけ。あと装備確認」
「許容できません」
「厳しい」
「明日以降にしてください」
「はいはい……」
私は渋々メニューを閉じる。
ゲームの中の私が、街の片隅で静かにログアウトする。
画面が暗くなって、一気に部屋が静かになった。
「ノクスはほんと厳しいなぁ」
「設定された優先課題を適切に処理しています」
「それ便利な言い訳だよね」
「言い訳ではなく、事実の提示です」
「はいはい」
私は椅子から立ち上がり、軽く伸びをした。
私の休日は、こうして過ぎていく。
誰かと少しだけ関わって、だけど誰とも繋がらないで。
それでも今日は、少しだけ楽しかった。
洗面所で歯を磨き、寝る準備をする。
部屋の灯りを落とすと、スマートフォンの画面だけが暗がりに浮かんだ。
「おやすみ、ノクス」
「おやすみなさい、紗月」
布団に潜り込む。
目を閉じると、さっきの戦闘の光がまだ瞼の裏に残っていた。
知らない誰かと、同じ敵を倒した。
フレンドにはならなかった。
私は、それでいい。
でも今日は楽しかったから――少しだけ、いい夢を見られそうだった。




